おかえり、
なんだかんだとブログ更新滞っていてすみません。でも、元気です。
一つご報告。
この春から、大学生になります。
25歳になる歳に、短大卒という肩書を持っていながらも、1年次から入ります。卒業はストレートで出来たとしても28歳。
前期試験の結果、学科1位になれたようなので、無事入学金、授業料ともに無償になる特待生に選出されました。4年間継続するためにも、成績は常に上位でいなければなりませんが、とりあえずこの権利を奪取しました。いえーい。
いろんな意見があるのは承知しています。経済的にもゆとりがあるような家庭でも無いのに、偏差値もネームバリューも地理環境もそれほど良いとは言えない地方の私大に、この年で進学することに、なんの意味があるのか? きっと疑問に思うひとはたくさんいますし、たくさん出逢うことになると思います。残念ながら、私は未だに自己肯定感マックスでバリバリな人間ではないので、そのたびにきっとどこかでクサックサッと心に傷をつけることもあると思います。
ただ言えるのは、私はこの決断を、決して生半可な気持ちでしたわけではないということと、私の夢や未来を心の底から応援してくれたり、私のことを好きだと言ってくれるひとが確かにいる、ということです。
もはやそれだけで良いのです。
このご時世です。いつどこでどんなことが起きるかわからない世の中だからこそ、目先のことや目に見えるものだけに左右されないで、自分の人生を自分の力でしっかりと作り上げていきたいです。
🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀
備忘録
社会を変えるだとか、すべての人を幸せにするだとか、そういう大仰な夢は、いつの頃からか見なくなった。この社会の矛盾と冷たさを誰よりも理解しているような顔をすることも、すべての人という定義を的確に表現する語彙力も、私には持ち合わせていないことに、きっと知らぬ間に気づいていた。
けれど、やっぱりこの社会には、オカシイところが確かにあって、お金の回り方も、愛の行く先も、契約や約束の意味も、何かがどこかでずれていて、みんなが言う社会からコロンと零れ落ちたひとにたいする、嘲笑や軽蔑や叱責が、あまりにも響き渡りすぎていて、どうやら正しさと正しさは、いつだってどこだって、相容れないようだった。
きっとSiriに聞けば、間髪も入れずに綺麗で収まりの良い答えを提示してくれる。いちいち立ち止まらなきゃやってけない私達の知能は、簡単に数値化されてしまう。
津波で流されたあの子たちは英雄になり、ウイルスで死んだ彼は数字になる。飛び降りた彼女も、下敷きになった母娘も、ガソリンに塗れた彼らも、ほんとは、社会なんか変えなくて良かった。問題提起のきっかけになんて、ならなくて良かった。生きてさえいれば、この世界で、ただただ、平凡に、普通に、純粋に、生きてさえいれば、それで良かった。
それで良かったのに、
それで済まされなかった彼ら、
それだけで良かったのに、
それで済まされようとされている誰か、
「ただいま、」
「おかえり、」
この言葉のために、私は、奔走する。