え ん

人生は連鎖する、

2022年 学んだことの思考整理

 

 

今年は(も?)、ブログを殆ど更新しなかった。

今年は教育実習というメインイベントもあったし、秋から教採の勉強が本格的にスタートしたこともあってか、本当に常に何かしらの締切や課題に追われていた(現在進行形)。要するに、忙しかった。

 

オリジナルな文章を書くという営みは、日頃から意識し、継続することで磨かれる気がする。大学で課されるレポートとか論文じゃなく、自分の日頃から思っていることや違和感を形式にとらわれずに言語化することは、感情の整理に役立つ。

インプットの量が増えたからといって思考力が高まったようにも思えないし、適切なときに適切な語彙を使うことが、最近特にできていない。まぁ、そもそも実のあるインプットができていたか、と聞かれたら、既にその時点で自信がないのだけれど。

 

今日の記事はそのリハビリという意味で、今年学んだことを書き連ねていくことにしよう。

あ、今日とは別に、大晦日にまた、今年の反省や来年の抱負的な記事も書きます。

 

 

 

📌今年は、大学三年生という時期相応の、周囲の焦燥や喧騒や慢心や衒学に翻弄されもした。

上からの圧力や、権力でモノを言う存在に抗おうともした。

けれど

それと同時に、迎合するということが必ずしも負けを意味しないという処世も学んだ。

 

📌物事やひとの、善悪や正偽や上下を判断することの浅はかさを頭では理解している。にも関わらず、瞬時に容易く自分の物差しだけで断罪するような言葉をふと口にしてしまう自分に気づき、逐一そのことを恥じ、悔いた。

けれど

そんな自分自身を否定せず、自分のなかにある人間臭さや矛盾、不器用さを受容することの大切さも知った。

 

📌みんなで同じ方向に足先を揃え、同じ歩幅、同じスピード、同じ熱量で、同じ目的地に向かって歩みを進めることは、あまりにも難しい。

それであれば、いっそ私だけが努力してしまったほうが、私だけの力でゴールテープを切ったほうが、ずっと遥かにラクな気がした。そして実際、そうやってあらゆる共同作業を私の力で切り抜けた。

けれど

本当にそれで良いのか? 

そんなふうに、周囲の怠慢を横目にひとりで闘う生徒を見て、そんなもんだと、それが人生ってもんなのだと、私は教え諭したいのか? 

真面目な奴が損をする、頑張っている奴が生きづらさを感じる、社会ってのはそんなもんなのだと私は生徒に豪語したいのか? 

その葛藤の最中に、今も私はいる。

 

📌自己肯定感や自尊心が低いことそのものが問題なのではなく、それによって自分の本来の可能性や良さを生かしきれないまま時間が過ぎ去っていくことが問題だ。私は承認欲が強く、自分を低く見せることで策励や称賛を得ることで安心したいという傾向が強い。

けれど

それはあまりにも自分を軽んじ過ぎている。安い励ましや褒め言葉によって本当に自分が安心するわけでもない。アインシュタインが、「必要な時に他者がちゃんと責めてくれるんだから、自分自身を責めなくて良い」みたいなことを言っていたらしい。きっとその通りだし、今の私には建設的・論理的・客観的な立場から助言をくれる存在がいるのだから、私は私を破壊的・感情的・主観的に虐める必要はない。

 

📌自分自身を大切にすること、幸せになることについての努力を怠った一年だった。大切にすることと、甘んじることの違いを混同して、1日を無碍にしたことが何度もあった。自己管理することや、記憶を記録することをあまりにも怠り過ぎた。

けれど

そんな日々さえも、その時の私にはどうしても必要な時間だったし、私がそういう状態になってしまうのには、私なりの正当な理由があった。

これは私だけではない。

字面や外から見れば怠慢や依存や耽溺にしか思えなくても、その人がその行動に至ったのには必ずその人のなかに道理のかなった理由がある。

自分や他者の命や心身、財産を傷つけ、失くすことは決して許されるべきことではないけれど、その時さえも、理由を聞かずしてその人の罪を罰することを、私はこの先したくない。

 

📌ひとと対話し、合意形成していく営みを、諦めたくないと思ってきた。私と違う考え方、価値観を持つ存在について、想像力を忘れたくないと思ってきた。

でもやっぱり、私と同じくらいの大きさで、且つ私と正反対のベクトルを走らせるひとの存在を知った時、どうしても相容れない、折れ合うことなんてできやしないのだな、と悔しくなった。

今の私になり得るまでに、相応の失敗や挫折や苦労をしてきた。その上で形成された今の私は、どこかで正しい道を歩んでいると信じている。今いる地点の延長線上に、より良い私がいると信じている。

けれど

それらを否定してまでして、自分と真逆な価値観を受容する必要が本当にあるだろうか?

白と黒。保守とリベラル。東と西。北と南。縦と横。陸と海。連合国と枢軸国。資本主義と共産主義。理系と文系。健常者と障害者。男と女。男性中心主義と女性解放運動。子どもと大人。加害者と被害者。🇷🇺🇺🇦

そうやって何もかもを二項対立でしか考えず、本当に合意形成を諦めたり忘れてしまう社会を、私は本当に求めているのか? そんな社会を生徒たちと築いていきたいのか? 

そんなわけない。そんなわけない。

そんなわけ、決してないのだ。

 

📌なりたいだけでなりたい自分になれるわけでも、やりたいだけでやりたいように生きられるわけでもない。なにかを手に入れるためには、今の手一杯な荷物を手放さなければならない。ひとつの言葉を選択するということは、別の言葉を捨象するということだ。

常に、それらの現実と向き合い、闘い、日々を乗り越えていた気がする。

けれど

私は何も諦めなくっていい。今すぐに結果や結論や結末を出さなくても、それでも私は夢を見たっていい。何度も絶望の夜を過ごしても、それでも私が思う、素敵な私の姿に向かって、もっともっと、貪欲で良い。

 

だって人生なんて、自分の力でハッピーエンドにしていくものだから。