え ん

人生は連鎖する、

忘れていく過去、過去を忘れていく私

 

 

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卒業式も終了し、入社式まで十日を切ったということで、今の私の所感をつれづれ書いていきます。


最後の講義、バイトが終わってから、まだ一か月半ほどしか経過していないにもかかわらず、この一か月半はあまりにも濃密で、疲れた、というのが正直な感想です。何が一番大きいかといえば、当然祖母の死なわけですが、それに伴うトラブルや、それとは全く関係のないいざこざがあったりして。見知らぬ土地で一人暮らしするうえでの手続きや入社前の準備と並行しながらのそれは、だいぶハードなものでした。
しかし、悪いことばかりかというと、そういうわけでもありません。大好きな友人と
一緒に美味しいごはんを食べたり、投資関係の勉強を始めたり、気に入った部屋で気に入った家具に囲まれて今生活できているのも、とってもとっても幸せなことです。家族、親戚関係の縁を結びなおせたことで、家族の形を改めて考えるきっかけにもなりました。本当は、本当に、私は幸せなんだなあって気づきました。

 

短大入学前の私の口癖は、「あたしくずだから」でした。
何かというと、すぐにくずだ、くずだ、と自虐し、自分を卑下することで自分を保って生きてきました。他人に否定される前に、自分で自分を否定しておけば、傷跡浅く済む、そんな気がしていました。
でも、今は、私は自分に自信を持っています。
それに、もっと高みに行きたい、高みに行けると信じています。
「あたしくずだから」が口癖だった私のことさえ、大切だと言ってくれる友人がいて、今の私を心から応援してくれる人たちがたくさんがいて、同様に私もそう思える仲間がいて。何かに失敗しても、帰ってこれる場所、すなわち安全基地を見つけた今は、いろんなことに貪欲に挑戦して、楽しく生きていきたいなって思います。

 

ただ、気がかりなのは、「記憶の忘却」です。
「あの頃の私」を否定する気はないけれど、「あの頃の私」と同じような問題を前にひれ伏す者に対し、今の私ができること、言えることは何もないのです。
幼いころから家族の怒声や悲鳴を聞き、家族が家族によって血を流すことが日常茶飯事だった私は、いわゆるアダルトチルドレンだと思います。
中学の頃から、私以外の「わたし」の存在が顕在化し、それなりの進学校に進学をするも、登校拒否になって。誰もいない保健室や会議室に収容され、センター試験は受験室でたったひとり。最初に進学した大学では四人の人格が私の中には存在しており、入学して二か月もしないうちに閉鎖病棟に入院しました。その後、19歳の誕生日に、依存した友人から離れられ、恋愛もうまくいかず、気が付くと「退学願」を事務センターに叩きつけ、私はそのキャンパスから姿を消しました。
コンビニやお弁当屋さんでのバイトも一か月ほどでやめて、コネで入った介護施設も半年ちょっとで辞めました。その頃出会ったひとが、私の人生の転機ともいえるきっかけを作ってくれたひとです。
そのひととの恋愛はピリオドが打たれましたが、自暴自棄になった私に140万の「投資」をしてくれたのもまた、そのひとです。私たちの関係は、私たちだけがわかっていればそれでよいので、ここにはあまり書きません。ただ、彼は、今でも私にとって、「世界で最も大切で、大好きな他人」です。
その投資をもとに進学した短大を、今月卒業しました。この短大生活だって、本当にいろいろなことがありました。カウンセラーの紹介で受診した精神科医に追い返されたり、とある会社の社長から本気で愛されたり、バイトの人間関係が破綻しそうになったり、就活でとことんとことん落とされたり。まあ、この二年間の記憶は、このブログに記録されています。

 

そんな日々を重ねて、今の私がいるわけですが、私は自分と向き合ってきたわけでも、寄り添ってきたわけでも、乗り越えてきたわけでもありません。病気だって、完治する、とか、もう絶対大丈夫、とか、そういう話じゃないです。

 

ただ、精神的な病気が甘えだとか、逃げだとか、正直本気でそう思っている人って、実は案外少ないんだと思います。当事者がそう思い込んで苦しんでいるとか、そう思い込ませるような狭い狭い環境にしか身を置いていないとか、そういう話であって。実際の社会は、そこまで赤の他人を貶めようとなんかしてないし、そこまでみんなもひまじゃありません。ひとりひとりは、ひとりひとりの人生を抱えるだけで手いっぱいだし、人の人生にあれこれ口出すようなひとは、自分の人生にどこかしらの妥協している暇人です。

 

と、そう思えるようになった私は、そうはとうてい思えなかった日々の私の記憶が、少しずつ、でも確実に、忘却していっているんだと思います。それを成長、成熟と呼ぶひともいるけれど、その分私は、どんどんその人たちとの距離が遠ざかっているように思えます。あの頃の私も今の私も、私をずっと私と呼んできた私だけど、今の私にはあの頃の私の私はいない。そんな感じ。

 

でも、いつまでもそうやって、立ち止まっているわけにもいかないから。
私は私をもっときらきらさせたいし、私の人生をもっと楽しいものにさせたいし、私をもっとしあわせにしてあげたい。私がハッピーであれば、きっと私の大切なひとたちもハッピーになれるし、それはどんどん伝染していくものだと思うから。

過去のことは忘れても、過去を忘れていく自分のことは、忘れないで生きていきたい。