え ん

人生は連鎖する、

2023年 総括①

 

 

 

早いもので2023年も終盤に差し掛かっていて、このブログの更新もできずにいることにはたと気づいた。今年は近年の中で最も躍進した年と言え、非常に愉快だった。

 

 

1月にNHKの取材を受けたことが、自分のこれまでの人生を素直に認める素地となった気がする。10年前の高校生だった頃の私と、今の私が、点と点を繋ぎ合わせるように一本の線になって、これでよかったんだと、これがよかったんだと胸を張れるイベントになった。

その後は、同性のパートナーができて、沢山沢山、彼女と過去のこと、病気のこと、家族のこと、人生のことを話した。私はどう生きてきたのか、どう生きていきたいのかを考える時間になった。そして、教員採用試験を受験することをやめた。私が大学卒業してから、本当にやりたいことは学校の先生じゃないなって気づいた。それは即ち、過去の私がずっと抱えてきた苦しみからの訣別をも意味するような、自分で自分を雁字搦めにしていた数多くの呪縛から解放されるような、そんな決断だった。

意外にもそのパートナーには、ものの数ヶ月でお別れした。きっと、もう一生会うことはないんだと思う。私はもう、過去の私が背負ってきたものを食べ尽くしてしまったような感覚で、全てを脱ぎ捨てて次章へと進みたくて、そうではない彼女のことを、私はいとも簡単に置いていってしまった。物凄く傷つけた。でも、恨まれても憎まれても良かった。私は私、彼女は彼女の人生を生きる上で、一緒にいたあの時間があの時には必要だった。

そしてまるで漆黒企業とも言えるような会社で20連勤以上も働きながら就職活動して、7月の下旬に第一志望の企業から内定をいただいた。

28歳の大学四年生の女が、プライム上場しながらもずっと成長し続ける全国(世界)展開の企業に受け入れてもらえたことは自信になったし、その選考過程で私は私の人生そのものを肯定することをし始めた。面接官から、「ここまで一貫した強くてブレない価値観で人生を生き抜いている就活生は初めて見た。率直に物凄く魅力的だ。自分の部署に来て欲しい」と言われた時は心が震えた。

内定をいただいてからは、8月にバイト代をはたいて1人でタイ旅行をした。人生たかだか2回の海外旅行で人生観が変わったとか豪語することはできないけれど、私は1人でゾウに乗る人生を選択できる自分でよかった。最高に楽しかったし、案外人生はなんとかなる。あとは、バイトを続けつつその企業でのプロジェクトをメンバーと本気でやり続け、自信と信頼を築き上げてきた。そして昨日、やっと卒論を書き上げた(製本はまだだけど)ところ。

 

 

去年やその前までの記事をぱらぱらと読み直してみて、今の私と違うところもあって。素直にその時その時の私にありがとうと思う。あなたが頑なに大切にしてきた信念、今は別の形として大切にしているよ。

 

 

 

 

◎私の人生の目的 (昨年と変更なし)

 すべてのひとが自分の意志で自分の幸せに向かって努力できる土台と、誰もが安心して「ただいま」と帰って来られる安全基地をつくる

 いつでも「おかえり」と温かく優しく迎え入れられる存在になる

 他者に対する想像力と思いやりを持ち、自分が困った時に他者に助けを求められる子どもたちを育む

 

 

◎どんな30代になりたいか

 経済的、精神的に自立、余裕のある生活を送る

 本物の美術や音楽などの芸術に触れる 

 国内外問わず、積極的に旅行し、本物の歴史的建造物を沢山この目で見る

 安いからという理由だけで長く使うものを買わない

 大きな主語を断定的な言葉で表現・判断しない

 自分の機嫌は自分で保ち、ひとに対して強い口調や態度で接しない

 他者の命・心身の健康を害する行動や発言、態度に関してのみ、断固とした姿勢で対抗する

 常に学び続ける姿勢を自然な形で子どもたちに見せる

 自然な所作を身につける

 自分の中に湧き起こる感情に素直でいる

 

→こうやってみると、去年掲げたこの目標、確実に近づいている。嬉しいし、今もずっとこの理想を追い続けていきたい。

 

 

◎どんな一年にしたいか

 

○ 自分に後悔のない進路決定をする。

 人生史上最高の決定をした。

 

○ 論理的思考力・課題解決力を身に付ける。

 何を以て身につけたと言えるかはわからないけれど、かなり勉強はしている。

 

○じっくりと一冊一冊の本を読む。

 あまり卒論以外の本を読まなかったな。

 

○ 自分にもひとにも社会にも寛容になる。

 寛容、って、甘いとか優しいとか、決してそういうわけではないなと思う。私は私。相手は相手。社会は社会。それぞれに事情があって、地獄があって、幸せがあって、希望があって、問題がある。その境界線をはっきりさせて、容易く踏み越えない。そういうことなんだと今の私は認識している。沢山失敗もしたけれど、その上でこういう心構えができている自分は嫌いじゃない。

 

○ 普段からナチュラルに余裕のある振る舞いをする。 

 あまりできてないなあ。すぐにテンパっちゃうし、おどおどしてしまう癖はある。でも、それはそれで今の私なんだよな。ま、いいか。

 

○ 自己管理能力を養う。

 自己管理というのは、自分を押さえつけたり、我慢したり、否定することでは決してなくて、今の自分の状態にとって一番ベストな選択をとり続ける姿勢のことなんだと思う。今の自分に、どんな栄養や休息が必要か。まだまだ試行錯誤の段階ではあるけれど、少しずつできるように心がけている。

 

 

 

また今年中に更新するぞ。

 

2022.12.31.

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

 

10月に、5年ぶり?くらいに新宿駅に行ったので、あまりにも嬉しくてプロビデンスの目を撮った。

この隣にあるマックが無くなってた。短大の頃の就活時、結構使ってたからなんかショックだったなあ。あ、もちろん西口前で『BIG ISSUE』買いました😁

 

 

 

今年はただとにかく、がむしゃらに理想を「追」い続ける年だった。

楽な年では、決して無かった。いや、寧ろ、ずっとずっと、しんどかった。

 

教員になるという夢に向かって、着実に、確実に、一つひとつのイベントを乗り越えることができている。

けれど、それと同時に、私のなかで、「然るべき地点にいる私」と今の私とのギャップに、何度も何度も溺れかけた。

どんなに上手く行っても、成功しても、良い評価を他者から頂いても、なかなか自分を受け容れられなかった。反対に、上手くいかなかったことや、失敗したことや、他者からのネガティヴな反応や言動に無闇矢鱈に敏感になっていた。

もっと高く、もっと遠く、もっと早く。

常に、実態の見えないハードルを越えようと躍起になっていた。きっともっと生産的で、気持ちが楽になる方法はあったはずなのに、自分で自分を雁字搦めにしていた。

けれど、この一年を、全て否定的に捉えているかと聞かれたら、そういうわけでもない。そういう性格のせいで生きづらいことも沢山あるけれど、そのおかげで妥協せずにここまで来れたわけだし、ひとの見えない背景に対する想像力も豊かになった。

 

 

去年の大晦日に書いた今年の目標を見てみる。

📖10点満点中の自己評価。

 

  教育実習までに世界史の通史、どこでも授業できるようにする。秋までに専門科目を合格圏内にする。(大学の成績維持が前提)

 📖6

 教育実習が秋だと思っていたら、5月だった。びっくり。古代ギリシア・ローマだったから出来たような授業だったな。今考えると、もっと色々挑戦すれば良かったな。

専門科目はまだまだ終わりが見えないほど精進せねばなりませんね。

 大学の成績は、前期はかなり良かった。後期は今、まさにレポート地獄です。

 

英語に毎日15分は時間を作る。

📖4

 専門科目や大学の勉強のほうが重要度も緊急度も高く、英語の優先順位は低くなってしまった。だからこの目標は達成していない。

 ただ、スピーチコンテストに参加し、英語専攻の学生ではないながらにして🏆優勝🏆した。頑張った経験がある人は、頑張っている人のことを絶対に馬鹿にしないんだな、と友人と話していて気づいた。私は、常にそちら側にいたい。

 

読書したらアウトプットする。

📖5

 多忙や疲労を言い訳にあまり良い読書習慣を築けなかった。積読本がありすぎる。先生に懇願されてビブリオバトル参加したけど、普通に負けた。でも、すっごく楽しかった。来年も参加したい。

 読んだ本の中で印象に残った本をここに載せておこう。感想の類はInstagramのストーリーに上げて蓄積している。

 

 

ソロモンの偽証(全6巻)

 

 

武士道

 

格差と出自の研究

 

 

同志少女よ、敵を撃て

 

 

教育格差

 

 

真のダイバーシティを目指して

 

 

ジェンダートラブル

 

 

 

ニュースや報道をしっかり追う。

📖7

 社会科教員志望として必須ですよね。

 でも最近サボりがち。反省。そして記録も怠りがち。

 

ジム通いを習慣化する。

📖1

 9月まで週に2回くらいは行っていたけれど、あまりにも忙しくて行ける時間が確保できず(言い訳です)辞めました。ただ、私はあまり体型変化がない代わりに、決して健康的な暮らしをしているとは言い難いので、軽い運動やストレッチの時間は設けなければと思う。

 

自分のことをよく知り、人に説明できるようにする。

📖1

 自己分析にかなり心のエネルギーを消費しており、正直しんどくて思うように進められなかった。とはいえここに書いてあることは本当にその通りだと思う。精進。

 

自然体でいる。

📖7

 落ち込むこともしんどいと思うこともネガティブな気持ちになることもたくさんたくさんあった。たくさんたくさんあったけれど、その分たくさんたくさん立ち直って、その度に強くなってきた。それで良い。

 

ひとにも自分にも過度な期待をしない。

📖7

 グループワークで本当にやらなすぎるひとたちにものすごい大きなストレスを覚えた(ている)けれど、それに対する私の態度はスマートだったと思う。終始ご機嫌であること、けれど淡々と、粛々と執行すること。

 

体調や気分、お金の記録を取る。服薬を忘れない。

📖2

  記録も服薬も、調子を崩し始めるとかなり怠ってしまった。

 ルーティーンって大切だよな。何も考えず、ただただ日々やるべきことをこなしていく仕組み化を整えたい。

 

 

さて、その上で来年の話をしたいのだけれど、その前に、もっと大きな話をしたい。教育基本法だって、目的があって、目標、でしょう?

 

◎私の人生の目的

 すべてのひとが自分の意志で自分の幸せに向かって努力できる土台と、誰もが安心して「ただいま」と帰って来られる安全基地をつくる

 いつでも「おかえり」と温かく優しく迎え入れられる存在になる

 他者に対する想像力と思いやりを持ち、自分が困った時に他者に助けを求められる子どもたちを育む

 

 

◎どんな30代になりたいか

 経済的、精神的に自立、余裕のある生活を送る

 本物の美術や音楽などの芸術に触れる 

 国内外問わず、積極的に旅行し、本物の歴史的建造物を沢山この目で見る

 安いからという理由だけで長く使うものを買わない

 大きな主語を断定的な言葉で表現・判断しない

 自分の機嫌は自分で保ち、ひとに対して強い口調や態度で接しない

 他者の命・心身の健康を害する行動や発言、態度に関してのみ、断固とした姿勢で対抗する

 常に学び続ける姿勢を自然な形で子どもたちに見せる

 自然な所作を身につける

 自分の中に湧き起こる感情に素直でいる

 

 

◎どんな一年にしたいか

 

○ 自分に後悔のない進路決定をする。

 ・私は確かに教採を受けるし、本気で受かるために毎日勉強しています。しかしながら、上記の通り、私の「目的」は決して公立高校の教員になることではありません。すなわち、公立教諭になることは、私の人生の目的を達するため他に数多く存在する一つの手段でしかない。そのため、私立教諭や民間の団体等、他に今の私にとって最善の手段があるのなら、迷わず私はそちらへ行きます。けれど、何はともあれ教採合格というのは一つの客観的で明確な指標・水準であるため、それを当面の目標として掲げることに変わりはありません。

 → 私立や民間など、広い視野を持って情報収集する。

 

○ 論理的思考力・課題解決力を身に付ける。

 ・先生の動画講座を、何度も聞き、実践し、建設的・生産的な自己分析を完了させるということです。教採対策というよりも、これまでの私の人生を振り返りつつ、どうしたらもっとより良く生きられるかについて、明るい未来を考えるために必要なスキルです。

 → 毎日の積み上げと結果をTwitterで先生に報告する。

 

○じっくりと一冊一冊の本を読む。

 ・率直に言って、これまでは「読むこと」に重きを置いていた気がします。そのおかげで素敵な本に沢山出会えたわけだけれど、私の考え方をより良く導いてくれた本について、うまく自分の中で言語化できていないことに気づきました。一冊一冊の本をじっくり読むということは、一つひとつの言葉の意味に誠実であることに繋がると思います。言葉を正しく理解し、使うためのトレーニング。

 → 読んだ本の感想を、インスタのストーリーではなく、投稿する。

 

○ 自分にもひとにも社会にも寛容になる。

 ・私は私だけに厳しいようで、実は様々なひとの様々な考え方について、逐一ジャッジし、勝手に期待したり、勝手にがっかりしたりしています。そんな私自身のことを素直に受け容れつつ(だって人間だもの)、それでもひとに対してもっとフラットに考えられるようになりたいです。

 → たとえば、私は結婚や出産が女性としてランクアップするための手段であるという考え方は断固としてしない。けれど、そういった考え方の人の人格全てを否定しない、ということです。ああ、この人は今、こういう考え方の持ち主なんだな。そういうふうに考えるようになった理由ってなんだろう? 私とは違った生き方をしてきたんだなあ。それだけ。

 

○ 普段からナチュラルに余裕のある振る舞いをする。

 ・バタバタしている人や、おどおどしている人、無茶してガリガリ机に向かっている人に、仕事を頼みたいとは思わない。普段から慌てず優雅に、なんか楽しそうにしている人でありたい。

 →常に姿勢良く、口角を上げて机に向かう。表情筋を豊かにするための体操をする。両手でものの受け渡しをする。気持ちゆっくり、けれどシャキシャキ歩く。

 →そうはなれない時の自分のことを責めない。

 

○ 自己管理能力を養う。

 ・まだまだ自分のことをコントロールできず、気分や体調の浮き沈みの波が激しい。そういう自分のことを責めて悪循環になることはもうやめよう。けれど、やっぱりその波は緩やかな方が人生はきっと楽しい。

 → 体重・服薬・体調の記録を蓄積する。お金は基本的にPayPayで支払い、プリペイドも都度ではなく1ヶ月に使う額を固定する。起きる時間や寝る時間については、あまり自分に厳しく決めなくていい。あ、でもラジオ体操すると体調いいよね。笑 

 

 

今年もとってもよく頑張った!

来年はもっともっと自分のことを好きになって、もっともっと明るい未来と社会のために建設的に思考・行動できるひとになる!

 

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2022年 学んだことの思考整理

 

 

今年は(も?)、ブログを殆ど更新しなかった。

今年は教育実習というメインイベントもあったし、秋から教採の勉強が本格的にスタートしたこともあってか、本当に常に何かしらの締切や課題に追われていた(現在進行形)。要するに、忙しかった。

 

オリジナルな文章を書くという営みは、日頃から意識し、継続することで磨かれる気がする。大学で課されるレポートとか論文じゃなく、自分の日頃から思っていることや違和感を形式にとらわれずに言語化することは、感情の整理に役立つ。

インプットの量が増えたからといって思考力が高まったようにも思えないし、適切なときに適切な語彙を使うことが、最近特にできていない。まぁ、そもそも実のあるインプットができていたか、と聞かれたら、既にその時点で自信がないのだけれど。

 

今日の記事はそのリハビリという意味で、今年学んだことを書き連ねていくことにしよう。

あ、今日とは別に、大晦日にまた、今年の反省や来年の抱負的な記事も書きます。

 

 

 

📌今年は、大学三年生という時期相応の、周囲の焦燥や喧騒や慢心や衒学に翻弄されもした。

上からの圧力や、権力でモノを言う存在に抗おうともした。

けれど

それと同時に、迎合するということが必ずしも負けを意味しないという処世も学んだ。

 

📌物事やひとの、善悪や正偽や上下を判断することの浅はかさを頭では理解している。にも関わらず、瞬時に容易く自分の物差しだけで断罪するような言葉をふと口にしてしまう自分に気づき、逐一そのことを恥じ、悔いた。

けれど

そんな自分自身を否定せず、自分のなかにある人間臭さや矛盾、不器用さを受容することの大切さも知った。

 

📌みんなで同じ方向に足先を揃え、同じ歩幅、同じスピード、同じ熱量で、同じ目的地に向かって歩みを進めることは、あまりにも難しい。

それであれば、いっそ私だけが努力してしまったほうが、私だけの力でゴールテープを切ったほうが、ずっと遥かにラクな気がした。そして実際、そうやってあらゆる共同作業を私の力で切り抜けた。

けれど

本当にそれで良いのか? 

そんなふうに、周囲の怠慢を横目にひとりで闘う生徒を見て、そんなもんだと、それが人生ってもんなのだと、私は教え諭したいのか? 

真面目な奴が損をする、頑張っている奴が生きづらさを感じる、社会ってのはそんなもんなのだと私は生徒に豪語したいのか? 

その葛藤の最中に、今も私はいる。

 

📌自己肯定感や自尊心が低いことそのものが問題なのではなく、それによって自分の本来の可能性や良さを生かしきれないまま時間が過ぎ去っていくことが問題だ。私は承認欲が強く、自分を低く見せることで策励や称賛を得ることで安心したいという傾向が強い。

けれど

それはあまりにも自分を軽んじ過ぎている。安い励ましや褒め言葉によって本当に自分が安心するわけでもない。アインシュタインが、「必要な時に他者がちゃんと責めてくれるんだから、自分自身を責めなくて良い」みたいなことを言っていたらしい。きっとその通りだし、今の私には建設的・論理的・客観的な立場から助言をくれる存在がいるのだから、私は私を破壊的・感情的・主観的に虐める必要はない。

 

📌自分自身を大切にすること、幸せになることについての努力を怠った一年だった。大切にすることと、甘んじることの違いを混同して、1日を無碍にしたことが何度もあった。自己管理することや、記憶を記録することをあまりにも怠り過ぎた。

けれど

そんな日々さえも、その時の私にはどうしても必要な時間だったし、私がそういう状態になってしまうのには、私なりの正当な理由があった。

これは私だけではない。

字面や外から見れば怠慢や依存や耽溺にしか思えなくても、その人がその行動に至ったのには必ずその人のなかに道理のかなった理由がある。

自分や他者の命や心身、財産を傷つけ、失くすことは決して許されるべきことではないけれど、その時さえも、理由を聞かずしてその人の罪を罰することを、私はこの先したくない。

 

📌ひとと対話し、合意形成していく営みを、諦めたくないと思ってきた。私と違う考え方、価値観を持つ存在について、想像力を忘れたくないと思ってきた。

でもやっぱり、私と同じくらいの大きさで、且つ私と正反対のベクトルを走らせるひとの存在を知った時、どうしても相容れない、折れ合うことなんてできやしないのだな、と悔しくなった。

今の私になり得るまでに、相応の失敗や挫折や苦労をしてきた。その上で形成された今の私は、どこかで正しい道を歩んでいると信じている。今いる地点の延長線上に、より良い私がいると信じている。

けれど

それらを否定してまでして、自分と真逆な価値観を受容する必要が本当にあるだろうか?

白と黒。保守とリベラル。東と西。北と南。縦と横。陸と海。連合国と枢軸国。資本主義と共産主義。理系と文系。健常者と障害者。男と女。男性中心主義と女性解放運動。子どもと大人。加害者と被害者。🇷🇺🇺🇦

そうやって何もかもを二項対立でしか考えず、本当に合意形成を諦めたり忘れてしまう社会を、私は本当に求めているのか? そんな社会を生徒たちと築いていきたいのか? 

そんなわけない。そんなわけない。

そんなわけ、決してないのだ。

 

📌なりたいだけでなりたい自分になれるわけでも、やりたいだけでやりたいように生きられるわけでもない。なにかを手に入れるためには、今の手一杯な荷物を手放さなければならない。ひとつの言葉を選択するということは、別の言葉を捨象するということだ。

常に、それらの現実と向き合い、闘い、日々を乗り越えていた気がする。

けれど

私は何も諦めなくっていい。今すぐに結果や結論や結末を出さなくても、それでも私は夢を見たっていい。何度も絶望の夜を過ごしても、それでも私が思う、素敵な私の姿に向かって、もっともっと、貪欲で良い。

 

だって人生なんて、自分の力でハッピーエンドにしていくものだから。

取り急ぎの現状報告

 

 

随分と間が空いてしまいました。

教育実習や前期のテストを終え、今は大学3度目の夏休みです。

 

教育実習についてはあまり詳細に語ることはできませんが、一言で表すと「生徒は最高である!」ということです。ほんと、どんな生徒もみんな素晴らしい。素敵。一生懸命で必死にもがいている彼らと出会えたことは一生の宝物です。みんな、私を本気にさせてくれてありがとう。

前期の成績は、無事にGPA3.81(S7個、A2)だったのでひとまず安心して後期を迎えられそうです。首席かどうかはわからないけど。でもこうやって特待生としての自覚と数値を維持することができていること、それは事実として誇って良いと思っています。

 

もちろん思い悩むことや劣等感や腹立たしさを感じて落ち込むこともあります。特に三年生にあがってからはなんか周りが騒がしい。インターンとかエントリーシートとかボランティアとかいうカタカナ語が飛び交う中、誰もが迷いながら周りと自分を比較して一喜一憂する雰囲気。やっぱり、惑わされない、といったら嘘になります。いや、普通に焦っちゃいます。

 

でもまあ、どうしたって何したってこれまで生きてきた道を変えることはできません。考え方や捉え方を変えていくしかない。それにやっぱり誰に何と言われようと、今の自分にできることをこつこつと積み上げていくしかない。そして、やりたいものはやりたいし、なりたいものはなりたいし、目指す姿は私が決める。頑張ろうね。

 

教育実習事前所感

 

 

 

ゴールデンウィーク明けから3週間、遂に教育実習です。

多くの先輩方からの助言を頂戴し、自分なりの教育実習への想いをまとめてみました。

1ヶ月後、これらの想いにどう変化があるのかを楽しみに、今は今の気持ちを率直に好き放題書いていきます。

 

まず、私は今、本気で高校の世界史教員を目指しています。

今のところ自治体の第一志望は東京なので(東京都は中高で共通試験)、中学社会ももちろん視野に入れています。ただ、高校教師として、職に就くことが1番の目標です。

 

 

自分が高校生だった頃の話をします。

 

私は、高校なんて、大嫌いでした。

当時行きたかった高校に入れたし、別に勉強が嫌いなわけではありませんでした。(理数系はできなかったけれど)

でも、正直、高校生活を楽しむなんて、私の頭の中の辞書にはなかったんです。

壊れかけた家庭の中でその日その日を生きていくことに必死だったし、足しても足してもゼロを掛けてしまう自尊心が次第にマイナスに傾き始め、最終的には心身が完全に崩壊していきました。

 

今、教職課程の講義を受けたり、それなりに教育や心理学に関わる本を読んだりして、当時の私を取り巻く環境は、本当に健全ではなかったな、と思います。もっと専門的な治療を受けるべきだったし、もっと逃げる場所や居場所、安全基地を提供されるべきだった。微かな自尊心を削り、僅かな意欲さえをも踏み躙った英語教師や顧問はもちろんのこと、担任の、ガラスケース越しからの綺麗な励ましや甘い手作りのパウンドケーキも、当時の私には悲しすぎるほど残酷な凶器でした。

使い古された表現ですが、「異常な状況下では、異常な反応をすることが正常なのだ」というフランクルの言葉に、私は心から救われています。

 

 

 

 

教育実習で、授業を担当するのは2年生だそうです。

ちょうど私と10個歳が離れていることになります。

この10年で、私は大っ嫌いだった学校の、教師をここまで本気で志している。

人生というのは、何があるか、どんなことになるか、本当にわからないですね。

 

 

十七歳になる彼らは今、何を思い、この社会を見ているのだろう。

 

 

今の社会、世界、時代は、明るいとは思い難いものがあります。

世界史教師を志す身として、こんなにまで世界は歴史から何も学ばない、学べないのか、と絶望に似た気持ちを抱きます。

いつまで続くかわからない戦争、マスク生活、物価上昇、気候変動の中、SNSなどで、「カッコ悪い大人たち」というものが簡単に拡散されている世の中です。そもそも何がカッコ悪いことなのかを判断する材料も、見たいものだけを見ているという現実もわからなくなっています。多様性、人それぞれ、十人十色といった言葉に踊らされて、逆に保守的で思想や分断する価値観に、ある種の潔さまで覚えてしまう状況も否めません。そんなわけのわからな世の中で、彼らは来年、「成人」となるのです。選挙権だけじゃない。裁判員裁判で、一人の人間を裁く立場になる可能性も、ある立場に立たせられるのです。

 

 

 

そんな世の中でも、

あなたはあなたの力であなたのために幸せになって良いのだと、

誰かの犠牲の下で成り立つ正義なんて、嘘っぱちなのだと、

ご機嫌に楽しく笑って生きて良いのだと、

もしそうなれないなら、大きな声で周囲に助けを求めて良いのだと、

今のあなたの苦悩、違和感、嫌悪する感情は、必ずあなたを強くするのだと、

 

私は今の子どもたちに訴えたいのです。

 

 

 

 

 

教育実習中の目標は、2つあります。

まず、笑顔で元気に3週間、ベストを尽くし切ることです。

身体が資本なので、過度に睡眠時間を削ったり、食事を疎かにしたりすることのないよう、基本的な生活を落ち着いて行います。

そして、たくさんたくさん、失敗することです。恥をかくことです。

控室に篭って教材研究に明け暮れたり、失敗やお叱りの言葉を恐れて一人でああでもないこうでもないと思い巡らしたりせず、たくさんの生徒と交流し、先生方を観察し、自分の目指す教師像を洗練化させたいです。

 

 

 

それでは、実習後に、また更新します。