え ん

人生は連鎖する、

揺らいだ一年、そして覚悟

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まだ半月と少し、2019年は残されているのですが、せっかく実家でキーボードを打てる環境にあるので、今年の総括を書いていきたいと思います。あ、でも今年中にもう一本書きたいことがあるので、2019年最後の投稿ではないと思われます(多分)。

 

今日、京都の清水寺今年の漢字が発表されましたが、私にとっての漢字は、「揺」です。

このブログを読み返してみると、一昨年は「改」で、昨年は「終」だったようです。ほーう、なかなか的を射てるじゃないの。

mercy07s.hatenadiary.jp

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そして、なぜ今年、「揺」にしたかというと、本当に、今年一年間を振り返ると、私の考えや将来への目標、意識は常にブレブレだったからです。めちゃくちゃ揺らいでいる年でした。

 

このまえ、おもしろい記事を見つけました。しいたけさんという占い師の、2020年上半期の蟹座についての記事です。少し引用してみます。

 

 

はじめに、2020年を迎える前に、あなたが2019年にやってきたことがかなり重要な動きになるのです。

少しだけここで2019年を振り返ってみてもらいたいのですが、2019年はあなたにとって「何だかよくわからなかった年」になったと思うのです。これ、いきなり変な言い方になってごめんなさい。ちょっと説明しますね。

2019年のあなたは

「何だかよくわからなかった。でも、目の前にやってきた波に対して、無我夢中で乗ってみた」

という動きをやってきたと思うのです。

 

当然私は、占星術の知識は皆無ですし、熱狂的に占いを信仰しているわけではないのですが、すごく面白いなあ、と思っています。論理や人知を超えたものは、別段あって当然だと思っているので、、、

 

それで、この文章が、私には妙にしっくりきたのです。「いやまじそれな」って。

 

でも、ここで重要なのは、私は今年一年グラグラに「揺」れた自分のことを、そこまで悪く評価していない、という点です。

 

一昨年の暮れまで少し遡ると、新卒で入社した会社を退職し、心身くたびれ切った状態で実家に帰ったと思ったら三日もせずしてスーパーのレジのバイトを始め、年末の超混雑時に耐え切れず破綻したところから2019年はスタートしました。

そこから、行くのは今しかない、という謎の根拠とともに初のパスポートを取得し、一週間まるまる台湾旅行をしたのが二月。台北の見所はほぼ全部満喫しました。幸せだった! 三月、「お金を稼ぐ」以上の価値を知りたい、と思い立ち、県沿岸のボランティアに参加。県で最も学力が低いとされる街で、小中学生への学習支援を行いました。そこで、環境や親と子どもの学力の関係性を強く認識しただけでなく、私自身の生い立ちやそれによって築き上げられた自身の価値観を再確認、そして次への希望を抱くことができました。そしてひとり暮らしを再開し、四月から七月初めまで学童と児童館のダブルワーク、七月中旬から九月までは介護施設で正社員として勤務後、今に至るまでは中退した大学への特待生としての再入学を目標に勉強の日々です。

 

もう、本当に、なんじゃそりゃ!とぶっ叩きたくなるほど、ブレブレグラグラでしょう?笑

 

そんな自分にたいして、本当に落胆も失望もしたし、嫌気もさしたし、ひとから叱咤を受けたこともありました。毎日のように自分を責め立てているのはもちろん事実で、本当に今の私は、いや、24歳を過ぎた今になっても私は、自己肯定や自己尊重からは遠くかけ離れています。

 

でも、

去年の一文字「終」、つまり、私にとって「死」というものを近く感じていた去年から、「揺」らぐようになったことは、私にとってはとても大きな収穫だと思っているのです。

今まで何度も書いてきたように、私は希死念慮みたいなものはあまり持ったことはありません。でも、去年は、自分の人生の軸であった祖母の死や短大時代のバイトの先輩の死、そして仕事柄、「死」というものがいつも頭の片隅に横たわっていました。自分の死というより、ひとの死について強く考える機会が、ものすごく多くあったのです。

 

死、というのは、当然ですが、静止した状態、時間が、その後永遠に続きます。永遠に、生きている人間と交わることのない平行線が、ただただ続いていきます。

その意識から抜け出せなかった去年から、今年は「揺」。つまり、私は、生きている、という感覚を取り戻したのです。二年以上も前に書いた記事なのですが、これは今の私にとって大事な記事になりました。生きていくっていうことは、つまり揺れることなんですね。

 

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そして、今年のもう一つの収穫は、過去の自分や、その時の私に降りかかってきた数々の出来事、出会った方々のことを、少しずつ受容できるようになってきた、ということです。受容、というとなんか、「否認→怒り→取引→抑うつ→受容」の過程の最終地点と思われそうですが、いやいやいやいや、これってむしろサイクルみたいなもので、全然ゴールではありません。でも、今年は(去年の10月あたりからですが)、本当に良い臨床心理士の方と出会えたことを大きな理由に、きちんと自分のことを見つめるようになってきました。そのうえで、私は傷ついたということ、異常な状態になるに値する環境にいたこと、そのなかでも全力で「その時」を生き抜いてきたこと、自分を認められない自分でも、認めてくれるひとや愛してくれるひとは確かに存在してきた、いる、ということ、今の私でも、じゅうぶん魅力的なのだ、ということを、少しずつ、少しずつ本当に理解できてきました。まだまだですけど。

 

 

 

最後に、私は、今年に入って、大きな将来の目標をふたつ持ったことを書いて終わりにします。

それは、社会で「ただいま」を言えないひと、言いたくない人、言う場所がないひとの居場所、「おかえり、」を立ち上げることです。それは、実際のハコなのか、精神的な居場所となるのかはわからないけど、35歳までの目標です。「おかえり、」のことについては、」また違う記事で書こうかと思います。

 

ふたつめは、私は学問への道を決してあきらめないということです。

私は短大で卒論を書き終えてから、学術機関に所属したいという野望は、もうほぼ蓋をしてきました。お金がないから、学力ないから、と、黙って就職しました。見ると気持ちがあふれてしまうから、短大の頃に溜めていた卒論関係の新聞記事やプリントも捨てました。(めちゃめちゃ後悔している)

今も、お金の問題も学力の問題も、なにひとつ解決のめどは立っていないのですが、それでも、私は社会学、教育学、特にもポストコロニアル理論の観点から観る今の日本の社会問題についての考察を、続けていく覚悟です。卒論で取り上げた相模原市の障害者殺傷事件については、多くの知識人や新聞記者が堆く積み上げる論に対して非常に腹立たしい思いを常に燃やし続けているので、そのことも論文として仕上げたい。

 

そして、11月号の現代思想を読んで、私は心が震えました。デイヴィッド・ベネターの、合理的で論理にかなった明快な分析から導かれる、「私たちは生まれてこないほうがよかった」という反出生主義を、アーレントやヨナスとは違った意味、意義を以て、対等に反論していきたい。この社会のためでもなく、この目で見ることができない未来のためでもなく、ただ、私は、「それでも生まれてきてよかった」と、彼に投げかけて見せたい。