え ん

人生は連鎖する、

2022.1.

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反省

・実家に帰省するのは最高1週間まで。

・雪かきは最初が肝心。ガッツリ最初にやっておくが勝ち。

・水抜きはこまめにする。毎日毎晩欠かさずに。

・自分の行動や言動に責任を持つ=説明ができるということ。

・違和感や不快感は声にして初めて人に伝わる。

・私の問題は私だけの問題ではない。

 

 

食生活を改善。

毎朝30g程度のオートミールを食べるようにしたことと、タンパク質を意識して摂取・糖質を避けるようにした。

加えて週に3−4回程度ジムに通っている。具体的な数値はまだ出してないけど(2月初めか3月終わりに測定するつもり)、明らかに体型や体調が前より良い感じ。体重は1.5キロくらい落ちたんじゃないかと思うけど、詳しいことはわかんない。

 

テストと介護等体験とレポートとTOEIC、全てを乗り切った。

介護等体験は、たどり着くまでがかなりハードだった。駅前のタクシー乗り場が空っぽだった時は流石に手が震えるくらい焦ったけど、諦めない心が大事! きちんと規則を守ることや、周囲がどうであれ自分自身を貫くことができた。テストやレポート関係は二月頭に成績発表があるのでそれわかってから詳しく書く。TOEICは上がったと思うけど、リスニングが思ったよりわかんなかった。リーディングは前よりできたような気がしたけど、最後の9問まるまる落とした。まあ、これもまたスコアがわかってから書く。

 

 

事の大小や、相手の悪意の有無関わらず、ひとからされたことで嫌だと思ったことは、ちゃんと「嫌だ」と言っていいのだということを知った。

「大したことないから」とか「本人はそんなつもりじゃなかった」とか、その人の私から見た立場とか、そういうのは、本当にどうだっていいんだ。ちゃんと声に出す。それによって変わることは必ずある。そうすることで気づいてくれる存在や、実は自分もって一緒に手を上げてくれる存在や、心のどこかで、或いは間接的に、私によって救われる存在が必ずいるから。

とはいえ、声に出すことの大切さを知ったけれど、サバルタン研究を多少なりともかじったことのある人間として、声に出せない存在への想像力も、決して忘れてはならないと思っている。声に出したくても出せない環境にいるひとや、私たちと共通の言語を持たないひと、声に出して良いということをまだ知らないひと。彼ら彼女らが「存在」しているということを、抹殺してはならない。

ともかく、

嫌なことは嫌。痛い時は痛い。そこに他者の判断基準や社会の評価なんてものは要らないのだ。教師になったら絶対に生徒に強く訴えかけたいことの一つ。

 

 

落ち込む時、やる気がない時、疲れた時、そういう時の自分のことも、自分はちゃんと許してあげていい。だって落ち込んでない時ややる気に満ち溢れている時や元気な時に、私はちゃんと努力しているのだから。

 

 

 

2月の目標(春休み前半戦)

社会

近現代史(日本史、世界史ともに)を仕上げる。

・歴代内閣総理大臣全員言えるようにする。

・世界史共通試験9割。

4月の模擬授業(選ばれたらだけど)で堂々リベンジを果たす。

・教師として大事にしたい価値観を、きちんと文科省などの裏付けもある形で洗練化させる。

(・K先生と面談したいなあ。)

 

英語

ELSA毎日質を上げて行う。

・英会話・音読を毎日する。

TOEICの至高模試を3周する。

答え覚えちゃうくらいにしてでもいい。800点超える。

・共通試験9割。

 

読書

・花ちゃんから借りた本をきちんと感想言えるようにする。

・図書館から借りた本を制覇する。

・買った本3冊読む。

・岩波古典1冊読む。

 

セルフケア

・毎朝6時半には起きる。22時には就寝準備。

・最低でも週に4回ジムへ行く。

・部屋を綺麗に保つ。

・朝のオートミール、夜の豆腐生活を継続する。

・美容院に行く。

・洋画やドラマも楽しく観る。

・ご機嫌に過ごすための工夫を厭わない。

 

2021.12.31 所感

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今年はあまりブログを更新しなかった。

忙しかったというのもあるような、ないような。

というより、前回の更新からはあまり元気ではなかったし、もっといえば誕生日前あたりから、結構追い詰められたような気分だった気がする。自分との戦いの年だった、というような印象だ。

一見すると停滞、ともすれば後退とすら捉えられるほど、過去に縛られていた。古傷から流れる血に茫然とした。もうとうに過ぎた日々の記憶をひとつひとつ引っ張り出して、今更、こんなところで痛がる自分を、どこかで遠くで一瞥しながら、滑稽だとすら思った。

 

 

毎年恒例(このブログを開設して6回目の年越し)、今年を漢字一文字で表すと、、、

辛、壁、詰、深とか、、、しんどい字が浮かぶ。

 

でも、とても良い意味の「辛」さ、前に進んでいるからこその「壁」、やるべきこととやりたいことが毎日充実してあるからこその「詰」、なんだよな。自分という存在をより「深」められた、そんな年だった。

自分のこれまでの26年間を深く考える時間だった意味で、決して悪い一年ではなかったんだ。

 

26、という数字は、やはり、そう軽くはない。

普段ハタチの子たちと関わっているからか、余計にこの数字は重く私にのしかかってきた。そろそろ「ちゃんと」しなきゃな、「もう」遊んでいられない、将来を悩んでいられない、「いいかげん」迷っていられない、、、、どんどん、一人で追い込まれていくような気持ちだった。

それと同時に、過去のことを思い出して、ああ、私は傷ついていたんだ、苦しかったんだ、本当は嫌だったんだ、という自分の感情に何度も何度も気づかされ、気づいた途端に忘れたはずの古傷が痛んだりした。新たな出会いが昔の別れを呼び起こし、その出会いが自らの手で破綻することになったりもした。

けれど、ひとつひとつの音と景色と匂いにたいする反射に対抗するとき、いつも、私の隣にいてくれた存在には、感謝してもしきれない。ありがとうね。

.

そう、

26という数字の重みを共に背負う周囲の不在に圧迫されながらも、それでも闘い切れたのはやっぱり周囲の存在のお陰だった。

背負っている中身なんて同じでなくても、ひとは共に歩いてくれる。

闘っている敵が自分には見えなくても、ひとは必死に助けてくれる。

そのことに気づけたことは、本当に私の中で大きな前進で、財産になった。

 

 

私、本当は、今までずっと、ずっとすごくすごくすごく、辛かった。

 

でも、

だからといって、これからも辛いままでいる必要はない。

蓋をして良い過去もあるし、今は見なくて良い現実もある。

そうすることで今日を豊かに明るく過ごせるのであれば、それで良いのだ。

 

 

 

 

去年の記事を参考にしながら、今年の目標の振り返りをしましょう。

mercy07s.hatenadiary.jp

 

 

 

1)大学の特待生維持

 達成している。

 国際法Bを取ったことは悔しいけれど、花ちゃんA以上取るのはもはや不可能。今期の国際政治学日本国憲法も潔く諦めている。それ以外でこの条件を維持する。

 

 

2)英語の資格

 英検準一級はだめだった。

 でも、確実に英語力は去年より向上しているし、だいぶ聞き取れるようになってきた。英文科の先生との関係も非常に良好。来月のTOEIC700点以上取得したい。

 

 

キャリア

1)オンラインサロン

 全て思うことがあって手を引いた。

 

2)自分の研究

 こんなこと書いていたんだ、って覚えていなかったレベル。

 

3)教職

 なんと!去年の今頃は教師になるかどうか甚だ疑問、と書いている。今の私はほぼ確実に教師になることを決めている。

 新聞を読む習慣はついたけど、スクラップにすることは難しいなあ。

 

 

私生活

(1)健康/体型管理

 ジムに通い始めたけれど、まだまだ習慣化しているとは言い難い。体重、体型も変わりなし。

 

2)早起き習慣

 上半期は通学の関係でかなり早起きできていたけど、一人暮らしを再開してからはかなり怠慢。1限からの授業ですら7時過ぎに起きているくらいだし、休みの日もは8時過ぎもしばしば。

 

3)読書習慣

 今年はインスタグラムに読書記録をした関係で、とても良い習慣づくりになった。大学のレポート関係以外で読了したのは37冊。人生でこの本に出会って本当に良かった、と心から思える本にも出会えた。

 

 

 

 

4)品性、品格を磨く

・自分の機嫌は自分でとる。常に人に対してはご機嫌でいる。一緒にいて楽しい、明るくなると思われる。

これは結構達成できたと思う。そのおかげで教職とっている同じ学科の子達との関係は良好。

 

・常に姿勢をピンとする。歩いている時立っている時座っている時。どんな時も姿勢良く。

意識はしている。でも、姿勢って難しい。

 

・化粧、イヤリング、香水も毎日つける。自分が元気でいる時はこの三つが揃う。

イヤリングや香水はしなかった。化粧はほぼ毎日しているけど、あまりテンションあがる化粧は最近してないなあ。

 

・ネガティブな言葉や表情で人に接さない。

これは、考え方が少しだけ変わったかも。もちろんずーっとネガティブで居続けることは私の哲学に反することではあるけれど、「自然体」が大事。つまり、無理してポジティブでいようと思わず、まあ落ち込む時は落ち込んでいい。

 

・常に感謝の言葉を口にする、間違えていることは素直に謝罪する。

かなり達成できていることだと思う。

 

・小さなサプライズを定期的にする(アメ、コーヒーのプレゼントなど)。

うーん? まあまあ? 模擬授業お疲れーってチロルチョコあげたりとかかな

 

・馬鹿なふりをしない。自分のことを馬鹿だと言わない。きちんと思考し、発言する。責任を持つ。

意識している。教師になる身として、忘れてはならないことだな。自分のことを卑下するような先生、絶対やだ。

 

・アルバイト、無理なく自分らしく働けるところで継続する。

→5月末まで働いていたけど、辞めた。そして、今は無理なくアルバイトできる自信がないので、それ自体をしていない。

 

・辛い時は相応な人に早めにSOSを出す。助けてもらうことを希求するのは能力の一つ。

去年よりはずっと上手にできるようになってきたと思う。辛くならないように、落ち込まないように、倒れないようにすることではなく、そうなった時に自分はどうするか?どうしたいか?周囲にどうして欲しいか?を徹底することができた。

 

・今の行為、今の発言、今の態度は、常に強く賢く美しく、そして逞しいか?常に模索する。

意識はしているけれど、実際にできているかと言われると自信がない。

 

0100かではなく、間の1から99にたいし、ひとつひとつ真摯に向き合う。

こんなこと書いていたんだ。なんか良いこと書いてるじゃないのよ、感動しちゃう。でもまさに、0100か、All or Nothing の思考は少し和らいできたように感じる。

 

・両親に感謝の気持ちを常に伝える。積極的に家のことをする。祖父母が今の私を見て不安に思わないような振る舞いをする。兄ともっと頻繁に会う。楽しい時間を過ごす。

 →祖父母には、あまり向き合えなかった。兄とも1回?2回?くらいしか会ってないな。父とは関係はまあまあ良好。母は健康でいてくれて本当に心から感謝している。

 

 

 

 

来年に限らず、目標を考える上で、常に意識していること。

自分はどう生きていきたいのか。この先、どんな存在でありたいのか。どんな人と関係を深めていきたいのか。30歳になる頃、20代をどう評価したいか。そんなことをよく考える。そう考えた時、今の自分の振る舞いや行動、言動は適切か? と。

 

私は、強く賢く美しく、そして逞しい女性でありたい。

二十歳くらいの頃からそう言っているけれど、25を過ぎたあたりから、ようやくそれをより具体化させて考えるようになった。

2021年12月現在の、私の理想の姿はこんな感じ。

まだまだこの定義からは程遠い身ではあるけれど、意識するとしないとではやっぱり違うと感じる。

 

強く  

 自分の意見や軸をしっかり持っているけれど、しなやかに、ひとや社会の声にもしっかり耳を傾けられる。いつだって弱者の側への想像力を忘れない。スタートラインや文化的な資本の最も不利な側に立ち、且つ生産的、効率的に物事を思考する。

 

賢く  

 教養に終わりはないことを常に意識し、学ぶことを厭わない。しかも、それを数値としてもしっかり体現する。勉強をしている背中で語る教師になりたい。

 

美しく 

 外見的に自分を磨くことに躊躇わない。気分の上がらない服を着ない。自分が輝く化粧をする。てきとうな髪や爪の手入れで済ませない。毎日使うものを安いからという理由だけで買わない。学生のうちは、お金をかけずに磨ける姿勢、笑顔、愛嬌を意識する。

 

逞しく 

 精神的にも経済的にも自立する。自分のケアは自分でする。自分の機嫌は自分で取る。自分の安売りはしない。運動や筋トレをしてしっかり身体を整える。安定した状態でひとと接する。

 

 

 

2022年の目標

教育実習までに世界史の通史、どこでも授業できるようにする。秋までに専門科目を合格圏内にする。(大学の成績維持が前提)

もう何も言い訳できない。とにかくそれだけ。徹底。

 

英語に毎日15分は時間を作る。

→ELSABBCTED、英会話、音読、、、なんでもいいから、どんなに忙しくても疲れていても、必ず英語に触れる。TOEICは夏までに800点。その後の目標は先生と相談。

 

読書したらアウトプットする。

インスタで投稿することを継続する。サポートセンターの先生から勧められた本のリストを制覇する。その感想をその先生に伝える。

 

ニュースや報道をしっかり追う。

特に教育系のニュースに関しては説明・意見できるようにする。

 

ジム通いを習慣化する。

迷ったら行く、を徹底する。週3回以上は行きたい。

 

自分のことをよく知り、人に説明できるようにする。

面接の時どんなことを突っ込まれたり圧迫されたりしても、笑顔で振る舞えるように。過去は変えられないけれど、過去に対する自分の捉え方はいくらでも良い方向へ変えられる。それがあったから今の私がある、成長の過程を全て前向きに答えられるようにする。

 

自然体でいる。

落ち込んでもいいししんどいと思っていい。ネガティブな気持ちになることに関してネガティブにならなくていい。私はもっと私の人間性をもっと受容していい。

 

ひとにも自分にも過度な期待をしない。

「まあ所詮こんなもん」な周囲と自分を大切にする。機嫌よく過ごす。一緒にやってほしい、一緒に頑張ってほしい、って思いがちだけど、前面に出さない。人には人のペースがあるし、自分の正義を押し付けない。

 

体調や気分、お金の記録を取る。服薬を忘れない。

自己管理をうまくできる人が一番かっこいい。簡単に無理のない範囲で続ける。

 

 

 

 

2021/12

りっちゃんと再会/この子と出逢えたというだけで、私はあの高校を卒業してよかった/「自分にも人にも嘘をつきたくないんだね」/「東京で待ってるね」/模擬授業大失敗/それでも私の価値は下がらない/「悔しくて泣けるって言うだけですごいんですよ」/自分がどうありたいか、どうなりたいか/まずは私から動く、乗ってくれる仲間を大切にする/なんでもっと皆がんばらないんだろう/花ちゃんが変わったんじゃない、私が変わったんだ/馬鹿な人が好きなのですか/面倒だから、やろう。/自分との約束を守る。/価値観や優先順位が変わってゆく/「私は子ども作ってるひまないから」の暴力性/私は自分の人生を消去法で選んだわけではない/無理な時は自分から離れる/

 

 

 

来年はもっとブログ更新しよ〜〜〜〜!!!笑

それでは!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、私は優生思想の対局に居たい

 

 

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某メンタリストのYouTubeにおける生配信と、それに対する炎上について、最初のうちは敢えて見ないようにしていた。けれど、見ないようにしようと思えば思うほど、ニュースや彼に対するさまざまな立場の人のさまざまな見解が目について仕方なくなる。なんというか、こういったわかりやすいヘイトに対しては、誰もが知ったような顔で語ることができるのだ。たとえば、昨今のタリバン政権の行先を歴史的背景を元にしながら論じよ、とか、iPS細胞の課題と将来展望を医学専門用語を用いて述べよ、みたいな話だったら、黙る、というか黙らざるを得なくなっちゃうような一般人も、こういった倫理的な話になると饒舌になる。きっと、こういった問題って、誰もにとって他人事とは思えない何かがあるんだろう。自分が過去に経験した何らかの出来事に、「優生思想」の目がどこかで光っていた。それくらい、誰もにとって身近なところに、ありとあらゆる場所に、この思想は眠っている。みんながみんなの批評家になれる思想っていうのは、基本的に、怖い。

 

その批評の中の一つ、「沈黙は同意と同じ」という言葉を見た時、まさに自分に突き刺さってきたような気がした。しんどいけれど、痛々しいけれど、でも、なんにしろ、声に出さなければ、と思い直した。きっとそこから出なければ、生まれないものもきっとある。

 

 

ということで、熱りが少々冷めたタイミングで、この文章を打っている。

 

 

優生思想、という言葉自体が、負の思想として社会に浸透していることに、まず私は意外だな、と驚いている。今回のメンタリストのホームレスや生活保護受給者に対する発言も、以前に某有名ボーカルの男性の発言も、「それは優生思想だ!」といった形で炎上した。

 

けれども、優生思想が負のものであるという認識自体は、実を言うとものすごく新しいものであることは、ほんのちょこっとだけでも検索すればすぐにでも出てくる。

そもそもほんの100年前の世界では、むしろ優生思想はある種の理想で、目指すべき社会を指し示す重要で画期的なものだった。ナチスT4作戦の話とか、各国の断種法だとかはその最たる例だろう。

しかも、日本においては、新憲法になってからもこの思想は揺るがなかった。その証拠に、1996年まで日本はまだ優生保護法は法律として機能していたわけで、私の二つ年上の兄はその最中に生まれたわけだ。

 

……と、

そんなことは、別に勉強なんかしなくたって、googlewikiを流し読んでいれば知ったような気になれるのだ。

 

 

 

それが、ここ四半世紀ちょっとで、なぜこんなにも「優生思想」が悪になってしまったのだろう。

 

本当の本当の本当の気持ちを探ってみてほしい。

自分とは違う外見、違う考え、違う行動基準、違う発言をする存在、或いは違うと「思いたい」存在に対し、嫌悪感や忌避感情を持ったことが、本当に「一度たりとも」ないか。

 

私はある。

 

 

けれど、それを大きな声で言ってしまったら、きっと流石にまずいだろう、みたいな社会のブレーキが、きっと現代にはあるのだ。

けれど、みんな運転しているのは同じ。右足を、ブレーキに置くか、アクセルに置くか、それだけの違い。そのブレーキの正体については、まだまだ私も勉強不足だ。というか、卒論のテーマにしようかな。

 

 

だから、アクセル全開の人間に対し、「それは優生思想だ!」と断罪することは、少し違う。あの人にも、あなたにも、私にも、優生思想は眠っている。まず、そこからなんだ。

 

 

 

優生思想は、きっとこれからも、強烈に私たちに問いかけてくる。

 

「お前は本当に必要な人間なのか」

 

 

 

 

では、

だから、アクセルを全開にして、特定の社会階層や障害のある人に対して「お前たちは要らないのだ」と声高に言うことは良いことなのか。

 

その大きな声に対し、人がこんなにまで惹きつけられ、社会現象とまで言えるレベルにまで発展するのには、どこかで賛同する声が響き渡っているからだという現実も直視せざるを得ない。実際、相模原市の施設における障害者殺傷事件の後は模倣犯が多く発生した。今回だって、同じだ。

 

人間の社会は、資本主義にしろ共産主義にしろ、「労働」が基準のものさしとなって生産性を測る。「生きていてもいい」者と「死ぬべき」者との分断は、現代に始まったことではない。その「死ぬべき」者が、近現代の人権思想と社会保障福祉国家の発展に伴って「死ななく」なってからが、もしかしたら「死ぬべき」者の本当の地獄なのかもしれない。

 

 

私たちはいつ何時に「死ぬべき」者になり、それでもなお「死なない」いや、「死ねない」者になるのかわからないまま毎日を生きている。それに無自覚な人間は、アクセルを踏みやすいのかもしれない。

 

 

 

今、私が「優生思想」の対局にいたいと思う理由は二つある。これはあくまでも今の私の考えで、この先また新たな考えに変わる可能性はあるけれど、「記録」として。

 

まず、私は、実用的な必要がなくてもそばに置いておきたいものがたくさんある。

毎日手に触れるわけではなくても本棚にきっちり収まってある本は大好きだし、もう使わないけれど幼稚園の頃から使ってきたハサミは今でも引き出しに入っているし、何か実務的に役に立っているわけではないけれど観葉植物を部屋に置いている。

 

私にとって、兄はそういう存在だ。

そして、そういう存在を想う、私のような人間がいる限り、「死なない」者は「死なない」で良いのだ。

 

 

二つ目は、もっと単純なことだ。

誰が誰にとっての「優勢」な存在で、また「劣勢」であるのかを決める基準なんていうものは、「今」の私たちには誰にもわからないし、決めることができないからだ。

 

例えば私は今、26歳の身で大学生として親の援助で生活している。5月までアルバイトをしていたが、今はあえてバイトをしていない。これに関して、どう考えても私みたいな人間を不要だと思う人は一定数いるはずだ。でも、これがもし、私が大学を卒業後に彼らが定義する労働者として、「生きていてもいい」存在になったら? 今の私が、どんなに今の私を否定する人から見て「死ぬべき」存在であったとしても、この先のことはわからない。単純に「今」だけのその人間の環境や状況や立場だけを切り取って、その人の生死の是非を問うことなど、「今」を生きる人間にはできないのだ。それは、他者だけではなく、自分自身にも、言える。

 

 

誰も、死ななくていいんだよ。



「あの日」の記憶を記録するということ、

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あの日。

 

十代の頃から、辛かった日や苦しかった瞬間のことを、指折り数えて生きてきた。

あの日、あの日、あの日。

2010年5月19日家族がこわれた日、2010年7月7日初めて自傷行為をした日、2011年3月11日震災、2013年5月24日じいちゃんが死んだ日、2014年7月7日親友が私の元から去った日、2016年7月26日障害者殺傷事件、2017年5月7日盛大にひとを裏切った日、2018年2月25日ばあちゃんが死んだ日、2018年11月11日会社を辞めた日、2020年12月4日母が倒れた次の日、、、あら、あの日のことって、意外と覚えているものね。我ながら、ゾッとするほど執念深いわ。ゾゾゾ。

 

 

 

 

 

十代の頃、この先も生きていれば、「あの日」と呼ぶ日々はどんどん、どんどん蓄積されていくのだろう、と考えただけで絶望的な気持ちになっていた。思い出したくもないくせに、常に自分の隣でサイレンを鳴らし続ける「あの日」が増えていくことに、心から恐怖を覚えた。

 

 

私がずっと関心を持って追ってきたテーマの一つに、「記憶と記録」というものがある。

それは、何を隠そう、自分自身が、誰よりも自分の記憶に固執してきて、そして記録することに対する恐怖に怯えて生きてきたからだ。「あの日」のことを記憶しているだけなら、それは私だけのものだ。私だけが背負わなければならない荷物でもあるが、私だけがわかっていればそれでいい。それを記録してしまうと、自分以外の他者に、自分にとっての「あの日」を値踏みされてしまうような気分になった。たとえ自分以外の誰が見るようなものでなくても、形として残ってしまうことで、もう「あの日」は私だけのものではなくなってしまう気がした。

だから日記を書くことは昔から大の苦手で、使いかけのノートや三日坊主で終わった日記帳が山ほどある。

 

 

そんな私が、このブログを始めて、なんだかんだ言ってもう5年以上経つ。

(なるほど、はてなブログさんは二十周年ということなので、私ははてなブログさんのこれまでの歴史の4分の1以上をともに過ごさせていただいているのですね。ありがとうございます。おめでとうございます。これからもよろしくお願いいたします。土下座。)

 

 

もちろん、毎日更新しているどころか、超がつくほどの不定期更新ではあるけれど、それでも私は、5年以上もの間、自分にとっての「あの日」の記憶を外部に記録しているのだ。

 

どうして続けているのか、続けられているのか、はっきりしたことはわからない。

ただ、

今、こうして、「あの日」を一つ一つ拾い上げて、埃をぽんぽんと落として、振りかえってみると、「あの日」は常に、確実に、私のことを強くしてくれたということに気付かされる。

 

それに気付くことができた。

きっとそれだけで、このブログには私にとって大きな価値がある。

 

 

16歳の私へ。

意外と、「あの日」と呼ぶ日々が蓄積されるのは、悪いもんではないみたいよ。

なんかこうやってみると、いつだって「あの日」の私は頑張ってたな。

それに、どうやら忘れても肉なり血なりにはなってるみたい。

26歳の私は、君が思うよりかっこいい女性ではないけれど、

君がこの先経験するたくさんの「あの日」のおかげで、今日も生きてるよ。

 

だから安心して、まっすぐこっちに、歩いてきなさい。

 

 

 

 

 

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」 

26回目の七夕がやってくる🎋

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①ここ2週間の私の状態

 

こんな26歳になるつもりなかった。

 

つくづく、そう思うことが増えた。

26という数字が、あまりにも重過ぎて、重過ぎて、重過ぎて。

学生証を見るたびに、大学の門をくぐるたびに、焦燥感と、義務感と、罪悪感が、押し寄せてくる。

けれど、それもこれもあれも全て全て全て、全て全て全て、私は理解をしていたことだ。予想していたことだ。覚悟していたことだ。

 

そして、もう一つわかっていることがある。

もしも、この大学を受験することを決断していなかったとしても、私は、きっと、26歳になることを恐れただろう。恐れていただろう。こんな26になるくらいなら、10年前に、あんな制服を脱ぎ捨てていれば良かったと、今と同じくらいの圧力で、そう思っていただろう。

 

楽な道なんて、どうせ、いずれ無いってことぐらい、この四半世紀で、私は痛いくらい知っている。

 

 

同級生といて、

この子たちより優れていることも、この子たちよりも努力することも、この子たちよりも整然とした振る舞いや言動ができることも、全て私にとっては当たり前なのだ、と自分で自分の首を縛る毎日が続いていた。それが当たり前ではないというのなら、私のこの六年間を全て否定されたような気持ちになるからやめてほしい。高校時代の涙の数も、初めてもらった硬くて青い保険証も、短大の頃に書いた卒論も、学費を稼ぐために働いた工場での夜も、必死に働いた会社員時代のグレープフルーツジュースの味も、全て全て全て、無駄だったんだ、無意味だったんだと言われたような気持ちになる。

 

どれだけ褒められても、どれだけ努力しても、どれだけ結果を残しても、全てが当たり前で、何一つとして自分のことを認められない。愛せない。大切にできない。ここ最近は、そんな毎日だった。

 

 

 

 

どうやら私たちは、

過去に自分が選んだ道を、

今から、そしてここからの自分が、

自分にとっての正解に「していく」ことしかできない。

 

 

生きていくというのは、

正解を探し求めたり、ああでもないこうでもないと言いながら一つ一つを見つけていくほどの時間なんて、きっと無いのだ。

 

そもそも、人生の中で私たちが選択できたり、統制できるようなことは、想像しているより少ないんじゃないか。

視力が裸眼で0.03の私は、飛行機の管制塔に入ることは一生涯無いだろう。

両親の年収と子どもの学歴にある程度の相関性があることは、数多くの研究結果が明らかにしている。

今一番仲の良い彼女が、私に本当はどんな思いを抱いているのか私にはわからない。

今目に見える成功者の背後には、何千、何万もの沈黙した人々がいる。

 

でも、その沈黙者たちが須く皆不幸かと言えば、そうではない、ということは、きっと誰しもがわかっている。

 

そして、そんな、自分の人生を正解に「していった」先人たちが、私の背中を押してくれるのだ。

 

 

「頑張りました」と言うことは、なんて簡単なのだろう。

うまくいかなかった、失敗した、だめだった。でも、「頑張った」。

まるで贖宥状のように使ってしまう自分が、いまだにいる。

「頑張った」なら、それで良いのだろうか。そんなことはない。

残念だけど、どこまでも、そんなことはないのだ。

 

 

 

 

②4−5月に決めた私のモットー

 

・姿勢を正しくする 

・足を組まない 

・水分、糖分補給を怠らない

・体調や気分の記録を怠らない 

・何事も8分目で止める

・疲れる前に休む 

・倒れる前に言う 

・無理は無駄であると常に意識する

・然るべき専門家に然るべき内容をのみ相談する

・できないこと、やりたくないことは断る

・笑顔でご機嫌に過ごす 

・人に機嫌をとってもらおうとしない 

・怒りの感情を代替エネルギーに変える 

・自分と他人、社会の問題を混同させない 

・考えと事実を切り分ける

・人の考えや行動基準をジャッジしない 

・人の話を最後まで聞く

・気持ちの良い挨拶と返事をする 

・自分の過ちや不適切な発言はすぐに謝罪する

・今の状況を人、お金、環境のせいにしない

・疑問はすぐに調べる ・メモをする  

・知らないことを恥じない

・時間が空いたら本を読む

・話をしたくないときはイヤホンをする 

・生産性のない愚痴や相談は聞かない

・疲れる相手とは物理的に距離を置く

・身の上話や苦労話をしない 

・卑下する発言はしない

・誤解されたら数字で結果を出す

 

 

 

③誕生日を目前にして

 

自分が下した決断を、正解にしていくのは、自分だけだ。

そのことに、差し迫って感じている大学2年生、26回目の誕生日がやってくる。

 

 

1年後の自分

27歳になる大学3年生

・自律神経が安定し、心身ともに健康である

・体重43キロ、健康的なくびれがある

・オンライン英会話をすることが習慣になっている

・教育実習に向けての準備に自信を持っている

・ゼミ担当と教職担当の教授から一目を置かれる存在である

・粛々と、淡々と、努力している

・常に笑顔でご機嫌である

 

大学卒業後、東京か千葉の高校の世界史教員になることを目標に、

悩み、倒れ、泣き叫んでもいい。詩織、一緒に頑張っていこうね。