え ん

人生は連鎖する、

「あの日」の記憶を記録するということ、

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あの日。

 

十代の頃から、辛かった日や苦しかった瞬間のことを、指折り数えて生きてきた。

あの日、あの日、あの日。

2010年5月19日家族がこわれた日、2010年7月7日初めて自傷行為をした日、2011年3月11日震災、2013年5月24日じいちゃんが死んだ日、2014年7月7日親友が私の元から去った日、2016年7月26日障害者殺傷事件、2017年5月7日盛大にひとを裏切った日、2018年2月25日ばあちゃんが死んだ日、2018年11月11日会社を辞めた日、2020年12月4日母が倒れた次の日、、、あら、あの日のことって、意外と覚えているものね。我ながら、ゾッとするほど執念深いわ。ゾゾゾ。

 

 

 

 

 

十代の頃、この先も生きていれば、「あの日」と呼ぶ日々はどんどん、どんどん蓄積されていくのだろう、と考えただけで絶望的な気持ちになっていた。思い出したくもないくせに、常に自分の隣でサイレンを鳴らし続ける「あの日」が増えていくことに、心から恐怖を覚えた。

 

 

私がずっと関心を持って追ってきたテーマの一つに、「記憶と記録」というものがある。

それは、何を隠そう、自分自身が、誰よりも自分の記憶に固執してきて、そして記録することに対する恐怖に怯えて生きてきたからだ。「あの日」のことを記憶しているだけなら、それは私だけのものだ。私だけが背負わなければならない荷物でもあるが、私だけがわかっていればそれでいい。それを記録してしまうと、自分以外の他者に、自分にとっての「あの日」を値踏みされてしまうような気分になった。たとえ自分以外の誰が見るようなものでなくても、形として残ってしまうことで、もう「あの日」は私だけのものではなくなってしまう気がした。

だから日記を書くことは昔から大の苦手で、使いかけのノートや三日坊主で終わった日記帳が山ほどある。

 

 

そんな私が、このブログを始めて、なんだかんだ言ってもう5年以上経つ。

(なるほど、はてなブログさんは二十周年ということなので、私ははてなブログさんのこれまでの歴史の4分の1以上をともに過ごさせていただいているのですね。ありがとうございます。おめでとうございます。これからもよろしくお願いいたします。土下座。)

 

 

もちろん、毎日更新しているどころか、超がつくほどの不定期更新ではあるけれど、それでも私は、5年以上もの間、自分にとっての「あの日」の記憶を外部に記録しているのだ。

 

どうして続けているのか、続けられているのか、はっきりしたことはわからない。

ただ、

今、こうして、「あの日」を一つ一つ拾い上げて、埃をぽんぽんと落として、振りかえってみると、「あの日」は常に、確実に、私のことを強くしてくれたということに気付かされる。

 

それに気付くことができた。

きっとそれだけで、このブログには私にとって大きな価値がある。

 

 

16歳の私へ。

意外と、「あの日」と呼ぶ日々が蓄積されるのは、悪いもんではないみたいよ。

なんかこうやってみると、いつだって「あの日」の私は頑張ってたな。

それに、どうやら忘れても肉なり血なりにはなってるみたい。

26歳の私は、君が思うよりかっこいい女性ではないけれど、

君がこの先経験するたくさんの「あの日」のおかげで、今日も生きてるよ。

 

だから安心して、まっすぐこっちに、歩いてきなさい。

 

 

 

 

 

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」