え ん

人生は連鎖する、

2018.12.30.所感

 

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年の瀬、ですね。

 

2018年は、【終】という漢字一文字が頭から離れない一年でした。昨年の一文字が【改】だったので、おいおい改まった途端にもうフィニッシュかよ、という気もしないですが。


2017年の秋に内定式を終え、春からの居場所を確保した状態で2018年を迎えました。年始早々からバイトや日雇いに明け暮れ、休憩時間に『時計仕掛けのオレンジ』を読む毎日。ロックや。無事に卒論を提出し、2月は引越準備しつつ卒業確定。そして、早すぎる祖母の死。引越をして2日後の、鬼のような留守番電話を私は忘れないでしょう。身体的にも精神的にも物理的にもバタバタと疲労感が拭えないまま3月、入社式。
4月1日から入社したのもつかの間、率直に言ってそこから9月半ばまでの記憶は、非常に断片的で、かなしいものです。バラバラにノートやメモ帳に書かれた乱雑な文字は、辛い、しんどい、もういやだ、逃げたい、帰りたい、、、いやいや、楽しかった思い出だって、嬉しい言葉だって、笑い合った時間だって、あったはずなのに、文字として辿れるのはそんな重々しいものばかりなのです。このブログも、その当時の記事は決して明るい文体ではないですよね。

そんなこんなで10月は実家に戻ることになり、昨年の内定式と同じ日に退社。
けれど、送別会は本当に素晴らしい時間でした。自分の人生は、あの日々は、全てこのためにあったのではないか、と思うほどに。たくさんの上司、先輩、同期にかこまれて、温かな言葉をかけられて、本当に幸せな、幸せな時間でした。その時もらった花束は、大切にハーバリウムにしました。 
11月の退社まもなく、すぐに地元でレジバイトをし、それも破綻してもう12月。どんな年だったか、と思い返すのが、非常に難しく思いました。人生23年間生きてきて、救急車🚑に乗った経験が3回あるのですが、その3回は全て1年間に集約されています。うん、なかなか問題だ😑

 

 

 

さて、2月の記事、今年の抱負について振り返りましょう。

 

mercy07s.hatenadiary.jp

 

 

 

1.  体調管理・体力づくり
いわずもがな、これが破綻した一年でした。そもそも体調の良い、悪いがどんな状態なのかもよくわかっていない。重症。まず、きちんと通院する大事さを痛感しました。病院はバカにしちゃいけない。 
実家に帰ってからはちょこちょことジムに通い始めましたが、習慣と名乗るにはまだまだです。でも、意外や意外、意外と私は走れるんだ、 という発見。    1キロ6分のランニングペースで30分。体育が死ぬほど嫌いで出来なさすぎて泣いていた私にしては本当に凄い!
 

 

 

2. 食生活の安定
一人暮らしのときは悲惨でした。朝は抜き、昼はコンビニか上司が奢ってくれる弁当か抜き、夜は会社のお客様用弁当の残りを食べる毎日。作ってからずいぶん時間が経った天ぷらとか、お寿司とか。先輩が買ってくれる自販機の100%グレフルジュースが栄養源。はっはー、酷い。
今は実家暮らしなので、、、?いや、根本的に何も解決していない。別に食べたいとも思わないお菓子を食べ過ぎちゃうときもある。
 

 

 

3. 自分なりの金銭感覚を身に付ける
これは、評価が難しいです。買うことに関しては、少しは身に付けられたかな、、、安いものに飛び付かないとか、長く使えるものを重視するとか。自分の私物を見ると、結構良いものあるんですよね。手帳とか、鞄とか、口紅とか。
でも、稼ぐ、ことについては、未だに私だけにしか通じない哲学が根強いです。今年は特に、経済的な安定を強く希求してました。正社員に拘って、働くこと、それだけが善そのものでした。正社員としての私だけに価値を見いだして、汗水流して働いている私だけを褒めてあげて、自分の力で稼いだお金で一人暮らしして、奨学金返して、好きなもの買って、、、それだけが私を支えていました。
だから、その軸がポキリと折れた途端、どうしたらいいかわからない。自分を責めることしか出来ません。でも、責めて責めて責めてうじうじと立ち止まり続けられるほど、人生は長くないってこともわかっている。
金銭感覚というのは、即ちどう生きていくかと同義で、どんな自分でいたいか、見られたいかってことなのかな。
 

 

 

4. 自分を縛らない
ほっほー、こんな目標を掲げていたんかい!ってくらい、ギュウギュウと縛りつけていました。ほんとに笑っちゃう。
○○でなければならない、○○である必要がある、 という考えは、実は私を縛り付けているようで、いろんなひとたちを傷つけているのだと思います。自分を卑下している自己評価が著しく低い者は、自分と同等以下の存在を軽蔑している。この事に気づかされてから、ずいぶん経ったのに、未だに拭えない気持ちがあります。
 

 

 

5. 居心地の良い部屋を作る
スーパーワンダフルな部屋に住むことになった、と過去の記事には書いているけど、住んだ感想を言うと、もうしばらくは良いかな、って部屋でした。身の丈に合わなかったというか、私には持て余してしまったというか。 もう少し安い小さな部屋であるほうが、ユックリできた気がします。 こんなすごい部屋に住んでいるんだ、立派に働かなきゃ、って、むしろそういうマイナスなベクトルに頑張りかたを見いだしてしまったりも。
でも、家賃が六万以下であのアパートに住めたのは、経験としては良かったかもしれない。次への反省、もっとボロくて狭くて良い。
 

 

 

6. ストレスを抱え込み過ぎない
これは、目標設定がそもそも誤り。何故なら、いまの私は、ストレスをストレスと認識することさえできないから。何が辛いのか、どこまでやると無理なのか、わからない。そして、あ、ちょっとしんどいかも、と思ったところで、それをどうにもできないところも反省点のひとつ。ひとと比べて、私はまだまだ出来る、やらなきゃ、なんて勝手に思ってバカスカ仕事を引き受けてしまう。そして実際、一度でも成功しまうと、なーんだ!出来るやん!って自他共に思わせてしまう。そしてどこかでドン🏭💣💥
 

 

 

7. 大好きな人、ものには大好きだと伝える
これはこの一年とっても大事なことだったし、ずっと大事にしていきたいこと。おばあちゃんが亡くなる前の段階でこういうことを考えていたのか、と少々驚き。 このことを考えていると、ひとと喧嘩なんて出来ないし、後味悪くバイバイ、なんて言えない。悪いことしたらちゃんと謝りたいし、ちゃんと「行ってらっしゃい」と「行ってきます」を言いたいし、ちゃんと笑顔で「さよなら」と「またね」と手を振りたい。  これに関して、 まだまだなところがたーくさんあるので、偉そうなことはまだ言えないんですけど。
 
 
 
 
正直、死ぬ、ということについてよく考えていました。ここで声を大にして目を見開いて言いたいのは、死にたいわけではないということ。私は絶対死にたくない!!!!
 
ひとが一人死ぬと、必ず、生きているひとが、そのひとの後片付けをします。後片付け、というと、なんだか言葉が悪い気がしますが、ともかく、死んだあとに自分の身体を炉に入れることも出来ないし、銀行の凍結も役所の届け出も出来ないし、隠しておきたかったあれとかそれとかの始末も出来ません。誰かがやらなければならないのです。
 
そのひとが死んでも、残酷なほど平等に、この世界の住人のために明日は来ます。確実に明日は今日になって、今日は昨日になります。そのひとが居た現実は過去になって、そのひとの記憶は、記録として残らない限り、風化されます。もっと言えば、そのひとがこの世界で、確かに確かに確かに、存在していたのにもかかわらず、そのひとに関する記憶を留める誰かがいなければ、そのひとが存在していたという事実すら、、、脆いものなのです。
 
死ぬときはいつだって一人。何にも持っていけない。誰も連れていけない。
 
 
そして、この世界で生きている私たちのこと。どうしてこの世界に残る私たちは、こんなに悲しいんだろう。こんなに悲しまなければならないのだろう。
そう思いつつ、私はまた、もうひとつの現実に突き当たったのです。
 
即ち、悲しまないという選択を手に取る人もなかにはいる、ということ。
 
この世に生を受けて、確かにこの地で息を吸い、地を這うように生きた証が、何一つ、記録されないまま、死んでいったひとたちのことを、どこかでいつも、思っていた、、、そんな一年でした。
 

 

生きていたんだよな

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あとは、今年観た印象的な映画(邦画ばっか笑)、読んだ本。具体的な本数、冊数は記録していない(途中でやめた、最悪💦💨)のですが、、、

 


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