え ん

人生は連鎖する、

就職活動体験記

 

会社説明会インターンに参加した14社中、7社選考段階へ進み、二次或いは最終選考に残った会社は3社、内々定1社。

 

9月7日 会社説明会・一次面接 (in 東京)

9月13日 二次面接

10月18日 三次面接・内定通知

10月24日 内定承諾書送付

(11月11日 内定式)

 

就職活動を振り返ることは、私にとって今年一年を振り返ることと同義だ。

11月を前にして2017年を語ることは早い気もするし、かと言って、今のこの感情をそのままにあと2ヶ月を過ごし、12月下旬に記録できるとも思えない。なので、あくまでも、就職活動に焦点を当ててのみ、そして未来の私が読み返すことを前提に、今回はこの記事を書く。

 

 

 

 

就職活動を終えてからの感想。

 

前半は、自分の軸を大きく掻き乱されていただけだったのではないか。人生に無駄なことはひとつもない、すべての出会いには意味がある、という哲学を完全に否定するつもりは無いが、私は同意しない。1月から5月にかけての私は、自他共に認めるほど多忙を極めていたように見えて、私はあらゆる現実から目を背けていた。別の観点から見れば、或いはもう少し時を経て考えてみれば、また違った感情が沸き起こってくるのかもわからない。しかし、今も出来れば蓋をしていたい時期であり、少なくとも今の私にプラスに作用しているとは思えない出会いと時間だった。ともかく、最悪な月だった、と言いたい。

 

中盤は、その軸をもう一度拾い直すことに集中する、重要な休暇であり、意味のある苦悩、うつ感情だった。もっとも、その時間を生きていた私には、自分が無能で恐ろしく怠慢な人間に思えたが、そうではなかったと今は思う。6月から8月の私の時間は、私に戻るための重要な時間だった。私が私であり、これからも私であり続けることで、より一層私は私として私の人生を磨くことができる。それに気づかせてくれたのは、他でもない私が私から離れることをゆるしてくれた派遣バイトの時間であるし、私が私であることをおそれさせたヴァージニア・ウルフをはじめとする女たちのおかげである。

 

後半(9,10月)は、自分を突き動かす力が何者であるのかを理解した反面、早急に就職活動にピリオドを打たせたかった。

私は父性愛を求め続けてきた。父親からの愛情を捜し続け、地べたを這いずり回り、腕を空へ空へと伸ばし続けてきた。もしかしたら、今までの出会い(前半の出会い)も、それに関連した悲劇だったのではないか、と私は仮説した。その真偽の程は当然今段階で知る由も無いが、私は自分の父親との関係性を正しく理解し、正しく構築し直すことが、自分の人生を生きる基盤となると考えた。それは、まず第一段階として、ある一定の物理的・精神的距離を保ちながら、娘として父を概観し、父の姿を捉えることを意味する。私はそれを、彼と同じ職種に自分が就くことで達成しようと試みることを決意した。

それと同時に、後期にまで就職活動が食い込んだことに関する焦りと疲れが強かった。私は怠惰な就活生ではなかったと自認しているが、この業界の会社の説明会に、内定先以外1社も行っていないのは今の不安要素のひとつだ。比較対象を身を以て感じ取ることができないままこの会社に就職することとなる。 専門的な知識を必要とするので、今のうちに少しずつ勉強しなければ。

 

 

 

まず、私が今後、最も気をつけたいことが、バーンアウト症候群だ。

率直に言って、私はこの仕事を本気で好きになれる気がしている。そして、内定通知をいただいた際、社長から笑顔で「期待しています」と言われた時、その言葉が嘘や社交辞令、リップサービスでなく、本心でそう私に声をかけてくださったという確信がある。ただ、このように張り切りすぎたがために、私には今までの数々の失態、失敗があるので、二歩も三歩も引いたうえで会社の貢献する生き方をしたい。太く短くではなく、細く長くに重きを置いた社会人でありたい。

 

 

この短大に来て、そしてリクルートスーツに身を包んで就職活動をしたことで、私は学生という身分を十二分に理解、堪能することができた。四年制大学や院に行くことを夢見た時期もあったし、そもそもそれを目標にしてこの大学に来たわけだけど、正直、私はもう、しばらくは学生には戻らないと思う。いろいろ遠回りみたいなこともしたけれど、心置きなく社会人になれる心持ちだ。

 

意識せずとも当然今はまだ学生気分なので、この残り数ヶ月で、しっかりと自分なりの理想の大人像、女性像を形作っていきたい。