え ん

人生は連鎖する、

自己分析 ①

 

こんばんは。

この時期を楽しんでいる方も、踏ん張っている方も、お疲れさまです。

 

 

 

🌐🌐🌐🌐🌐

 

最近の私には、書ききれないほどのさまざまな出来事がありました。具体的にひとつひとつ文字に起こすほどの気力も無いのですが、そこから得た教訓というか、未来の私への忠告、みたいなものを書き残しておこうと思います。
そうです、私には未来がある。何があったって、私はこれからも生きていかなければならないのです。
 
 
 
 
JR東日本の駅ビルショッピングセンター、ルミネってご存知ですか。新宿とか町田とか渋谷とかにある、若い女性向けのテナントが立ち並ぶお店です。
あそこのキャッチコピーが、今の私にとってものすごく大きく響くものがあるのです。
 
『自分に夢中になれないと  誰かを真っ直ぐ愛せない』
 
コピーライターってほんと天才。
たったひとことでひとの心を鷲掴みにして、もうこの上なく離さなくさせてしまう。私はこのキャッチコピーが大好きです。
 
いや、でも待てよ。
自分に夢中になる、って、どういうことなんだろう? 私が最近夢中で取り組んだことってなんだろう?
 誰かを真っ直ぐ愛する、って、そもそもなに、、、?
 
 
 
 
私は先日、ものすごく嫌な思いをしました。
本当に、このまま割れて死んじゃうんじゃないか、ってくらいの頭痛と闘って、どうにか耐えました。
 
 
私は、たくさんのひとを傷つけ、裏切ったのです。
 
 
 
 
傷つけられることに慣れた人間は、傷つけることにも鈍感です。
自他問わず、ひとを傷つける、という行為。その一歩を踏み込んでしまうひとと。踏みとどまるひとの差、というのは、その瞬間に自分を大切に想ってくれる、愛してくれるひとの顔が浮かぶかどうかだと、私は思います。
 
 
私には愛してくれるひとがいます。
これは恋愛云々ではありません。
そのひとが、どれだけ私のことを愛してくれているのか、わかっていたつもりでした。本当に感謝しているつもりでした。私もそれと同等、それ以上に愛しているつもりでした。
‥‥‥つもりでした。
 
 
 
 
 
だけど、そのひとのことどころか、誰のことさえも、私は愛してなどいなかったのです。なぜなら、そのひとを愛していると言っている、他でもない自分自身のことを愛していないから。本気にも、夢中にも、なっていないから。
 
 
 
とても有名な心理学者、エーリッヒ・フロムは自身の著作で、『愛は技術だ』と言っています。つまり、努力する過程の中で学び得られる知識や経験の積み重ねであり、運でもなければ先天的な能力でもない、ということです。
 
 
私はとても怠慢な人間です。
 
失敗や落胆が怖くて、自分の力で試して負けることが嫌で、恥ずかしくて、面倒で、逃げ回ってきました。自分のせいにせずに生きられるラクな方法を見つけてしまって、逃げ回ることがやめられなくなっていました。止まらなくなっていました。
 
 
 
ふと、中学時代、剣道部に所属していた頃を思い出します。
信じられないほど弱くて、全然勝てなかったけど、剣道している自分は好きでした。先輩にコテを打たれ続けて青痣を作っても、頭に火花が散るほどメンを打たれても、どんなにコーチに怒鳴られても、顧問や友達に呆れられても、私は剣道が好きでした。
 
高校では、うって変わって文芸部に所属しました。大学の卒論レベルの文学研究をして、川端康成金子みすゞのことは未だに詳しいです。三ヶ月かけて書き上げた詩集や小説を、三秒でボツられたこともあります。でもその分、たくさんの賞や名誉あるものをいただきました。
 
 
 
その頃もしんどくて嫌で本気で辞めたい、逃げたい、と思ったことは何度も何度も何度もありました。でも、その頃、私の隣には、いつだって共に闘う仲間が居て、目の前には、つねに課題と〆切がありました。
 
 
 
そう考えると、やっぱり、大学受験、か。
7歳の頃から介護してきた祖父の死や、それに伴う親族同士の諍い、苦悩が、ただの理由づけであったことは、おそらくあの時点で私の周囲の誰も彼もが気づいていたことでしょう。それを私に問うことを許させないほどの私の強い反抗と拒否は、どこから湧き出てきたのか‥‥‥。不思議だ。そこまで致命的な成績だったわけでもないのに、寧ろ数値的にも精神的にも信頼はあったのに、どうして私はあそこまで大学受験を避けたかったのでしょう。
 
 
いや、全然、些細なことだと思う。
誰もが陥るような、受験の不安。
たまたま、その不安を回避できそうな、正当化させられるような、哀しい出来事と重なり、それのせいにしてみたら、止まらなくなったのです。雪だるまのように肥大化していったのです。
逃げた理由や責任を転嫁できるものに縋ることを赦された気でいられました。
 
つまり、ラクをすることを覚えたのです。
やらなくても特別に済ませられる術を身に付けてしまった。
 
 
 
生まれた時から特別扱いされることに慣れていた私は、それを自分自身で自由自在に操るようになってしまったのです。ある時は優等生として、またある時は障害者として、そしてまたある時は被害者として、、、
 
 
 
恐ろしいことだと思います。
そうしているうちにそれが定説になって辞められなくなって、逃げることから逃げられなくなっていた。自分が望んでベッタリと貼り付けられたシールは、なかなか剥がれません。私はこういう人間です、そういう看板を背負っていれば誰も私に近づけないからです。
 
 
 
そう、きっかけは、本当に小さな小さな歪みとそれに合致する材料、(有るものも無いもの、有るべきものと無くて良いものの比重)とのタイミング、歯車が合った、それだけ。本当に、それだけ。それだけなのです。
 
 
このことに気づかせてくれた、
つまり、下り坂を駆け抜ける雪だるまの肥大を無理矢理、強引に、止めてくれたあのひとには、心から感謝したいのです。

 

 
 
 
私は私が嫌いです。
苦手な人や相容れない人の特徴について考えていると、いつの間にか自分の弱いところや隠したいところについて考えていることに気づきます。それくらい、私は私という人間が、苦手です。私が私から避けているから、なかなか夢中になれるものに集中できないのです。
 
 
 
 
ねえ詩織、
今のあなたはとても危険だよ。
自分の身は自分で守りなさい。
自分の気持ちに嘘をついて誰も彼もに笑顔を振りまいているうちに、気がつくと一番大切なものを失うよ。
自分のことを愛せないうちに、相手のことを思いやるなんて、愛してあげるなんて、百億年早いのよ。
 
 
 
 
 
 
うーん、、、まとまりがないけど、ちょっと今日はここまで。疲れてるみたい。

 

 

逃げるってなんでしょう。


 

少しだけお久しぶりです。

みなさん、お元気ですか。

私は、あまり元気ではありません。でも、そんなことを言ったところで、元気が湧き出てくるわけでも、目の前の景色が明るくなるわけでもないので、精一杯、今出来る問題を解こうとしています。

 

 

 

今バイト帰りで、電車に乗っているのですが、私が楽しみに購読しているブログが更新されていたので、嬉しくなりました。そして、その記事を読んだあと、今の自分を思い、何と言うか、少しだけ複雑な気持ちが拭えなかったので、この気持ちを私のブログに書きます。

 

そのブログ、ここに掲載しても良いのかしら? うーん、わからないから、載せない。あと、Kさん、不快に思われたら、本当にごめんなさい。

 

 

【許可を得たので掲載致します 2017/05/07】

koyukisdec20.hatenablog.jp

 

内容は、平たく言うと、「逃げても良いんだよ」ということです。

今、辛い環境、状況にいたら、その場から逃げる、という選択肢を取っても良いんだよ、と。

 

 

私、最近、本当によく考えるんですね。

今通っている大学の進学をきっかけに、私は、岩手、つまり実家を出たけれど、それは本当に、良かったのだろうか、と。

今、私は就活生として、関東エリアの企業をエントリーしています。Uターンするつもりは、今のところ、ありません。それが今後の私にとって、本当に幸せなことなのか、今の私にはもちろんわかりません。

 

 

ほんの三年程前、四畳半の煎餅布団しかない部屋に閉じ込められていた私は、この一年間で、見知らぬ土地で一人暮らし、都内でアルバイト、そして新宿でリクルートスーツに身を縛られながら、厳しい毎日を生き抜く、「どこにでもいる大学生」になりました。

今、辛いこともしんどいことも嫌なことも不愉快なこともたくさんあるけれど、とりあえず、それに耐えながら、ごまかしながら、「普通に」生きられるほどの人間になりました。

 

 

だけど私は、

たまたま、本当にたまたま、家族以外に、家族同然、或いはそれを超越して、私のことを大切に思ってくれる存在に出会えたから、今、こうしているわけです。精神的にも、経済的にも、未来の私に希望を持ってくれ、支援してくれたひとがいるから、私は実家から逃れることができたのです。

 

 

中学生の頃、私はずーっと、

『なぜ私が「ただいま」と言える場所はここしか無いのだろう』

と思いながら、リビングからの怒声や泣き喚く声をBGMにしながら、隣の部屋で父親が引きこもるなか、自室で手首を切っていました。その時、私は、ただつらい、しんどい、苦しい、だれか助けて、というような内容の詩を、ノートに書きなぐっていました。

 

だけど、逃げたい、とは思わなかった。

逃げる、という言葉すら、その時の私の頭の中の辞書には無かった、というほうが正しいかもしれません。

 

 

 

 

 

今の私は、その頃の私や、その頃の私のような状況下にいる子どもに、特に掛けてあげるような言葉はありません。何を言っても嘘になる気がするから。

 

だけど、

逃げたくても逃げる場所も見つけられずにいるひと、

客観的に見ればどう考えてもその場が地獄なのに、地獄であることすら知らずに、天国に行く地図を知らないまま、ただただ辛い思いを堂々巡りしている、せざる得ないひとが、今、この瞬間に、確かにいるのだ、ということ。

 

そして、その地獄を作っているのは、他でもない、今の私たち、すなわち「どこにでもいる普通の人たち」であふれかえっている、この社会全体である、ということ。

 

 

その現実から、私は目を背けたくないな、と思うのです。それが、せめてもの、過去の私に対する慰めなのかな、と。

 

 

 

 

最寄駅に着いた。明日から、また1週間が始まる。

 

 

母、とは。①


もうすぐ4月ですね。
私が今住んでいるところは、もう既に桜が咲いています。2月に梅の花が咲いたときも驚きましたが、本当に季節のイベントに沿って花というのは咲くものなのですね。初めて知りました。(私の地元、岩手では桜はGW辺りっていうイメージです)



今日は、重いテーマで話を進めようと思います。でも、実際の今の私がテンション低いうつ気味かと言うと、そんなことはないのでご安心を。いや、実は、梅酒を飲みながら文字を打っています。誤字脱字駄文長文お許しを。




今日、母親が突然、「詩織にとって一番大切な存在は誰?」とLINEしてきました。

はぁぁ?何今更???という気分だったのですが、母の職場で、そういうテーマの研修があったとのこと。


あまりよく考えず、私は母だと答えました。
そのあとユックリ改めて考えてみると、やっぱり母は私にとって番外編レベルで大切な存在だなぁ、と思いました。

掘り返さないように最近は努めてますが、敢えて今は言います。(アルコール入ってるからね?笑)

私は幼い頃、母の笑顔を一度も見たことがありません。保育園に通っていた頃のことを考えると、私が思い出せる母の表情は、いつだって、困り果てたような、疲れ果てたような、しんどくてつらくて悲しい顔、それだけです。


今日、その頃の話を、ようやく母は文字として表してくれました。


【まあ、今だから言うが。あの頃、詩織が2〰3歳の頃のおかあは生きた屍だった。ーーー死のうとか死にたいとは思わなかったがなんも楽しくなく、ただその日を過ごすことだけで精一杯で➰。考えないようにする。思考を止める、そんな感じの毎日だった。(原文ママ)】




障害をもった息子と手のかかる時期の娘を抱えながら、家族全員から孤立していた母。何の協力もなく、誰からの支援もなく、どんな応援の言葉もなく、ただ、ただ、孤独だった母。




本当に、声を大にして言いたい。
二、三歳の頃の子ども時代は、想像を超えて遥かに、遥かに、その後の人生に大きな影響を与えます。
その頃に、無条件な愛情を注がれ、一番近い存在のしあわせそうな笑顔、笑い声を聴くことが、この先、ひとりの人間として生きるうえで、どれだけ大切なことか!

そのうえで、
母親という生き物の周りの環境って、ものすごく大事なのです。



私は、母親になったことがありません。
だから、どれだけ母になるということが大変なことなのか、わかりません。 日本が死んで欲しいと思うほど、保育園に入園することが大切な意味を持つ、ということも、実感や経験論をもって語ることは出来ません。





だけど、まるで能面のような表情で毎日を生き抜いていた母のもとで生まれ育ったからこそ、言いたい。

女性という単体から、突如母親という肩書きを背負ったひとを取り巻くみなさん、

そのひとのために、
そのひとの子どもの将来のために、

そのひとに、決してあなたはひとりじゃない、孤独なんかじゃない、ということを、言葉で、行動で、伝えてあげて下さい。



私は、この先、母親になるどころか、結婚するかどうかも、わかりません。正直に言うと、今は、ひとりで生きて行くほうが私には向いている気がしますし、淋しい時もあるだろうけど、なんだかんだ言ってひとりの時間が一番自分らしいと思えます。何より、独身でバリバリ働く女性、ものすごくものすごく、カッコいい。


でも、
どんな状況下であれ、どんな性格、思考の持ち主であれ、どんな気持ちで子を授かったひとであれ、私は、一度でも母という肩書きをもった女性を、私は心から尊敬しますし、支援していくような女性でありたい、そう思うのです。


p.s.
この類の話、もう少し掘り下げたいので、いずれまた違う感じで続きを書きます。

🌷🌸🌹🌺💐🌼🌻

 

思い出したくない過去、って、たぶん誰もが持っているものだと思う。

それを俗に、黒歴史、とか暗黒時代、って表現するひともいる。

 

 

過去。

そう、過去だ。

 

 

私は最近、ずっとその二文字から意識的に目を逸らそうとしていた。

考えないように、見えないように、感じないように、覚えないように、もう二度と蘇らないように。

カタカタと沸騰した薬缶のようにフタが鳴り響くこともあったけれど、それでも私は目を向けることをしなかった。たとえ一瞬でも、そのフタを開けてしまったら、私はもうここには戻れない。そんな気がした。もう、絶対、ここの地点まで戻ってこれない。フタの中に眠るそいつは、まるで宇宙の彼方のブラックホールのようだ。そいつは大きな大きな口で、小さな小さな私を呑み込んでしまうだろう。どろどろの胃液に塗れて、私はいつの日か溶けていって、そいつの一部になってしまうのだ。

 

 

 

 

 

私は優しい人が怖い。

 1年くらい前、こんなだらだらと長い記事を書いた覚えがあるけど、今は優しい人が「怖い」のだ。

mercy07s.hatenadiary.jp

 

 

優しい人は、マシュマロが入ったココアのような甘い言葉で、私を何かから守ろうとしてくれる。3時間前から電源を入れていた電気毛布のような温かさで、私を無条件で包み込んでくれる。

 

そのぬくもりが、どうしようもなく、どうしようもなく、私を惑わせ、混乱させ、不穏にさせるということに、優しい人は気づいてくれない。

 

 

ねえ詩織、

そのココア、もう何杯目?

その毛布に触れたのは、もう何度目?

 

薬缶から、熱い熱いお湯が溢れる。

ドロリとした黒いものも出てくる。その正体を、私は知っている。

 

 

 

 

 

お願いだから、フタをさせて欲しいんだ。

今だけで良い。

私に「あの頃」と言わせないで欲しい。

その時の景色、風、匂い、音楽、感触、声色、雰囲気、味、痛み、温度、その全てを、今だけで良いから、封印したいんだ。

 

そうじゃなきゃ、私、もうこの先に行けなくなるんだ。もうここには戻れないんだ。

もう一生、きみの隣に居られなくなるし、この先に出会う新たな人と素敵な景色を見ることも、出来なくなるんだ。

 

 

🌷🌸🌹🌺💐🌼🌻

ね、だから、

今から話す、これからの話に、私と一緒に、花を咲かせて欲しいんだ。

 

 

 

 

【重要】備忘録

 

 

マトモかマトモじゃないかって誰が決めるの?

自分はマトモじゃないとか言って、要は逃げたいだけでしょ?

で、自分で勝手に自分のことをマトモじゃなかったけどマトモになったとかって言って、都合良いんじゃないの?

だいたいみんなマトモだよ。違うこととすれば、死ぬほど努力しているかしていないかの差だけだと思うよ。

時間が許す限り努力しろよ。

きみ、本当はお兄さんのこと、愛してないんじゃない?

自分を守りたい時ばかりにお兄さんのことを持ち出して喚き散らして、ずるいよね。それで許された気になってるんだもん。

 

 

 

 

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今日、久しぶりに一日オフで、今後のこととか、昨日の記事の内容のこととか、今の自分が本当にしたいこととか、そういうことを考えた。

 

そうしたら、

もうどうしようもないくらいに介護、福祉を仕事としてやっていくことに恐怖を覚えて、しんどくなった。

そして、やっぱり社会学の勉強を続けたい、花ちゃんのとこに戻りたい、そう、つまりいっそもう一度教職の道に進み直したい、なんて。

 

単にホルモンバランスの乱れから来る非生産的な思考かもしれないけど、結構気分はネガティヴ気味になっていた。

 

 

 

で、

そんなテンションで会ったひとに、思い切り叱られた。

 

 

それでよくわかった。

私は、今日1日、この現状に飽き始めていて、疲れていて、さっそく逃げようと下準備に取り掛かろうとしていたんだ。

 

 

 

 

死ぬほどの努力、か。

したことなかった。 出来るかどうかもわからない。

でもやるしかないんだと思う。

ベストを継続するしか、今の自分を打破できないんだ。