人生は連鎖する、

沢山遠回りしてきた戯れ日記

私と優しさとメディアと

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スナフキンと結婚したひ……❤

 

受験が終わりました💧

いろいろツッコミたい問題が出ましたが、過去問を赤本として公表していないところなので黙りますね。Be quiet!!

そして、明日合格発表なので、明日も更新しますよ笑

というより、明日更新する予定だったのですが、とにかく書きたいことがめちゃくちゃあるんですよ。語りたいんですよ。喋りたいんですよ。ってことで長文する👻

 

 

ひとつめ。

『優しさ』についての考察をしてみました。(突然)

 

私ね、実は、優しい、という言葉があまり好きじゃなくてですね。

これはほんとーに好みの問題。別に私が好きだの嫌いだの言ったところで、優しい人のそれまでの人生やら人格やらを語り出そうとか変革とか洗脳をさせてやろうとか、そういう気はゼロです。というか、その人自身のことなんてどうでもいいんです。ただ、私が優しいっていうのが好きじゃないってだけ。

 

どうしてかというと、理由は大きくわけて二つあります。

一つ目が、私自身がよく人に「優しい」と言われるからです。

なんだこいつw って思うかもですが、私こそなんだそれw って感じですよ。そもそも優しさって何なんだ?と聞きたくなってしまいます💨

 

高校時代のことです。私の自宅の最寄り駅の待合室で、20時過ぎにおじいさんが座っていたんですよ。ウイスキーを両手に抱えながら一人で歌を歌っていました。

その人は、まぁ、『普通』じゃなかった。誰も近寄らなかった。おそらく精神障害を抱えている方だったんでしょうね。

私はその待合室にちょうど入った時、そのおじいさんが私に話し掛けてきました。「よぉ嬢ちゃん」って。

まぁそのあと二人で家族の話だとかそのおじいさんの悩みだとか病院の話だとかをしていたんですが、結構面白かったなーって思います。

あと、昨日電車に乗っていたら、突然外国人の男性が私に微笑んできたんですよ。結構混んでいたんですが、明らかに私に向かって微笑んできて。微笑み返したら、隣に座ってきて、すこしだけお話しました。パレスチナ人だったみたいです。

 

他にもいろんな例がありますが、私はいろんな人に話し掛けられるし、いろんな人と楽しくお話します。そのことを、「優しいんだね~」ってたまに言われるんですが、私はそこにちょっと異義申立てしたい。

だって、皆がそう私に言うのは、明らかに壁があるでしょう?

障害を持っている人「なのに」おしゃべりできるんだ。

外国人「なのに」仲良くなれるんだ。(この壁は都市にはあまり無いのかな?と思いました。私の住む地域はやっぱりガイジン意識が根強い)

そういう「なのに」っていう壁というか段差というか距離というか、それって矛盾していると思いませんか。

だって、本来、「バリアフリー」が優しさなはず。

どうして皆、自分と違うものに対してこんなに排他的なのだろう?と。どうして皆、もっともっとフラットに他人のことを見られないのだろう、と。

○○「なのに」~と言い出したかと思いきや、○○「のくせに」とか、○○「だから」とか、本当に人間って自分に都合よく生きているな~なんて。だからこんなことぐらいで、私は「優しい」なんて言われたくないですね。むしろ、当たり前だという考えがもっともっと広まってほしいな、と。

 

もう一つの理由が、自称優しい人ってね、本当の意味でやばい人のことを知らない人だと思うんですよ。ここで言う「自称」は、決して侮蔑的な意味は含んでいません。あくまでも、優しいって自他ともに認めている人のこと。

いや、そういう人って本当に優しいんですよ。ほんとにね、優しい人って優しいんです。めちゃくちゃ尽くしてくれるし。すげーなーって思います。リスペクト👼👼👼

でもね、その優しさに付け込むようなやばい人って、ほんと、その人の定義する優しさだけじゃどうにもならないような負のエネルギーがあるんです。なにもかもを飲み込むブラックホールそのもの👿👿👿

ほんと、その人に一度捕まっちゃったら、人生めちゃくちゃになるレベル。いつでもどこでもいつまでもどこまでもその人のことを考えなきゃならないし、いつでもどこでもいつまでもどこまでもその人は優しい自分を追いかけてきます。

「いつまでもどこまでも」というのがポイントです。

たとえ電話線をぶっちぎるなりアラスカに移住するなり整形手術するなりして、その人との関係を断つことに成功しても、自分は優しい人間である限り、絶対に自分のことを許せないですよ。何ヶ月後かに、もしかしたらその人のことを自分は救えたのかも知れないのに、とか、捨ててしまったんだ、とか、優しいはずの自分が裏切り者になってしまった、とか、そういう鎖まではなかなか断ち切れない。ぶっちゃけ、そっちの方がハードライフ💣

 

 

多分ね、

自称優しい人って、自分に自信が無いんだろうなって思います。

特に取り柄も無いから、人に尽くしてあげることでしか自分の存在価値を見出だせない。誰かに優しくしていないと自分が見失ってしまう。優しさは自分に対する恐怖と闘う唯一の武器だったり🔫🔨🔧

 

ええ、まぁここまで読んでくれた優しい人はわかっているかと思いますが、私は誰もかもに何もかもの優しさを振り撒いて歩いたことも、そしてやばい人として優しい人の心を一時的に殺したことも、そしてまた別に優しい人に完璧な「裏切り」に遭った(敢えて裏切りという言葉をここは使わせてください)こともありました。つまり、絶対的絶望的に自分自身に自信がなかったのです。

 

 

それでね、

私、声を大にして言いたいんですけど、ほんと、優しさって時にただの道具ですよ。そして、使い方を間違えれば、罪人になり得ます🆘

 

優しいって

なにをもって優しさと説くかなんて、誰にもわからないじゃないですか。高瀬舟の話はちょっと視点が異なるかも知れないけど、自殺志願者の人にとっては殺してあげることが、一緒に死んであげることが、最大の優しさかもしれないじゃないですか。でも、それって倫理学的に(法的に)優しさとは呼ばないじゃないですか。そんなの答えなんて無いじゃないですか。誰にとっての優しさが本当の意味での優しさかなんて、多分人間の理解を超越したものなんですよ。(ソコカラサキハカミノリョウイキ)

 

だから、正直、優しい人には、他人に尽くすそのエネルギーの視点を、自分に向けてほしいなって思います。少なくとも、○○のために、じゃなくて、自分のために、の視点で同じ行動をしていた方が、きっとその先もお互い平和です。

 

 

 

誰もかもに優しくなんてしてらんないよ、僕には時間が無いんだ。by スナフキン

 

 

 

 

さて、もう一つ。

最近のニュースというか、メディアについてです。

私はここしばらくNEETのくずやろうなので、偉そうなことなんて何一つ言えないんですけど、やっぱりメディアの力は恐ろし過ぎると思うのです。

エンタメ系の話になるんですが、ゲスの極み乙女の川谷さんとタレントのベッキーの不倫騒動にちょっとフォーカスを当ててみましょう。

まあ彼らを他人事のように思えない私の状況なんてものはどうでもいいのですが、あそこまで騒ぎ立てられるって、どうなんでしょう? 勿論、ミオヤマザキの歌にもあるとおり、不倫は犯罪です←笑 川谷さんの奥さんはとても傷ついたことでしょう。

でも、川谷さんの問題の後、衆議院議員だとかナントカだとか、いろんな人達の浮気事情も発覚したでしょう? ぶっちゃけ今この瞬間に、まだ世間に流れていない浮気だ不倫だなんやかんやってめちゃくちゃあるんだと思いますよ。だって、紅白歌合戦の時、川谷さんがその一週間後こんな状況になるだなんて誰が想像したでしょう?ベッキーがこのような形で芸能界引退するなんて考えてましたか?

 

いや、浮気に限ったことじゃないです。薬物も犯罪も事故も事件も、物事が起こってから、みーんなその物事が起こる前のその人の人生すべてを否定し始めるし、炎上するわけです。みんな、まだ気付かれていないだけで、センテンススプリングに追いかけられていない(追いかけたツワモノもいますけど)だけで、世の中にはもっともっとはちゃめちゃなことが起きているのだと思います🌏

 

そして、そういう大衆が食いつきやすいニュースが一つでもあると、メディアはそこに全力を尽くします。視聴率欲しいしね。でも、それによって埋もれてしまった重大な事件も必ずあるはずなんです。本来、地球市民としてもっと関心を注ぐべき物事があるはずなんです。埋もれているだけで。そういう意味で、最近のメディアの威力というか、腐敗というか、ちょっぴり危惧をしています。まぁ今の私みたいな何も無い人間が危惧したところで変わらないんですけどね。大きな人になりたいです。

 

 

近いニュースで、19歳の予備校生が同じ予備校生に殺されてしまった悲しい事件がありましたね。

彼女が大阪大学に合格していた、ということも取り上げられました。あれに対して、どう思いますか?

なんだか、TwitterYahoo!の反応を見ると、

「大阪」大学というのがかなり強調されている印象を私は受けたのです。気のせいだったら申し訳ないのですが。

でも、実際は阪大だろうとハーバードだろうと無名大学だろうと、また仮に不合格であったとしても、彼女の命も事件の惨さも、何一つ変わらないと思うのです。阪大進学=明るい将来、という方程式によって、この事件の重さは変わるのですか?

このことは、2月のバス事故にも言えますね。同じニートだから擁護したくなるというわけではありませんが、早稲田の美人インテリが亡くなり、ニートが生き残ったことを騒ぎ立てた人がいますが、私は理解に苦しみます。そして、運転手と大学生の比較の仕方が露骨で、かなりの闇を感じました。何が闇かというと、そういう露骨な表現をするメディア社会に躍らされる私たち大衆市民が、とても恐ろしいと感じるのです。

 

 

 

 

まだまだ、いろいろと書きたいことがあるのですが、今回の試験も落ちていたら、本当にくずな人間の駄弁でしかないので、ここらへんで我慢して勉強してきます。それではまた明日。