え ん

人生は連鎖する、

SILENCE in MOTION

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週末に更新をすると言っておきながら、結局出来ませんでした。立春も過ぎて、今年の抱負を書くような時期ではないのですが、今日でとりあえずテストやレポート課題関係の講義は終了したので今日書きます。木曜まで大学には普通に行きます。

 

 

 

今年は言わずもがな、社会人一年目の年です。19歳の頃、一瞬だけ社会人として働いた経験があるのは事実だけど、本当に一瞬だったので、今年を一年目、と呼びたい。呼ばせてください。笑

 

そして、以前書いたけれど、セカンドステージの幕開けでもあります。

この記事で、私にとってのファーストステージの総括、みたいなことをしています。

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セカンドステージの抱負も、と言いたいところだけれど、それはちょっとあまりにも壮大なので、あくまでもこの幕開けの年について。私は、学生生活2年間住んだこの土地を離れ、本当に今まで聞いたこともなかった土地にお引越しをします。関東圏のどこかです。仕事もやったことのない職種なので、期待と不安でいっぱいです。でも、楽しみな気持ちのほうが強いかな。生半可な気持ちでこの仕事に就こう、と思ったわけではないので。

 

そういうわけで、今年の私は、環境も立場も生き方も、今までと本当に異なる「動」の年なのです。

 

 

 

1.  体調管理・体力づくり

まさに今、絶賛不調です。身体がしんど過ぎて、常に体調不良です。今までの私は、精神的な沈みや鬱々とした感情が先行していたのだけど、今回はそこまでメンタルはやられていない。もちろん身体がしんどいので、それに対する苛々やマイナス感情はあるのだけど。とにかく、22年かけて溜め込んだ身体的な疲労と歪みが、今ここで噴出している、と言った感じです。

対処法として、養命酒サプリメントを飲むことを習慣化しています。効くかどうかわからないけど、まず、試せるものは試してみる。マッサージや温泉にも定期的に行く。そして、自分でもヨガをしたり、新居に移ってからは毎日湯船に浸かる。近くにジムがあるので、引越したら早速見学に行ってみたいと思います。

身体、精神共に言えることだけど、調子が悪い時に調子が悪い自分をきちんと自覚することって、本当に大切。これが出来たら苦労しないぜ、という気持ちもわかるけど、自分を見つめてあげる、自分を労ってあげる、自分の痛みに気づいてあげられる、そういう人は本当に強いと思う。卑屈になることは実はとってもラクです。でも、結局、誰になんと励まされようと、自分の心身を救ってあげられるのは自分だけです。私はちゃんと、自分の痛みに敏感な人間でありたい。

 

 

2.  食生活の安定

1.とも関連するし、ここでこんなカッコイイこと書く資格もないのですが、食事って、本当に大事ですね。引っ越してから数ヶ月、友人と住むので、彼女にいろいろ料理を教わりたい。レトルト食品の依存を控える。消化に良いものや栄養バランスの整ったものを整った状態で食べる。食べるときは食べることに集中する。ほんと、自分の食べたもので自分って成り立っているんだなあ。ちゃんと、真面目に、三食を大事に食事します。

 

 

3.自分なりの金銭感覚を身につける

貯金しなきゃ、奨学金返さなきゃ、あれしなきゃこれしなきゃ、と喚いてきたけれど、何を隠そう、この2年間、何も解決しませんでした。というか、ぎゃあぎゃあ喚いていた割に何とかなっているし、カツカツしている割に全く管理できていない。そうやってカツカツカツカツ生きることは、敢えて今年はしないようにしたい。私は、幼い頃にたくさんたくさん怒られた経験のおかげで、デパートでずっとバイトしていたくせに、学生生活で散財する真似はしませんでした。でもぶっちゃけ、パアアアっとお金を使って大後悔、みたいな経験も、一度くらいはしてみたい。そうやって失敗をしていくにつれ、自分が本当に欲しいもの、必要なもの、出ていくお金、貯金、という感覚を身につけていくのかな。今の私は、お金が無い状態のままカツカツしていたから、どこでどうお金を使ったらいいかわからないので。言ってしまえば、社会人一年目の金銭管理は、失敗しても許される年。ただ、zaimで記録する習慣は忘れないようにする。

 

 

4. 自分を縛らない

紅、白、黒以外の服は着ないと決めて、はや半年以上。典型的な奥二重だからアイシャドウやマスカラなんて無意味とか、イヤリングは高いとか、ヒールはしんどいとか、鞄はベージュか黒、とか、決まった香水しかつけない、髪の毛はすぐ切りたい、とか。似合わないから、美人じゃないから、仕事でお洒落禁止だし、みたいな、そういう自分の垣根を、今年は思いっきり破っていきたい。仕事でカッチリしたスーツを着るぶん、休日は思いきり、今しかできないスタイルを研究したい。髪の毛は染められないし、そんなガツガツブランドに詳しくなれるほども経済力も無いけど、幅広いファッションやお化粧を覚えたい。歳を重ねてから後悔したくないじゃない?

 

 

5. 居心地の良い部屋を作る

スーパーワンダフルなアパートに住むことが決まったので、スーパーワンダフルな暮らしがしたい。ちゃんと心身ともにリラックス、休める空間を作ります。アロマとかも充実させたいし、布団や枕もきちんとフィットしたものを選びたい。あまり物に溢れかえった生活もしたくないけれど、とことんミニマリストになる努力もしなくていい。今の私には今の私が本当に必要としている物なんなのかわかっていないし、断捨離し過ぎて本当に大切なものを、私はまだ、失いたくないから。ただ、本当に、ほっとする空間を作る。

 

 

6. ストレスを抱え込み過ぎない

この前、高校時代からの親友から手紙が届いた。彼女がくれたメッセージ。

抱えきれない痛みは抱えなくていい。

ひとの人生に関わる仕事に就くからこそ、ひとの人生に踏み込み過ぎない生き方。

仕事もプライベートもたくさんのストレッサーで溢れていると思うけど、気長に、コツコツ。結果を急ぎ過ぎず、期待を背負い過ぎず、背負わせず。全か無かの法則もピリオドを打つ。本当に、本当に、私はもっとゆっくりでいいんだ。今はだめでも、次は上手くいく。深呼吸して。「動」の年だからこそ、「静」を意識した毎日を送ります。

 

 

 

7. 大好きな人、ものには大好きだと伝える

いつ、どこで、何があるか分からない。

TEDでこの前観た、作曲家のひとが言っていた。これが最後かもしれない、って。

 

www.ted.com

 

悲観的に捉えないで欲しいのだけど、私はこの考えを常に持っていたいな、と思うのです。結局どんなにどんなに大好きな人に大好きだと伝えても、別れたら後悔するんだろうけど。でも、たとえ気休めでも、私は、大好きだって気持ちをちゃんと人に伝え続けたいです。大好きだから。

 

 

 

 

いろいろ忙しない毎日ですが、ブログはちょこちょこと更新していくので、これからもよろしくお願いします☺️🎋

 

タイトル変えました

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タイトル変えました。

円、宴、炎、援、縁、演、艶、といった私の好きな言葉の意味が込められています。このひとつひとつの「えん」を大切に、4月から社会人として頑張っていきます。具体的な職業名や仕事内容は、このブログには書く予定はありません。専門職だし、個人のプライバシーにとても密接な仕事なので。ただ、仕事から学んだことや考えたことを自身の精神論として書き溜めていきます。

 

 

 

1月総まとめ

無になる/ここにいるのは私でなくても良い、私でも良い/チューリップを買った/「ひとの痛みがわかる大人になってほしい」「出来ません、でも」/親友の誕生日/早く楽に死ぬかこの場で苦しみ続けるか/悲しいわけでもないのに涙が止まらない/日経新聞を読む習慣/今日やるべきことをこなすだけ/承認欲求の高さ/「健康的な不健康さだから良いよ」/「お疲れですね」/第一印象の空しさは永遠だろうか/5時間かけて家に帰る/「詩織は頑張ってるよ」/怒涛の日々/頑張れ頑張れ頑張れ/ひとを責める前にその人の良いところを3つ探せ/言葉は人相を作る/ネガティヴな気持ちは危機管理能力、悪いことじゃない/ほっとけば良いのに/協調性のなさはひとを傷つける場合だってある/それは違うと諭すことが正義でも愛とは限らない

 

 

 

怒涛の1月が終わりました。

2月も引越し準備やバイトや補講といったバタバタが続きますが、兎にも角にも1月にここまで頑張りぬいた自分に心から感謝。頑張ってくれてありがとう、自分。

自律神経が狂っていて、かなり身体の調子が悪い日々が続きました。食生活も崩壊している感じです。肩こり頭痛腰痛冷え性めまいといった症状改善のため、今少しずつ行動を起こしているところです。

 

 

もう2月に入ったけど、今年の抱負をまだブログに書いていないので、今週末にはまた更新します。

 

お疲れ様です、おかげさまです。

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初日の出は完全に逃しました。

これは昨日(1/2)の朝日。ホーム上から。

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。

たくさんの人たちと関わり、コミュニケーションを取り、一緒にずっと仕事をしていたのに、新年のこのご挨拶を、未だオフラインの場で口に出していません(というか、本当に年が明けたのかよくわからない‥‥)。

 

 

 

 

昨日、今日とスーパーハードな8時間バイトをしていて、社会と個人の人生について考えた。厳密にいうと、年明け前から考えていたことでもあるのだけど。

 

ひとつに、今こうして、私が「社会」というよく意味がしっくり来ない単語を使って、そのよくわからない「社会」について考えられていることは、実は決して当たり前のことじゃないんだな、ということ。言ってしまえば、余裕がある、ということ。大事なことなんだけれど、社会という大きな枠組みを考えられる余裕が無い人達こそが、社会の大多数を占めている。そして、彼らは常に、今目の前のミッションしか考えられる余地がない。一週間後のこと、"he","she","they"のこと、次期市長選のこと、北朝鮮のこと、考えられるほど「ヒマ」じゃないし、帰宅後に本気でそんなことに思考を巡らせるほどの余力、残ってやしないのだ。

 

そして、それでも社会は一部の「ヒマ」な人たちや「運」が良かった人や自身の環境のなかで「努力」をした人たちに委ねられる。

そう。努力論だけじゃ、社会は語れない。

 

 

 

そして、感謝の気持ちだけは、忘れたくないな、と思う。

 

今着ている服も、今日食べたおにぎりも、電気がついててシャワーが浴びれるってことも、毎度お世話になってる宅配便も、横断歩道が渡れるってことも、こうやってこんな一個人の学生が、ネット上にブログ掲載できるってことも、全部全部全部全部全部全部全部全部全部、たくさんの人たちの手が関わっている。コンビニで働くレジの私の友達や宅急便の私のエリア担当のお兄さんはもちろんだけど、彼らの後ろにはあまりに無数の人々がいる。機械やロボット化が進んでいる、と言うけれど、実際にはとんでもないほどの人々が私たちの生活を潤してくれていて、私自身もとんでもない人々の生活を潤す一員でもあるのだ。そのことを、経験をもって、深く理解できた。このことは私が今掲げている将来の夢にもつながる。感謝は求められるものでも強制されるものでもない。自然とこんな気持ちになるときが感謝するとき。なれない時期は無理にしなくたっていい。なれない時期が来なくたっていい。

 

 

 

 

 

私は、今日も、逞しく生きています。

 

 

2017/12 & 2017.12.31 所感

2017/12

ひとりでお昼食べたいマン/落ち込め落ち込めわっしょいわっしょい/発達心理学、1位を取る/頭痛が多い/OJTとはOntheJobTrainingのこと/名刺交換、ビールの注ぎ方を教わる/朝早くからのマラソン/元気がもらえる友達の大事さよ/口は災いの元、口は災いの元。/先月の出費やば過ぎる/美術館はかなりゆっくり見たい/静かで余計なことを一切言わない/倫理学レポ8割//いいちこをひとりで呑む22歳のクリスマスイヴ/言っとくけど私は超絶幸せ/感謝とは湧き出るもの/流通を知ることは社会を知ること/自分のために花を買う女でありたい/転んで初めて痛いと知る

 

 

 

 

 

2017年も残りわずか。

反省とか振り返りとか、そういうものは今はあまり好きになれなくて、あの時はああだった、こうだった、と思い返すことを意識的に避けている。きっとそこから帰ってこれなくなってしまうから。

 

だから、去年みたいに、月間ごとに書きつくことはしません。

実際にいうと、この前手書きで少し書いて、満足しちゃった、というのもある。

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ただ、私の2017年を一文字の漢字で表すとしたら、「改」だ。

私の心の中に散らばるたくさんのガラクタたちを、一度だけ段ボールのなかにしまいこんで、一つずつ吟味しながら、確認しながら、引き出しや戸棚に入れなおす作業、そんな年だった。もちろんまだ片付けられていない保留のものたちもあるわけだけど、この先の長い人生をかけてゆっくりと仕舞っていこうと思っている。

 

 

就活が滞っていた時、

私はもう下駄を履きたくないんです、

と強く強く自分の意志を押し通したことは、決してまちがっていなかった。

下駄、というのは、もしかしたら少し語弊があるかもしれない。でも、合理的配慮、という名の私のワガママを脱ぎ捨てられたことは、私の中で非常に大きなことだ。そして、そのきっかけをくれたあの人には、今は感謝している。短い間だったし、楽しい思い出ばかりでもなかったし、ビリリと音を立てて破り捨てるような別れだったけれど、今の私の思考、言動、行動があの人の影響が強いことは否定できないだろう。

 

まさしく私にとって、改革、と言っていい。re-formation、つまり、形をもう一度変える、と言う意味だ。けれどここで重要なのは、私の軸、私の骨の髄までを改める必要はない、ということ。ただ、今自分が向く方角を、少しだけずらしてみること。こわいけれど、不安だけれど、でも、ちょっとだけ、目線を変えてみること。それだけで、本当に、驚くべきことに、今は景色が変わって見える。私は内向的な人間だ。どちらかと言うと、ネガティヴなことのほうに物事を持って行った方がラクな人間だ。それは今も何ひとつ変わらない。でも、だからこそ、だからこそ、明るい方へ歩こうとする努力。元気で笑顔で楽しい気分でいようとする強さ。それを主体的に学び、実践、何より継続できた。大きなことだ。

 

 

 

 

 

 

さて、その上で課題というか、山積みなまま放置されちゃっている私の問題。突然プラクティカルな話になる笑

 

ひとつは経済面。学生のうちは、家賃込みで1ヶ月に10万満たない生活でなんなくやってこれた。今は入ってくるお金が少なくて出ていくお金が多く、とてもカツカツで、頭のなかはいつだって使えない電卓がぱちぱちしているのだけど、ともかく3月までは辛抱のとき。しんどいだろうけど、やるしかない。派遣とバイトのダブル。頑張るけど、節約倹約、と考えすぎない。

4月からは、軌道に乗り始めないと何とも言えないけれど、今の所、1年で50万貯めることを目標(スカラシップ返済しながらなので、悠々自適な生活は出来ないだろうけど、私には夢があるので、この金額は超えたい)。まあ、社会人になってからの金銭的な話は、今はまだあまり考えないようにする。

 

 

もうひとつは、怒られることや注意されることを怖がらない、ってこと。

幼稚園の頃から、叱られることを過度に怖がる子だった。うーん、両親からあまり怒られた経験がないからなのか、ただただ感情的に大きな声を出す家族のもとで育ったからなのか。よくわからないけれど、怒られることが異常なほどに怖い。というか、実際には怒られるようなことでも何でもないことなのに、叱られるんじゃないか、嫌味を言われるんじゃないか、心のなかではデキナイやつだな、ってため息ついてるんじゃなかろうか、って考えてしまう。

社会人になるにあたって、これは少しでも克服したい。

ある意味、自分に自信があるのかもしれない。私は間違えるはずがない、私は出来るはず、ゆとりとは言えそれなりに苦渋を飲んできた、って。でもそれを崩されることが怖くておどおどしている。全く、風船みたいな自信だ。怒られることに慣れる、という克服法が正しいのかも有用性があるのかもわからないけれど、、、ともかく、怒られたくらいで辞めたい辞めたいって鬱々にならない手立てを早急に考えたい。まあ、そう簡単に辞めない自信は確固だけど。

 

 

これを踏まえた2018年の抱負は今は書かない。

年明けに、落ち着いた時に書きます。

 

 

 

 

あまり読書に夢中になれたわけではないけれど、今年読んだ本のなかで印象深い本を4冊、ここに記録。来年はもう少し読みたいな。

ディアスポラの知識人

ディアスポラの知識人

 

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

  

おらおらでひとりいぐも

おらおらでひとりいぐも

 

 

大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫)

大いなる遺産 (上巻) (新潮文庫)

 

 

 

 

 

THE LAST OF WINTER VACATION

 

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強くなった、と最近思う。

周期的な気分の浮き沈みも落ち着いているし、よく笑うしよく動くしよく休む。突発的な行動は殆どしなくなった。一日中なんの予定も入っていない日が無くなり、日々常にやらなければならないことは、まるでミルフィーユのように重ねられていくのだが、それでもまあ、とりあえずこなしている。

発達心理学の講義で、ある意味意識的に、またある意味では無意識的に蓋をしているような、そんな過去を掘り返されるようなことがある。友人の行動や言動の端々から、ふとあの頃の自分の影がちらりちらりと見えることもある。あ、聞きたくない。これ以上見ていたくない。そういう時、心のなかにある耳や目をコントロールできるようになってきている。ふさぐこと、そむけることが正しい時だってある。平静を保つ。過ぎ去りし者とは戦う必要なんかない。私は武器を捨てたのだ。

 

 

 

きっと、人生というのは、 右へ、左へ、と行ったり来たりしながら、前へ進んで行くものなのだろう。あるいは、くるくると回転しながら上り行くもの。だから、今の私のこの強さが、永遠に続くだなんて思っていない。また沈むこともある。絶望の眠れぬ夜を過ごすこともある。今は想像だにしていないような隕石が、突然私の頭上に降る可能性だってあるのだ。

 

 

無駄な経験なんてない、と言う人がいる。無意味な出会いもない、と。

確かに、今の私の精神は、今までの一つ一つの経験、その時に出会った人との思い出から培われたものだ。私は今までのことに関し、深く反省することはあっても、今は後悔なんてひとつもない。

けれど、私はその言葉を、人には掛けたくないと思う。その言葉の意味を知らない者にとって、その言葉の並びは凶器だ。

渦中にあったとき、その出来事が有益なのか無駄なのか、正直言って私には全くどうでも良いことだった。未来の私がどう捉えるか、生かしていくか、そんなことより、今この瞬間のこの悲劇を、どうにかしてほしかった。

 

そう、

どうにかしたかったんじゃない。

どうにかしてほしかった。

 

つららのように冷たく尖った言葉だけれど、主体性を持たないまま、今散らばっている問題に平伏している人間は怠慢だ。世に言う努力論、自己責任論が苦手なのは今も全く変わっていないが、他でもない自分自身を幸せにする努力が足りない人間については、私はその人を擁護する真似はしたくない。自分を幸せにする努力を怠る中には、他者を幸せにしようと奔走する者もいる。しかしそれは嘘だ。本当は他者のことなんか、これっぽっちだって考えてやしない。他者から見た自分を認めて欲しくて、愛して欲しい、と傾倒する。私の場合、それが家族であり、学校であり、恋人だった。

 

 

 

自分を幸せにする努力。それは、運動や勉強と同じく、トレーニングだ。

とりあえず、今私が思いついただけの私なりのトレーニングを羅列してみる。

 

自らが課した最低限のタスクを確実に達成していき、自らを褒め称えること。

好きなもの、好きな人に、好きだと率直に伝えること。

嫌いなこと、苦手なものに対して、一度物理的、精神的距離を置くこと。

よく笑い、よく泣き、よく怒ること。

自分だけのおまじない、ルール、ルーティンを持つこと。

自分しか入り込まないエリアの清潔を保つこと。

自分のなおしたい癖や短所を常に意識しつつ、否定しないこと。

朝、太陽の陽射しを浴びること。

自分から、誰か(何か)に挨拶をすること。

話しかけられたら、返事をすること。

意見を求められたら、深呼吸すること。時には意見しないという意見もある。

まずは半信半疑でもやってみること。

試行錯誤をしてみること。

時には潔く諦め逃げ去ること。

 

 

 

最後に、

ひとは、自らに降りかかってきた不幸や絶望からでしか、本質を学べない。

変わるというのは、死してなお生きる、そういうことだ。