星が落ちていた

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大学に、数え切れないほどの星が落ちていた。

 

12月。

透き通るような青空の下、こんなに温かな気持ちで毎朝学校までの道のりを歩くなんて、おそらく生まれて初めてだ。そして、この土地の冬を経験するのは、もう最後だ。いや、そんなことを言ったら、もう春も夏も秋も、私はこの土地で過ごすことはないのだろう。 昨年は全く知らなかった。こんなにも、こんなにも世界は美しいのだ。

 

 

 

 

今年を振り返る記事は、今ではなく、またの機会にしっかりと書こうとは思っている。でも少しだけ、最近思っている私の人生観について、今日は書いてみたい。

 

 

発達心理学の講義で、私は来年、セカンドステージの幕開けの年になると学んだ。0歳から22歳くらいがファーストステージ、23歳から65歳(定年退職時)がセカンドステージ、それ以降がサードステージ。まあ、そんなのはだいたいで、ピアジェエリクソンがそんな感じ〜って言っているだけの話。18歳以前からバリバリにセカンドステージで闘っているひともいれば、30代で最初の舞台を降りる人もいる。どんな人生にも優劣なんてないし、そうやって発達段階を年齢別に区切ることに懐疑的なひともいる。

私もその懐疑論者の1人ではあるけれど、今回は、ちょっとピアジェたちの理論に身を委ねてみたい。私のなかで、今だ、という感覚があるから。今、私のなかで、ファーストステージ終演のベルが鳴り響いている。よし、一度ここで舞台袖に向かおう。そう思った。

 

 

 

このブログで、私が何度も触れていることからわかるように、私のファーストステージのテーマは「家族」だった。もしかすると、これは私に限らず、多くの人のファーストステージが家族なんじゃないだろうか。人生で一番初めに経験する社会の単位は家族だ。それが直系の血縁者であれ、そうでない場合であれ。

 

KINFOLK JAPAN EDITION VOLUME 10 (NEKO MOOK)

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2年前のムック本だけれど、私は今でも毎日のように読んでいる。このおかげで、私は家族と物理的な距離と精神的な距離を置く決意を固めることができた。そしてその選択は、間違っていなかったといまは胸を張れる。

 

 

 

家の中でしか家族を知り得ない恐ろしさは、V・E・フランクルの『夜と霧』から教わった。

夜と霧 新版

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 異常な状況下では、異常な精神状態に陥ることが正常なのだ。

 

また、彼が強制収容所で経験した、名前ではなく番号で呼ばれるという感覚。私にもその頃の記憶は、いつも隣で横たわっている。決して忘れることはないけれど、常に断続的な記憶を覚えておく必要もないだろう。なぜなら、それはもう私のなかの大切な一部として、強固な筋肉となって、もう機能しているから。

 

 

しかし同時に、私はsocial minorityであるが故の栄光を手にしてきたことも事実だ。

家庭的に、目に見える形で、少し変わったところがある。それを武器にして、私は数々の作文コンクールや弁論大会で良い成績を収めた。それは、確かな栄光だった。しかし、同時にそれは赦しを乞う形で現れた。私のなかで歯車が狂い始めたのは、おそらくここだ。

私はこういう人間、私はこういう家庭育ち、私はこういうものを持っている、だから、赦してください。赦してください。赦してください。ずるずるとそれを長引かせているうちに、もうそれは止まらなくなっていった。中島みゆきの『ハリネズミだって恋をする』の曲の冒頭部分のようだ。私だけじゃない。もう、私のことは誰にも止められなかった。

 

それを、今では「甘え」という言葉で片付けることが私にはできる。けれど、それでも私は、10代の私を甘えだと言いたくはない。なぜなら私は闘っていたのだ。甘えというたった三音で私の10代を終わった形にしたくない。あの頃の私が今の私を形成してくれたのだ。私は、10代の私を抱きしめ、愛してあげたいと思う。多くの人を疲弊させ、困惑させ、履歴書を書く私の腕を疲れさせてくる、なかなかヤッカイな奴だけど、私はそれでも私を愛してあげたい。

 

 

それと関連するが、私は、自分が挫折してきた人間だとは思っていない。あの頃の苦難を挫折と呼ぶに値する人間に、今の私はまだ到達していない、という言い方のほうが正しいか。「〜に値する」すなわち"deserve"、なんとも恣意的な言葉だ。道徳的対価、とマイケル・サンデルが言っていた。

挫折という言葉を使うには、自身の人生に自身が成功や勝利を認めてからにしたい、と私は思う。私はまだ、自身の人生に満足はこれっぽっちもしていないし、ここから始まると思ってやまないので、私はまだ、あの頃を挫折とは呼びたくない。

 

 

封じ込めて来た過去にさえ、宝物はあるらしい。

そのことに気づいたからと言って、封じ込めた過去を積極的に開放させる気はない。むしろ、今の私がすべきことは、過去の荷物は過去の私に返してあげることだ。今の私が背負うものは、何もない。

でも、過去のなかであの空間を共に過ごした他者の人生は、今の私の糧になっている。彼ら、彼女らの価値観、選択、生き方は、確かに今の私に流れているのだ。それは逆もある。私が彼ら、彼女らの人生を作るひとりでもあったのだ。もう、出会うことも、交わし合う言葉も、見つけられないけれど、あの頃の宝物を、私は胸にしっかりと刻んでいる。

 

 

最近、私はもっと怒って良いのだ、と学んだ。

私は、怒らなすぎた。

怒る、というのは感情に任せて口走ることだ、とよく言う。論理的な人間は怒らずに叱る、というようなネタは、育児論なんかで見ることができるだろう。

 

 

でも、私は、もっと怒って良かった。

極端な自罰感情と自己卑下は、ひとを適切に怒らせない。こんな私が怒る権利があるわけがない。先天的に、私はどこかオカシイから、ひとに怒っちゃいけないんだ。私はいつからかそう信じて疑わない人間になっていた。

 

自分に自信を持つためには、とんでもなく小さな小さな小さな成功体験を重ねていくことだ。私は半信半疑もままそれを実践し始めてから、確かな自信を少しずつ取り戻している。当然、今もその真っ只中な訳だけれど、それでも私は今、知っている。私には怒る権利がある。私に限ったことではない。ひとは、誰しも怒る権利があるのだ。だから私は、内定先に入社する前までに、父に怒ると決めている。それ以降の私のミッションはただひとつ。最大の復讐、私が幸せになることだ。

 

 

そしてもう一つ、たとえどんな怒りがあっても、その怒りに相応するほどのことを相手にされても、とにかく、どんなことがあっても、ひとはひとに手を上げることはしてはならない。私はこれを、2年ほど前に知った。ひとは、自分以外の命を叩いてはいけないのだ。叩くということは、叩く人間というレッテルを自身に貼り付けていることだ。暴力は、絶対に、どんなことがあっても、どんな形を以ってでも、絶対にあってはならない。もう一度繰り返すけれど、最大の復讐は、自分自身が自分自身の手で、幸せになることだ。

 

 

 

 

勉強もスポーツも精神力も、トレーニングだ。まずはしっかり睡眠と食事をとって、準備運動して、筋トレして、心身を温めてから、全てが始まる。

 

そして、これは去年の今時期にも書いたけれど、大人になるということは、自分ひとりで立って生きていくことではない。むしろ逆で、依存先を増やしていくことが大人なのだ。一人の人間、ひとつの物事、1箇所の居場所に固執しない。視野を広げ、かず多くの遊び道具、逃げ場所を構築していくこと。とどまらない柔軟さと、横道に反れてもなお戻る可塑性。それをうまく使いこなせるよう、日々精進していくこと。

 

 

 

 

セカンドステージの抱負も書いていく予定だったけれど、それは、また次回にしよう。今日は、私がファーストステージ、22年間で学んだ、私にとって大切なこと、大切にしていきたいことの総まとめでした。