え ん

人生は連鎖する、

自律心を持つ

 


 

暑いのが苦手なくせに、クーラー効いた教室や電車のなかにいるとグラグラ体調が悪くなる今日この頃です。カーディガンとホッカイロが手放せない季節ですね❄️←ぇ

 

先週の金曜、無事に22歳になりました。

日本国憲法のレポートと、明日の英語のテス勉が溜まっているのを横目に、今日も今日とて就職活動へ行ってきました。その帰りに、現代美術のレポート課題のために、国立新美術館で催されているジャコメッティ展を観に行きました。ブツクサ言いながら、バイトだって続けているのです。そう、22歳の私、それなりに頑張ってます💁

 

 

 

 

先日に入ったカフェで、すごく落ち着いた気分でいろいろ考え事をしていたのですが、少しばかりその内容を加えたり減らしたりなんかして、ようやくこのブログに22歳の抱負なるものを書くことにします。‥‥‥と、その前に、ちゃんと21歳の目標の達成度を確認しなければ。

 

 

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mercy07s.hatenadiary.jp

 

①集中力 ★☆☆☆☆

→集中力が無い、ということ自体より、物事に集中出来る環境が殆ど整っていない1年間だった。そろそろ本や服を売れるものは売るなりして、断捨離しなければ。

物理的な環境→家事や金銭関連の管理→プライオリティーの把握

という順序でやっていかなければ、一朝一夕に集中力は身につくものではないと感じさせられる。集中力アップは、それが達成してから考えること。

 

②自律心 ★☆☆☆☆ 

→うーーーん。最初、星を3つ付けたけど訂正。自立心はほぼほぼパーフェクトなんだがな‥‥‥(去年も同じようなことを書いている)。

自分の行為を自分でコントロールする、って、意外とかなり難しい。自分で決めたルールに忠実であること、これって私の最重要課題だ。まず、ともかくお金の管理と日常生活の完全なる安定化から。

 

③言葉の使いかた ★★★☆☆

→これはマアマア達成されたほうだと思う。使いかた、というのかわからないけど、ひとに余計なことを言わない、って、とても素敵なことだ。中学時代の私は、ひとの悩みをまるで掃除機のように聴きまくっていたけれど、それはあまりにも無責任だし、あるいは多くの敵を作る要因となる。自分に無関係で、尚且つ自分に選択を迫ってくるような相手とは、そもそも意識的に距離を置くようにした。冷たいと思われても致し方ないけれど、私が一番に守り、愛してあげたいのは自分自身の人生だ。

 

④趣味を極める ★★☆☆☆

→極める、っていう意味がよくわからないぞハタチの詩織。

でも、この頃の私が好きなことや趣味が、今も一貫して何も変わっていない、というのは評価したいことだ。今でも毎日紅茶や台湾茶は淹れているし、今日は美術館に行ってきたし、日暮里谷中の陶器屋さんとは顔馴染みの仲だ。読書は最近になってまた再ブームが到来しているから、このペースを維持し続けたいな、と思う。でもまあ、無理のない範囲内で。

 

⑤英語力 ☆☆☆☆☆

笑わせてやがる、、、そもそも、この1年間でTOEICを2回しか受けていないって、君は本当に英語科として自覚しているのか? と怒られそうな気分だ。そしてその2回とも、目標である700点に到達していない。笑い事じゃないじゃんこれ。

でも、TOEICの勉強よりも英検やTOEFL、IELTSのほうが面白いんだな。こっちの勉強をしているほうがキラキラ楽しいし、講義の内容もこっち寄りだし、スピーキングやライティングなどのアウトプットもあるし、うん、こっちの勉強を数値的な目標に置くほうが私にとって有意義な気がする。

 

 

 

 

これを踏まえて、22歳。もう1週間経過するけどね。

 

 ① 自律心

→これは去年とほぼ同じテーマ。

具体的には、「一歩後ろに引く力」、「後先のことを考えるゆとり」、「自分を客観視する勇気」、が私にとって重要だ。たとえば、夜中になんか突発的に食べちゃう、とか、逆に食事を適当に済ませてしまう、とか。私にとって食生活と金銭管理というのはかなり密接に関わっている問題点で、ネガティヴな時はバアって適当な食事にお金を使っちゃうことが多い。むしろ、それ以外のことで無駄にお金を使う、ってことはめっっっっっったにない。食生活の安定こそが貯金、自律心への第一歩、第二歩だということをきちんと理解し、精神的ゆとりのある生活を送る。

 

②貯金

①とも関連するけど、ともかく貯金が大事。9月下旬までに、みずほ銀行に最低でも確実に40万貯める。 それ以降も当然バイトは継続して、来年の3月に妥協のない引っ越しをしたい。まあ立地は未だに目処がつかないけど、洗濯機も新しくしたいし、ソファーベッド欲しいし、 大きな本棚も欲しい。全て3月までのそろえることはできなくても、自分の価値観にちゃんとマッチしたアパートに住みたい、ってこと。社会人になって始めの方はそれなりに支出も多いと思うし、とにもかくにもみずほ銀行に課金しまくる気分で頑張る。

 

③ホルモンバランスの安定

私の精神状態は、だいぶこれに左右されている。ストレスを溜めないことももちろん大事なんだけど、そもそも身体の状態が他のひとより悪い部分がある。ちゃんと同じ時間に薬を飲んで、自分で決めたルーティーンワークを達成することを重要視する。朝は同じ時間に起きる。私はヘビースリーパーなので、読書の時間も含めてちゃんと8時間は睡眠のための時間に充てる。栄養バランスの整った自炊をする。インスタント食品をそのままの形で多用しない。部屋の片付け、洗濯を先延ばししない。無理しない。意識的に休憩する。自分の体調や気分を文字で記録する。

 

④英語力

IELTSの受験料は異常だから、この1年で受験しないと思う。でも、英検準一級はこの在学中に取れる気がするんだな。(((((謎)  TOEFLは英検後に考える。

夏休みも継続して今使っている教科書使って、ちゃんとpodcast聴いて、図書館に入ってるラダー文庫のレベル3、4を音読制覇する。ネイティヴの先生ともっと話す。ほんと、英語科として恥ずかしくないレベルで卒業する。ガチで。

 

 

⑤それ以外の重要事項

物をこれ以上増やさない/新聞を読むことを厭わない/自分自身のことを多く語らない/ひとに弱みを見せない/他人に余計な行為をしない/会いたいひとに会う/合わない人とは精神的に距離を置く/誰よりも守るべきは自分、愛すべきは自分の大切な周囲であることを理解する/多くの芸術・文学に触れる/固有名詞を多く知る/必ず卒論を立派なものに仕上げる/自分のなかにある女性性を大事に育てる/常に背筋を伸ばす/質の良いものに触れる/継続する/時間管理を記録する/タイマーや砂時計を使う/bamboo grass🎋のようなしなやかでしたたかな女性でありつづける

 

 

 

 

 

 22歳の詩織も相変わらずこんな感じだと思いますが、よろしくお願いします♩

 

 

 

 

最後の21の夜

  

昨日、本当に色々考えさせられる出来事があって、本当はこの場で事細かに書きたいし書くべきなんだと思うけれど、truthというよりもpost-truth、つまりその時のありのままの事実じゃなくて、私がそうであってほしい、そうでありたかった、事実を活字として記録するだけになってしまう気がするのでやめておく(実は途中までevernoteに書いたのだけど、それをコピーしてはてなの編集部分に載せようとしたらカットと間違えて全てパーになっただけともいうが、兎にも角にももう書かない。)

 


まず、結論。
私は、本気で研究職を目指そうと思う。

 

就職活動していて、マア落ちに落ちまくっているというか、実際通っていなくもないんだけれど結局そこかwwwってところでお祈り食らったり、周囲の人間が私の身体や精神の崩壊の憂慮、要は私は他の人間と決定的に何かが違う(欠落している)のだから、他の人間と同じペースとリズムとセンスで生きられるなんて甘いこと考えんじゃねーよ、的なことをそりゃまあ何度も何度も何度も、身体と精神がくたびれてペースもリズムもセンスも崩されてしまうほど言われつづけてきた。だけど実際は、崩れるどころか、私の支柱となる私の器官は、より強固なものとなっていて、ちょっとやそっとで壊れない頑丈な心身でありとあらゆる企業を受けていた。
しかしその器官というのは裏があって、私が勝手に私の一部であるかのように勘違いしていたけれど、実際はなんと骨折中の骨にボルトをとりあえず埋め込んだものに過ぎないようなものだった。ヨソモノだ、と私の本物の器官はそのボルトを排除してしまった。実際にそのこと自体は何の後悔もない。どんなに有用性のあるボルトだとしても、そのボルトは私ではない。私はまだまだ成長していく。まだまだ成長、治癒能力が残っている段階で、すでに完成形であるボルトを埋め込むなんて、そんな形の決まった先を順々に歩いていくほど私はつまらない人間になりたくない。
そういうわけで、無理やり支柱をぶち壊した私はまだ脆くてガタガタと音を立てて壊れそうなほどの私自身だけの力で私の人生を切り拓いていく必要に迫られた。迫られた、というか、自分で選んだんだけど。


その時に訪れたのは、希望の光でも永遠の幸せでも第一志望先への内定でもなく、無気力だった。

逃げたくなった。いや、逃げた。
色々な義務やしがらみや約束や規範から、解放されたい、と。何もしたくなくなったし、実際に大幅にエントリー数を減らした。自分からキャンセルさえもした(すみません)。疲弊している自分に疲弊した。単なる就活生が陥るスランプだ、と言ったらそれまでだしその通りなんだけど、とりあえず一度急速に速度を落とした。止まることはしなかったから、そこは素直に私は私を評価してあげようと思う。

 


そんな状態で受けた昨日の面接で聞かれたことと、1人の女性との出会い、その夜に入ったカフェで、私はようやく自分の本質へと立ち返った。

 


私、研究職に就きたいんだ、と。


この前書いたブログ(なんと、タブレットでの編集作業で突然削除された!!!)で、大学教授への不信感というか、疑問みたいなものを吐露していたのだけど、それも含めて、私は今の社会史の研究を続けたくて続けたくて堪らないのだ、という結論に至った。


ただ、じゃあ今日から就活を全て撤退して編入試験の準備しますわ〜なんて、現実的に無理無茶無謀なことだ。卒業後にどこかしらに就職して兎にも角にも稼がなきゃならないというのは揺るがない現実だ。

しかし、その就職も、今までみたいに正社員!東京!首都圏!給与!ボーナス!給与!ボーナス!要するに奨学金返済!金!金!金!みたいな、なんかギラギラした目でネズミを狙ってるネコみたいな真似はやめようと思う。周りの人たちからのありがた〜い忠告を呑むというわけに見える、というか実際にそういうことに他ならないんだけど、地域も職種も拘らずに、勉強や研究と両立できる程度の職(通信制大に通いたい)で、仕事に関してはユルく考えようと思う。怒られるかもしれないけど、私がなりたいのは超バリバリのOLやワーキングウーマンじゃない、と気づかされてしまったんだ。

 

 

最後に。
自分の信念に貪欲であるということは、この上ない程の幸せであることと同時に、常に先への危機と他者からの苦難を隣へ据えるということなのだ。 (21歳終了のチャイムが鳴る🔔🛎)

 

 

 

 

 

who am i ?

 

今、すごい久々にアルコールを摂取して、しかもだいぶ酔っている気分なので、今しか書けない気がする文章を書きます。もしかしたらシラフの私が見たら、顔から火を吹いて憤死するほどの内容を書くかもわからないけど、今書きたいことを書きたい気分なのだから仕方がない。書く。何だろう、ただ酔っ払っているだけなのかもしれないけど、久々にこの高揚感。高校時代に良い小説のプロットを書けたとき、月一の俳句の句会で一位になれたときのあのウキウキ感にすごく似ている。

 

 

 

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詩織、本当にそれで良いの?

って、何度も、何度も、何度も、頭のなかで響く。その声の主を、私は知っている。生まれた時から聴き慣れた声。高くもなく、低くもない、あの声だ。ああ、でも小、中学の頃、合唱ではアルトだった。

 

詩織、本当にそれで良いの?

しつこい、うるさい、しつこい、うるさい、しつこい、、、

私は必死にその声に反抗する。逃げようとする。でも追いかけてくる。どこまでも追いかけてくる。まるで影のように追いかけてくる。‥‥‥暫くして、私はその声が影じゃないことに気づく。ああ、、、影じゃない。影じゃ、ない。

 

 

今さっき、駅前の高架下の、川縁に座っていた。

数日前と同じ位置で、何をするでもなく、ぼんやりと座っていた。

数日前と違うのは、今日は川に水が無かったことと、右手の100円のホットコーヒーは、セブンイレブンではなく、ファミリーマートで買った、ということだけだ。

そう、、、川に、水がなかったのだ。

数日前、私が小石を投げ入れて面白可笑しく虐めた、赤と黒の金魚たちは、何処にいるのだろう。ちゃんと今日もご飯を食べられただろうか。ちゃんと澄んだ水のある場所で、平和な気持ちで泳げているだろうか。

 

 

詩織、、、ほんとうに、ほんとうに、今のままで良いの?

 

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私が勝手にメンターとして慕っている二人の女性から、ほぼ同時に連絡が来た。

本当に、これはただの偶然だ。二人の共通点は確かに一つだけあるのだけど、おそらく、二人の面識は無いだろう。その共通点は、あまりにも個人的な情報なので伏せておく。でも、今私が読み込んでいる本の訳者も、彼女たちとの大きな共通点を持っている。

私は特に、何かしらの大きな信仰を持っているわけではないのだけど、何者かが私をどこかへ呼び寄せているとしか思えない。うん、ほんとうに、ほんとうに、そう思う。いや、単に思いたいだけだろう。私が今生きている現実が、あまりにもハードだから、無理矢理その偶然を必然のものとして受け容れたいだけだ。そんなことはわかっている。ただの現実逃避、あるいは詩織さんお得意の防衛機制

 

でも、、、、、

もう一度、あの声がする。

 

詩織、本当にそのままで良いのか、って声だ。

 

 

 

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私の研究の方針が、少しだけ変わったからご報告。

グラムシとかスピヴァクとかサイードとか、まあ要するにポストコロニアリズム関係の本ばかりを読み込んでいたら、彼(女)らが抱えてきた問題と全く同じ問題とぶち当たった。

 

つまり、専門書を読めば読むほど、学術的な知識がつけばつくほど、私はどんどん当事者と遠くなっているのだ、と。知識人と呼ばれる立場に近づくこと、固有名詞の定義をより詳細に知るということ、それは今の私が最も怖れる事態だ。私は知識を以って誰かに私の考えを振りかざしたいわけではない。むしろ、知識や技術や権利や時間を持たない人間の、声なき声の存在を訴えたいのだ。にも関わらず、そのことをいち早く研究学問として取り上げた先人たちの出版物を読むことで、私はそれができなくなってくる。誰かを知るために知識を得るということは、それだけでまた他の誰かに対する一種の権力を掌握するということなのだ。誰かを守るためにその知識を運用することは、また他の誰かを忌み、傷つけ、陥れる手段にもなり得るのだ。

 

だから、今、ちょっと専門書を読むことをお休み中。永遠休止するつもりはない。今でしか書けない論文の章があるはずだ。私はそれを書き終えてから、また新たなステップを踏み出す。それまでは好きにさせてほしい。

 

 

そうだろう? 詩織。 ほんとに、そんな夢を掲げておいて、今のままの詩織なんて、私は納得なんかしないね。

 

聴き慣れた声が、私を強く叱咤する。‥‥‥私が、私を、叱咤する。

 

 

 

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さあ詩織。もう一度考え直してみなさい。

 

22歳。そろそろ目を覚まさないと、もうどこにも行けやしないわよ。

自分を信頼するためのトレーニング中。

 

目を背けたくて堪らない現実。嘆いても喚いても変わらない現実。

その内容であったり、その瞬間に抱いた感情であったり、景色であったり。

そういうものを、言語化するって、物凄いエネルギーが必要だ。感情に名付けをすることって、かなり危険で暴力的だ。今を「悲劇的だ」と表現したその瞬間に、今の私は「悲劇的な」人間へと変貌する。本当のことなんて、誰にもわからない。

目を閉じても耳を塞いでも、現実はいつも私の隣で横たわる。時に、呆然と立ち尽くす私を見上げながら、そいつは私を嘲笑う。おいおい、いつまで期待してるつもりだい?

 

何かを失う、ということは、何かを失った経験を得る、ということと同義だ。けれど、喪失という名の拾得物が、私を本当に強くしてくれたのか、私にはわからない。私が深く沈んでいた時間というのは、その時にたまたまそういう時期に相当していただけで、経験がそうさせたものではないのかもしれない。また、傷ついた経験は、勝手に私が傷ついた、と痛がっていただけの話で、傷つけた相手や出来事は傷つけたつもりなんて無いのだろう。私が痛い、痛いと泣き叫んでいたその時間は、ただのロスだったのだろうか。だとしたら、とても空しいことだ。何のために私はその相手と出会ったのだろう。信じたのだろう。信じさせたのだろう。

 

 


ひとを信じる、って、何なんだろう。
他ならぬ自分自身のことを信頼せず、ひとを信じるなんてことが出来るのだろうか。そこに何らかの破綻や予期しない終結があったとき、それは超特急で崖の下か、或いは宇宙空間に投げ込まれるようなものだ。

 

 

 

じゃあ、自分を信頼するにはどうしたら良いか。

それは、小さな成功体験を積み重ねることだろう。継続することだろう。自分が立てた目標や計画を遂行できた時に、身体中に広がるあの感覚。そう、幼い頃に、補助輪をなくして自転車に乗ることができたあの瞬間の感覚。あれを重ねると、自分のことを信頼することができる。何か新しいことに挑戦して、仮にまた失敗をしても、とりあえずこの地点より下に行くことはない。だから大丈夫、安心して前へ進むことができる。そんなクッションの役割を果たしてくれる。

その感覚の経験がまだ浅い人間に、根拠なんてなくて良いからやってみろ!とりあえず走れ!挑戦だ!チャレンジだ!なんて熱血論を謳いあげても、何の意味もない。また、挑戦せずにその地点に安住するなんて怠慢だ、努力不足だ、などと叱り飛ばすことは、まったく的を射たない。今いる居場所や帰る場所がままならない人間にそれを要求することは、発展途上国や紛争国にいる、お腹を空かせた子供たちに哲学や思想を理解させるようなものだ。彼らに「汝の敵を愛せよ」と言ったところで、明日のご飯が出てくるわけでも命が保証されるわけでもない。

 


小さな成功体験、とは。
今日は昨日できなかった洗濯を回せた、とか、土曜なのに学校行事に参加できた、とか、バイトで嫌味言われても我慢できた、とか。
実は11時頃まで布団のなかでボヤボヤしていた、とか、筆記試験が近いのに勉強してない、とか、最近自炊してない、とか、そういうことはとりあえず置いておく。ほんとは置いといちゃまずいのかもわからないけど、でも、それでも置いておく。

どんな1日だったか、なんて、客観的に考えれば事実は全部同じだ。でも、捉えかたやフォーカスを当てる出来事を変えるだけで、随分と次の日の気持ちは変わってくる。

そして、次の日にアンラッキーな気持ちを持ち越さないためには、できるだけできることをその日のうちにしておく。机の上を片付ける、お皿を洗う、カバンの中を整理する、着替えを準備する、シャワーを浴びる、炊飯器のタイマーをセットする。

うまくいかないときは、自分にしか通用しないようなおまじないやライフハックを見つける重要な時間だ。私は、沈んでいるときのために、洗濯した後のハンカチを溜めている。沈んだ時にそのハンカチにアイロンを掛けていると、不思議と元気になるのだ。よし、じゃあブラウスも掛けてみよう。よし、とりあえずここを片付けよう。よし、皿を洗おう。よし、シャワーを浴びよう。よし、ペンを持とう。よし、課題をやろう。よし、今日は寝て明日は少し早く学校行って勉強しよう!

そんな良循環を生み出すキッカケになってくれる。しかもハンカチにきちんとアイロンかかってると、なんかデキるひとっぽい。笑

おまじないというか、私は香りを嗅ぐことが大好きだ。必ずバイトに入る前は、お店に売っている香水のテスターを嗅いでからにする。通帳残高が目標の金額を達したら、私はその香水を買うと決めている。
そしてバイトが終わったら、ちょっと高かったけど奮発して購入したハンドクリームを塗る。このハンドクリームが全部無くなるまではとりあえず続けるんだ、と目標を立てている。私は私をそうやって催眠術のようにして操る。私の場合、それが一番有効なのが香りなのだ。

 


私の今の状況は、落ち込み続けようと思えばどこまででも落ち込める。超がつくほどしんどい。一応進んでいるけど、内定までの道のりはまだまだ遠い。予習も課題も多い。やりたい勉強、研究に集中できない。とにもかくにも稼がなきゃならない。そんな矢先に、警察にお世話になるようなことにも巻き込まれた。まったく、ずいぶんな一週間だった。

毎晩物や人に八つ当たりした罪悪感で眠れなかったり、インスタント食品に頼ることで吹き出物だらけになったりしたけど、それでも私は落ち込み続けるわけにはいかない。ここで何もかもをほっぽりだすわけにはいかない。少しでも、少しでも、ハッピーなことを考えたり、ハッピーになれるような行動をして、一過性なものだとしてもハッピーになるしかない。まだまだひとのことを信じられるようになるまで時間はかかりそうだけど、それでも自分を信頼するための、愛してあげるための努力、トレーニングを怠らない。アパートの部屋では死んだような顔していても、せめて外の空気を吸っているときは、必要最低限のノルマをこなす。そんな自分を褒めてあげよう。毎日とりあえず外の空気を吸っているだけでも、私にとっては十分過ぎるほどの進歩なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

備忘録

 

なんだか本当に、最近の私は日々の暮らしが雑然としていて、全く心が落ち着かない。気分は常にジェットコースターのような上がり下がりを繰り返していて、それは他者にも影響を及ぼしているような気がする。自分に優しくなれない人間は、他者にも自分に対する負荷や罰を要求してしまう。孤立するって、そういうことなのかもしれない。

 

 

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

 

 

先日、この本を読んだ。

選考途中だった企業の面接に、次回はフェルミ推定を出すと言われて購入した。結果として、その面接へ行き着く前に🙏お祈り🙏されてしまったのだけど、まあ買ったことに後悔はしていない。ちょっと極端な文体が鼻につくときもあるが、実際にここに書いてある内容は私に必要なことばかりだったから(それはつまり私に地頭が無いということである)😤。

 

 

 

 

私は来月、22歳になる。

21歳の総括や22歳の抱負をこの記事に書くつもりはない。ただ、もう、本当に、本当に、(というか今更)、自分の二本の両足で歩いて行かなければならないんだな、と痛感する。

身体的にも、精神的にも、経済的にも、私はこの先、自分でひとつひとつPDCAサイクルを構築して行かなければならないのだ。自分の無理や限界を知ろうとせず、少しでも限界を超えるための訓練もせず、無防備に裸のまま社会に出ることは、戦場に行くそれと同じだ。危険というより、もはや愚かだ。失敗を怖がらない強さは、成功するための用意や努力無しに語ることではない。

 

 

さっき、22歳の抱負を書くつもりはないと言ったけれど、実はそれは、書くつもりがないというより、書けないんだ。

サンスクリット語で「夢」とか「願望」を意味する、サンカルパ、という言葉がある。このまえ、瞑想してみたら?と友人に言われて、面白半分に「寝たまんまヨガ」という無料アプリをインストールした。そのナレーションで、サンカルパを言い聞かせましょう、と言われたのだけど、私は思いつかないのだ。驚いてしまう。高校時代まで、溢れんばかりの夢や志望校を先生に並べていた私は、今、何も思いつかないのだから。

 

お金が貯まったら高等機関に戻りたいだとか、そのためにちょっとでもお給料良いところに就職したいだとか、本当の本当はマスメディア関連の職に就きたいとか、あることにはあるんだけれど、なんだか昔みたいに純粋無垢にサンカルパを唱えられない自分がいる。まあ、、、無理か。みたいな。それが、私の理想を大きくかけ離れた、つまらない大人になるってことなんだろう。

 

 

 

もっと自分を遠くから眺める努力を、しなきゃな。

全体を、抽象化させて、最後や結論から、客観的に自分を見つめる。

難しすぎてよくわかんないけど、もうちょっと本気で自分と向き合う必要があるのは確かみたいだ。