え ん

人生は連鎖する、

who am i ?

 

今、すごい久々にアルコールを摂取して、しかもだいぶ酔っている気分なので、今しか書けない気がする文章を書きます。もしかしたらシラフの私が見たら、顔から火を吹いて憤死するほどの内容を書くかもわからないけど、今書きたいことを書きたい気分なのだから仕方がない。書く。何だろう、ただ酔っ払っているだけなのかもしれないけど、久々にこの高揚感。高校時代に良い小説のプロットを書けたとき、月一の俳句の句会で一位になれたときのあのウキウキ感にすごく似ている。

 

 

 

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詩織、本当にそれで良いの?

って、何度も、何度も、何度も、頭のなかで響く。その声の主を、私は知っている。生まれた時から聴き慣れた声。高くもなく、低くもない、あの声だ。ああ、でも小、中学の頃、合唱ではアルトだった。

 

詩織、本当にそれで良いの?

しつこい、うるさい、しつこい、うるさい、しつこい、、、

私は必死にその声に反抗する。逃げようとする。でも追いかけてくる。どこまでも追いかけてくる。まるで影のように追いかけてくる。‥‥‥暫くして、私はその声が影じゃないことに気づく。ああ、、、影じゃない。影じゃ、ない。

 

 

今さっき、駅前の高架下の、川縁に座っていた。

数日前と同じ位置で、何をするでもなく、ぼんやりと座っていた。

数日前と違うのは、今日は川に水が無かったことと、右手の100円のホットコーヒーは、セブンイレブンではなく、ファミリーマートで買った、ということだけだ。

そう、、、川に、水がなかったのだ。

数日前、私が小石を投げ入れて面白可笑しく虐めた、赤と黒の金魚たちは、何処にいるのだろう。ちゃんと今日もご飯を食べられただろうか。ちゃんと澄んだ水のある場所で、平和な気持ちで泳げているだろうか。

 

 

詩織、、、ほんとうに、ほんとうに、今のままで良いの?

 

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私が勝手にメンターとして慕っている二人の女性から、ほぼ同時に連絡が来た。

本当に、これはただの偶然だ。二人の共通点は確かに一つだけあるのだけど、おそらく、二人の面識は無いだろう。その共通点は、あまりにも個人的な情報なので伏せておく。でも、今私が読み込んでいる本の訳者も、彼女たちとの大きな共通点を持っている。

私は特に、何かしらの大きな信仰を持っているわけではないのだけど、何者かが私をどこかへ呼び寄せているとしか思えない。うん、ほんとうに、ほんとうに、そう思う。いや、単に思いたいだけだろう。私が今生きている現実が、あまりにもハードだから、無理矢理その偶然を必然のものとして受け容れたいだけだ。そんなことはわかっている。ただの現実逃避、あるいは詩織さんお得意の防衛機制

 

でも、、、、、

もう一度、あの声がする。

 

詩織、本当にそのままで良いのか、って声だ。

 

 

 

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私の研究の方針が、少しだけ変わったからご報告。

グラムシとかスピヴァクとかサイードとか、まあ要するにポストコロニアリズム関係の本ばかりを読み込んでいたら、彼(女)らが抱えてきた問題と全く同じ問題とぶち当たった。

 

つまり、専門書を読めば読むほど、学術的な知識がつけばつくほど、私はどんどん当事者と遠くなっているのだ、と。知識人と呼ばれる立場に近づくこと、固有名詞の定義をより詳細に知るということ、それは今の私が最も怖れる事態だ。私は知識を以って誰かに私の考えを振りかざしたいわけではない。むしろ、知識や技術や権利や時間を持たない人間の、声なき声の存在を訴えたいのだ。にも関わらず、そのことをいち早く研究学問として取り上げた先人たちの出版物を読むことで、私はそれができなくなってくる。誰かを知るために知識を得るということは、それだけでまた他の誰かに対する一種の権力を掌握するということなのだ。誰かを守るためにその知識を運用することは、また他の誰かを忌み、傷つけ、陥れる手段にもなり得るのだ。

 

だから、今、ちょっと専門書を読むことをお休み中。永遠休止するつもりはない。今でしか書けない論文の章があるはずだ。私はそれを書き終えてから、また新たなステップを踏み出す。それまでは好きにさせてほしい。

 

 

そうだろう? 詩織。 ほんとに、そんな夢を掲げておいて、今のままの詩織なんて、私は納得なんかしないね。

 

聴き慣れた声が、私を強く叱咤する。‥‥‥私が、私を、叱咤する。

 

 

 

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さあ詩織。もう一度考え直してみなさい。

 

22歳。そろそろ目を覚まさないと、もうどこにも行けやしないわよ。