え ん

人生は連鎖する、

今だから書けること (固定記事)

私は、高等機関にもう一度所属したいという野望、ワガママを胸に毎日過ごしているものの、大学(院)生が持つ権力や、学生証を保持するという一種の逃避行動を、決して忘れてはいけないと思っている。何者でもない今の私だからこそ、ここに書いておく。


今から書くことは、社会学という学問に出逢ってしまった、いや、取り憑かれてしまった、どうしようもない凡人の考えに過ぎない。受験結果次第ではこの考えもコロリと変わるかもわからない。けれど、たとえ変わったとしても、未来の私には、24歳の冬にこんなことを考えていたという事実を、決して否定しないでほしい。今から書くことは、私の闘いの記録でもあるのだから。






中身のない知識人には、絶対になりたくない、と思うのだ。


たとえば、学費を稼ぐために、必死に固定バイトに加えて日雇い派遣の工場での夜勤や年末年始のバイトをしていた短大の頃、私は教授が講義中に口にするペットボトルのミネラルウォーターすら、腹立たしく思っていた。クリスマスの時期に中庭に飾る、イエス様とマリア様のイルミネーションを見て、ああ、学費が光ってる。そう思っていた。


今考えれば、とんでもなく精神が荒んでいただけ、とある意味ものすごく笑えるし、あの頃の私の感情を一生理解も共感もできないままに生きていくひとたちなんて、きっとたくさん、たくさんいるんだろう。


でも、私は、あの工場で見た景色や、投げつけられた数々の暴言、ダンボールで切った指の傷口を、決して忘れられないし、忘れないと心に誓っている。


なぜなら、あれを忘れずして、いや、経験せずして語る知識人の、グローバル社会だとか、フェミニズムだとか、学歴社会だとか、若者の貧困について、苦い気持ちが拭えないからだ。私が働いたたくさんの工場の倉庫は、社会学の宝庫でもあった。それをこの目で見て、この手足で働いていたあの頃、ちっとも頭使う余裕なんてなかったけれど。



もっと別の例でも言おう。
恥ずかしいことに、私は血の繋がった兄の障害の定義すら知らない。
電車とバスを乗り継ぎに乗り継いでやっとのことで辿り着いた、山奥にあるコンクリートや鉄で囲まれた、津久井やまゆり園の門の前で、障害者を社会的、文化的な視点で捉え直すなんてこと、考えもしなかった。(障害学の定義参考:http://www.knowlec.com/?p=2577




知識や語彙、読解の力で言えば、私は全然足りないし、何も大きな声で語れることなんてない。志望している大学は、偏差値が高いわけでもない。地頭なんてもちろん、あるわけない。

まあ、それでも、これから本格的に学問、特にも社会学を勉強していく身として、きっと少しずつ今より多くの固有名詞や理論、社会の仕組みをマクロ的にもっともっと知ることになるだろう。知らなかった頃にはもう戻れない、だから知らないうちに書いておく。





もっともらしく聞こえるような話し方や、論理にかなった綺麗に書ける文章力、合理的で端数の出ない計算能力なんて、要らない。


空虚なプライドしか見えない学者の言うことなんて、私は信じない。


私が言いたいのは、学問を修めるということは、それだけで、一種の権力を手にする、ということだ。サバルタンの身になって代理として語ることはできても、知識人は知識人であるゆえに、語れるゆえに、もうすでにサバルタンではないのだ。それを理解しないままに、悪意のないままの代弁者ほど、私を苛立たせ、絶望させる者はない。



当然、本や論文、新聞記事を読むことは非常に大事なことだ。私だって短大生の頃、それらによって社会学への扉を開いたわけで、しかもそれによって救われてきた。スピヴァクやレイチョウの著作を机で読んだときの衝撃は、今でも私の精神の拠り所だし、彼女たちが抱えてきたジレンマを、今の私も辿りながら、必死にもがいている。彼女たちがアメリカの大学の教員であることも、私がこの記事を書くことも、すべてがブーメランになるという沼は、もうしばらく出られそうもない。



でも、それだけで、社会を知った気になってはいけない。世の中は社会に対する自分の違和感や苦悩を語る気力も、勇気も、時間も、言語力も、無い人たちのおかげで、今この瞬間も動いているのだ。私が今着ている服も、あなたが食べているそのおにぎりも、彼女が今捨てた化粧品の箱も、全部。


社会学って、そう考えると、ものすごく凶暴な学問だよな。とんでもない学問に出会っちまったな、私。さ、がんばっちゃお。