え ん

人生は連鎖する、

I don't want to be a star, just yet.

 

 2月に突入しましたね。Februaryって、罪滅ぼしって意味があるそうですよ。知らなかった? 皆さん身も心も清める月にしましょうね。笑

 

2月ということは、もう既に1月が過ぎたということです。もう2017年の1/12は終わっているのですね。今日は5日だから、もう約90.4%しか2017年は残っていません。この間に2017年の目標を達成し、成長し、2018年に進むための準備をしていかなければなりません。

 

昨年の最後の更新で、2017年は「続ける」ことをテーマに掲げたのですが、うん、この目標は間違っていなかったと思っています。兎にも角にも継続力というものが、今の私に最大に必要な事項なので。

 

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とは言うものの、何でもいい、とあまりにザックリとした書き方しかしておらず、1月に入ってからも実のある文章があまり書けていなかったので、今回は残りの約90%を如何に生き抜くかという抱負を書いていきたいと思っています。

 

昨年は、周りの環境が大きく変わり、それに順応することであっぷあっぷしていました。もちろんそれだけでも十分過ぎるほど大きく前進した年であり、私自身としても満足しています。2015年の頭に盛岡の大通りを歩いてぶっ倒れていた私が、2016年のクリスマスイヴイヴに中目黒や新宿をにこにこしながら🖤ひとりで🖤歩き回っているのですから驚きです。そして吉祥寺の焼き鳥屋で生を3杯飲んだあとに平気で夜行バスに乗っちゃうんですから、人生というのは何があるのかわかりません。

 

 

さて、このように2016年は人生を上向きにさせるファンドを構築できた年だったので、2017年はそれに少しづつ肉付けをして、2018年からの新生活に向けての準備を完璧にする年にしていかなければなりません。

 

① 英語

これねー。これなー。これよー。

この先の人生、私は英語科卒業という文字を背負っていくわけです。それにもかかわらず、TOEICがトンデモナイ状況なので、本当に早急にどげんかせんといかん。同じ必修を履修していた友人に3月の公開で600点を超えると宣言してしまったので、春休みは本当に英語漬け、エイゴリアンになります。というか、TOEICというのは、英語力というよりも努力数を見る指標だと私は認識しているので、ともかく努力を自他共に認めさせる良い機会だと思います。最低でも700点は超えないと、英語科と名乗れないと思うので、今年中に達成します。はいッ。

 

② 就活

前回のgdgd(←一度使ってみたかった)な記事で、就活を本格的に始めると報告したつもりだったのですが、改めてもう一度繰り返します。本気で就活をします。

ひとつめの影響が、『何者』という朝井リョウの小説を読んだことです。映画は観ていないのですが、私はこの作品、すごく好きです。米津玄師も大好きです。

ふたつめの影響が、最近このblogにも登場している、「とあるひと」の存在が大きいです。残念ながらカレシと呼ぶわけにはいかない方です、が。彼からやたらとガツガツ叱られたりワシャワシャと褒められたりするようになって、自分の精神基盤が少しづつ安定してきました。

 

 

とあるひとに、「勝ち癖をつけろ」と言われた。

✔️きみ、本当は二本の足で歩いて行けるくせに、ヒョンしたことで杖を使って歩いてみたらそっちがやめられなくなって、今もそうやって杖ついて歩いてるけど、そのツケって必ずどこかで回って来るんだからね?
✔️きみ、自分の力を試したことでの苦労したことないでしょ? いい加減楽するのやめたほういいよ。

 

他にも、

✔️わかってもいないのに、見てくれだけでも良く見せようとするのは時間と努力の無駄。

✔️きみはものすごく卑怯だよ。自分だけ逃げてきたくせに偉そうなこと言うな。

✔️説明が出来ないのなら理解しているとは言わない。口出すな。

✔️ベストを尽くしたことないやつが頑張る頑張るなんて言ってるの聞いて、誰が信じようと思うの? 自分だけ苦しそうな顔して逃げて来ただけなのに、甘いんじゃないの?

 

なんて、過激発言。

その度に悔しくて悔しくて泣いたり喚いたり言い訳したりしているのですが、本当に今このひとに知り合えて良かったと思っています。たぶん、この先愛も優しさもカケラとして無い上司や会社のひとに同じようなことを言われたら、私の二十代、というか人生ずっと、十代と同じことを繰り返すだけだったと思います。今、ここで耐性をつけるきっかけをくれることに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そういうわけで、この一年はちゃんとリクルートスーツで身を包んで縛られることにしました。今段階で、また福祉業界にリターンする決意をすることは、私にとってはただの甘えで逃げでしかありません。それは福祉業界が嫌だとかじゃなくて(むしろ逆だ)、いろんな世界をともかく見ずに、自分のことを論理的に分析しようとせずに、私にできることは福祉、介護しかない、とそっちの方向に歩くことはしたくないということです。多分、言い訳が上手な人間になるだけなので。

ちなみに先日のインターンで、グループ代表に選ばれたりしたことも、自信がついてきた要因です。一生に一度くらいは、意識高い系(笑)と言われてでも成功体験を身に染み込ませようと思います。

 

 

③ 卒論

文系の大学生は卒論をガチで書かない、と理系のひとに揶揄されますが、それなら私は例外者として精一杯書きます。他大学の先生とアポイントが取れたり、社会調査できるような機会にも恵まれたので、学会に認められるような論文を書いてみせます。絶対に書いてみせます。

 

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④ 暮らし

 ①から③を見てわかったと思いますが、相当忙しい年になりそうです。

精神的な調子については手書きの手帳を通じてしっかりモニタリングを堆積させます。きちんと今の立ち位置を理解して、それに相応する行動を心がけていこうと思います。

自炊や掃除は意外と調子が良い時こそする習慣があるので、「料理アルバム」というアプリを使ってモチベーションを高めていきます。ねえ未来の私、私は花嫁修行するべきなのかな?笑

お茶やコーヒーを、一日一回はゆっくり淹れて楽しむ時間が作れるようにしたいです。お茶を淹れて飲むって、本当に、この習慣があるひとにしか理解できないほどの充実さがあると思います。バイトもかなりヘビイに忙しいと思うけれど、未来の自由への欲望だけは自分を解放させてあげたいと思います。過去はもはやよく憶えていないせいもあるけれど、もうどうでも良いのです。過去の私に声をかけられるとしても、ハイハイサンキュー😛、としか思いません。

 

 

 

そうそう、タイトルは中学時代の英語弁論大会での最後のセリフ。

なんかふと思い出しただけで、特別な意味があるわけではない、、、よ。笑

 

 

 

全ては、より良い生き方のために。

プライドは脱ぎます。スーツは着ます。

 

就活を真面目にすることにしました。

 

 

正直、超がつくほどやる気がなかったけど、本気でこのままだと自分は一生かけても同じことをまた繰り返すし、また同じような結末を迎えて本当に変われないどうしようもないやつになる、と気づいた。覚醒した。

馬鹿みたいに今更だけど、とにかく登れるところまで登り切る。ベストを尽くし切る。

 

 

 

それと、TOEICの点数が未だ600点をいかないカスなんで、春休み中に逃げまくっていた問題集と親友になる。3月に自己最高点を叩き出す。

あと、個人研究のほうも結構活動的に動けている。脚を使うからこそ社会学と呼ぶに値する研究だと思っている。

バイトも二月から本格的に始める目処が立ったので、とにかく稼がねば。就活も勉強も研究もとにかく金がかかる。やると決めたからにはやる。

 

 

 

今まで、自分で自分をダメだなあ、と思ったことは百億回くらいあって、その時間を使って地球を3周くらいできた気もするのですが、ひとからそれはダメだよ、と強い言葉で言われた経験はなかったー。

私の見えない背景を説明する余地もなく、頭からげんこつ鼻を叩き折られた私は、本当にどうしようもなく悔しくて悔しくて、ものすごくものすごくものすごく悔しくて、泣いた。

正論なんて最初からわかってる。「でも」私は今までだってずっとずっと頑張ってきたのよ。

逃げてきた現実を直視してこなかった。臭いものは蓋をしてきた。「でも」私は取り扱い注意の人間だから、最初から最後まで優しくし続けて欲しかった。

都合が悪くなると言い訳してきた。環境が変わっても自分が変わらなきゃ何も進歩しないことくらいわかってた。「でも」進歩や成長なんてどうでもよかった。

 

「だって」今のままでいたほうが、このままのほうが、楽だから。

 

そう、全部全部全部わかってる。

全部わかっているからこうやってblogも書いてきた。自分の思考を整理しようともがいてきた。必死になってより良い自分を知ってもらうために頑張ってきた。

 

だけど本当は

私は自分を知ろうとなんかしてなかった。

本当は説明なんかできないくせに、理解したフリして自分も他人も社会も語ろうとしてきた。論理の破綻や私的なコンディションの都合に合わせて静かに豪快に去る卑怯者だ。

 

 

私は努力したことも集中したことも継続したこともない。

 

このままこのチャンスから逃げ出したら、何も変わらない。

それでも道はある? ふざけるな。ベストを尽くしたことのないやつが偉そうに人生哲学を語るなあほ。

 

 

まず、二月は死ぬほど失敗して恥をかいて怒られて笑われて貶されること。

それでためになることだけをメモして記録して、あとは水に流す技を身につける。

恥ずかしいなんて思うような小さなプライドさっさと捨てて、今後の私が大きな誇りを持てるように、今は必死に訓練だ。鍛錬だ。

 

 

 

明日、インターン行ってきます。

 

 

 

 

 

 

何となく衝動的な気分ですし


キャラを作っているように思う、とある人から言われて、すぐに反論をしようとしたということは、それはやっぱり真実だったからなのか。

正論というのはいつだって人の心を揺さぶりかけてきて、台風のような見る影もない傷痕だけを残していく。私は今、とても痛いと感じている。

私が私になる上での根源的な原因をひとつふたつと指折り数えて、またしても動揺し、戦慄し、疼く痛みに甘んじようとしている自分が今ひどく情けない。何をやっているんだ、何をやってきたんだ、、、焦るだけで前へ進めない。キーカラカラ、キーカラカラ。たぬきの糸車を思い出す。


どんなに汚れを隠そうとしても、見てくれだけでも良くしようとベッドメイキングに精を出しても、結局全て痛々しいだけだ。やるのならシーツごとリネン交換しなければ、、、


キャラを作ることに必死なのか、出来てしまったキャラを崩壊させることを目指しているのか、自分でもよくわからない。

でも、私がひどく軽蔑し、嫌悪感を丸出しにして忌々しく思っていた頃の自分でさえ、振り向いてくれる人は確実に居るわけで、強ちその頃の自分を100%批判するわけにもいかないらしい。そして、その頃の自分が犯した間違いによって、今も尋常じゃない痛みに苛まれている私は、100%その頃の私を愛したり感謝の言葉を粋に伝えたりすることが出来ない。でも、20%とか38%とか50%とか79%とか91%とか全くよくわからない。私は数学が苦手なのだ。

純真さがなくなった、と年末に母親から言われた。そう、私はドリーマーからリアリストに没入した代わりに、無垢に笑うことが出来なくなった。何かしらの裏を嗅ぎ取ることが上手くなったことで、表向きの装飾品さえも興味を失った。

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ポジティヴなひとがとても羨ましいと思う。

でも、自分がポジティヴであることに自信を持ち過ぎて、ひとにまでポジティヴであり続けることを要求するようなポジストになるくらいなら、私は今のまま永遠にネガティヴに生きていたほうがマシだ。たとえ暇人で楽をしたがるだけの怠惰な消極的思考者と揶揄されたとしても。私は自分以外の誰かを、悪意がないまま傷つけてそのまま平凡を生きることができるほど強くない。非凡になった者は非凡な道しか残されていないのだ。特にこの世に産み落とされたその瞬間から非凡な私には、「普通」なんて言葉の意味を辞書や本で勉強しても実感が湧かない。

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ああ。やりたいことがわからない。

本当はたくさんあるはずなのに。

素直になろうよ、自分。サングラスなんて外せよ。なあ。

個人研究を進めるにあたって

 

ゼミの発表が終わり、これから約一年にわたって個人研究に入ります。

その内容は、実は随分前から私は決めていたのですが、ようやくそれに関する文献や資料を読む気になってきました。まだ学術的な知識がほぼ皆無の状態なのですが、だからこそ、今しか書けない気持ちを書いていきます。

 

 

 

 

その内容は、相模原市で七月に起きた障害者殺傷事件のことについてです。

なぜこの事件について研究しようかと思ったかというと、正直に言ってあまりカッコいい理由はありません。ただ、どうしても、やりたいのです。知りたいのです。それだけです。

 

 

 

でも、知りたい、と思っていた割に、私は知ることがとても怖かった。

前期の試験やレポート提出で追われている最中だったにも関わらず、私は毎日のようにiPadや新聞でこの事件についての記事を読んでいました。

夏休みに入って、私は真相を探ることを諦めました。こんな薄っぺらい液晶画面を眺めていたところで、紙をぺらぺらめくっていたって、私には何もわからなかった。何も伝わってこなかった。精神論なんて私には要らない。とにかく、何も知らない私は、この事件について語る権利はないし、犯人を闇雲に糾弾することさえできない、そう思ったのです。

 

そうして、真夏日に、安い竜胆の花を片手に、実際に施設を訪れました。

そのときのことは、まだ私はここに書くことはやめておきます。ただ、私は実際に行かなければわからなかったたくさんの現実を目の当たりにし、絶対にこの事件のことを長期的に考え続けていこう、そう胸に刻んだのです。

 

 

しかし、

実際のそれからの私は、逆でした。

むしろ、この事件に関するニュースや知識人たちの意見を、なかなか耳を傾けることができなくなっていたのです。

もちろん、私にはこの事件のことを調べるほかにもやることはあって忙しかったり、全く無関係なことで落ち込んだりしていただけ、という見方も十分にあるのですが。ともかく、この事件に関するあらゆることから、私は「意識的に」遠ざかるようになってしまいました。

 

 

 

もちろん忘れたわけでは決してありません。

兄の笑顔を見る度に研究への意欲は高まったし、私のLINEのアイコンは、施設のそばのバス停で撮影した、真っさらな青空の写真のままです。いつだってこの事件を片隅に置きながら、私は目を背けていました。知りたいけど、知りたくなかった。

 

 

 

 

そして、ようやく、ゼミで個人研究を進めておくよう御達しがあって、最近になってこの事件に関する文献を読む気になれたのです。なるほど、緊急企画としても、いろいろな本がすでに世に出回っていました。

 

 

 

まず先に言っておきますが、私はまだこれらに手を伸ばそうという気になれただけで、具体的にこの中身について論じることはできません。そこまで深く読み進めてもいません。ごめんなさい、これから頑張ります。

 

 

 

 

相模原障害者殺傷事件 ―優生思想とヘイトクライム―

相模原障害者殺傷事件 ―優生思想とヘイトクライム―

 
相模原事件とヘイトクライム (岩波ブックレット)

相模原事件とヘイトクライム (岩波ブックレット)

 
生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの

生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの

 
季刊福祉労働153号 特集:相模原・障害者施設殺傷事件--何が問われているのか

季刊福祉労働153号 特集:相模原・障害者施設殺傷事件--何が問われているのか

 

 

 

 

 

 

 

ただ、私、不思議なんです。

 

こんなに多くの人たちが、事件が起きてこんなに早くに、「緊急企画」として、言葉を紡ぎ出せていることに。

私は、今でも、目を背けたい。事実から逃げだしたい。こんなことはあまり言いたくないけれど、もしも私の兄が事件の被害者だったのなら、私は本当に狂っていると思います。

 

 

ナチスドイツの優生思想だとか、ヘイトクライムの具体的な定義だとか、障害者の権利や尊厳だとか、そんな難しい言葉の羅列を、私はまだ飲み込めずにいます。そして、必要のない命は存在しない、とか、障害者だって頑張って生きている、みたいな綺麗な耳当たりの良い言葉を並べられるほど、私は強くありません。 申し訳ないけど、私の兄ちゃんは、多分「頑張って」生きようとなんかしてないから。

 

この事件が起きてしばらく経ったとき、私はゼミ教授に、先生はこの事件についてどう思うか尋ねました。すると、「日本でもこんな事件が起きるなんて私は思わなかった」とかなり衝撃を受けたとのこと。

でも私は、規模の大きさの違いなだけで、今までこの事件の類は数多くあったことを知っているし、加害者のような思想を持った人間は、私たちの身の回りに、すぐ隣に、確かに存在することを、声高に叫びたい。

 

 

私はだめなやつだから、ここに書いておかなきゃ、ここで誓っていなきゃ、やらないまま終わってしまいそうです。流してしまいそうです。そんな自分が怖いから、宣誓させてください。

 

 

私は、約一年の卒論執筆をかけて、この事件に関する、メディアの報道や研究者たちさえも取りこぼしていそうな、社会の「現実」を直視することを、ここに誓います。

 

 

たまに弱音を吐きに、この題材をブログに取り上げるかもしれません。どうかあたたかい目で見守ってやってください。

 

 

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戦わない試合には、勝てないのだ。

 

今私が抱えている感情を、嘘偽り誤りなく目を背けずここに文章化できる自信なんて、いつだって私には無い。語彙力とか表現力以前に、私は私から逃げ続けているからだ。私は逃げたい。逃げたくて堪らない。逃げたい逃げたい逃げたい、いつも頭の片隅でその四文字が踊っている。

 
だから、今から書く文章も、結局のところ相も変わらぬ現実逃避になるのかもしれない。そんなこと今はわからない。わからないけど、出来るだけきちんと自分を曝け出したいと思う。
 
 
 
今の私の最大の短所は、自分にものすごく都合の良い考えしか受け入れられないことだ。大なり小なり、それは私に限らず殆どのひとたちがそういう傾向はあるのだと思う(信じたい)。だけど、特にも私の場合、少しでも自分と相容れないと感じた相手や考えを、多少捻じ曲げてでも自分の領域に入り込ませないよう努めている。
 
 
たとえば、この記事は正直、最初書いた当時は結構自信に満ち溢れていたというか、自分のこの考え方こそを大切にしたいと信じて疑っていなかった。しかし、同じような話をオフラインの場ですると、あまり良い反応を受けないことが多い。それこそ、自分の周りだけしか見えてないんじゃないの? なんて言われてしまう。
 
なんというか、ひとを自分より上か下かでしか見られないとある友人のことを排他的に見ている私は、ひとのことを自分の味方か敵かでしか判断、評価できていないことに気づかされてしまったのだ。
 
 
 
あと、私のありとあらゆる言動や行動は、「許されたい」という言葉に置き換え出来る事実にも直面している。
誰に許されたいのか、何を許してほしいのか、具体的なことはその時々によって異なるし、そのひとつひとつら一過性のものであるように感じる。
ただ、
「恥ずかしい」「わからない」「反省している」
だから
「許してほしい」
と常々根底的に思っている自分は、早急に直すべきだ。これは、安直なだけじゃなくて危険だ。なぜならこんなこと、みんなにはきっとモロバレなのだ。片腹痛し。
 
 
とは言うものの、私という生き物が、何か特別に欠落したものがあるとか、私だけが社会のなかでディフェクトであるとか、そういうわけでは決してないことを、ようやく実感していることは私的に大きなことだ。
これは、私に欠落したものがないというよりも、みんなどこかしら欠落しているんだな、ということだ。病名がついているかついていないか、或いは病院に行っているか行っていないかの違いなだけで、どこかひとには隠したい闇が誰しもにあるようだ。深夜にやっているようなドロドロ恋愛ドラマとまでは言わないまでも、みんな結構病んでいる。それを自他ともに認めているか認めていないかの差なだけだし、ぶっちゃけ認めていても認めてなくても、全然構わないし、どうでもいいんだと思う。
 
 
 
 
 
それにしても、岩手に帰省して良かった。
私は決して友人が多いわけではないし、年賀状とかあけおめLINEもほぼほぼ皆無に近いのだけど、本当に心から宝物と呼べる親友、ただいまと言える空間がそこにはある。親友の定義なんて明快に語れるほど世間も知らないけれど、とにかく岩手には私を待ってくれるひとがいるのだ。私と共に歩いてくれるひとがいるのだ。それだけで私は良い。それだけで私はここ神奈川で生きていける。
 
 
 
とあるひとに、「勝ち癖をつけろ」と言われた。
 
 ✔️きみ、本当は二本の足で歩いて行けるくせに、ヒョンしたことで杖を使って歩いてみたらそっちがやめられなくなって、今もそうやって杖ついて歩いてるけど、そのツケって必ずどこかで回って来るんだからね?  
✔️きみ、自分の力を試したことでの苦労したことないでしょ? いい加減楽するのやめたほういいよ。
 
正直に言って、私のバックグラウンドや過去を直接見て来たわけでもない知り合って間もない人間に、かなり的を射た正論やアドバイスを受けるのは、精神的に結構来る。お前は私の何を知っているんだーーー、なんて言いたくなる。けれどそれを言わないのは、そのひとが私という存在のことを心の底から想っているということが伝わって来るからだ。
 
 
 
完璧なひとは居ない。
だけど、それが完璧を目指さなくても良い理由にはならないんじゃないか。
そもそもどんな状態が完璧であるのか、完璧になったところで幸せになれるのか、私にはわからない。でも、それが数値で表されるものだったら、やっぱり出来る限り上の数値を狙いたいし、数値で表せなくてもやっぱり自分のなかで納得出来る地点に行きたい。居たい。
 
どんな時も、私は私で生きていくのだ。 私は誰にもなれやしないのだ。私のなかに散らばるガラクタも、眠っているタレントも、私だけの大切な宝物なのだ。