楽観的なペシミスト
可愛いでしょ。🐱自慢したかったの。ふふ。ふふふ。
私はとってもマイナス思考なひとなんだけども、そういう自分のこと、最近は別にきらいじゃないんだ🌝ってはなしをします。
なんて言うのかな、
ものごとを悲観的に捉えているほうが楽ちんなんだよね。うん。
こいつに裏切られるぞ、こいつは離れていくぞ、そう思っていたほうが、ほんとうにそうなってしまった時の傷痕は浅くて済む。ああやっぱりそうだった、って自分を納得させやすい。
そんな感じで、結構今までずっと身構えちゃって生きていたんだけど、今はちょっと違う意味で悲観主義者。
本来の意味的に、厭世的な気分で、「へっどうせこの世なんて‥‥😏」みたいなニヒルな笑みを浮かべることともちょっと違う。
でも、ちょっと諦めにも似たような気持ちで毎日を生きるってことは、そんなに悪いことじゃないと思うんだ。
負けて元々、だめで元々、
人生はガチャガチャみたいなもの、
たまたま目をつけていたものに当たったり、意外とおもしろいものに当たったりしたら、めっけもん♫♫みたいな、
元来は超完璧悲観主義者なんだけど、そんなネガティヴなところから、暗いところから、どこかで楽天的な気持ちを見出すってことは、わたしにとって結構大事なスキルだったり。
私はもともと頭が良いわけでもないし、容姿に恵まれてきたわけでもないし、何か芸術に秀でていたりするわけでもない。
だから、人との関係や未来への先を見越した決断とか、いろんなことを計算することはとても苦手だ。すぐにメンヘラっちゃうし。笑
だから、それなりに無い頭を使って考えたり打開しようとしたりする努力はしてきた。自分のすべてのパーツがグレーゾーンに位置するからこそ、こんなんじゃ嫌だ、もっとキチンとしなきゃ、やらなきゃってもがいてきた。
でもきっとその努力って、方向性が少し違っちゃっていたんだと思う。
同じ努力数でも、方向が間違っていれば、打開なんて出来るわけないんだ。アタマが悪いから、そんな当たり前のことを身に染みて理解するまで、こんなに時間がかかっちゃったよ笑
でも、そうやって、他の人は淡々とこなせちゃうようなこともいちいち立ち止まったり、悠々と乗り越えられるはずのハードルにコケて傷だらけになったりする自分のことは、嫌いじゃない。
そういう不器用でなーんも取り柄がないからこそ、不器用でなーんも取り柄がない人の気持ちがわかるから。
そんな感じで、理解しあえる仲間も、尊敬する先輩も、応援してくれる後輩も、そしてきちんと諭してくれるひともいる。
だから、このメンヘラチックな痛いペシミストで良かったと思うし、この先も、自分の思うままに軌道修正しながら、生きていこうと思うのであります🙋🏻
軌道修正、って大事だと思う。
このいまのキャラクターや信念を押し続けるってわけじゃなくて、
ひとから言われたこととかを、自分なりにしっかりと納得したうえで、自分のなかにもう一度取り入れ直すっていうのは、ほんとうに大事。
それはちがうよ、そっちに行っちゃだめだよ、って、無視をしないできちんと呼び止めてくれる人がいるって、本当に幸せなことだと思う。
頷きマンになるわけでも、我を貫き通すわけでもない、しなやかでささやかな🎋bamboo grass🎋みたいな生き方を、していこうと思います。七夕生まれだから。笑
と、
いうわけで、
私は、私らしく、バッタンバッタン行き当たりばったりながらも、私の夢を、叶えるぞー。見てろよ😎👀👁
p.s.
ブログは、気が向いた時に、思う存分、気が向いた文調で、気が向いた内容を、気が向くままに書きまする👯