2017/11
並々ならぬ疲労感/普段乗り慣れていない会社の夜行バス/恋愛はまだできないと再認識/包丁で左薬指を切る/メガネを踏みつけて2週間後に新調/休むことに罪悪感を抱いているようならまだ頑張れる/結局守ってくれるのも支えてくれるのも自分自身だ/久々に45歳上の友達と再会/少し違和感私が私の人生を生きている証拠か/奨学金返還毎月定額でいけば37歳までとのこと/"To live your better life, you can abandon your family. Be happy!"/ストレスや苦悩の矛先を食べ物に向けない/「眼鏡取りました?素敵です」/電気、ガス、水道がある幸せを噛みしめるシャワー&ティータイム/人の表情は自分の鏡/自分の言葉は自分が一番聴いている/姿勢を伸ばす習慣/自分で自分の履歴書が汚いと思うようなひととは一緒に居たくない/たとえ最下位でもゴールする/如何に自分を楽にしてあげるか/周りのみんなが自分を応援してくれたことを後悔させたくない/SOC理論(選択、最適化、補償)/上手に歳を重ねていくということ/自分の言説によって自分の富が上昇する暴力加担/楽しくないのに笑う辛さと笑っているうちに楽しくなってくる幸せ/スマートな女性は口を挟まない/私はもっと自分を磨いていく
というように、月末にまとめの記事を書く習慣へ。
来月末はそもそも年末だけど。
12月は11月に引き続き、非常に多忙。全休日まであと20日。
出来れば今年中にもう一度美術館に行きたい。研修後のカタンも楽しみ。同期とのランチも楽しみ。下旬に友達呼んでサシで宅飲みする予定。楽しみ。たくさん楽しいことを考えて、周りも自分もハッピーにさせつつ、部屋をこまめに掃除洗濯して、少しずつへやのものを減らしつつ、課題や論文を溜めずに、年末年始はガッッッッツリバイトする。楽しいことを素直に楽しむ。やり切ることは本気でやり切る。気持ちよく新しい年を迎えるための最終準備。
笑顔で楽しい気分でいる大切さを学んだのよ
お元気ですか。
私はとても、元気です。
書く、ということは、常に私にとって大事な営みの一つで、最近は専ら手帳にいろいろなことを書いている。日々の記憶を、記録する。その日勉強した講義の内容、友人と話した会話、今日の気分、健康状態、四月から働く場所の歴史、風土、今の課題とその解決法、、、それは、忘れないためでもあり、忘れるためでもある。たとえどんなに孤独な夜が待っていても、私にはペンと紙と、少しの音楽があれば、乗り越えられる。今は、そんな気がしている。
孤独、という言葉を今、私は使ったけれど、私は今、全く孤独ではない。
最近、特に友達が増えた。友達、という定義について深く考え込む真似はしない。私が好きだと思い、私を好きだと言ってくれるひとが増えた、ということだ。とても進歩的だと思う。
淋しさはいつだって私の隣に座っている。先のことを考えても、過ぎ去ったことを思い返しても、悲観しか残らない眠れない夜だってある。
それでも、私には、今、居場所がある。
明日の予定があって、私を待つ友人がいて、こなすべきタスクがあって、帰る場所がある。
幸せなことだな、と。
タイトルは、1人の友人から教わったこと。
私はもともとポジティヴ、外向的とは程遠い人間だ。けれど、それが故に、笑顔でいること、自分も周りもハッピーな気分にさせることが、本当に大切なのだな、と。 元気でいると、みんなも元気になる。ひとに心配されるより、応援されることが、こんなに素敵なことだなんて、私は今まで知らなかった。
挫折や苦悩は、ひとを強くも弱くもするが、必ずひとを美しくしてくれる。強い人も、弱い人も、強くなりつつある人も、弱さに打ちひしがれている人も、みんな、美しい。私の大切な友人たち、一人一人のことを考えながら、私はその美しさに圧倒される。そして同時に、私も彼女たちと同じくらい美しい、そう思える。
サイン
ちょっと気に入っている。
縁と約束と、諦観。
Actually, I had wanted to behave gently and happily against you...
土曜に内定式を終えた私は、このまま行けば4月からあの土地で働くことになるらしい。そう、まるで、新宿駅にある動く歩道みたいに、私がいくら立ち止まっていたって、事はどんどん進んでいく。景色は変わる。
私は、確かに、変わったのだと思う。
諦観、と言うべきか。
どこかで何かを捨てたのかもしれない。
私は今までずっと宝物だと信じていた何かを、どこかに捨てた。おそらく、落としたのではない。意識的に捨てたのだ。でも、それは何だったのか。思い出せない。夢から覚めた時のように、思い出せない。
他者に時間を委ねることを、はたらく、というのかもしれない。
縁、というのは聞こえがいい。
人と人との出会いは、いわゆる、人生という名の線と線の接点だと私は思っている。どこでどんな線と線とぶつかり合うかはいつだって未知だ。もし今の私なら、あの頃出会ったあの子ともっときっと上手くやれた、そんな感覚は、いつだって持ち続けるものなのだろう。
縁。この言葉がとても好きだったはずだ。
もし自分に娘が産まれたら、縁、と名付けたい、そう思っていたほどに。
でも今、私は、その言葉に寄り掛りたくない。
努力しなくても、がんばらなくても、あと一歩踏ん張らなくても、人生は続く。その時に出会ったひと、場所、それさえも確かに縁だと思う。それはそうだ。そこからまたもっとより価値のある縁に結びつく場合だってある。そう、わかっている。
でも、私は、その言葉に寄り掛かって、逃げ道にしたくないのだ。
心の底から想っている今の私の大切な縁が、薄れてしまう気がするから。
約束、という言葉が怖い。
約束。その遂行日まで、自分が生きている保証もないのに、人はいつだって約束する。3月29日、入社式。
約束を従順に守ることが信頼への貯金になる。相手が約束を守らなければ、その相手を責め立てる権利を得られる。約束、約束、約束。約束という言葉は、いつだって戦争の勝者によって変えられる。歴史の教科書は、いつだって勝者によって描かれる約束と隠された約束で出来ている。
諦観、と呼ぶべきものなのかもしれない。
私は、今、ぶつかったこの線との約束を、果たさなければならない。
雑記
スマートフォンで打っているからか、ひどく久々に更新する気がする。
最後の大学生活はそれなりに順調。
昨日のゼミで、卒論の途中経過、最後の発表だった。正直、私はこの卒論を通じ、多くの研究者の誤った見解を痛烈に批判したい、なんて傲慢なことを考えていたのだけど、レイ・チョウの本を読んで少し考えを変えた。
しつこいけど再掲。
- 作者: レイチョウ,Rey Chow,本橋哲也
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