え ん

人生は連鎖する、

写真の位置の指定の仕方がわかりませぬ。

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部屋も片付き、気持ちも落ち着き、課題もとりあえずリズムを取り戻し、バイトはつらぽよそうだけどまぁ今は考えないようにして、って感じでとりあえず元気になった詩織です👏🏻😎   ヨカッタヨカッタ。



実は今日、

大学で知り合った友人を初めてアパートに呼びました。

大好きな台湾茶をご馳走して、るんるんです。るんるん。るんるん。











ところでみなさん、

グリーンカレーって知ってますか?(唐突)



あれ、

この前、本格タイ料理屋さんで初めて食べて、もーーーめっちゃ美味しくて大好きになったカレーなんですけどね。やっぱもう一度食べたい、でもあのタイ料理屋に一人で入れるほどお財布の中身は甘くない(グリーンカレーも甘くない)ってことで、無印良品で購入したわけです。



うーーーーーん。

うーーーーーん。

うーーーーーーーーーーーん。


タイ料理屋の前に食べたかった味だなぁという当たり前の食レポ。うん。



こーゆーこと、前にもあったんですよね。

昨年末、私が元彼のアパートで一人やさぐれていた時、親友が遊びに来てくれました。


彼女は秋田の大学に進んだということで、秋田の有名な日本酒(春霞)を持ってきてくれたんですよ。私、日本酒初めてで、それを飲んでめっちゃ美味しい!!!!って感動して。こんな日本酒って美味しいの??みたいな感動を果たしてからしばらく日が経ったある日、居酒屋さんとかのふつーの冷燗飲むと、、、


うーーーーーん。


みたいなね。

(ちなみに岩手の南部美人も美味しいよ!秋田の方が好きだけど!笑)






こういうのってよくあると思いません?


最初のうちに本格派のものを知ってしまうって、そりゃ素晴らしいし良いことなんですけど、そのあとのいろんな味や価値を楽しめなくなるみたいな。本格派の前にその味を知っていたら、どちらも楽しめたはずなのに。




なにが言いたいかよくわからんな。

とりあえず

私は上流階級生まれのブルジョア育ちの人間じゃなくて良かったです。これからいろんなことを自分の力で楽しめそうな気がするから。それだけ。



ちなみにウイスキー大好きです。ビールを毎日買うサラリーマンとさしてコスパは変わらないと思うから、ゆるしてください。笑




詩織、バイト決まったってよ。

 

 

 

土曜に電話して、日曜に面接して、水曜に決まりました。

超高級老人ホームのレストランのウエイトレスとして、五月の下旬あたりから働きます。自立されている方々なようなので、食介とかはなさそうだけど、時給に見合う努力をします。頑張ります。

 

でもテストもレポートも課題もプレゼン原稿も終わりません。読まねばならない文献が積み重なっていく恐怖。誰だ、文系大学生はヒマだとほざく人間は。そこの君か。じゃあ後はよろしく頼んだよ。おやすみ。

 

 

 

ああ

人間、不幸でいるうちは幸せだよなあ。ほんと。

 

 

書きたいことあるけどまとまらない。

最近、いつもにまして不眠症でございます。頑張るよ。

 

 

 

 

未来の自分のための備忘録


駅前で、某大学生たちが、大きな声で熊本地震被災者のために、募金活動をしてた。
みんな、きらきらしていた。凄いなあって、素直に思う。
私は、学校の看板を背負ってまで、そういう活動をする勇気が無い。怖いから。

その活動が終わって、その活動のメンバーたちが階段を降りていた時、ちょうど私も同じ帰り道だった。
ふと横を見ると、大きな荷物を抱えた、ホームレスのようなおばあさんが、エイヤホイサと一段ずつ降りていた。
一人の大学生がそのおばあさんに気がついた時、彼女はあからさまにそのおばあさんを避けて、不愉快そうな表情をした。


私は何か違和感を覚えた。
でも、だからと言って、私がそのおばあさんを助けられるわけでも、救えるわけでもなかった。
そもそも、おばあさんは大学生にも私にも、もしかしたら社会全体にさえ、救いなんて求めていないのかもしれない。だいたい、その大学生を糾弾する権利なんて、私には何にも無いのだ。私は、表立った社会活動なんて、何もしていない。


前の記事でも少し触れたけれど、私は学生主体のボランティアサークルなどの活動を批判するつもりはない。むしろ、きっと大事なことなんだと思う。協調性とか、団結力とか、責任感とか、コミュ力とか、私が身につけなければならないものの宝庫だ。だいたい、私はただでさえ就職不利な履歴書抱えているのだから、そういうところで活躍するべきなのかもしれない。

でも、
何か、引っかかってしまうんだ。
何かが私を止めるんだ。

 

話は少し変わるけど

『保育園落ちた、日本死ね』っていう匿名ブログを発端に、保育士の給料が少し上がるところまで行き着いた。
羨ましいな、って思う。
そんな過激な匿名の発言が、多くの人に共感され、共鳴して、署名活動や国会の議論にまで発展して、総理がそういう決断をするに至ったのは、他でもない、そのブロガー以外にも待機児童問題に苦しむ母親が多い、つまり大多数の人間が抱える問題だからだろう。
それだけたくさんの人たちが苦しんでいるのは事実。私は母親になったことが無いから、なかなか共感しきれないけど、きっと大変なんだろうな。

でも、
それは、
きっと、
待機『児童』だから。

 


私の過去話なんて、つまらないし誰も興味なんてないだろうからあまりしたくないけど、
もし、私が、あの時、

 

障害者施設落ちた、日本死ね
ってこのブログに書いていたら、障害者施設で働く支援員の方々の給料は、上がったのだろうか。


特養落ちた、日本死ね
ってこのブログに書いていたら、介護職員や家族の負担は、少しは軽減されるのだろうか。

 

世の中は多数決だっていうけど、
もっと、もっと、何か深い根も、ここには潜んでいる気がするんだ。

 

 

 

この2つの話には、ひとつ共通点がある。

ただ単に、人間の心理的な問題だ。
なんとなく近寄りがたい人、つまり、自分や自分の周りとつながりが感じられない人に対してなら、人はどこまでも無情になれるし、無関心でもゆるされる。

そんなのは仕方がないことで、毎日流れる悲しいニュース一つ一つに、誰も彼もが共感して涙を流していたら、世界は回らない。みんなうつになってしまう。
でも、
仕方がないって、しょうがないって、どうでもいいって、受け流すこともあれば、
その通りだって、団結しようって、社会を変えようって、大きな組織となることもある、
この境目や価値観の差について、誰も教えてくれない。目を向けようとしない。

 


私は今、上の階に住む人の顔を知らない。性別さえ知らない。
隣の部屋の人が、学生なのか、社会人なのかも知らない。もしかしたら同じ大学に通っているのかもしれない。その人がどんな気持ちで朝を迎えているのか、どんなキャラクターの持主なのか、私は知らない。何ひとつ、知らない。

 

 

 

私は、まだ、この世のことを、何も知らないんだと、気づかされる。

机上の空論にならないように、私は私の出来る範囲のことを全うします。はい。

固有名詞を知る🐶🐙🐔🐠🐲

ハロー。みんなお元気ですか🙌

 

なんとか学校生活という時間や空間に慣れてきて、月曜から金曜までちゃんと通えています。前期はめちゃめちゃ緩めにしたから、ライ・ブラリイ君っていう彼氏とラブラブする毎日です。ふふふ、リア充🕶

 

 

 

 

ずっとブログ書きたいなあっていう気持ちは、心の片隅にあるんですよね。でも、うまく言葉がならべられないというか、こんなブログダレトクやねんってぐちゃぐちゃしてしまうんです。だから今のこの記事も、まったく脈絡のない単語の羅列なのですが、書くことをやめるのは思考を停止することと同じらしいのでキーボードを打ち続けることにします。

 

今から2年前も、ブログを書いていました。はてなブログよりもずっとマイナーなサイトで、ほぼ毎日更新していました。おい、ヒマなのかフレッシュマン🙈

そのブログは、大学を中退した後に削除してしまったので、もうこの世には残っていません。でも、ふとその時のことを最近よく考えるのです💃💃💃

 

私にとって5月というのは厄月で、私がこんな私になった原因はほぼ全て5月に起きたナニカ、というジンクスがあります。それに異常なほど執着していたのが今から2年ほど前だってことなのですが、なんというか、経験っておそろしいなあって思います。執着しすぎたせいで、そのジンクスが再び事実となって蘇り、ますます強固なものになっていくのです。

 

 

人生最大の絶望感に浸ってつゆだく大根🍢になっていたあの頃よりも、遥かに遥かに大きな絶望感からとりあえず立ち上がろうとしている今、思うのは、知識に対して貪欲でいたいということです。

 

 

 

 

生きていれば、結局のところ何かしらの経験を積むものです。私は去年の11月から1月、ほとんどんなんにもしない日々を過ごしていましたが、なんにもしなかったという経験が果たして無駄であったかというと、そういうわけでも無いのです。なんにもしなかったことによってどういうことが起きるのかってことも学べたし笑

学生のうちにアレもしなきゃコレもしなきゃって焦る必要もあまり無くて、長い長い人生という長い目で見た場合、そんな2年間(4年間)だけですべてを網羅する必要なんてないんじゃないかなとズズズッとお茶をすすっております🍵 勿論サークルやボランティアを全面的に否定しているわけじゃないよ🙆🏻🙆🏻

 

でも、知識というのは本当に大事だと思うんです。

知識を得る、というのは、つまるところ固有名詞を知る、と言い換えることが出来るようです。経験は焦らなくてもいいけれど、学生のうちに多くの固有名詞に出会っておくと、後々何かが自分の身に降りかかってきても、過度に驚かなくて済みます。勿論過度に驚いたり悲しんだりすることも経験の1つなので、抑制する必要は無いんですけど。

 

でも、経験しないうちは、知識って他人や自分を守ることにも繋がるんですよね。

たとえば借りる借りない別にして、奨学金のことに詳しくなっておくと、後々自分の子どもに適切なアドバイスが出来たり。心理学を齧ってみると、生半可な発言は出来ないなあってきづいたり。食糧や水不足について調べて、ふーーーん、とりあえずそういうことが起きてるんだなあって感じたり。今までも、そしてもしかしたらこの先も、自分の身には関係無い出来事だとしても、知るって大事なんじゃないかなって。

 

今世の中にある偏見や差別、争いって、要は知識だと思うんですね。べつにすべて一字一句正確に定義を語れるほどの完璧な知識である必要はないし、机に向かう行為だけが知識を深めるってわけじゃなくて、ただ純粋に、そーゆー歴史もあったんやなあ、そーゆー国もあるけんねえ、そーゆー人もいるんだべなあっていう固有名詞を知るだけで、学生のうちは心の許容範囲を広めることが出来る気がするのであります💁

 

固定した政治や宗教などの思想を持つことは決して悪いことではないし、信念を持つことは大事だけど、いかにせんそのことだけに集中するには、私たちはまだ若過ぎるのです。反対側の世界を知る、踏み入れる勇気を、私はこの2年間で身につけていこうと思います。

 

 

 

熊本の方々に、何か心に届く言葉や行動が、今の私には思いつきません。けれど、この、言葉にできないモヤモヤした感情を捨てずに日々を生きていくことが、今の私が出来る最大のことだと思っています。

 

明日もライ・ブラリイ君に会いに学校へ行く😍😘😍😘

長文がお好きなようで👾

どうもどうも、学生として早くも息切れモード全開な詩織です。丘の上にある👰天国👰アパートから下界へと降りて、そしてまた丘の上にある💀魔界💀学校まで歩いています。まあ15分くらいだけど👀

いやあ、ここまで事務の人や教授に知れ渡るなんて、私は本当に良い人柄の持ち主なんだなあ。おっほっほ‥‥‥(げほげほ😷😷😷)

 

 

ひとまずこの一週間を振り返ってみましょう🙌


⚫1日
TOEICだというのに、鉛筆を持ってきていないことに当日の朝気づく。
②コンビニが近くに存在せず、そのまま隣の人に借りる。

⚫2日
③翌日の朝、MAXで体調不良となる。午後からの健康診断で尿検査に引っかかる。
④コピー機の上に財布を忘れ、帰宅後に事務から電話が来る。

⚫3日
⑤入学式の朝、優雅にお弁当をつくっていたら遅刻しそうになり、あわててスーツに着替えようとしたらブラウスが無いことに気づく。隣に住む大家さんに泣きつき、娘さんのブラウスをお借りして超ギリギリで入学式に参加してくる。⚠️ちなみにお弁当は必要なかったし、帰宅後にブラウスを見つける⚠️
⑥しかもアパートの鍵をかけずにでかけていた。

 

⚫4日
オリエンテーションにおいて、皆の華やかさと友達作りのスピードに全くついていけずに教室で一人、ハッピーターンを食べ続ける。

⚫5日
⑧カバンの中を引っ掻き回したけれど鍵が無いことに気づく。暗くなっていたので、懐中電灯を片手に半ば不審者になりながら帰宅、なんと玄関口の鍵穴に鍵を挿したまま出かけていた。

⚫6日〜7日
⑨1泊2日の伊豆旅行が企画されていたものの、保険の手続きなどの都合や完全なる体調不良のため欠席する。その間に全ての諸手続きを終了させ、一人でまったり温泉に入る。

⚫8日(今日)
⑩⑨の温泉でかなりリフレッシュされ、もう大丈夫〜👍👌なんて調子に乗っていたら、奨学金の説明会に完全に遅刻する。寝坊というより、気分の不安定さ。

 

 

こんな感じでしょうか。
いやあ華のキャンパスライフを満喫しております🌺🌻💐🌸🌼🌷🌹✨🌞⭐️🌟💫
疲れたよパトラッシュ‥‥🐺

 

 

お笑いネタのように感じさせるのが活字にする七不思議のひとつですが、もうがっつり落ち込んで2、3キロの減量に成功しました。まあ元に戻るんですけどねー。ハッピーターン大好きだし。

 

と、いうかねそこのキミ👆👆👆👆


高3の夏から学校に行かずにヒッキーで、強いて言うならほんの半年くらい90歳のジジババたちと軍歌や童謡を歌いながら踊り明かしていた私ですよ? しかもついこの前まで、3,4ヶ月殆ど外に出ることなく、話す相手が夜遅くに帰宅してくる同居人Aだけだったし。あ、あとガストの店員さんかな?

そんなド田舎娘が、突然に親戚もゆかりもない土地で毎日朝起きて学校に行って先生の話を聴いて理解して行動して、休みの日は保険だ郵便だ役所だ警察だ住所変更だ奨学金だの手続きを一人でバタバタとやってるわけです。これがどれだけスゴイことであるか、きっと今の私にもワカラナイ。疲れたよパトラッシュ‥‥🐺

 


それで、最近思考力や判断力や注意力といった動物として生きる力が抜け落ちている私ではありますが、それなりにいろんなことを学びました。大きく3つ話そうと思います。というか日本語話せてるかな‥‥私‥生きてるかな‥‥💀👻💀👻

 

1つ目が、私の3年間の弊害はかなり大きいということです。
朝決まった時間に起床してから夜に布団につくまでのルーティン化された行動リズムが、この3年間で完全に崩壊しているのです。私は幼い頃からめちゃくちゃ時間に厳しくて、公私問わず30分前行動なんて当たり前だったのですが、この1週間で2、3回遅刻しそうになっています。😲😲😲😲
コミュニケーションにおいても、同級生との会話についていけないレベルは異常ですね笑 今のところ、ちゃんと話せる友達はいません。まあ今の時期で友達がいないってこと関しては特に心配していないのですが、学校という時間の感覚も久しぶりで、周りに華やかなKAWAII女子しかいない空間💅🏻👄👠💄という恐怖はナカナカ苦しいものであります。

 


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2つ目が、少し重たいネタになって恐縮なのですが、病気が完全に治るという概念をそもそも捨てた方がいいんだろうなってことです。もう今更隠したって隠しきれるものではなかったのでカミングアウトしてしまいますが、私はなかなか重度の精神病を患ってるんですね。いわゆるビリーミリガン👨‍👨‍👧‍👧です。私が5年間通い続けた病院の主治医はめちゃめちゃ変人で面白いテキトーな人だったのでイマイチわかりませんが、キチッと白衣を着てキラッと眼鏡を光らせる精神科医に行ったら、きっとそれ以外にも3つくらい診断名がつくんじゃないかなーって思います。アレとかコレとかソレとかね。

精神病がなかなか厄介なのは世間でも周知の通りかと思うのですが、同じ病気の人でも、大きく2つに分類されますね。1つは病気に甘える側ともう1つが完全に病気を否定する側です。前者も個人的に好ましいタイプではないのですが、後者は自分で自分の病気や性格を貶めて差別しているので、裏を返せば自分が病気じゃなくてそういう人を見かけた場合、彼(女)はどんな反応をするのかな?とちょっと懐疑的な気持ちになります。何が言いたいって、私自身がきっとかなり偏った思想を持つ差別主義者なのだろうなってことです🙈🙈🙈


お笑いはダメだけどニュースは良い。アニメや漫画はダメだけど純文学は良い。イマドキの歌はダメだけど中島みゆきさんは良い。肉は食べちゃダメだけど魚は良い。(特別な宗教信者ではありません、完全なる祖母の嗜好です👤)

そういうわけのわからないところから始まって、重度の認知症だった祖父や自閉症知的障害を持つ兄の関係上、社会的にマイノリティの人たちと交流する機会が多かった私は、そのマイノリティを武器にして多くの名声を得てきました。作文や弁論大会では必ずと言って良いほど賞状を🏆🏅持って帰って来たし、近所の人たちから(比較対象が兄だったが)褒められるというのが当然だったのです。ああ、これが正しいんだ、私はスゴイんだ、と。実際、私のことを褒めてくれる人と、馬鹿にする人が、かなり極端だったのです。そこに多くの裏切りや失望などが加わって、私は偏屈で閉鎖的・排他的な思考の持ち主となったのです🙆🏻🙆🏻🙆🏻🙆🏻

 


あまりにも幼い頃から、他人から白い目で見られるということに慣れてしまっているのだと思います。店で兄が大きな声を出せば、みんなから注目を浴びます。カワイソウネエと言われます。詩織ちゃんのお兄ちゃんってバカだよね、お兄ちゃんと比べて詩織ちゃんはイイコね、勉強が出来るのねって言われます。そうしてうちに帰れば、石でできたフクロウの置物が頭上を飛びます。家族が家族によって血を流すというのが日常茶飯事だったのです。死にたい死にたいと泣き喚く祖母の愚痴を傾聴し、引きこもりだった父との伝書鳩となり、叔母からの嫌がらせメールにもしっかりと返信し、兄や祖父の面倒を見ることに関して何1つ抵抗なく毎日生きていました。すべては母が支えてくれたからです。

病気が悪化しても、どこかで自分は病気じゃないと思っていました。病気なわけがない、と。母が献身的になって、私を鼓舞し続けてくれたからです。私はできる、他の病気の人とは違うんだって信じていました。つまり、無意識的に他の病気の人と自分を区別、そして差別していたのです。

でも実際、私はやっぱり病気なのだと思います。異常なほどに他人が怖いし、優先順位が何1つつけられずに右往左往してしまうし、地獄の底まで落ち込んだかと思えば突発的にアクティブに行動し始め、そしてその反動でまた地獄の底の底まで落ちていくし。0か100しかないんですね。

こうやって文章化して自分の経歴や病気を暴露するのは、本来私が最も忌避するタイプの典型だったのですが、あえてこうしたのには理由があります。


母のことです。
私にとって母というのは、母親というよりも戦友なのです。
家庭内の問題を、母と二人で乗り越えてきました。母がいたから私は生きてこれたし、また私がいたから母もここまで頑張って来れたのだと思います。お母さんが死んだら私も一緒に死ぬって本気で本気で当然の感情として思っていました。

ですが、あえてこの言葉を使いますが、これはある種の呪縛なのです。

今でも私は母のことは大好きだし、尊敬もしています。私と母の20年間は私たちだけのものだし、絶対に揺るがないものだとも感じています。
けれど、私たちはあまりにも依存しあっていた。その20年間に及ぶ依存が当たり前すぎて近すぎてなにも見えていなかった。祖母や父といった共通の手強い敵がいたことで、私たちの依存は信頼という言葉に置き換えられていたのです。そのことに気づいた、呪縛から解き放たれた今、私は初めて精神的な自立へのスタートを切れたのではないかな、と勝手に推測しています🕶🕶🕶

3つ目が、病気とどう向き合うかというこれからの私の課題です。
私の中で、精神的な病気というのは甘えで逃げなのだという意識が根底的に未だに拭えていないのです。だから、実はうつ病なのだと神妙な面持ちで告白してくる人や死にたいとSNSでぶちまける人やリストカットの画像をアップする人が私はものすごい嫌悪感を覚えてしまうのです。今まで特に病気のことや家庭のことを書かないできたのは、そんな過去を消化したからなのではなく、そういうことを悲劇的にオヨオヨ書く人間のことが私はものすごく嫌いだったからです。
そういう人たちの気持ちが痛いほど共感できるから、自分自身もめちゃめちゃそういう思考に陥って苦しんできたから、ドン底なんてこの世には無い、底無し沼の恐怖を私は身を持って経験しているから、だからこそそういう感情をネット上でもリアルの世界でも表出する人のことを差別していたのだと思います。


でも、今こうしてキーボードを打っていて感じるのは、病気である自分を受け容れるというのはやはり大事なこと方なのでしょう。
実は、私の担当の教授に、公務員のような職を目指したらどうかとアドバイスを受けています。今の私の汚い履歴書と精神状態において、この1年間で覆して他の民間の就活生と同等にエントリーシートや面接で闘うのは、やはり難関ですもんね。そして、もし診断書や手帳を発行させてもらえるなら、その枠で闘うのもアリ、と。勿論どの道楽な道なんてありません。

1年ほど前の私なら、それだけで完全にブチ切れてその教授の研究室を崩壊させていたと思いますが、意外と悪く無いかも、なんて思っています。人生を成功することに関して、いかに理想通りのレールに沿って生きるかではなく、あまり型に拘らず、どんなジャンルでも、成功や結果を残すということを重視することが今の私には必要なことであるように思うからです。

 


まずは起床から就寝までの行動リズムの安定からだなあ。あまり先のことを考えても無意味だし、今は目の前のたくさんの課題を片付けるところからですね、ハイ🙋🏻🙋🏻🙋🏻