え ん

人生は連鎖する、

私と優しさとメディアと

f:id:mercy0707:20160310194117j:plain

スナフキンと結婚したひ……❤

 

受験が終わりました💧

いろいろツッコミたい問題が出ましたが、過去問を赤本として公表していないところなので黙りますね。Be quiet!!

そして、明日合格発表なので、明日も更新しますよ笑

というより、明日更新する予定だったのですが、とにかく書きたいことがめちゃくちゃあるんですよ。語りたいんですよ。喋りたいんですよ。ってことで長文する👻

 

 

ひとつめ。

『優しさ』についての考察をしてみました。(突然)

 

私ね、実は、優しい、という言葉があまり好きじゃなくてですね。

これはほんとーに好みの問題。別に私が好きだの嫌いだの言ったところで、優しい人のそれまでの人生やら人格やらを語り出そうとか変革とか洗脳をさせてやろうとか、そういう気はゼロです。というか、その人自身のことなんてどうでもいいんです。ただ、私が優しいっていうのが好きじゃないってだけ。

 

どうしてかというと、理由は大きくわけて二つあります。

一つ目が、私自身がよく人に「優しい」と言われるからです。

なんだこいつw って思うかもですが、私こそなんだそれw って感じですよ。そもそも優しさって何なんだ?と聞きたくなってしまいます💨

 

高校時代のことです。私の自宅の最寄り駅の待合室で、20時過ぎにおじいさんが座っていたんですよ。ウイスキーを両手に抱えながら一人で歌を歌っていました。

その人は、まぁ、『普通』じゃなかった。誰も近寄らなかった。おそらく精神障害を抱えている方だったんでしょうね。

私はその待合室にちょうど入った時、そのおじいさんが私に話し掛けてきました。「よぉ嬢ちゃん」って。

まぁそのあと二人で家族の話だとかそのおじいさんの悩みだとか病院の話だとかをしていたんですが、結構面白かったなーって思います。

あと、昨日電車に乗っていたら、突然外国人の男性が私に微笑んできたんですよ。結構混んでいたんですが、明らかに私に向かって微笑んできて。微笑み返したら、隣に座ってきて、すこしだけお話しました。パレスチナ人だったみたいです。

 

他にもいろんな例がありますが、私はいろんな人に話し掛けられるし、いろんな人と楽しくお話します。そのことを、「優しいんだね~」ってたまに言われるんですが、私はそこにちょっと異義申立てしたい。

だって、皆がそう私に言うのは、明らかに壁があるでしょう?

障害を持っている人「なのに」おしゃべりできるんだ。

外国人「なのに」仲良くなれるんだ。(この壁は都市にはあまり無いのかな?と思いました。私の住む地域はやっぱりガイジン意識が根強い)

そういう「なのに」っていう壁というか段差というか距離というか、それって矛盾していると思いませんか。

だって、本来、「バリアフリー」が優しさなはず。

どうして皆、自分と違うものに対してこんなに排他的なのだろう?と。どうして皆、もっともっとフラットに他人のことを見られないのだろう、と。

○○「なのに」~と言い出したかと思いきや、○○「のくせに」とか、○○「だから」とか、本当に人間って自分に都合よく生きているな~なんて。だからこんなことぐらいで、私は「優しい」なんて言われたくないですね。むしろ、当たり前だという考えがもっともっと広まってほしいな、と。

 

もう一つの理由が、自称優しい人ってね、本当の意味でやばい人のことを知らない人だと思うんですよ。ここで言う「自称」は、決して侮蔑的な意味は含んでいません。あくまでも、優しいって自他ともに認めている人のこと。

いや、そういう人って本当に優しいんですよ。ほんとにね、優しい人って優しいんです。めちゃくちゃ尽くしてくれるし。すげーなーって思います。リスペクト👼👼👼

でもね、その優しさに付け込むようなやばい人って、ほんと、その人の定義する優しさだけじゃどうにもならないような負のエネルギーがあるんです。なにもかもを飲み込むブラックホールそのもの👿👿👿

ほんと、その人に一度捕まっちゃったら、人生めちゃくちゃになるレベル。いつでもどこでもいつまでもどこまでもその人のことを考えなきゃならないし、いつでもどこでもいつまでもどこまでもその人は優しい自分を追いかけてきます。

「いつまでもどこまでも」というのがポイントです。

たとえ電話線をぶっちぎるなりアラスカに移住するなり整形手術するなりして、その人との関係を断つことに成功しても、自分は優しい人間である限り、絶対に自分のことを許せないですよ。何ヶ月後かに、もしかしたらその人のことを自分は救えたのかも知れないのに、とか、捨ててしまったんだ、とか、優しいはずの自分が裏切り者になってしまった、とか、そういう鎖まではなかなか断ち切れない。ぶっちゃけ、そっちの方がハードライフ💣

 

 

多分ね、

自称優しい人って、自分に自信が無いんだろうなって思います。

特に取り柄も無いから、人に尽くしてあげることでしか自分の存在価値を見出だせない。誰かに優しくしていないと自分が見失ってしまう。優しさは自分に対する恐怖と闘う唯一の武器だったり🔫🔨🔧

 

ええ、まぁここまで読んでくれた優しい人はわかっているかと思いますが、私は誰もかもに何もかもの優しさを振り撒いて歩いたことも、そしてやばい人として優しい人の心を一時的に殺したことも、そしてまた別に優しい人に完璧な「裏切り」に遭った(敢えて裏切りという言葉をここは使わせてください)こともありました。つまり、絶対的絶望的に自分自身に自信がなかったのです。

 

 

それでね、

私、声を大にして言いたいんですけど、ほんと、優しさって時にただの道具ですよ。そして、使い方を間違えれば、罪人になり得ます🆘

 

優しいって

なにをもって優しさと説くかなんて、誰にもわからないじゃないですか。高瀬舟の話はちょっと視点が異なるかも知れないけど、自殺志願者の人にとっては殺してあげることが、一緒に死んであげることが、最大の優しさかもしれないじゃないですか。でも、それって倫理学的に(法的に)優しさとは呼ばないじゃないですか。そんなの答えなんて無いじゃないですか。誰にとっての優しさが本当の意味での優しさかなんて、多分人間の理解を超越したものなんですよ。(ソコカラサキハカミノリョウイキ)

 

だから、正直、優しい人には、他人に尽くすそのエネルギーの視点を、自分に向けてほしいなって思います。少なくとも、○○のために、じゃなくて、自分のために、の視点で同じ行動をしていた方が、きっとその先もお互い平和です。

 

 

 

誰もかもに優しくなんてしてらんないよ、僕には時間が無いんだ。by スナフキン

 

 

 

 

さて、もう一つ。

最近のニュースというか、メディアについてです。

私はここしばらくNEETのくずやろうなので、偉そうなことなんて何一つ言えないんですけど、やっぱりメディアの力は恐ろし過ぎると思うのです。

エンタメ系の話になるんですが、ゲスの極み乙女の川谷さんとタレントのベッキーの不倫騒動にちょっとフォーカスを当ててみましょう。

まあ彼らを他人事のように思えない私の状況なんてものはどうでもいいのですが、あそこまで騒ぎ立てられるって、どうなんでしょう? 勿論、ミオヤマザキの歌にもあるとおり、不倫は犯罪です←笑 川谷さんの奥さんはとても傷ついたことでしょう。

でも、川谷さんの問題の後、衆議院議員だとかナントカだとか、いろんな人達の浮気事情も発覚したでしょう? ぶっちゃけ今この瞬間に、まだ世間に流れていない浮気だ不倫だなんやかんやってめちゃくちゃあるんだと思いますよ。だって、紅白歌合戦の時、川谷さんがその一週間後こんな状況になるだなんて誰が想像したでしょう?ベッキーがこのような形で芸能界引退するなんて考えてましたか?

 

いや、浮気に限ったことじゃないです。薬物も犯罪も事故も事件も、物事が起こってから、みーんなその物事が起こる前のその人の人生すべてを否定し始めるし、炎上するわけです。みんな、まだ気付かれていないだけで、センテンススプリングに追いかけられていない(追いかけたツワモノもいますけど)だけで、世の中にはもっともっとはちゃめちゃなことが起きているのだと思います🌏

 

そして、そういう大衆が食いつきやすいニュースが一つでもあると、メディアはそこに全力を尽くします。視聴率欲しいしね。でも、それによって埋もれてしまった重大な事件も必ずあるはずなんです。本来、地球市民としてもっと関心を注ぐべき物事があるはずなんです。埋もれているだけで。そういう意味で、最近のメディアの威力というか、腐敗というか、ちょっぴり危惧をしています。まぁ今の私みたいな何も無い人間が危惧したところで変わらないんですけどね。大きな人になりたいです。

 

 

近いニュースで、19歳の予備校生が同じ予備校生に殺されてしまった悲しい事件がありましたね。

彼女が大阪大学に合格していた、ということも取り上げられました。あれに対して、どう思いますか?

なんだか、TwitterYahoo!の反応を見ると、

「大阪」大学というのがかなり強調されている印象を私は受けたのです。気のせいだったら申し訳ないのですが。

でも、実際は阪大だろうとハーバードだろうと無名大学だろうと、また仮に不合格であったとしても、彼女の命も事件の惨さも、何一つ変わらないと思うのです。阪大進学=明るい将来、という方程式によって、この事件の重さは変わるのですか?

このことは、2月のバス事故にも言えますね。同じニートだから擁護したくなるというわけではありませんが、早稲田の美人インテリが亡くなり、ニートが生き残ったことを騒ぎ立てた人がいますが、私は理解に苦しみます。そして、運転手と大学生の比較の仕方が露骨で、かなりの闇を感じました。何が闇かというと、そういう露骨な表現をするメディア社会に躍らされる私たち大衆市民が、とても恐ろしいと感じるのです。

 

 

 

 

まだまだ、いろいろと書きたいことがあるのですが、今回の試験も落ちていたら、本当にくずな人間の駄弁でしかないので、ここらへんで我慢して勉強してきます。それではまた明日。

行動力だけで生きていこう。

こんにちは。

ちょっと間が空きましたが、私はとても元気です。

ちなみに10日に試験を控えているのですが、11日に合格発表なので、その時もまたblog書きますね。

 

というか勉強しろよwって感じですけど、最近はまともに勉強していますよ。最近は。(イマサラ)

 

前の記事はちょっと暗かったし、しかもそれからしばらく更新しなかったので、「結局こいつ逃げたなw」って思われてたかもしれないけど、ちゃんと前を向いて歩いています。ちなみに前ってどっちから見たどっちなんでしょう?笑

 

 

 

最近、interpals という無料のSNSを始めまして、そこでノルウェー人とトルコ人と仲良くなりました。はちゃめちゃな英語ですけど、かなり勉強になるしとても楽しく彼らと会話しています。

あと、Twitterも活用しはじめました。良かったらフォローしてあげてください。@luna07mercy です。

 

 

内容薄くてごめんなさい。11日か12日かに、また更新しますね。その時に良い報告と発表が出来たら嬉しいな。

うん、

 

 

こんばんは。

 

 

 

 

 

今、いろいろべらべら書いてみようかな、とも思ったけど心底馬鹿馬鹿しいのでしません。ばーか。

 

 

 

 

 

 

 

ということで、受験二つとも駄目でした。

 

 

 

 

 

 

 

私は受験の神様に見放されたのではなく、見過ごされたのです。

 

だって受験生じゃなかったもんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後期受けます。後のことは後の私が考える。今は考えない。

 

blog始めて良かった。客観的に今の私が分かる。

重いけど痩せたもん👵

今日、今度大学3年になる高校時代の同級生とお話する機会があって、そのことで感じたことを徒然なるままに書いていこうと思います。





正直私、わからないんですよ。若者ってゆーイキモノが。

自分二十歳ですけど、もうここ2、3年、若者らしい若者とお話する機会が殆どないままだらだらと来てます。(4月から大学生になるのが超不安👾)

高3のお友達は保健の先生と担任と世界史の教科書だったし、大学の昼休みは教授の研究室に閉じこもっていたし、社会人時代は80歳90歳のじいちゃんばあちゃんと遊んでたし。なんかいろいろあったしちょっとやそっとであまり驚かなくなった。



だから、バリバリ現役キラキラリア充大学生の悩みを聞くと、
「えぇ~!そうなのぉ~!?大変だったね!○○ちゃんの気持ちわかる!!」
「マジで!それってうざ!きも!いみふ!」
みたいな肯定的な同調する反応ができなくなっちゃったんです。
何を聞いても、「ふぅ~ん」って、ズズッと正座しながらお茶を飲んでるテンションでしか対応出来なくて、そもそも私の意見なんてぽたぽた焼のおばあちゃんの知恵袋並に聞いてないんですよね……😅 


別にけっっっして自分が、自分だけが、はちゃめちゃに苦労してきたから、他の同年代の人たちってみんな馬鹿、ほーんと幼稚だしガキ👶 って、教室の端っこで頬杖をつきながらアンニュイな笑みを浮かべて溜息を吐くみたいな女の子になるつもりは毛頭無いんですけど、、、




彼女は「彼氏に重いって言われた」「私重いのかな?」「重いってなんなのかな?」って連発していたことについて、彼女より5㌔ほど体重が重い私は、重くて何が悪いんだべさって思う。どすこい🗿🗿🗿←

最近、精神科が心療内科って名前になったり、うつ病への理解が進む運動が活発化した代わりに、精神的に他人に負担をかける恐怖というか忌避感情が、本来持たなくて良いはずの人たちにまで多大な影響を与えている気がする。
 


重い。
まぁ人から見たら信じられないくらい私はめちゃくちゃ重いし、メンヘラだし、被害妄想と現実逃避のプロフェッショナルだけど、だから何?って思う。重いと感じたなら私に近づかなきゃいいだけ。黙って離れればいいだけ。私のことを「あ、持てそう」って思ったら、腕が疲れない程度にお嬢様抱っこしてね❤ 
重いと思われることを怖れすぎてしまうほうがよほど自分が最も怖れる重い人間になってしまうんだから、ありのままのレリゴーすりゃええやんって話でした🐙(時代遅れ)



あと、私、もっともっと勉強しようって決意を固くした。
勉強をしない大学生は、学生証を持ったNEETだと思う。
(今私、カッコイイこと言った気がする💯💮)








さて、最近ずーーーーっと観たかったDVDを観たので、その感想を。

「ハンナアーレント」 という二次大戦~戦後までアメリカで活躍したユダヤ人の政治哲学者の映画です💁 ★★★★★

私の少ない少ない少ない語彙力では表現しきれないほど感動しました。アーレントの強さ、信念、仲間、そして迷いや裏切り、過去の鎖。すべてがこのアイヒマン裁判に詰まっている気がします。

ナチスからは直接的に被害を経験していない今の時代の異国民である私
たちからすれば、アーレントは正しい、その通りだ!って簡単に言えます。でも、戦後20年にも満たない時代の拘留経験のあるユダヤ人があのようなレポートを出した、それは私が一生かけても身につけられないような、想像を遥かに超えた勇気と信念ですね。

私もやってやるぞ、という気持ちに何度もさせてくれる名作。今度前の大学の恩師にもしっかり感想を聞いてみようと思います😏

ただ一つだけ言うと、やっぱタバコはやめたほういいと思う💀🚬