他人のままで居たいな、と。

世の中には、もう生来的なレベルで、悪意を持った人は、確かに存在する。
 
でも、たまたま、その時の気分で、見知らぬ人に対して矢を向けてしまったり、不愉快な思いをさせてしまう、そういう時って、意外にも誰しもにあることじゃないだろうか。
 
電車の中でなかなか座れなくて、自分より後に乗車して来た人間の前がたまたま空いてその人が座ったとき、思わず舌打ちを打った疲れた会社員。
よそ見をしながら自転車を漕いでいたら、目の前に自分に向かって歩いて来る女性が来て、驚いたと同時にすぐにハンドルを切って、すれ違いざまに睨みを利かす高校生。
なかなか既読のつかないLINEとにらめっこしながら、楽しそうなおしゃべりに花を咲かす隣のひとたちに苛立ちを隠せないOL。
 
彼らは、きっと、普段の生活は、特に人との関係の間で著しい問題を抱え、周囲に精神的苦痛や支障を与えるほどの性格の持ち主ではない。その時、たまたま、そういう気分だった、それだけなんだと思う。そして、私にも当然のことながら、そういうことはママある。
 
でも、実際に、そのたまたまの受け身になった人間(被害者、という言い方もできるかもしれない)は、やっぱり傷つくこともある。誰だって舌打ちを打たれて良い気分になることはないし、見ず知らずの相手に八つ当たりされて楽しくなるひとはいない。これによって負の連鎖が続く場合もある。もっと言えば、犯罪に結びつくことも中には存在する。
 
 
人と人との距離感が近過ぎるからこんなややこしいことになってしまうのかもしれない。或いは、近い近いと思っていたら案外とてつもなく遠かったり、その逆だったり、っていう、ピントのずれ。
 
 
他人は他人で終わる場合が殆どだ。
今日一日、私はいろんな電車の車両に乗ったが、その時間のその車両に居合わせたその人たちのことは、もう覚えていないし、この先もう会うこともないだろう。電車の中で抱いた感情も、それはもう完結していて、尾をひくようなレベルではない。
 
でも、やっぱり、たとえ一時的だとしても、一過性のものだとしても、他人に不快な思いを与えるひとには、なりたくないな、と思った。常に懇ろな態度で誰も彼もに良い思いをさせるトレーニングなんて必要ないと私は思うけれど、少なくとも、他人には、他人のままで居たいな、と。
今日の電車で思った。
 
 
 
 
ブログを毎日書く、って意外と怠いな。なんで昔は出来てたんだろう。笑