え ん

人生は連鎖する、

23歳

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先日、23歳になった。

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昨年の記事を読み返していた。


私は今、とある中小企業の正社員として働いている。短大卒にしてはそれなりに良いお給料を貰っていると思う。それなりに大変な職種だし、それなりにいろんな問題や愚痴やストレスも抱えているが、それなりに4ヶ月目に突入した。今すぐ辞めたいとは思わない。というか、辞めたところでもっとハードな毎日しか待っていない。実際的なことだ。アパートだとか、年金や奨学金や保険だとか。信頼というのは、契約を遵守することでしか保てない。



23歳。

率直に言えば、「気づいたらこの年齢だった」。
そして、もうこの所感は今年で最後にしたい、と心底思う。こんな気持ち、あまりに空しいと思う。

過去にifを羅列するほど馬鹿らしいことはないかもしれないが、敢えて言いたい。5年前、社会学科や歴史学科を目指していたら、4年前に所属していた大学を卒業していたら、3年前に働いていた介護施設に今も居たら、私の人生の価値観は今とは全く異なった、つまりその私は私であって私ではない人間だったろう。

後悔、というのともまた違う。それなりにもがき苦しんで、今の私がいる。その自信は確固たるものだ。

でも、


このままここで、こうやって、それなりに歳を重ねていく真似は、絶対したくない。
来年の今頃、気づいたらやっぱ24歳の誕生日を迎えてましたあ、なんてへらへらしたくない。



これからの私は、何にでもなれるのだ。過去と違って、未来はまだ白紙だ。




やりたいこと、やりたかったこと、全てやりきる人生にするか、やらなければならないことで追われる人生にするか、何も考えず行動せず生きていく人生になるか。


敢えてもう一度。
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雨降りの休日にて

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雨が降っていた。

先日祖母の納骨があって、少しの間実家に帰省した。仕事帰りに新幹線に飛び乗って、夜中に家路につき、最終日は朝一で新幹線に乗って戻る、バタついた三連休だった。

アパートに戻ってきたときの絶望感ったら、言葉で言い表せるものではなかった。折しも、最寄り駅からアパートに戻るまでの徒歩の道中、職場の先輩と同期が乗った車と擦れ違った。よお、と手を振られ、会釈で返す。その車のナンバープレートが、この土地であることに絶望した。私はなぜ、ここにいるのだろう。ふと、そして本気で、自分の職場、部屋、すなわち私の居場所がこの土地にあることに疑問がわいた。

いや、そんなのは当たり前、私がこの街のこの職場を就職先に選んだからだ。内定をもらって、承諾書を提出し、短大の卒業を迎え、引越し手続きをすべて済ませ、ここにいる。まるで高速列車に乗るがごとく、私は縁もゆかりもないこの街にやってきた。そして、この街の人のために毎日働いている。

後悔しているのか、と聞かれたら、あきらかにノーだ。実際、本当にこの街の風土は私の性格に合う。大家さんも隣のファミリーもスーパーの店員さんも優しいひとばかりだ。行きつけの喫茶店もできた。好きな古本屋もある。何より、私のとって生きがいを感じさせる職種に就けて幸せだし、職場の人たちは温かで和気あいあいとした楽しい雰囲気だ。もちろん叱られることも諭されることもある。けれど、三か月目で何を言っているんだ、と笑われそうだが、辞めたいと思ったことは一度もない。

じゃあ何が不満なのか、と問われても、わからない。わからないというか、不満というわけではないのだ。

ただ、私が今、ここにいる理由。

私はなぜ、わざわざこの街を選んだのだろう、と。

湧き上がるその感情に、今はあえて名付けする必要もないのだろう。



会いたい、と思ったとき、もうそのひとがいない。

そのことが、私は今、とんでもなく恐ろしいことに思える。「ただいま」がない「いってきます」と、「おかえり」のない「いってらっしゃい」が怖い。だからこそ、今、私は、地元を離れてこの土地で暮らしている自分に、理由を求めているのかもしれない。




祖母が死んだという現実を、私はすでに受け止めているつもりだ。けれど、小さな祖母の、もっと小さくなった骨を見たとき、私の知る世界に、もう祖母がいない、という現実を改めて突き付けられた気分だった。そう、そう、そう、祖母は、確かに死んだのだ。

きっと、私にとって祖母は、あまりにも大きすぎる存在なのだ。おばあちゃん子だったのね、と先輩に言われ、困惑する。まさか。おばあちゃんなんて、大嫌いだった。なんで一緒に暮らさなければならないのか、ずっと不思議だったし、嫌だった。よく祖母は死にたいと口にしたし、死ねばいいと思ったことも、そして口に出したことさえもある。

控えめに言っても、祖母は少し変わったひとだった。超がつくほどネガティヴで、そのネガティヴさでひとを平気で傷つける。すぐにもうどうしようもない過去を持ち出して、たられば話で枕を濡らした。喧嘩したら絶対に謝らない。こちらが謝らない限り、永遠に口をきいてくれなかった。肉も乳製品も苦手で、それを食べているひとに対しては獣のように扱った。倹約、倹約。もったいない。これ、いくらなの?いつもそれが口ぐせ。娘である私の母とは、毎朝のように金切り声を上げて喧嘩し、毎晩どちらが皿を洗うかで喧嘩した。けれど、自分が犠牲になってでもひと(犬、猫でも鳥でもぬいぐるみでもガスコンロにでも)を守ろうとする精神の持ち主だった。特別何かしらの信仰を持っていたわけではなかったが、常にだれかのことを考えて生きていた。

そう、要するに、あまりにも一緒に過ごしていたから、あまりにも距離が近すぎたから、「良い思い出」として、「ありがとう」という気持ちとして、祖母のことを直視できないことが問題なのだ。もっとたくさん思い出があったはずなのに、もっとたくさん一緒に笑ったはずなのに、もっとたくさん楽しい場所にでかけたはずなのに、私が思い出せる祖母はいつだって困ったような、悲しげな、寂しげな、そんな表情をしている。あとは、祖父の死後から少しずつ進行し、ふにゃふにゃと笑う認知症になってからの祖母のことばかりだ。そして、そんなおばあちゃんが、介護倫理も体制も技術も何もかもがそろっていない施設で、いつの間にか、静かに、そして大胆に死んでいった。

きっと私は、祖母にそっくりなのだろうと思う。

どうしようもないこと、どうしようもなくなってしまったことを考え、疼く心を抑える方法が見つからないままに周囲を惑わす。そして、意識せずとも自己犠牲してまでして誰かのことを考えてしまう。でも、それは本当に本当に本当にその人のためか、と聞かれたら、防御策に過ぎないのかもしれない、とも思う。無理しないで、とか、そんなに頑張らなくてもいいんだよ、とか、違うんだ。私は、私を守るために、私が私でいるために、私がこの私でここまでやってきたのだという証拠をより強固なものにするために、私はこの性格で居続けているのかもしれない。ここまで祖母が考えて行動していたようには決して思えないから、祖母こそが本当に真の利他主義者なのだろう。私は祖母に似ているようで、実はただの打算的な人間なのかもしれない。


アドラー心理学関連の自己啓発本で、本当は変わりたくないから変われないのだ、みたいなことを言っていた。個人的にはあまり好きになれない学派だが(私の考えを押し付ける気も毛頭ない)、この説は実際その通りだ、と思う。私は私のだめなところ、直したいところ、嫌いなところがたくさんある。もっと器用に生きられたら、もっと気を楽にして生きられたら、もっと上手に生きられたら、、、そうしたら、もっとバリバリ仕事ができるのに。もっと楽しくひとと会話できるのに。もっと要領よくタスクをこなせるのに。もっといろんなひとから好かれるのに。けれど、実際、私は自分の不器用さ、くそ真面目さが嫌いじゃないし、少し歪んだ過去を持つ自分に自信を持っている。これで私はここまでやってきた。ここまで上り詰めてきたのだ。だから、私は本当は変わりたいんじゃなくて、認めてもらいたいんだ、と思う。

私の家族も、私の背景も、私の過去も、きっともう、口に出さずとも今の私の血となり肉となって私を根底から支えてくれている。いろいろあるけれど、しんどいと思う瞬間もあるけれど、もう無理、と投げ出したくなることもあるけれど、私は大丈夫。あの頃よりはまし、って感覚が、何よりも私を明日へと運ばせてくれる。

そう、私には、明日があるのだ。

母の日に傷つく誰かへ

今週のお題「おかあさん」

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明日は母の日ですね。
昨年、私が更新したこの記事。
もし良ければ、ぜひ読んでいただきたい記事です。
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あれから一年が経とうとしているのですね。
たった一年で、状況も立場も家族も色々変わったけれど、この思いは、何一つ変わっていません。




母の日。
今年は、去年とは別の視点から話してみます。


私は、自分が母になることが想像できません。
というか、結婚願望すらありません。恋愛もあまり興味がありません。
22歳、この先どうなるかわからないけれど、少なくとも今は、子供を産むことを考えていません。


‥‥‥と、いうことを、オフラインの場では、言いにくいことなのだ、と最近気づきました。

今、私の上司や先輩は殆どが既婚者で、息子さんや娘さんがいるお母さんです。だから、当然お子さんの話で盛り上がるし、「あなたも早く良い人見つかるわよ」なんて肩を叩かれます。


私は、自分が母になることは考えていないけれど、自身の母親のことは本当に愛しているし、世の中のお母さん全てを尊敬しています。隣に住む八カ月の赤ちゃんとママを見るたびに、その想いは深くなります。いろんな背景、事情を抱えていながら、必死にひとつの命を育てる。その責任の重さは、計り知れないです。本当に、本当に、本当に、尊敬します。ありがとう。




でも、と私は思うのです。

自分がお腹を痛めて産んだ子どもを育てているひとだけが、「お母さん」じゃない、と。
子どもを育てながら働くことだけが、女性として素晴らしい生き方ってわけじゃない、と。


私には、血の繋がったお母さんだけじゃなく、「母の日」に感謝したいひとがいます。

中退した大学で出会った寮母(この言い方も少し変ですよね)さんにも、十代の頃働いていた介護施設の上司にも、今の会社の上司にだってもちろん、ありがとうって言いたい気持ちになる日です。


お母さん。
女性の社会参画が著しく進んでいるからこそ、何らかの理由で「母の日」に傷つく誰かが、少しでも楽に生きられる、そんな世の中になればいいな。

仕事する。

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私の過去や背景を知らないひとだけに囲まれて日常を生きるということが、こんなにも素晴らしいなんて、私は知らなかった。平等は冷たい。この冷たさが、私を強く抱き締めてくれる。その、私にしかわからない温度。適温。



結局のところ、私が働く理由なんてものは、自己実現だとか社会貢献だとかいうでっかい話じゃなくて、明日も牛乳が冷蔵庫に入っていてほしいから、とか、あったかい湯船に浸かりたいから、とか、そういうレベルの話なのだ。結局のところ、誰かのために生きる、なんてことは、付随品であって目的ではない。



自分の過去や痛みを言語化できることは、実はとんでもなく幸せなことなんだと思う。過去を語るということは、自分の言葉で再構築するということ。一度壊して、また新たに作り直すということ。どこかとどこかのパーツが入れ替わったり、無くしたり、増えたり。それはかなりのエネルギーと時間を要する。




なぜか、私の辛かったあの頃や悲しい思いをした経験を知ろうとする人間や、その頃の渦中にいた人間と、関係性が上手く築けなくなってしまった。なぜか、自ら破綻に導かせているつもりもないのに、私の力で破綻の方向にいってしまう。

それは悪いことなのか、と聞かれたら、明らかにノーだ。私を過去から遠ざけようとする何者かに、今は静かに従おう。私は、今はこの土地で、何も知らない人々ともに生きていく。正しいかどうかなんてわからない。今、私は、過去の私と今の私を区別して生きていく。

2018.03.

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お別れの言葉なんて無い、あるわけない/泣けるってしあわせなこと/正義を貫くこと、犠牲者を生むこと/ねえねえねえ、名刺ちょうだいよ/「いやあ、不幸でしたねえ」/話を聞くこと、聴くことの違いとは/私よりも仕事を優先する人が好きです/初めてのドライブ/この土地に来たこと/いつもありがとう/親友なんて確かめ合うものじゃない/卒業式のドレスは最後のプレゼント/「救ってくれてありがとう」/「私からはめっちゃ綺麗な人に見えました」/この土地を去るということ/「卑怯なことされたのにさ」/私はもう無理だと思った/始まる前に終わってよかった/私はひとりじゃないから一人が好きです/久々に映画館で映画を観る/このタイミングでこの出来事があるということ/意味や意義はこれからの私が作っていくのだ/今は偶然、これから必然/「応援してくれる人は多いほうがいいからね」/「今見ている景色、聴いている音楽、出会う人がこれからの詩織さんを作ってくんやな」/生まれて初めての桜だね/きみの記憶に残らないきみへの愛情がきみを作る/「うちの子だけは本当にキラキラして見えた、本当に」/環境整備と誠意と挨拶/「努力に勝る天才なし」/ひとのために涙を流す/今、隣にいる、絶対にいる/おじいちゃんが来たかったのね/おみくじは小吉でした/前へ前へと進みすぎない/自信があることとひとを傷つけること/真面目であることは罪ですか/この土地で働くということ/お母さんとお父さんの存在/私は愛されていると自覚すること/

明日から、社会人。
日曜日、大安。
初勤務にもってこいの日ですね☀

忘れていく過去、過去を忘れていく私

 

 

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卒業式も終了し、入社式まで十日を切ったということで、今の私の所感をつれづれ書いていきます。


最後の講義、バイトが終わってから、まだ一か月半ほどしか経過していないにもかかわらず、この一か月半はあまりにも濃密で、疲れた、というのが正直な感想です。何が一番大きいかといえば、当然祖母の死なわけですが、それに伴うトラブルや、それとは全く関係のないいざこざがあったりして。見知らぬ土地で一人暮らしするうえでの手続きや入社前の準備と並行しながらのそれは、だいぶハードなものでした。
しかし、悪いことばかりかというと、そういうわけでもありません。大好きな友人と
一緒に美味しいごはんを食べたり、投資関係の勉強を始めたり、気に入った部屋で気に入った家具に囲まれて今生活できているのも、とってもとっても幸せなことです。家族、親戚関係の縁を結びなおせたことで、家族の形を改めて考えるきっかけにもなりました。本当は、本当に、私は幸せなんだなあって気づきました。

 

短大入学前の私の口癖は、「あたしくずだから」でした。
何かというと、すぐにくずだ、くずだ、と自虐し、自分を卑下することで自分を保って生きてきました。他人に否定される前に、自分で自分を否定しておけば、傷跡浅く済む、そんな気がしていました。
でも、今は、私は自分に自信を持っています。
それに、もっと高みに行きたい、高みに行けると信じています。
「あたしくずだから」が口癖だった私のことさえ、大切だと言ってくれる友人がいて、今の私を心から応援してくれる人たちがたくさんがいて、同様に私もそう思える仲間がいて。何かに失敗しても、帰ってこれる場所、すなわち安全基地を見つけた今は、いろんなことに貪欲に挑戦して、楽しく生きていきたいなって思います。

 

ただ、気がかりなのは、「記憶の忘却」です。
「あの頃の私」を否定する気はないけれど、「あの頃の私」と同じような問題を前にひれ伏す者に対し、今の私ができること、言えることは何もないのです。
幼いころから家族の怒声や悲鳴を聞き、家族が家族によって血を流すことが日常茶飯事だった私は、いわゆるアダルトチルドレンだと思います。
中学の頃から、私以外の「わたし」の存在が顕在化し、それなりの進学校に進学をするも、登校拒否になって。誰もいない保健室や会議室に収容され、センター試験は受験室でたったひとり。最初に進学した大学では四人の人格が私の中には存在しており、入学して二か月もしないうちに閉鎖病棟に入院しました。その後、19歳の誕生日に、依存した友人から離れられ、恋愛もうまくいかず、気が付くと「退学願」を事務センターに叩きつけ、私はそのキャンパスから姿を消しました。
コンビニやお弁当屋さんでのバイトも一か月ほどでやめて、コネで入った介護施設も半年ちょっとで辞めました。その頃出会ったひとが、私の人生の転機ともいえるきっかけを作ってくれたひとです。
そのひととの恋愛はピリオドが打たれましたが、自暴自棄になった私に140万の「投資」をしてくれたのもまた、そのひとです。私たちの関係は、私たちだけがわかっていればそれでよいので、ここにはあまり書きません。ただ、彼は、今でも私にとって、「世界で最も大切で、大好きな他人」です。
その投資をもとに進学した短大を、今月卒業しました。この短大生活だって、本当にいろいろなことがありました。カウンセラーの紹介で受診した精神科医に追い返されたり、とある会社の社長から本気で愛されたり、バイトの人間関係が破綻しそうになったり、就活でとことんとことん落とされたり。まあ、この二年間の記憶は、このブログに記録されています。

 

そんな日々を重ねて、今の私がいるわけですが、私は自分と向き合ってきたわけでも、寄り添ってきたわけでも、乗り越えてきたわけでもありません。病気だって、完治する、とか、もう絶対大丈夫、とか、そういう話じゃないです。

 

ただ、精神的な病気が甘えだとか、逃げだとか、正直本気でそう思っている人って、実は案外少ないんだと思います。当事者がそう思い込んで苦しんでいるとか、そう思い込ませるような狭い狭い環境にしか身を置いていないとか、そういう話であって。実際の社会は、そこまで赤の他人を貶めようとなんかしてないし、そこまでみんなもひまじゃありません。ひとりひとりは、ひとりひとりの人生を抱えるだけで手いっぱいだし、人の人生にあれこれ口出すようなひとは、自分の人生にどこかしらの妥協している暇人です。

 

と、そう思えるようになった私は、そうはとうてい思えなかった日々の私の記憶が、少しずつ、でも確実に、忘却していっているんだと思います。それを成長、成熟と呼ぶひともいるけれど、その分私は、どんどんその人たちとの距離が遠ざかっているように思えます。あの頃の私も今の私も、私をずっと私と呼んできた私だけど、今の私にはあの頃の私の私はいない。そんな感じ。

 

でも、いつまでもそうやって、立ち止まっているわけにもいかないから。
私は私をもっときらきらさせたいし、私の人生をもっと楽しいものにさせたいし、私をもっとしあわせにしてあげたい。私がハッピーであれば、きっと私の大切なひとたちもハッピーになれるし、それはどんどん伝染していくものだと思うから。

過去のことは忘れても、過去を忘れていく自分のことは、忘れないで生きていきたい。

それでも春は、

 

もう三月も中旬に差し掛かっていますね。

皆さんお元気ですか。いつも読んでくださってありがとう。たまたま開いてくれてありがとう。今日はいつも載せる写真がありません。今、近所の川辺に咲いている桜を見せたかったなあ。今度載せます。

 

春って、何となく、私は好きじゃありません。始まる、って瞬間に、終わる、ことを想像してしまったあの頃を、思い出すからかも、知れない。

 

 

 

 

 

******

 

実は、先月、81歳の祖母が亡くなりました。

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この記事をアップロードした、わずか30分後、母から着信がありました。

 

急すぎる祖母の死に、いまだ気持ちの整理のつかない状態ではありますが、今回の祖母の死は、今後の介護業界、社会福祉を考えるうえでとても重要なことであると考えています。私は仕事としては介護から離れた人間ではありますが、この考えは常に持ち続けていたいと思うし、皆さんにも共有したいので、あえてブログに書きます。

 

 

 

祖母は老健に一年と約三か月、入居していました。

 

祖母の死因は、急性循環不全、とのことでした。

死亡診断書のチェック項目には、病死・自然死にレ点がふられていました。

 

しかし、私たち家族は、そうではないと確信しています。

それは、異変が起きたのが単独での食事中であったこと、既往歴に循環器系の病気を抱えていないこと、延命治療など全く行っていないことからいえます。

 

 

 

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
自然死
しぜんし

死に至る一形態。死は医学的に、自然死、病死、災害死、事故死、自殺、他殺に分類される。また、死の原因、すなわち死因は、死に至る基本的病態に従って分けられ、消耗死、脱水死、呼吸(不全)死、心(不全)死、中枢障害死、貧血(無酸素)死、代謝死、ショック死、事故死などがあげられている。自然死とは、疾病その他の原因がなく死に至ることで、いわゆる寿命を全うしたものと漠然と考えられる。寿命とは、われわれ人間をはじめ、すべての生物の生命の限界を意味するもので、これは種族あるいは個体によって大きく異なることはよく知られている事実である。一方、なんら病的変化のない状態での生理的現象である老化の最終が老衰死であり、そのときの年齢が寿命と考えられ、人間では100歳以上とされている。しかし実際には、完全に老衰死あるいは自然死といわれる状態がみられることはきわめてまれであることは病理解剖において常識とされている。[渡辺 裕]

 

 祖母は亡くなる十日前、ベッドから転落し、以前痛めた経験のある腰を打ったそうです。そのあたりから食欲不振があったり、飲み込みの悪さがあったようです。それまでは、重度の認知症ではあったものの、体の状態はとても良好でした。ここで、普通の介護士なら、毎食の食事介助を行うし、死因は誤嚥を疑います。

 

 

娘である私の母が、祖母の死を聞かされたのは、亡くなってから二時間後。

施設に駆け付けると、祖母は尿カテーテルをつけっぱなしにされ、向かいにも隣にもほかの利用者様がいる状態で、ベッドに寝かされていたそうです。その際、対応したのはおどおど震えるヘルパー二級の夜勤者一人だけで、施設長である医師もケアマネもいなかったとのこと。

 

翌日、私も急遽帰省し、施設へ話を伺いに行くと、亡くなった祖母に一度も立ち会わないケアマネからの矛盾・あいまいな話、過度な責任転嫁、あまりにも空白・空欄の多い二枚のケアプラン、たった16ページの介護記録を渡されました。なにひとつ、理解・納得は得られない。結局、三回めに伺って初めて施設長にお会いしましたが、「ほんと、不幸でしたねえ」のひとことで片づけられてしまいました。

 

 

 

 

私たちは、断じて、

この施設を許しません。

 

 

けれど、それと同時に、この施設をつぶすことが正義だというわけでもない。

 

きっと、施設の体制や緊急時の対応、人数の確保、教育制度から考えても、このような問題は祖母に始まったことではないのです。たまたま、私たちは介護に携わる家族であり、どういう点が異常なのか、事細かに理解できるだけ。介護保険や福祉の現状、認知症支援の在り方が何たるかを、「知らない」「知るすべを持たない」ひとが大勢いるのです。

また、どんなに劣悪な環境の施設であれ、その施設があるおかげで、自分たちの生活ができる家族がたくさんたくさんいるのです。在宅介護の厳しさ、施設待機者の数は、経験上私も理解しています。施設に預けることが悪だなんて絶対思わない。預けざる得ない人々であふれかえっているのです。だから、施設は必要なのです。

 

 

 

ですが、

今後の超高齢社会・日本。

 

それで、本当に、良いのか。良いわけありません。

 

この先の課題は、上層部と現場の二極化だと思います。

利用者へのケア、倫理観、正しい介護の在り方は、本当にそれぞれです。何が正しいのか、私もわからない。

けれど、その二者の連携が取れない施設、誠意を持たない上層部、尊重する心を知らない介護士は、速攻対処すべきです。

 

 

私たち家族は、こんなところで終わらせない。

 

 

 

 

 

******

 

私にとっておばあちゃんの存在は、あまりにも大きくて、大きすぎて、周りが見えなくなるほどでした。17,8年ともに生きてきて、最も喧嘩した相手だし、本当に大嫌いで大嫌いでたまらなかった時もありました。十代の頃の私の価値観は、祖母によって構築されていたといっても全く過言ではありません。

 

そして、出棺・火葬の際、最も泣き喚いたのも、私です。

 

おばあちゃんとの思い出は、ひとつふたつと数えられるものではありません。ずっと一緒にいたから、あまりにも近すぎたから、大好きで大嫌いだった。大嫌いで大好きだった。そんな祖母が、いない。私は今でもその真実を深く考えられません。

 

 

 

親戚の方々とお会いして、祖母が彼らとともに生きていた証、私の知らない祖母の思い出たちをたくさん知れてよかった。なんというか。おばあちゃんは、私だけのおばあちゃんじゃないんだな、って、当たり前なことを感じました。

 

私は、おばあちゃんと日々を、決して忘れないし、これからはそれを糧に強く強く生きてきたい。そう思います。

 

 

 

******

 

 

私達は、生きています。

 

生きている限り、毎日は続いていくし、日常に戻らなければならない。

生きている限り、私は亡き人々を何度も何度も思い返すだろうし、大切なひとを失う場面に遭遇するんだろう。そのたび、絶望して、後悔して、苦悩するんだろう。そしてそのたび、私は立ち上がって、日常に溶け込んでいくのだ。

 

 

そんな私も、

いつか終わる。いつか果てる。いつか消える。

 

それでも春は、やってくる。