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人生は連鎖する、

沢山遠回りしてきた戯れ日記

🌷🌸🌹🌺💐🌼🌻

 

思い出したくない過去、って、たぶん誰もが持っているものだと思う。

それを俗に、黒歴史、とか暗黒時代、って表現するひともいる。

 

 

過去。

そう、過去だ。

 

 

私は最近、ずっとその二文字から意識的に目を逸らそうとしていた。

考えないように、見えないように、感じないように、覚えないように、もう二度と蘇らないように。

カタカタと沸騰した薬缶のようにフタが鳴り響くこともあったけれど、それでも私は目を向けることをしなかった。たとえ一瞬でも、そのフタを開けてしまったら、私はもうここには戻れない。そんな気がした。もう、絶対、ここの地点まで戻ってこれない。フタの中に眠るそいつは、まるで宇宙の彼方のブラックホールのようだ。そいつは大きな大きな口で、小さな小さな私を呑み込んでしまうだろう。どろどろの胃液に塗れて、私はいつの日か溶けていって、そいつの一部になってしまうのだ。

 

 

 

 

 

私は優しい人が怖い。

 1年くらい前、こんなだらだらと長い記事を書いた覚えがあるけど、今は優しい人が「怖い」のだ。

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優しい人は、マシュマロが入ったココアのような甘い言葉で、私を何かから守ろうとしてくれる。3時間前から電源を入れていた電気毛布のような温かさで、私を無条件で包み込んでくれる。

 

そのぬくもりが、どうしようもなく、どうしようもなく、私を惑わせ、混乱させ、不穏にさせるということに、優しい人は気づいてくれない。

 

 

ねえ詩織、

そのココア、もう何杯目?

その毛布に触れたのは、もう何度目?

 

薬缶から、熱い熱いお湯が溢れる。

ドロリとした黒いものも出てくる。その正体を、私は知っている。

 

 

 

 

 

お願いだから、フタをさせて欲しいんだ。

今だけで良い。

私に「あの頃」と言わせないで欲しい。

その時の景色、風、匂い、音楽、感触、声色、雰囲気、味、痛み、温度、その全てを、今だけで良いから、封印したいんだ。

 

そうじゃなきゃ、私、もうこの先に行けなくなるんだ。もうここには戻れないんだ。

もう一生、きみの隣に居られなくなるし、この先に出会う新たな人と素敵な景色を見ることも、出来なくなるんだ。

 

 

🌷🌸🌹🌺💐🌼🌻

ね、だから、

今から話す、これからの話に、私と一緒に、花を咲かせて欲しいんだ。

 

 

 

 

【重要】備忘録

 

 

マトモかマトモじゃないかって誰が決めるの?

自分はマトモじゃないとか言って、要は逃げたいだけでしょ?

で、自分で勝手に自分のことをマトモじゃなかったけどマトモになったとかって言って、都合良いんじゃないの?

だいたいみんなマトモだよ。違うこととすれば、死ぬほど努力しているかしていないかの差だけだと思うよ。

時間が許す限り努力しろよ。

きみ、本当はお兄さんのこと、愛してないんじゃない?

自分を守りたい時ばかりにお兄さんのことを持ち出して喚き散らして、ずるいよね。それで許された気になってるんだもん。

 

 

 

 

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今日、久しぶりに一日オフで、今後のこととか、昨日の記事の内容のこととか、今の自分が本当にしたいこととか、そういうことを考えた。

 

そうしたら、

もうどうしようもないくらいに介護、福祉を仕事としてやっていくことに恐怖を覚えて、しんどくなった。

そして、やっぱり社会学の勉強を続けたい、花ちゃんのとこに戻りたい、そう、つまりいっそもう一度教職の道に進み直したい、なんて。

 

単にホルモンバランスの乱れから来る非生産的な思考かもしれないけど、結構気分はネガティヴ気味になっていた。

 

 

 

で、

そんなテンションで会ったひとに、思い切り叱られた。

 

 

それでよくわかった。

私は、今日1日、この現状に飽き始めていて、疲れていて、さっそく逃げようと下準備に取り掛かろうとしていたんだ。

 

 

 

 

死ぬほどの努力、か。

したことなかった。 出来るかどうかもわからない。

でもやるしかないんだと思う。

ベストを継続するしか、今の自分を打破できないんだ。

記録を蓄積しなかったことの弊害

 

ブログを書く意味、って何なんだろう、と考えてみた。

このブログを始めたのは今から1年ちょっと前だけど、私にはブログを書く習慣は随分前からある。中3の時点で、ガラケーで文字を打っていた覚えがあるから、かれこれ6、7年くらいか。

でも、その習慣には、「書き溜めていたブログを削除する」という良からぬ習慣まで引き摺り回って来た。なんだろう、精神的に、ある一定の基準値を保つためにブログを書いてきたのに、それがふとした瞬間に崩れると、もう過去の自分から目を背けたくなるのだ。過去。どこまでを「過去」、どこからを「今」と線引きできるのか、きっとこの先もよくわからないままだ。

 

でも、あくまでも、私が最近になって推論しているに過ぎないことなのだけど、ブログでも鍵付きの日記帳でもSNSでもアルバムでもなんだって構わないのだけど、「その時の自分」の記憶を記録させるツールって、想像よりはるかに大きなちからをもっているんじゃないか、と。もはや、絶対的に正確な歴史など存在し得ない、というのが歴史学の再出発だと言われているけど、個人的な記録簿については、全てが正確である必要はそもそも全くない。当時の自分の身に何が起こり、それを受けて自分はどう感じ、行動したのか。その記憶を、感情的に、叙情的に、記録し、蓄積していくこと。それは、自身の救済措置に繋がるのだ。

 

基本的に人間っていうのは全く都合の良いイキモノで、幾らでも過去と他者に対しては、歪曲、再構築させたうえで自分のなかに取り込もうとするものだ。でもまあ、それはそれでいい。今は、政治や国際情勢の話をしたいわけではないのだから。

 

今の自分が如何にして今の自分に成り得たのか、成らざるを得なかったのか、そういう形の無いふわふわとした概念を、記録というのは実証してくれる。あの頃よりはマシっていう感覚、学習経験から来るこの先の進路選択、それは頭のなかで思い描くことより、文字や音声から学ぶことのほうがずっと有意義なのだ。

 

 

 

具体的な話をしよう。

私は今、就活生だ。

ある企業から一次選考通過のメールを頂戴したものの、他にも様々な業界を摘み食いしている。エントリーやら説明会やら面接やら、私には縁がないと思っていたことを、今必死に咀嚼、嚥下しようと踏ん張っている。

それでも、

それでも、

それでも、

行き着くのは、いつだって福祉業界なのだ。

何だろう、掃除機が吸い寄せてくるような、無理矢理手が引っ張られるような、この感覚。マイナビからくる「お知らせ」、郵便受けに入ってくるDM、目に止まる看板。いつだって私の思考回路は「福祉」をエンジンに回っているようだ。

 

もし、あの頃書いていたブログが今もこの世に存在していて、それを今、読み返すことができるのなら、少しは変わったのだろうか、と思う。祖母、祖父との思い出。両親への想い。兄に対する気持ち。私と福祉という文字を切り離せなくさせた強力接着剤を、文字として改めて読み返すことが出来たなら、案外容易く福祉と訣別、或いは和解出来たのかもしれない。わからない。そんな気がするだけだ。

 

 

どうしたらいいんだろう。

このままだと、私、本当に、何も解決していないまま、また福祉という海原に身を投げようとしている。どうしたらいいんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他者に責任を転嫁する自己責任論

 

しんどいなんて当たり前だよね。

今よりも楽できるなら、誰だって楽したいよ。

辛い記憶を辛いって言語で記録できるって幸せだよね。

逃げる時、ほんとは誰も逃げる理由や背景なんて関心ないんだよ。

自分だって、逃げることさえできるなら、ほんとはどうだっていいんでしょ。

 

ほんのちょっと

あとすこしだけ

もう一歩さきに

そうやって、静かに、だけど確かに、差ってつけていくものなんだよね。

 

でも、よかったね。

立ち止まる時間や抱きしめてくれる人や赦される居場所があるうちは、思う存分、もう飽き飽きするくらい、甘えておきなよ。

 

だっていずれにしたって、自分のなかに散らばったガラクタたちを後片付けしてくれるのは、自分しかいないんだもの、ね?

 

 

 

 

 

最近、「私は責任持てないから」とか、「悪いひとじゃないんだけど」という言葉を、よく耳にする。

電車のなかの女子トークを盗み聞きしたり、ビジネスマンの何気ない会話、テレビのなかの芸能人たちの生産性のないネタから聞こえることもある。

都合がいい言葉だな、と思う。

この言葉を前置きすれば、その後にどんな言葉を繋ぎ合わせても許されるような気になってくるから不思議だ。

結局、人って、自分のことしか考えられないんだと思う。他人のことは、とりあえず自分が今まで知り合った数多くの人たちと比較して、カテゴライズして、勝手に評価して、差異をつける。

全然悪いことじゃない。当然のことだ。私もやってる。きみもやってる。一向に構わない。むしろ常に24時間365日、利他的に行動できるひとは、ちょっと胡散臭さを感じる。私は、あまりそういうひとのことは信頼したくない。てか、コンビニかよ。

 

だけど、自分だけがゆるされることなんて、無い。

世間には、たくさんの綺麗な単語や耳あたり良い台詞は転がっているけど、全部ひっくるめて、シンプルに自分の言葉で言い換えてみて。きっとただの我儘、言い訳なだけだって気づくから。

 

赦されたいと思うなんて甘いんだよ。

許されたいなら今すぐ努力しろ。

歯を食いしばってでも、涙が枯れ果てでも、今、爪先が向いてるほうを睨み続けていろ。

 

 

 

 

責任、って言葉で思い出したけど、

頑張るって言葉、無責任だと思うんだ。

頑張るって言葉には、限界がないから。

だから、私は最近、ベストを尽くす、ってことを意識してる。

私にとってベストっていうのは、自分の限界、っていう意味でもあるけど、それを尚且つ継続できるスキルでもあると思っている。

 

ベスト尽くしていたって、上手くいかないことはもちろんたくさんある。

特にこんな私だ。

今まで怠惰で錆びついた精神状態だった私だ。うまくいくことのほうが少ない。

どうしようもないくらいガッカリすることもあるし、どこかに逃げたくなる。隠れたくなる。もうなんだっていいんだ。どうだっていいんだ。もともと私に出来ることなんてあるわけなかったんだ。そうだそうだ。

 

 

 

‥‥‥でも、

私は逃げない。

 

ここで踏ん張って闘ったところで何になるか?

何にもなれないかもしれない。別にそれでも良い。

何かの教訓を得たくて闘ってるわけじゃない。

 

 

ただ、今まで見ようとしてこなかった景色を、一度見てみたいだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

I don't want to be a star, just yet.

 

 2月に突入しましたね。Februaryって、罪滅ぼしって意味があるそうですよ。知らなかった? 皆さん身も心も清める月にしましょうね。笑

 

2月ということは、もう既に1月が過ぎたということです。もう2017年の1/12は終わっているのですね。今日は5日だから、もう約90.4%しか2017年は残っていません。この間に2017年の目標を達成し、成長し、2018年に進むための準備をしていかなければなりません。

 

昨年の最後の更新で、2017年は「続ける」ことをテーマに掲げたのですが、うん、この目標は間違っていなかったと思っています。兎にも角にも継続力というものが、今の私に最大に必要な事項なので。

 

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とは言うものの、何でもいい、とあまりにザックリとした書き方しかしておらず、1月に入ってからも実のある文章があまり書けていなかったので、今回は残りの約90%を如何に生き抜くかという抱負を書いていきたいと思っています。

 

昨年は、周りの環境が大きく変わり、それに順応することであっぷあっぷしていました。もちろんそれだけでも十分過ぎるほど大きく前進した年であり、私自身としても満足しています。2015年の頭に盛岡の大通りを歩いてぶっ倒れていた私が、2016年のクリスマスイヴイヴに中目黒や新宿をにこにこしながら🖤ひとりで🖤歩き回っているのですから驚きです。そして吉祥寺の焼き鳥屋で生を3杯飲んだあとに平気で夜行バスに乗っちゃうんですから、人生というのは何があるのかわかりません。

 

 

さて、このように2016年は人生を上向きにさせるファンドを構築できた年だったので、2017年はそれに少しづつ肉付けをして、2018年からの新生活に向けての準備を完璧にする年にしていかなければなりません。

 

① 英語

これねー。これなー。これよー。

この先の人生、私は英語科卒業という文字を背負っていくわけです。それにもかかわらず、TOEICがトンデモナイ状況なので、本当に早急にどげんかせんといかん。同じ必修を履修していた友人に3月の公開で600点を超えると宣言してしまったので、春休みは本当に英語漬け、エイゴリアンになります。というか、TOEICというのは、英語力というよりも努力数を見る指標だと私は認識しているので、ともかく努力を自他共に認めさせる良い機会だと思います。最低でも700点は超えないと、英語科と名乗れないと思うので、今年中に達成します。はいッ。

 

② 就活

前回のgdgd(←一度使ってみたかった)な記事で、就活を本格的に始めると報告したつもりだったのですが、改めてもう一度繰り返します。本気で就活をします。

ひとつめの影響が、『何者』という朝井リョウの小説を読んだことです。映画は観ていないのですが、私はこの作品、すごく好きです。米津玄師も大好きです。

ふたつめの影響が、最近このblogにも登場している、「とあるひと」の存在が大きいです。残念ながらカレシと呼ぶわけにはいかない方です、が。彼からやたらとガツガツ叱られたりワシャワシャと褒められたりするようになって、自分の精神基盤が少しづつ安定してきました。

 

 

とあるひとに、「勝ち癖をつけろ」と言われた。

✔️きみ、本当は二本の足で歩いて行けるくせに、ヒョンしたことで杖を使って歩いてみたらそっちがやめられなくなって、今もそうやって杖ついて歩いてるけど、そのツケって必ずどこかで回って来るんだからね?
✔️きみ、自分の力を試したことでの苦労したことないでしょ? いい加減楽するのやめたほういいよ。

 

他にも、

✔️わかってもいないのに、見てくれだけでも良く見せようとするのは時間と努力の無駄。

✔️きみはものすごく卑怯だよ。自分だけ逃げてきたくせに偉そうなこと言うな。

✔️説明が出来ないのなら理解しているとは言わない。口出すな。

✔️ベストを尽くしたことないやつが頑張る頑張るなんて言ってるの聞いて、誰が信じようと思うの? 自分だけ苦しそうな顔して逃げて来ただけなのに、甘いんじゃないの?

 

なんて、過激発言。

その度に悔しくて悔しくて泣いたり喚いたり言い訳したりしているのですが、本当に今このひとに知り合えて良かったと思っています。たぶん、この先愛も優しさもカケラとして無い上司や会社のひとに同じようなことを言われたら、私の二十代、というか人生ずっと、十代と同じことを繰り返すだけだったと思います。今、ここで耐性をつけるきっかけをくれることに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

そういうわけで、この一年はちゃんとリクルートスーツで身を包んで縛られることにしました。今段階で、また福祉業界にリターンする決意をすることは、私にとってはただの甘えで逃げでしかありません。それは福祉業界が嫌だとかじゃなくて(むしろ逆だ)、いろんな世界をともかく見ずに、自分のことを論理的に分析しようとせずに、私にできることは福祉、介護しかない、とそっちの方向に歩くことはしたくないということです。多分、言い訳が上手な人間になるだけなので。

ちなみに先日のインターンで、グループ代表に選ばれたりしたことも、自信がついてきた要因です。一生に一度くらいは、意識高い系(笑)と言われてでも成功体験を身に染み込ませようと思います。

 

 

③ 卒論

文系の大学生は卒論をガチで書かない、と理系のひとに揶揄されますが、それなら私は例外者として精一杯書きます。他大学の先生とアポイントが取れたり、社会調査できるような機会にも恵まれたので、学会に認められるような論文を書いてみせます。絶対に書いてみせます。

 

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④ 暮らし

 ①から③を見てわかったと思いますが、相当忙しい年になりそうです。

精神的な調子については手書きの手帳を通じてしっかりモニタリングを堆積させます。きちんと今の立ち位置を理解して、それに相応する行動を心がけていこうと思います。

自炊や掃除は意外と調子が良い時こそする習慣があるので、「料理アルバム」というアプリを使ってモチベーションを高めていきます。ねえ未来の私、私は花嫁修行するべきなのかな?笑

お茶やコーヒーを、一日一回はゆっくり淹れて楽しむ時間が作れるようにしたいです。お茶を淹れて飲むって、本当に、この習慣があるひとにしか理解できないほどの充実さがあると思います。バイトもかなりヘビイに忙しいと思うけれど、未来の自由への欲望だけは自分を解放させてあげたいと思います。過去はもはやよく憶えていないせいもあるけれど、もうどうでも良いのです。過去の私に声をかけられるとしても、ハイハイサンキュー😛、としか思いません。

 

 

 

そうそう、タイトルは中学時代の英語弁論大会での最後のセリフ。

なんかふと思い出しただけで、特別な意味があるわけではない、、、よ。笑

 

 

 

全ては、より良い生き方のために。

プライドは脱ぎます。スーツは着ます。

 

就活を真面目にすることにしました。

 

 

正直、超がつくほどやる気がなかったけど、本気でこのままだと自分は一生かけても同じことをまた繰り返すし、また同じような結末を迎えて本当に変われないどうしようもないやつになる、と気づいた。覚醒した。

馬鹿みたいに今更だけど、とにかく登れるところまで登り切る。ベストを尽くし切る。

 

 

 

それと、TOEICの点数が未だ600点をいかないカスなんで、春休み中に逃げまくっていた問題集と親友になる。3月に自己最高点を叩き出す。

あと、個人研究のほうも結構活動的に動けている。脚を使うからこそ社会学と呼ぶに値する研究だと思っている。

バイトも二月から本格的に始める目処が立ったので、とにかく稼がねば。就活も勉強も研究もとにかく金がかかる。やると決めたからにはやる。

 

 

 

今まで、自分で自分をダメだなあ、と思ったことは百億回くらいあって、その時間を使って地球を3周くらいできた気もするのですが、ひとからそれはダメだよ、と強い言葉で言われた経験はなかったー。

私の見えない背景を説明する余地もなく、頭からげんこつ鼻を叩き折られた私は、本当にどうしようもなく悔しくて悔しくて、ものすごくものすごくものすごく悔しくて、泣いた。

正論なんて最初からわかってる。「でも」私は今までだってずっとずっと頑張ってきたのよ。

逃げてきた現実を直視してこなかった。臭いものは蓋をしてきた。「でも」私は取り扱い注意の人間だから、最初から最後まで優しくし続けて欲しかった。

都合が悪くなると言い訳してきた。環境が変わっても自分が変わらなきゃ何も進歩しないことくらいわかってた。「でも」進歩や成長なんてどうでもよかった。

 

「だって」今のままでいたほうが、このままのほうが、楽だから。

 

そう、全部全部全部わかってる。

全部わかっているからこうやってblogも書いてきた。自分の思考を整理しようともがいてきた。必死になってより良い自分を知ってもらうために頑張ってきた。

 

だけど本当は

私は自分を知ろうとなんかしてなかった。

本当は説明なんかできないくせに、理解したフリして自分も他人も社会も語ろうとしてきた。論理の破綻や私的なコンディションの都合に合わせて静かに豪快に去る卑怯者だ。

 

 

私は努力したことも集中したことも継続したこともない。

 

このままこのチャンスから逃げ出したら、何も変わらない。

それでも道はある? ふざけるな。ベストを尽くしたことのないやつが偉そうに人生哲学を語るなあほ。

 

 

まず、二月は死ぬほど失敗して恥をかいて怒られて笑われて貶されること。

それでためになることだけをメモして記録して、あとは水に流す技を身につける。

恥ずかしいなんて思うような小さなプライドさっさと捨てて、今後の私が大きな誇りを持てるように、今は必死に訓練だ。鍛錬だ。

 

 

 

明日、インターン行ってきます。

 

 

 

 

 

 

何となく衝動的な気分ですし


キャラを作っているように思う、とある人から言われて、すぐに反論をしようとしたということは、それはやっぱり真実だったからなのか。

正論というのはいつだって人の心を揺さぶりかけてきて、台風のような見る影もない傷痕だけを残していく。私は今、とても痛いと感じている。

私が私になる上での根源的な原因をひとつふたつと指折り数えて、またしても動揺し、戦慄し、疼く痛みに甘んじようとしている自分が今ひどく情けない。何をやっているんだ、何をやってきたんだ、、、焦るだけで前へ進めない。キーカラカラ、キーカラカラ。たぬきの糸車を思い出す。


どんなに汚れを隠そうとしても、見てくれだけでも良くしようとベッドメイキングに精を出しても、結局全て痛々しいだけだ。やるのならシーツごとリネン交換しなければ、、、


キャラを作ることに必死なのか、出来てしまったキャラを崩壊させることを目指しているのか、自分でもよくわからない。

でも、私がひどく軽蔑し、嫌悪感を丸出しにして忌々しく思っていた頃の自分でさえ、振り向いてくれる人は確実に居るわけで、強ちその頃の自分を100%批判するわけにもいかないらしい。そして、その頃の自分が犯した間違いによって、今も尋常じゃない痛みに苛まれている私は、100%その頃の私を愛したり感謝の言葉を粋に伝えたりすることが出来ない。でも、20%とか38%とか50%とか79%とか91%とか全くよくわからない。私は数学が苦手なのだ。

純真さがなくなった、と年末に母親から言われた。そう、私はドリーマーからリアリストに没入した代わりに、無垢に笑うことが出来なくなった。何かしらの裏を嗅ぎ取ることが上手くなったことで、表向きの装飾品さえも興味を失った。

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ポジティヴなひとがとても羨ましいと思う。

でも、自分がポジティヴであることに自信を持ち過ぎて、ひとにまでポジティヴであり続けることを要求するようなポジストになるくらいなら、私は今のまま永遠にネガティヴに生きていたほうがマシだ。たとえ暇人で楽をしたがるだけの怠惰な消極的思考者と揶揄されたとしても。私は自分以外の誰かを、悪意がないまま傷つけてそのまま平凡を生きることができるほど強くない。非凡になった者は非凡な道しか残されていないのだ。特にこの世に産み落とされたその瞬間から非凡な私には、「普通」なんて言葉の意味を辞書や本で勉強しても実感が湧かない。

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ああ。やりたいことがわからない。

本当はたくさんあるはずなのに。

素直になろうよ、自分。サングラスなんて外せよ。なあ。