人生は連鎖する、

沢山遠回りしてきた戯れ日記

戦争終わって半世紀後に生まれたんですね私。

バイトが終わった。非常に疲れた。でも、前の現場と比べたら百億倍くらい良かった。私が担当したところは全員が男性だった。良い人ばかりだった。

 

Nに謝った。ゆるしてくれたし、向こうも私に謝った。恋人じゃないのに、Yahoo!で必死に『恋人と喧嘩   LINEのしかた』と検索をかけていた私をどうか笑って欲しい。仲直りすることが良いことであるのかわからないけど、私にとってやっぱりまだNは必要なんだと思う。
いつか、彼との関係のことを、きちんとブログに記録しておきたいな、と思う。彼のことを、ただの失恋話であるとか、若かりし頃の青春、みたいな形でいつの日かの酒の肴にしたくない。でも、今はまだ書くつもりはないし、書けない。

 

ブログやらevernoteやらおにゃおにゃ書き(私の家庭では、日記のことをこう呼ぶ)を読み返すと、どうやら私がこんなテンションになり始めたのはちょうど1ヶ月ほど前のことらしい。具体的に何があったのか、というと、あると言えばあるし、無いといえば無い。偶然か必然か。重なったのか、重ねたのか。よくわからない。


昨日、後輩とご飯を一緒に食べた。バイト以外で同世代と話すのは非常に久しぶりだった。
どうしてそんなに口が動くのだろう、と、彼女の止まらない口ばかりを見ていた。喋りつづけて疲れないのか不思議に思ったが、私は極力喋りたくなかったのでちょうど良かった。
彼女を見て、いつかこの子は虎になってしまうんじゃないか、と想像した。想像すればするほど、今段階で彼女が虎にしか見えなくなって少し可笑しくなった。わかるひとにはわかるだろう、彼女は『山月記』の李徴だ。
自分を軽蔑しているだけなのか、他人を卑下することしかできないのか、どうでもいい。ただ、彼女の話を聴くのはただただ不快だった。ひとを学力的な偏差値でしか語れないのか、と思うとうんざりした。もうこれ以上親しくなりたくないな、と思った。それと同時に、結局私も私で彼女に要らぬ話をしてしまった気がして、それも加えて不快だった。

 

 

こんなテンションだからと言って、何もしていないわけではないから素直に自分を褒めてあげるべきなのかな、と思う。電車に揺られて、バイトもとりあえずちゃんと仕事して、買物行って料理して、洗濯掃除して断捨離して、あくまで自分の嗜好でしかないけど読書もして、映画も観て。まあその読書のせいでこの前かなり病んだんだけど。
あまり自分を責めなくても良いのかな、と天井を仰いでみる。いやいや、とすぐにもう一人の私がツッコミを入れる。いやいや、何言ってんの。あんなことしなきゃこんなことにならなかった、と。

 


詩を書こうと思う今日この頃。
あと、救われるために、もっともっと、社会学の勉強をしようと思う。

2017.08.13.

 
 
Nにサヨナラの挨拶をした。どうせ私のことだから、すぐにでもまた連絡を取ってしまうんだろうな、と思ったけれど、バイトが終わった今、そんなに浅い傷でもないことがわかった。ここで言う傷、とは、私だけの傷ではない。私が彼に対して向けた刃を、彼はおそらくゆるさないだろう。そして、私は、私にしかわからない傷があるのだ。今までも、これからも。
このまま、お互い何者でもない関係をだらだらと続けていても、どうせしあわせになんかなれやしない。一過性の優しさに準じて愛を感じるなんて、一夜限りのセックスのようなものだ。そして彼はそんな私に疲弊しきったのだろう。多少強引でも、これで良かったんだ。これが良かったんだ。そうでも思わなきゃ、この傷を私は穿り返すことしかできないだろう。彼と出会い、別れ、そして今日までのこの名もない関係に、私は永遠の蓋をする。だからもう、私は出来るだけNのことは考えない。出来るだけ。出来る、だけ。
 
鬼束ちひろの曲ばかりを聴いている。特に病んでいる時でない時でも聴いているけれど、改めて彼女の曲を聴くと、やっぱり彼女の良さと言うか、狂気という名のSOSを手に取るように理解することができる。いや、それは嘘だ。彼女の領域には私は入り込めない。そして同時に、彼女の曲を聴きこの感情を抱く私のなかにも、誰も入り込めない。当然だ。そして、それが正しい。
 
ヴァージニア・ウルフの日記と、彼女の夫に対する遺書を読んだのがまずかった。あまりにも、あまりにも私は彼女に近い場所にいる気がした。彼女が私の右肩にいる、そう思った。彼女は59歳で死んだ。数々の苦難やトラウマや壁を、乗り越えて乗り越えて乗り越えて、そして59年目で死んだ。つまり、彼女にも22歳の頃があったのだ。59歳で自殺した彼女にも、私と同い年だった頃があったのだ。
 
 
 
バイト先の同僚と初めて連絡先を交換した。
こういう関係は敢えて遠ざけてきたのだけど、彼女には心を許してしまった。未来の私はこのことを後悔するのだろうか。何したって、みんな行ってしまうのに、と。
 
 
疲れた。
寝る。
 
 

 

ある作家の日記 [新装版]

ある作家の日記 [新装版]

 

 

 
 
 

三日間の日記。

 

2017/08/03 thu

失敗や過ちの数だけ強くなれる、だとか、何事も経験になる、無駄なことなんてひとつもない、みたいな言葉がとても苦手だ。ただの捻くれ者、或いはこじらせ女子、ってだけだと言われたらそれまでだし、なんの異論もないのだけど、最近の私は特に「変化」「成長」「進歩」を怖れているような気がする。


以前は逆だった。昔からの私を知る友人に、「変わったね」って言われることが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。そうでしょ、変わったでしょ、私は前の私と違うのよ、って、みんなにアピールしたかった。もし、今の私があの頃に戻れたら、きっともっと上手くやれたと思うの。そう言って、多くの別れや決断を悔いたり、その頃の私を軽蔑した。

でも実際、そこまで変わることにこだわる必要があったんだろうか。成長することに意義があったんだろうか。だって私が忌避する私にも、私を想ってくれる人はいた。私のことを応援してくれる人や肩を貸してくれる人はいた。それも、一人や二人じゃない。今考えれば、高校の頃のクラスメイトや部活の仲間たちは、私のことを本気で考えてくれていたじゃないか。先生は私を本気で想っていたじゃないか。


前の大学を中退してから、一緒にお茶した教授に言われたことがある。

「あなたはいつも、あなただけが傷ついたような顔して過去を語るけど、そんなこと決して無いから。あなたが入院していた頃、ずっとあなたの分のプリントをとっておいてくれていた同じ学科のあの子のこと、あなたは覚えてる? あなたが大学を辞めると決断した時、あなたを期待していた私がどんな気持ちになったか、あなたにはわかる?」


ーー私は、本当に、変わる必要があったのだろうか。

 


いや、変わらないままでいることなんて、実際は出来るはずがない。日々、人は生きている限り社会のなかで多くの人と出会い、関係を築き、何かを感じ、行動する。そうやって自分のなかで自分なりの考えや哲学はアップデートされていくものだ。今、こうしているこの瞬間にだって。

焦りすぎたのだろうか。
成長した結果や行き着いたゴールが明るくなければ、自分が思い描く最大限の理想像と合致していなければ、しかもそれは出来るだけ早急に達成していなければ、私はダメだった。ダメになってしまうと思った。再起不能。もう二度とどこにも行けない気がした。

わからないな、と思う。
焦って焦って焦って、ようやくたどり着いたこの地で、私はどこにも行けていない。何にもなれていない。

 

 

2017/08/04 fri

 

なぜこんなに上手くいかないのだろう、と考える。努力、という二文字にいつも追いかけられているような気がする。きっと、これは私だけじゃない。現代社会においては、経済的にも社会的にも精神的にもヒエラルキーの上位に立つものは、”努力” してきたからだ、という風潮がある。すなわち、下位の者は怠慢である、というわけだ。努力。努力。努力。それはそうなのかもしれない。資本主義における正義のヒーローはいつだって努力してきた。努力する上のエンジンが備わっていない人間は、そこでは抹殺されている。


とは言え、そんなことを言う権利は、おそらく私にはないだろう、どんな方法、環境、背景があったかなんて、関係ない。私は今、高等機関の学生証を持っている。六畳一間の私だけの住所も存在する。冷蔵庫のなかには少しの野菜も入っている。蛇口をひねれば毎日シャワーを浴びることも出来る。

何より、今の私の居場所のほかに、私には帰る場所も、待ってくれるひともいる。

何の不服があるだろう。
何の不足があるだろう。
何の不穏があるだろう。

今の私は、現代社会における努力論を語るより、さっさとその努力論に則ってただただコツコツと努力するしかないじゃないか。今の私こそが怠慢者だ。

 

 

2017/08/05 sat

昨日の20時から今日の5時にかけて、生まれて初めての夜勤のバイトをした。45分休憩が2回あったけれど、それ以外はずっと小走りで動きっぱなしだった。きっと怠慢者ではなかった、と思う。とても久々にブラックの缶コーヒーを飲んだが、水のような味がした。

6時頃に帰宅して、顔を洗い、炊飯器をセットし、バシャバシャと化粧水をつけて半ごろに眠った。目覚めたのが11時半だった。悪くなかった。シャワーを浴びた後、掃除と洗濯をして、炊き上がったご飯を食べた。今は14時。あと1時間半後はバイトへ行く時間だ。今日は22時まで働く。明日は21時まで働く。きっと怠慢者ではない、と思う。

 

最近、完全に思考能力が落ちている、という自覚が強くある。

入院していたときの感覚に少しだけ似ている。私の頭のなかから、ありとあらゆる語彙や計算能力がポロリポロリとこぼれる。難しいことが考えられない、というか、効率的に物事を解決するための手段が思いつかない、というか。難しいことを整理するための引き出しが、立て付けが悪くて開かない、というか。なんかよくわからないし、もちろん入院していた頃よりはずっとマシなわけだけど、ああ、ちゃんと勉強しなきゃな、と自戒した。図書館から借りた本も、延長手続きをしたにもかかわらず、まだ読み終わっていない。

 

この前、中学時代の恩師と飲んだ。何の話からそういう話になったのか、いまいち覚えていないのだけど、先生が、

「『公務員で良いよなあ』って、しょっちゅういろんな奴らに言われるけどさア、そんなこと言うんだったら、んなもんなれば良かったじゃん、って思うんだよね。」

と、生をぐびぐびしながら笑った。

きっと、私に対して、そう言ったんだろうな、と、思い返している。

社会科教員を目指していたのに、四年制大学そそくさと逃げ去った私。社会人もなりきれずに逃げて、今度もまた、短期大学で行き詰まりを感じている私に対する、先生なりの最大限の戒めだったのかな、と。いや、考え過ぎかもしれない。

 

とにかく、この先のこと、もっとちゃんと考えなきゃ、な。 14:27。あと1時間。

 

 

2017/07/16

 

今日は総じて気分が上がらない1日だった。私は、いつだって気分上々なわけではないのだけれど、今日は特に、非常に、気分が優れない1日だった。まあ、365日24時間コンビニの蛍光灯のようにぴかぴか眩しいテンションの人間なんて居ないだろうし、人と比べても、そこまで憂鬱な人間でもないと私は自分でそう思っている。人がどう思っているのかは知らない。

 

今日は午前9時頃に目が覚めた。全く、前記事で起きる時間を決める、なんてカッコいいこと並べていたくせに、このザマだ。昨日、バイトが終わって帰宅後、ふと映画を観たくなって夜中の2時過ぎまでNetflixで観たのがまずかったか。いや、まずくないはずだ。『ハドソン川の奇跡』を観た。実話をもとにしたニューヨークの映画だ。ちっとも英語を意味として聞き取ることは出来なかった。改めて、戸田奈津子さんや松浦美奈さんは凄いなあ、と思う。いや、この映画の字幕翻訳家が誰なのか調べてないけど。たぶん、どっちかだと思う。とにもかくにも、この映画を観たことに後悔はない。時間帯がまずかっただけだ。

 

9時頃に目が覚めたとはいえ、そこから活発的に行動できたわけでもない。ボンヤリと母とLINEをしながらだらだらと共謀罪について調べていた。日本国憲法のレポートを2本仕上げなければならないのに、まだ1本めのネタすらふらふらしていた。現代美術のレポートはとりあえず第1章の4分の3を書き終えた。この前行ったジャコメッティの作品について。

 

アパートのなかにいても暑いし息詰まるし、と、バイトまでまだまだ時間はあったが適当に化粧して外に出た。セブンイレブンで100円のアイスコーヒーを買った。店員が同級生だった。そこまで親しくないひとに対する挨拶や表情の具合が私にはわからない。向こうは店員スマイルだった。あそこのコンビニは、 何故か異常なほどみんな元気だ。そう、ぴかぴか眩しい蛍光灯のように。

 

アイスコーヒーを片手に、かなり日陰になっている川縁に座った。ボンヤリとした。向こう岸のベンチに、70歳くらいのおじいさんが疲れ果てたように座っていた。あしたのジョーみたいだった。何が彼をそこまで絶望に追いやったのだろうと考えた。ただ単に暑かっただけなのだと思う。

そこでも母とLINEをした。夏休み、私は今のバイト先にプラスしてもう1つ掛け持ちをするのだが、そこで履く服を母が買ってくれた。バイト。バイト、か。

 

母は、終わり際、「頑張ってね」と私に言った。「私も頑張るから」と。

不思議だな、と思った。

頑張って、という言葉にあれほどの拒否反応を起こしていた私は、今、この言葉がとても好きだ。いや、もちろん、この言葉が持つある一定の暴力性だとか、危険性だとかは、今でも十分過ぎるほど承知しているし、わざわざここに文章化する必要性も無いだろう。私はひとに進んでこの言葉を掛けたことは無いし、この先も無いだろう。けれど、母からこの言葉を掛けられた時、なんと言うか、むしろとても嬉しい、と思った。頑張って。がんばって。ガンバッテ。gannbatte。ああ、自然と、本当に自然と無意識に、母が私に対してこの言葉を掛けられるほど、私は母から、母は私から、離れることができたんだな、そういう感覚だ。無責任、という言葉が果たして適切なのかはわからない。けれど、少なくとも、今の私の母は、「常に」「共に」「頑張り続ける」「同志」ではないんだな、と思った。私たちはもう、別々の個体で、お互いがお互いに対し、「頑張って」と言えるほどの関係性に落ち着いたんだな、と。悪く無いことだ。

 

アイスコーヒーが無くなって、しばらくその川縁に居たけれど、お尻が痛くなったので早めに電車に乗ることにした。13時だった。いつもは16時ちょっと前の電車に乗る。

本厚木駅で降りた。私はこの街はあまり好きではない。厚切りジェイソンもあゆコロちゃんも好きだし、今もホームに流れるいきものがかりの『エール』も良いなあ、と思う。ただ、個人的にあまり良い思い出がないからなだけかもしれない。

本厚木駅から直で中央図書館に入った。あまり涼しくもないし、朝刊の新聞はしわくちゃだった。子どもの声が響いて少し不穏になった。私は子どもが嫌いなのではなく、高くて大きくて不安そうで苦しそうな声や音が苦手なのだ。

しばらくそこで、上野千鶴子の『構築主義とは何か』を読んでいた。デリダの「脱構築」やスピヴァクの「戦略的本質主義」を正しく理解する上で、この構築主義は最も重要な理解の1つだろうと思う。でも、途中まで読んで、やっぱり専門知識を知ることは怖いなあ、と思って本棚に戻した。せめて来週の水曜、すなわち7月26日までは、私は「知識人」になりたくなかった。

 

そのあとブックオフに入った。村上春樹の『アフターダーク』が216円で売っていた。この話は、盛岡の県立図書館で借りて読んだ。村上春樹の作品のなかで、私はこの話が一番好きだ。主人公が私に似ている、初めて読んだ時、そんな気がしていた。でも今思えば、あれを読んでいた当初の私は、エリのほうだと思う。

キャッシュを持ち歩いていなかったので、本を購入するつもりはなかった。私はブックオフより2つ上の階に上がり、そこの勉強スペースで少しだけ予習をした。隣の女子高生がベクトルの問題とにらめっこしていた。ああ、私はこの先の人生で、アルファベットの上に→を書いたり、∫だとかsinだとかΣだとかで頭を悩ませることがあるのだろうか、と思った。妙に彼女が羨ましくなった。

 

バイトの時間が近くなり、慌てて駅へ戻った。途中でなんとか、っていう俳優さんがドラマのロケをしていた。私はもう長いことテレビを観ていないから、よくわからなかった。

 

バイトはいつものようにいつものメンツがいつもの順序でいつもの挨拶を交わしながらいつもの仕事をした。どうやら私はこのバイトを始めてもう直ぐ半年になるらしい。夜のシフトのメンバーのなかでは、私は7人中3番目の人間になった。たかが半年。されど半年。いや、やっぱり、たかが半年だ。だから、私はこのバイトをまだ続ける。納得するまで、あるいはさせるまで、続ける。だれに納得してもらいたいのか、書くまでもないだろう自分よ。

 

終わり際になって少しハプニングがあって、結局いつもより遅めにタイムカードを切った。帰りに寄りたい店があって、反対方向へ歩いた。驚くほど酔っ払った若者で溢れていた。真っ赤なワンピースをヒラヒラさせながら男にもたれかかり、ガッコン、ガッコン、と歩いている女性が印象的だった。地面に転がった無数のビールの空き缶やゴミたちをぼんやりと眺めた。警官と目が合った。何にもないわけもないだろうが、彼も彼で、ぼんやりと若者たちを眺めていた。そんなことをしていたから、寄りたい店の閉店時間も近くなり、寄る意味も無くなったのでそのまま電車に乗った。

 

電車のなかでは少しだけ本を読んだ。ルース・ベネディクトの『菊と刀』。ラダー文庫で入っているだけあって、そこまで難しい英文ではない。日本人の義理について長ったらしく章立てしてまで書いていた。まあ、面白くないわけでもない。ただ、疲れていたし、すぐに飽きてしまった。

 

最寄駅にチェーン店の牛丼屋さんがあって、いいなあお腹空いたなあ、と思った。通りかかるまではしたけど、PASMOで牛丼を食べるのはなんか嫌だった。現金だろうとPASMOだろうと、何も変わらないのだけど、なんかそういうのが嫌だった。結局そのまま通り過ぎた。

 

随分と長い1日だったように思う。

とても疲れた。明日は世間では祝日らしい。

私は歴史学の講義を受ける。そろそろ図書館で本を返さなければならないし、レポートもいい加減終わらせなければならない。そういいながら、結局1時半を過ぎている。

 

なぜ気分が上がらなかったのか、よくわからない。

ただ、都会の日曜日は好きになれないな、と思った。

こういう文体で日記を書くのも悪くないな、と思った。

セブンイレブンのアイスコーヒーは、やっぱり美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自律心を持つ

 


 

暑いのが苦手なくせに、クーラー効いた教室や電車のなかにいるとグラグラ体調が悪くなる今日この頃です。カーディガンとホッカイロが手放せない季節ですね❄️←ぇ

 

先週の金曜、無事に22歳になりました。

日本国憲法のレポートと、明日の英語のテス勉が溜まっているのを横目に、今日も今日とて就職活動へ行ってきました。その帰りに、現代美術のレポート課題のために、国立新美術館で催されているジャコメッティ展を観に行きました。ブツクサ言いながら、バイトだって続けているのです。そう、22歳の私、それなりに頑張ってます💁

 

 

 

 

先日に入ったカフェで、すごく落ち着いた気分でいろいろ考え事をしていたのですが、少しばかりその内容を加えたり減らしたりなんかして、ようやくこのブログに22歳の抱負なるものを書くことにします。‥‥‥と、その前に、ちゃんと21歳の目標の達成度を確認しなければ。

 

 

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mercy07s.hatenadiary.jp

 

①集中力 ★☆☆☆☆

→集中力が無い、ということ自体より、物事に集中出来る環境が殆ど整っていない1年間だった。そろそろ本や服を売れるものは売るなりして、断捨離しなければ。

物理的な環境→家事や金銭関連の管理→プライオリティーの把握

という順序でやっていかなければ、一朝一夕に集中力は身につくものではないと感じさせられる。集中力アップは、それが達成してから考えること。

 

②自律心 ★☆☆☆☆ 

→うーーーん。最初、星を3つ付けたけど訂正。自立心はほぼほぼパーフェクトなんだがな‥‥‥(去年も同じようなことを書いている)。

自分の行為を自分でコントロールする、って、意外とかなり難しい。自分で決めたルールに忠実であること、これって私の最重要課題だ。まず、ともかくお金の管理と日常生活の完全なる安定化から。

 

③言葉の使いかた ★★★☆☆

→これはマアマア達成されたほうだと思う。使いかた、というのかわからないけど、ひとに余計なことを言わない、って、とても素敵なことだ。中学時代の私は、ひとの悩みをまるで掃除機のように聴きまくっていたけれど、それはあまりにも無責任だし、あるいは多くの敵を作る要因となる。自分に無関係で、尚且つ自分に選択を迫ってくるような相手とは、そもそも意識的に距離を置くようにした。冷たいと思われても致し方ないけれど、私が一番に守り、愛してあげたいのは自分自身の人生だ。

 

④趣味を極める ★★☆☆☆

→極める、っていう意味がよくわからないぞハタチの詩織。

でも、この頃の私が好きなことや趣味が、今も一貫して何も変わっていない、というのは評価したいことだ。今でも毎日紅茶や台湾茶は淹れているし、今日は美術館に行ってきたし、日暮里谷中の陶器屋さんとは顔馴染みの仲だ。読書は最近になってまた再ブームが到来しているから、このペースを維持し続けたいな、と思う。でもまあ、無理のない範囲内で。

 

⑤英語力 ☆☆☆☆☆

笑わせてやがる、、、そもそも、この1年間でTOEICを2回しか受けていないって、君は本当に英語科として自覚しているのか? と怒られそうな気分だ。そしてその2回とも、目標である700点に到達していない。笑い事じゃないじゃんこれ。

でも、TOEICの勉強よりも英検やTOEFL、IELTSのほうが面白いんだな。こっちの勉強をしているほうがキラキラ楽しいし、講義の内容もこっち寄りだし、スピーキングやライティングなどのアウトプットもあるし、うん、こっちの勉強を数値的な目標に置くほうが私にとって有意義な気がする。

 

 

 

 

これを踏まえて、22歳。もう1週間経過するけどね。

 

 ① 自律心

→これは去年とほぼ同じテーマ。

具体的には、「一歩後ろに引く力」、「後先のことを考えるゆとり」、「自分を客観視する勇気」、が私にとって重要だ。たとえば、夜中になんか突発的に食べちゃう、とか、逆に食事を適当に済ませてしまう、とか。私にとって食生活と金銭管理というのはかなり密接に関わっている問題点で、ネガティヴな時はバアって適当な食事にお金を使っちゃうことが多い。むしろ、それ以外のことで無駄にお金を使う、ってことはめっっっっっったにない。食生活の安定こそが貯金、自律心への第一歩、第二歩だということをきちんと理解し、精神的ゆとりのある生活を送る。

 

②貯金

①とも関連するけど、ともかく貯金が大事。9月下旬までに、みずほ銀行に最低でも確実に40万貯める。 それ以降も当然バイトは継続して、来年の3月に妥協のない引っ越しをしたい。まあ立地は未だに目処がつかないけど、洗濯機も新しくしたいし、ソファーベッド欲しいし、 大きな本棚も欲しい。全て3月までのそろえることはできなくても、自分の価値観にちゃんとマッチしたアパートに住みたい、ってこと。社会人になって始めの方はそれなりに支出も多いと思うし、とにもかくにもみずほ銀行に課金しまくる気分で頑張る。

 

③ホルモンバランスの安定

私の精神状態は、だいぶこれに左右されている。ストレスを溜めないことももちろん大事なんだけど、そもそも身体の状態が他のひとより悪い部分がある。ちゃんと同じ時間に薬を飲んで、自分で決めたルーティーンワークを達成することを重要視する。朝は同じ時間に起きる。私はヘビースリーパーなので、読書の時間も含めてちゃんと8時間は睡眠のための時間に充てる。栄養バランスの整った自炊をする。インスタント食品をそのままの形で多用しない。部屋の片付け、洗濯を先延ばししない。無理しない。意識的に休憩する。自分の体調や気分を文字で記録する。

 

④英語力

IELTSの受験料は異常だから、この1年で受験しないと思う。でも、英検準一級はこの在学中に取れる気がするんだな。(((((謎)  TOEFLは英検後に考える。

夏休みも継続して今使っている教科書使って、ちゃんとpodcast聴いて、図書館に入ってるラダー文庫のレベル3、4を音読制覇する。ネイティヴの先生ともっと話す。ほんと、英語科として恥ずかしくないレベルで卒業する。ガチで。

 

 

⑤それ以外の重要事項

物をこれ以上増やさない/新聞を読むことを厭わない/自分自身のことを多く語らない/ひとに弱みを見せない/他人に余計な行為をしない/会いたいひとに会う/合わない人とは精神的に距離を置く/誰よりも守るべきは自分、愛すべきは自分の大切な周囲であることを理解する/多くの芸術・文学に触れる/固有名詞を多く知る/必ず卒論を立派なものに仕上げる/自分のなかにある女性性を大事に育てる/常に背筋を伸ばす/質の良いものに触れる/継続する/時間管理を記録する/タイマーや砂時計を使う/bamboo grass🎋のようなしなやかでしたたかな女性でありつづける

 

 

 

 

 

 22歳の詩織も相変わらずこんな感じだと思いますが、よろしくお願いします♩

 

 

 

 

最後の21の夜

  

昨日、本当に色々考えさせられる出来事があって、本当はこの場で事細かに書きたいし書くべきなんだと思うけれど、truthというよりもpost-truth、つまりその時のありのままの事実じゃなくて、私がそうであってほしい、そうでありたかった、事実を活字として記録するだけになってしまう気がするのでやめておく(実は途中までevernoteに書いたのだけど、それをコピーしてはてなの編集部分に載せようとしたらカットと間違えて全てパーになっただけともいうが、兎にも角にももう書かない。)

 


まず、結論。
私は、本気で研究職を目指そうと思う。

 

就職活動していて、マア落ちに落ちまくっているというか、実際通っていなくもないんだけれど結局そこかwwwってところでお祈り食らったり、周囲の人間が私の身体や精神の崩壊の憂慮、要は私は他の人間と決定的に何かが違う(欠落している)のだから、他の人間と同じペースとリズムとセンスで生きられるなんて甘いこと考えんじゃねーよ、的なことをそりゃまあ何度も何度も何度も、身体と精神がくたびれてペースもリズムもセンスも崩されてしまうほど言われつづけてきた。だけど実際は、崩れるどころか、私の支柱となる私の器官は、より強固なものとなっていて、ちょっとやそっとで壊れない頑丈な心身でありとあらゆる企業を受けていた。
しかしその器官というのは裏があって、私が勝手に私の一部であるかのように勘違いしていたけれど、実際はなんと骨折中の骨にボルトをとりあえず埋め込んだものに過ぎないようなものだった。ヨソモノだ、と私の本物の器官はそのボルトを排除してしまった。実際にそのこと自体は何の後悔もない。どんなに有用性のあるボルトだとしても、そのボルトは私ではない。私はまだまだ成長していく。まだまだ成長、治癒能力が残っている段階で、すでに完成形であるボルトを埋め込むなんて、そんな形の決まった先を順々に歩いていくほど私はつまらない人間になりたくない。
そういうわけで、無理やり支柱をぶち壊した私はまだ脆くてガタガタと音を立てて壊れそうなほどの私自身だけの力で私の人生を切り拓いていく必要に迫られた。迫られた、というか、自分で選んだんだけど。


その時に訪れたのは、希望の光でも永遠の幸せでも第一志望先への内定でもなく、無気力だった。

逃げたくなった。いや、逃げた。
色々な義務やしがらみや約束や規範から、解放されたい、と。何もしたくなくなったし、実際に大幅にエントリー数を減らした。自分からキャンセルさえもした(すみません)。疲弊している自分に疲弊した。単なる就活生が陥るスランプだ、と言ったらそれまでだしその通りなんだけど、とりあえず一度急速に速度を落とした。止まることはしなかったから、そこは素直に私は私を評価してあげようと思う。

 


そんな状態で受けた昨日の面接で聞かれたことと、1人の女性との出会い、その夜に入ったカフェで、私はようやく自分の本質へと立ち返った。

 


私、研究職に就きたいんだ、と。


この前書いたブログ(なんと、タブレットでの編集作業で突然削除された!!!)で、大学教授への不信感というか、疑問みたいなものを吐露していたのだけど、それも含めて、私は今の社会史の研究を続けたくて続けたくて堪らないのだ、という結論に至った。


ただ、じゃあ今日から就活を全て撤退して編入試験の準備しますわ〜なんて、現実的に無理無茶無謀なことだ。卒業後にどこかしらに就職して兎にも角にも稼がなきゃならないというのは揺るがない現実だ。

しかし、その就職も、今までみたいに正社員!東京!首都圏!給与!ボーナス!給与!ボーナス!要するに奨学金返済!金!金!金!みたいな、なんかギラギラした目でネズミを狙ってるネコみたいな真似はやめようと思う。周りの人たちからのありがた〜い忠告を呑むというわけに見える、というか実際にそういうことに他ならないんだけど、地域も職種も拘らずに、勉強や研究と両立できる程度の職(通信制大に通いたい)で、仕事に関してはユルく考えようと思う。怒られるかもしれないけど、私がなりたいのは超バリバリのOLやワーキングウーマンじゃない、と気づかされてしまったんだ。

 

 

最後に。
自分の信念に貪欲であるということは、この上ない程の幸せであることと同時に、常に先への危機と他者からの苦難を隣へ据えるということなのだ。 (21歳終了のチャイムが鳴る🔔🛎)

 

 

 

 

 

who am i ?

 

今、すごい久々にアルコールを摂取して、しかもだいぶ酔っている気分なので、今しか書けない気がする文章を書きます。もしかしたらシラフの私が見たら、顔から火を吹いて憤死するほどの内容を書くかもわからないけど、今書きたいことを書きたい気分なのだから仕方がない。書く。何だろう、ただ酔っ払っているだけなのかもしれないけど、久々にこの高揚感。高校時代に良い小説のプロットを書けたとき、月一の俳句の句会で一位になれたときのあのウキウキ感にすごく似ている。

 

 

 

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詩織、本当にそれで良いの?

って、何度も、何度も、何度も、頭のなかで響く。その声の主を、私は知っている。生まれた時から聴き慣れた声。高くもなく、低くもない、あの声だ。ああ、でも小、中学の頃、合唱ではアルトだった。

 

詩織、本当にそれで良いの?

しつこい、うるさい、しつこい、うるさい、しつこい、、、

私は必死にその声に反抗する。逃げようとする。でも追いかけてくる。どこまでも追いかけてくる。まるで影のように追いかけてくる。‥‥‥暫くして、私はその声が影じゃないことに気づく。ああ、、、影じゃない。影じゃ、ない。

 

 

今さっき、駅前の高架下の、川縁に座っていた。

数日前と同じ位置で、何をするでもなく、ぼんやりと座っていた。

数日前と違うのは、今日は川に水が無かったことと、右手の100円のホットコーヒーは、セブンイレブンではなく、ファミリーマートで買った、ということだけだ。

そう、、、川に、水がなかったのだ。

数日前、私が小石を投げ入れて面白可笑しく虐めた、赤と黒の金魚たちは、何処にいるのだろう。ちゃんと今日もご飯を食べられただろうか。ちゃんと澄んだ水のある場所で、平和な気持ちで泳げているだろうか。

 

 

詩織、、、ほんとうに、ほんとうに、今のままで良いの?

 

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私が勝手にメンターとして慕っている二人の女性から、ほぼ同時に連絡が来た。

本当に、これはただの偶然だ。二人の共通点は確かに一つだけあるのだけど、おそらく、二人の面識は無いだろう。その共通点は、あまりにも個人的な情報なので伏せておく。でも、今私が読み込んでいる本の訳者も、彼女たちとの大きな共通点を持っている。

私は特に、何かしらの大きな信仰を持っているわけではないのだけど、何者かが私をどこかへ呼び寄せているとしか思えない。うん、ほんとうに、ほんとうに、そう思う。いや、単に思いたいだけだろう。私が今生きている現実が、あまりにもハードだから、無理矢理その偶然を必然のものとして受け容れたいだけだ。そんなことはわかっている。ただの現実逃避、あるいは詩織さんお得意の防衛機制

 

でも、、、、、

もう一度、あの声がする。

 

詩織、本当にそのままで良いのか、って声だ。

 

 

 

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私の研究の方針が、少しだけ変わったからご報告。

グラムシとかスピヴァクとかサイードとか、まあ要するにポストコロニアリズム関係の本ばかりを読み込んでいたら、彼(女)らが抱えてきた問題と全く同じ問題とぶち当たった。

 

つまり、専門書を読めば読むほど、学術的な知識がつけばつくほど、私はどんどん当事者と遠くなっているのだ、と。知識人と呼ばれる立場に近づくこと、固有名詞の定義をより詳細に知るということ、それは今の私が最も怖れる事態だ。私は知識を以って誰かに私の考えを振りかざしたいわけではない。むしろ、知識や技術や権利や時間を持たない人間の、声なき声の存在を訴えたいのだ。にも関わらず、そのことをいち早く研究学問として取り上げた先人たちの出版物を読むことで、私はそれができなくなってくる。誰かを知るために知識を得るということは、それだけでまた他の誰かに対する一種の権力を掌握するということなのだ。誰かを守るためにその知識を運用することは、また他の誰かを忌み、傷つけ、陥れる手段にもなり得るのだ。

 

だから、今、ちょっと専門書を読むことをお休み中。永遠休止するつもりはない。今でしか書けない論文の章があるはずだ。私はそれを書き終えてから、また新たなステップを踏み出す。それまでは好きにさせてほしい。

 

 

そうだろう? 詩織。 ほんとに、そんな夢を掲げておいて、今のままの詩織なんて、私は納得なんかしないね。

 

聴き慣れた声が、私を強く叱咤する。‥‥‥私が、私を、叱咤する。

 

 

 

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さあ詩織。もう一度考え直してみなさい。

 

22歳。そろそろ目を覚まさないと、もうどこにも行けやしないわよ。