人生は連鎖する、

沢山遠回りしてきた戯れ日記

2017/07/16

 

今日は総じて気分が上がらない1日だった。私は、いつだって気分上々なわけではないのだけれど、今日は特に、非常に、気分が優れない1日だった。まあ、365日24時間コンビニの蛍光灯のようにぴかぴか眩しいテンションの人間なんて居ないだろうし、人と比べても、そこまで憂鬱な人間でもないと私は自分でそう思っている。人がどう思っているのかは知らない。

 

今日は午前9時頃に目が覚めた。全く、前記事で起きる時間を決める、なんてカッコいいこと並べていたくせに、このザマだ。昨日、バイトが終わって帰宅後、ふと映画を観たくなって夜中の2時過ぎまでNetflixで観たのがまずかったか。いや、まずくないはずだ。『ハドソン川の奇跡』を観た。実話をもとにしたニューヨークの映画だ。ちっとも英語を意味として聞き取ることは出来なかった。改めて、戸田奈津子さんや松浦美奈さんは凄いなあ、と思う。いや、この映画の字幕翻訳家が誰なのか調べてないけど。たぶん、どっちかだと思う。とにもかくにも、この映画を観たことに後悔はない。時間帯がまずかっただけだ。

 

9時頃に目が覚めたとはいえ、そこから活発的に行動できたわけでもない。ボンヤリと母とLINEをしながらだらだらと共謀罪について調べていた。日本国憲法のレポートを2本仕上げなければならないのに、まだ1本めのネタすらふらふらしていた。現代美術のレポートはとりあえず第1章の4分の3を書き終えた。この前行ったジャコメッティの作品について。

 

アパートのなかにいても暑いし息詰まるし、と、バイトまでまだまだ時間はあったが適当に化粧して外に出た。セブンイレブンで100円のアイスコーヒーを買った。店員が同級生だった。そこまで親しくないひとに対する挨拶や表情の具合が私にはわからない。向こうは店員スマイルだった。あそこのコンビニは、 何故か異常なほどみんな元気だ。そう、ぴかぴか眩しい蛍光灯のように。

 

アイスコーヒーを片手に、かなり日陰になっている川縁に座った。ボンヤリとした。向こう岸のベンチに、70歳くらいのおじいさんが疲れ果てたように座っていた。あしたのジョーみたいだった。何が彼をそこまで絶望に追いやったのだろうと考えた。ただ単に暑かっただけなのだと思う。

そこでも母とLINEをした。夏休み、私は今のバイト先にプラスしてもう1つ掛け持ちをするのだが、そこで履く服を母が買ってくれた。バイト。バイト、か。

 

母は、終わり際、「頑張ってね」と私に言った。「私も頑張るから」と。

不思議だな、と思った。

頑張って、という言葉にあれほどの拒否反応を起こしていた私は、今、この言葉がとても好きだ。いや、もちろん、この言葉が持つある一定の暴力性だとか、危険性だとかは、今でも十分過ぎるほど承知しているし、わざわざここに文章化する必要性も無いだろう。私はひとに進んでこの言葉を掛けたことは無いし、この先も無いだろう。けれど、母からこの言葉を掛けられた時、なんと言うか、むしろとても嬉しい、と思った。頑張って。がんばって。ガンバッテ。gannbatte。ああ、自然と、本当に自然と無意識に、母が私に対してこの言葉を掛けられるほど、私は母から、母は私から、離れることができたんだな、そういう感覚だ。無責任、という言葉が果たして適切なのかはわからない。けれど、少なくとも、今の私の母は、「常に」「共に」「頑張り続ける」「同志」ではないんだな、と思った。私たちはもう、別々の個体で、お互いがお互いに対し、「頑張って」と言えるほどの関係性に落ち着いたんだな、と。悪く無いことだ。

 

アイスコーヒーが無くなって、しばらくその川縁に居たけれど、お尻が痛くなったので早めに電車に乗ることにした。13時だった。いつもは16時ちょっと前の電車に乗る。

本厚木駅で降りた。私はこの街はあまり好きではない。厚切りジェイソンもあゆコロちゃんも好きだし、今もホームに流れるいきものがかりの『エール』も良いなあ、と思う。ただ、個人的にあまり良い思い出がないからなだけかもしれない。

本厚木駅から直で中央図書館に入った。あまり涼しくもないし、朝刊の新聞はしわくちゃだった。子どもの声が響いて少し不穏になった。私は子どもが嫌いなのではなく、高くて大きくて不安そうで苦しそうな声や音が苦手なのだ。

しばらくそこで、上野千鶴子の『構築主義とは何か』を読んでいた。デリダの「脱構築」やスピヴァクの「戦略的本質主義」を正しく理解する上で、この構築主義は最も重要な理解の1つだろうと思う。でも、途中まで読んで、やっぱり専門知識を知ることは怖いなあ、と思って本棚に戻した。せめて来週の水曜、すなわち7月26日までは、私は「知識人」になりたくなかった。

 

そのあとブックオフに入った。村上春樹の『アフターダーク』が216円で売っていた。この話は、盛岡の県立図書館で借りて読んだ。村上春樹の作品のなかで、私はこの話が一番好きだ。主人公が私に似ている、初めて読んだ時、そんな気がしていた。でも今思えば、あれを読んでいた当初の私は、エリのほうだと思う。

キャッシュを持ち歩いていなかったので、本を購入するつもりはなかった。私はブックオフより2つ上の階に上がり、そこの勉強スペースで少しだけ予習をした。隣の女子高生がベクトルの問題とにらめっこしていた。ああ、私はこの先の人生で、アルファベットの上に→を書いたり、∫だとかsinだとかΣだとかで頭を悩ませることがあるのだろうか、と思った。妙に彼女が羨ましくなった。

 

バイトの時間が近くなり、慌てて駅へ戻った。途中でなんとか、っていう俳優さんがドラマのロケをしていた。私はもう長いことテレビを観ていないから、よくわからなかった。

 

バイトはいつものようにいつものメンツがいつもの順序でいつもの挨拶を交わしながらいつもの仕事をした。どうやら私はこのバイトを始めてもう直ぐ半年になるらしい。夜のシフトのメンバーのなかでは、私は7人中3番目の人間になった。たかが半年。されど半年。いや、やっぱり、たかが半年だ。だから、私はこのバイトをまだ続ける。納得するまで、あるいはさせるまで、続ける。だれに納得してもらいたいのか、書くまでもないだろう自分よ。

 

終わり際になって少しハプニングがあって、結局いつもより遅めにタイムカードを切った。帰りに寄りたい店があって、反対方向へ歩いた。驚くほど酔っ払った若者で溢れていた。真っ赤なワンピースをヒラヒラさせながら男にもたれかかり、ガッコン、ガッコン、と歩いている女性が印象的だった。地面に転がった無数のビールの空き缶やゴミたちをぼんやりと眺めた。警官と目が合った。何にもないわけもないだろうが、彼も彼で、ぼんやりと若者たちを眺めていた。そんなことをしていたから、寄りたい店の閉店時間も近くなり、寄る意味も無くなったのでそのまま電車に乗った。

 

電車のなかでは少しだけ本を読んだ。ルース・ベネディクトの『菊と刀』。ラダー文庫で入っているだけあって、そこまで難しい英文ではない。日本人の義理について長ったらしく章立てしてまで書いていた。まあ、面白くないわけでもない。ただ、疲れていたし、すぐに飽きてしまった。

 

最寄駅にチェーン店の牛丼屋さんがあって、いいなあお腹空いたなあ、と思った。通りかかるまではしたけど、PASMOで牛丼を食べるのはなんか嫌だった。現金だろうとPASMOだろうと、何も変わらないのだけど、なんかそういうのが嫌だった。結局そのまま通り過ぎた。

 

随分と長い1日だったように思う。

とても疲れた。明日は世間では祝日らしい。

私は歴史学の講義を受ける。そろそろ図書館で本を返さなければならないし、レポートもいい加減終わらせなければならない。そういいながら、結局1時半を過ぎている。

 

なぜ気分が上がらなかったのか、よくわからない。

ただ、都会の日曜日は好きになれないな、と思った。

こういう文体で日記を書くのも悪くないな、と思った。

セブンイレブンのアイスコーヒーは、やっぱり美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自律心を持つ

 


 

暑いのが苦手なくせに、クーラー効いた教室や電車のなかにいるとグラグラ体調が悪くなる今日この頃です。カーディガンとホッカイロが手放せない季節ですね❄️←ぇ

 

先週の金曜、無事に22歳になりました。

日本国憲法のレポートと、明日の英語のテス勉が溜まっているのを横目に、今日も今日とて就職活動へ行ってきました。その帰りに、現代美術のレポート課題のために、国立新美術館で催されているジャコメッティ展を観に行きました。ブツクサ言いながら、バイトだって続けているのです。そう、22歳の私、それなりに頑張ってます💁

 

 

 

 

先日に入ったカフェで、すごく落ち着いた気分でいろいろ考え事をしていたのですが、少しばかりその内容を加えたり減らしたりなんかして、ようやくこのブログに22歳の抱負なるものを書くことにします。‥‥‥と、その前に、ちゃんと21歳の目標の達成度を確認しなければ。

 

 

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mercy07s.hatenadiary.jp

 

①集中力 ★☆☆☆☆

→集中力が無い、ということ自体より、物事に集中出来る環境が殆ど整っていない1年間だった。そろそろ本や服を売れるものは売るなりして、断捨離しなければ。

物理的な環境→家事や金銭関連の管理→プライオリティーの把握

という順序でやっていかなければ、一朝一夕に集中力は身につくものではないと感じさせられる。集中力アップは、それが達成してから考えること。

 

②自律心 ★☆☆☆☆ 

→うーーーん。最初、星を3つ付けたけど訂正。自立心はほぼほぼパーフェクトなんだがな‥‥‥(去年も同じようなことを書いている)。

自分の行為を自分でコントロールする、って、意外とかなり難しい。自分で決めたルールに忠実であること、これって私の最重要課題だ。まず、ともかくお金の管理と日常生活の完全なる安定化から。

 

③言葉の使いかた ★★★☆☆

→これはマアマア達成されたほうだと思う。使いかた、というのかわからないけど、ひとに余計なことを言わない、って、とても素敵なことだ。中学時代の私は、ひとの悩みをまるで掃除機のように聴きまくっていたけれど、それはあまりにも無責任だし、あるいは多くの敵を作る要因となる。自分に無関係で、尚且つ自分に選択を迫ってくるような相手とは、そもそも意識的に距離を置くようにした。冷たいと思われても致し方ないけれど、私が一番に守り、愛してあげたいのは自分自身の人生だ。

 

④趣味を極める ★★☆☆☆

→極める、っていう意味がよくわからないぞハタチの詩織。

でも、この頃の私が好きなことや趣味が、今も一貫して何も変わっていない、というのは評価したいことだ。今でも毎日紅茶や台湾茶は淹れているし、今日は美術館に行ってきたし、日暮里谷中の陶器屋さんとは顔馴染みの仲だ。読書は最近になってまた再ブームが到来しているから、このペースを維持し続けたいな、と思う。でもまあ、無理のない範囲内で。

 

⑤英語力 ☆☆☆☆☆

笑わせてやがる、、、そもそも、この1年間でTOEICを2回しか受けていないって、君は本当に英語科として自覚しているのか? と怒られそうな気分だ。そしてその2回とも、目標である700点に到達していない。笑い事じゃないじゃんこれ。

でも、TOEICの勉強よりも英検やTOEFL、IELTSのほうが面白いんだな。こっちの勉強をしているほうがキラキラ楽しいし、講義の内容もこっち寄りだし、スピーキングやライティングなどのアウトプットもあるし、うん、こっちの勉強を数値的な目標に置くほうが私にとって有意義な気がする。

 

 

 

 

これを踏まえて、22歳。もう1週間経過するけどね。

 

 ① 自律心

→これは去年とほぼ同じテーマ。

具体的には、「一歩後ろに引く力」、「後先のことを考えるゆとり」、「自分を客観視する勇気」、が私にとって重要だ。たとえば、夜中になんか突発的に食べちゃう、とか、逆に食事を適当に済ませてしまう、とか。私にとって食生活と金銭管理というのはかなり密接に関わっている問題点で、ネガティヴな時はバアって適当な食事にお金を使っちゃうことが多い。むしろ、それ以外のことで無駄にお金を使う、ってことはめっっっっっったにない。食生活の安定こそが貯金、自律心への第一歩、第二歩だということをきちんと理解し、精神的ゆとりのある生活を送る。

 

②貯金

①とも関連するけど、ともかく貯金が大事。9月下旬までに、みずほ銀行に最低でも確実に40万貯める。 それ以降も当然バイトは継続して、来年の3月に妥協のない引っ越しをしたい。まあ立地は未だに目処がつかないけど、洗濯機も新しくしたいし、ソファーベッド欲しいし、 大きな本棚も欲しい。全て3月までのそろえることはできなくても、自分の価値観にちゃんとマッチしたアパートに住みたい、ってこと。社会人になって始めの方はそれなりに支出も多いと思うし、とにもかくにもみずほ銀行に課金しまくる気分で頑張る。

 

③ホルモンバランスの安定

私の精神状態は、だいぶこれに左右されている。ストレスを溜めないことももちろん大事なんだけど、そもそも身体の状態が他のひとより悪い部分がある。ちゃんと同じ時間に薬を飲んで、自分で決めたルーティーンワークを達成することを重要視する。朝は同じ時間に起きる。私はヘビースリーパーなので、読書の時間も含めてちゃんと8時間は睡眠のための時間に充てる。栄養バランスの整った自炊をする。インスタント食品をそのままの形で多用しない。部屋の片付け、洗濯を先延ばししない。無理しない。意識的に休憩する。自分の体調や気分を文字で記録する。

 

④英語力

IELTSの受験料は異常だから、この1年で受験しないと思う。でも、英検準一級はこの在学中に取れる気がするんだな。(((((謎)  TOEFLは英検後に考える。

夏休みも継続して今使っている教科書使って、ちゃんとpodcast聴いて、図書館に入ってるラダー文庫のレベル3、4を音読制覇する。ネイティヴの先生ともっと話す。ほんと、英語科として恥ずかしくないレベルで卒業する。ガチで。

 

 

⑤それ以外の重要事項

物をこれ以上増やさない/新聞を読むことを厭わない/自分自身のことを多く語らない/ひとに弱みを見せない/他人に余計な行為をしない/会いたいひとに会う/合わない人とは精神的に距離を置く/誰よりも守るべきは自分、愛すべきは自分の大切な周囲であることを理解する/多くの芸術・文学に触れる/固有名詞を多く知る/必ず卒論を立派なものに仕上げる/自分のなかにある女性性を大事に育てる/常に背筋を伸ばす/質の良いものに触れる/継続する/時間管理を記録する/タイマーや砂時計を使う/bamboo grass🎋のようなしなやかでしたたかな女性でありつづける

 

 

 

 

 

 22歳の詩織も相変わらずこんな感じだと思いますが、よろしくお願いします♩

 

 

 

 

最後の21の夜

  

昨日、本当に色々考えさせられる出来事があって、本当はこの場で事細かに書きたいし書くべきなんだと思うけれど、truthというよりもpost-truth、つまりその時のありのままの事実じゃなくて、私がそうであってほしい、そうでありたかった、事実を活字として記録するだけになってしまう気がするのでやめておく(実は途中までevernoteに書いたのだけど、それをコピーしてはてなの編集部分に載せようとしたらカットと間違えて全てパーになっただけともいうが、兎にも角にももう書かない。)

 


まず、結論。
私は、本気で研究職を目指そうと思う。

 

就職活動していて、マア落ちに落ちまくっているというか、実際通っていなくもないんだけれど結局そこかwwwってところでお祈り食らったり、周囲の人間が私の身体や精神の崩壊の憂慮、要は私は他の人間と決定的に何かが違う(欠落している)のだから、他の人間と同じペースとリズムとセンスで生きられるなんて甘いこと考えんじゃねーよ、的なことをそりゃまあ何度も何度も何度も、身体と精神がくたびれてペースもリズムもセンスも崩されてしまうほど言われつづけてきた。だけど実際は、崩れるどころか、私の支柱となる私の器官は、より強固なものとなっていて、ちょっとやそっとで壊れない頑丈な心身でありとあらゆる企業を受けていた。
しかしその器官というのは裏があって、私が勝手に私の一部であるかのように勘違いしていたけれど、実際はなんと骨折中の骨にボルトをとりあえず埋め込んだものに過ぎないようなものだった。ヨソモノだ、と私の本物の器官はそのボルトを排除してしまった。実際にそのこと自体は何の後悔もない。どんなに有用性のあるボルトだとしても、そのボルトは私ではない。私はまだまだ成長していく。まだまだ成長、治癒能力が残っている段階で、すでに完成形であるボルトを埋め込むなんて、そんな形の決まった先を順々に歩いていくほど私はつまらない人間になりたくない。
そういうわけで、無理やり支柱をぶち壊した私はまだ脆くてガタガタと音を立てて壊れそうなほどの私自身だけの力で私の人生を切り拓いていく必要に迫られた。迫られた、というか、自分で選んだんだけど。


その時に訪れたのは、希望の光でも永遠の幸せでも第一志望先への内定でもなく、無気力だった。

逃げたくなった。いや、逃げた。
色々な義務やしがらみや約束や規範から、解放されたい、と。何もしたくなくなったし、実際に大幅にエントリー数を減らした。自分からキャンセルさえもした(すみません)。疲弊している自分に疲弊した。単なる就活生が陥るスランプだ、と言ったらそれまでだしその通りなんだけど、とりあえず一度急速に速度を落とした。止まることはしなかったから、そこは素直に私は私を評価してあげようと思う。

 


そんな状態で受けた昨日の面接で聞かれたことと、1人の女性との出会い、その夜に入ったカフェで、私はようやく自分の本質へと立ち返った。

 


私、研究職に就きたいんだ、と。


この前書いたブログ(なんと、タブレットでの編集作業で突然削除された!!!)で、大学教授への不信感というか、疑問みたいなものを吐露していたのだけど、それも含めて、私は今の社会史の研究を続けたくて続けたくて堪らないのだ、という結論に至った。


ただ、じゃあ今日から就活を全て撤退して編入試験の準備しますわ〜なんて、現実的に無理無茶無謀なことだ。卒業後にどこかしらに就職して兎にも角にも稼がなきゃならないというのは揺るがない現実だ。

しかし、その就職も、今までみたいに正社員!東京!首都圏!給与!ボーナス!給与!ボーナス!要するに奨学金返済!金!金!金!みたいな、なんかギラギラした目でネズミを狙ってるネコみたいな真似はやめようと思う。周りの人たちからのありがた〜い忠告を呑むというわけに見える、というか実際にそういうことに他ならないんだけど、地域も職種も拘らずに、勉強や研究と両立できる程度の職(通信制大に通いたい)で、仕事に関してはユルく考えようと思う。怒られるかもしれないけど、私がなりたいのは超バリバリのOLやワーキングウーマンじゃない、と気づかされてしまったんだ。

 

 

最後に。
自分の信念に貪欲であるということは、この上ない程の幸せであることと同時に、常に先への危機と他者からの苦難を隣へ据えるということなのだ。 (21歳終了のチャイムが鳴る🔔🛎)

 

 

 

 

 

who am i ?

 

今、すごい久々にアルコールを摂取して、しかもだいぶ酔っている気分なので、今しか書けない気がする文章を書きます。もしかしたらシラフの私が見たら、顔から火を吹いて憤死するほどの内容を書くかもわからないけど、今書きたいことを書きたい気分なのだから仕方がない。書く。何だろう、ただ酔っ払っているだけなのかもしれないけど、久々にこの高揚感。高校時代に良い小説のプロットを書けたとき、月一の俳句の句会で一位になれたときのあのウキウキ感にすごく似ている。

 

 

 

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詩織、本当にそれで良いの?

って、何度も、何度も、何度も、頭のなかで響く。その声の主を、私は知っている。生まれた時から聴き慣れた声。高くもなく、低くもない、あの声だ。ああ、でも小、中学の頃、合唱ではアルトだった。

 

詩織、本当にそれで良いの?

しつこい、うるさい、しつこい、うるさい、しつこい、、、

私は必死にその声に反抗する。逃げようとする。でも追いかけてくる。どこまでも追いかけてくる。まるで影のように追いかけてくる。‥‥‥暫くして、私はその声が影じゃないことに気づく。ああ、、、影じゃない。影じゃ、ない。

 

 

今さっき、駅前の高架下の、川縁に座っていた。

数日前と同じ位置で、何をするでもなく、ぼんやりと座っていた。

数日前と違うのは、今日は川に水が無かったことと、右手の100円のホットコーヒーは、セブンイレブンではなく、ファミリーマートで買った、ということだけだ。

そう、、、川に、水がなかったのだ。

数日前、私が小石を投げ入れて面白可笑しく虐めた、赤と黒の金魚たちは、何処にいるのだろう。ちゃんと今日もご飯を食べられただろうか。ちゃんと澄んだ水のある場所で、平和な気持ちで泳げているだろうか。

 

 

詩織、、、ほんとうに、ほんとうに、今のままで良いの?

 

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私が勝手にメンターとして慕っている二人の女性から、ほぼ同時に連絡が来た。

本当に、これはただの偶然だ。二人の共通点は確かに一つだけあるのだけど、おそらく、二人の面識は無いだろう。その共通点は、あまりにも個人的な情報なので伏せておく。でも、今私が読み込んでいる本の訳者も、彼女たちとの大きな共通点を持っている。

私は特に、何かしらの大きな信仰を持っているわけではないのだけど、何者かが私をどこかへ呼び寄せているとしか思えない。うん、ほんとうに、ほんとうに、そう思う。いや、単に思いたいだけだろう。私が今生きている現実が、あまりにもハードだから、無理矢理その偶然を必然のものとして受け容れたいだけだ。そんなことはわかっている。ただの現実逃避、あるいは詩織さんお得意の防衛機制

 

でも、、、、、

もう一度、あの声がする。

 

詩織、本当にそのままで良いのか、って声だ。

 

 

 

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私の研究の方針が、少しだけ変わったからご報告。

グラムシとかスピヴァクとかサイードとか、まあ要するにポストコロニアリズム関係の本ばかりを読み込んでいたら、彼(女)らが抱えてきた問題と全く同じ問題とぶち当たった。

 

つまり、専門書を読めば読むほど、学術的な知識がつけばつくほど、私はどんどん当事者と遠くなっているのだ、と。知識人と呼ばれる立場に近づくこと、固有名詞の定義をより詳細に知るということ、それは今の私が最も怖れる事態だ。私は知識を以って誰かに私の考えを振りかざしたいわけではない。むしろ、知識や技術や権利や時間を持たない人間の、声なき声の存在を訴えたいのだ。にも関わらず、そのことをいち早く研究学問として取り上げた先人たちの出版物を読むことで、私はそれができなくなってくる。誰かを知るために知識を得るということは、それだけでまた他の誰かに対する一種の権力を掌握するということなのだ。誰かを守るためにその知識を運用することは、また他の誰かを忌み、傷つけ、陥れる手段にもなり得るのだ。

 

だから、今、ちょっと専門書を読むことをお休み中。永遠休止するつもりはない。今でしか書けない論文の章があるはずだ。私はそれを書き終えてから、また新たなステップを踏み出す。それまでは好きにさせてほしい。

 

 

そうだろう? 詩織。 ほんとに、そんな夢を掲げておいて、今のままの詩織なんて、私は納得なんかしないね。

 

聴き慣れた声が、私を強く叱咤する。‥‥‥私が、私を、叱咤する。

 

 

 

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さあ詩織。もう一度考え直してみなさい。

 

22歳。そろそろ目を覚まさないと、もうどこにも行けやしないわよ。

自分を信頼するためのトレーニング中。

 

目を背けたくて堪らない現実。嘆いても喚いても変わらない現実。

その内容であったり、その瞬間に抱いた感情であったり、景色であったり。

そういうものを、言語化するって、物凄いエネルギーが必要だ。感情に名付けをすることって、かなり危険で暴力的だ。今を「悲劇的だ」と表現したその瞬間に、今の私は「悲劇的な」人間へと変貌する。本当のことなんて、誰にもわからない。

目を閉じても耳を塞いでも、現実はいつも私の隣で横たわる。時に、呆然と立ち尽くす私を見上げながら、そいつは私を嘲笑う。おいおい、いつまで期待してるつもりだい?

 

何かを失う、ということは、何かを失った経験を得る、ということと同義だ。けれど、喪失という名の拾得物が、私を本当に強くしてくれたのか、私にはわからない。私が深く沈んでいた時間というのは、その時にたまたまそういう時期に相当していただけで、経験がそうさせたものではないのかもしれない。また、傷ついた経験は、勝手に私が傷ついた、と痛がっていただけの話で、傷つけた相手や出来事は傷つけたつもりなんて無いのだろう。私が痛い、痛いと泣き叫んでいたその時間は、ただのロスだったのだろうか。だとしたら、とても空しいことだ。何のために私はその相手と出会ったのだろう。信じたのだろう。信じさせたのだろう。

 

 


ひとを信じる、って、何なんだろう。
他ならぬ自分自身のことを信頼せず、ひとを信じるなんてことが出来るのだろうか。そこに何らかの破綻や予期しない終結があったとき、それは超特急で崖の下か、或いは宇宙空間に投げ込まれるようなものだ。

 

 

 

じゃあ、自分を信頼するにはどうしたら良いか。

それは、小さな成功体験を積み重ねることだろう。継続することだろう。自分が立てた目標や計画を遂行できた時に、身体中に広がるあの感覚。そう、幼い頃に、補助輪をなくして自転車に乗ることができたあの瞬間の感覚。あれを重ねると、自分のことを信頼することができる。何か新しいことに挑戦して、仮にまた失敗をしても、とりあえずこの地点より下に行くことはない。だから大丈夫、安心して前へ進むことができる。そんなクッションの役割を果たしてくれる。

その感覚の経験がまだ浅い人間に、根拠なんてなくて良いからやってみろ!とりあえず走れ!挑戦だ!チャレンジだ!なんて熱血論を謳いあげても、何の意味もない。また、挑戦せずにその地点に安住するなんて怠慢だ、努力不足だ、などと叱り飛ばすことは、まったく的を射たない。今いる居場所や帰る場所がままならない人間にそれを要求することは、発展途上国や紛争国にいる、お腹を空かせた子供たちに哲学や思想を理解させるようなものだ。彼らに「汝の敵を愛せよ」と言ったところで、明日のご飯が出てくるわけでも命が保証されるわけでもない。

 


小さな成功体験、とは。
今日は昨日できなかった洗濯を回せた、とか、土曜なのに学校行事に参加できた、とか、バイトで嫌味言われても我慢できた、とか。
実は11時頃まで布団のなかでボヤボヤしていた、とか、筆記試験が近いのに勉強してない、とか、最近自炊してない、とか、そういうことはとりあえず置いておく。ほんとは置いといちゃまずいのかもわからないけど、でも、それでも置いておく。

どんな1日だったか、なんて、客観的に考えれば事実は全部同じだ。でも、捉えかたやフォーカスを当てる出来事を変えるだけで、随分と次の日の気持ちは変わってくる。

そして、次の日にアンラッキーな気持ちを持ち越さないためには、できるだけできることをその日のうちにしておく。机の上を片付ける、お皿を洗う、カバンの中を整理する、着替えを準備する、シャワーを浴びる、炊飯器のタイマーをセットする。

うまくいかないときは、自分にしか通用しないようなおまじないやライフハックを見つける重要な時間だ。私は、沈んでいるときのために、洗濯した後のハンカチを溜めている。沈んだ時にそのハンカチにアイロンを掛けていると、不思議と元気になるのだ。よし、じゃあブラウスも掛けてみよう。よし、とりあえずここを片付けよう。よし、皿を洗おう。よし、シャワーを浴びよう。よし、ペンを持とう。よし、課題をやろう。よし、今日は寝て明日は少し早く学校行って勉強しよう!

そんな良循環を生み出すキッカケになってくれる。しかもハンカチにきちんとアイロンかかってると、なんかデキるひとっぽい。笑

おまじないというか、私は香りを嗅ぐことが大好きだ。必ずバイトに入る前は、お店に売っている香水のテスターを嗅いでからにする。通帳残高が目標の金額を達したら、私はその香水を買うと決めている。
そしてバイトが終わったら、ちょっと高かったけど奮発して購入したハンドクリームを塗る。このハンドクリームが全部無くなるまではとりあえず続けるんだ、と目標を立てている。私は私をそうやって催眠術のようにして操る。私の場合、それが一番有効なのが香りなのだ。

 


私の今の状況は、落ち込み続けようと思えばどこまででも落ち込める。超がつくほどしんどい。一応進んでいるけど、内定までの道のりはまだまだ遠い。予習も課題も多い。やりたい勉強、研究に集中できない。とにもかくにも稼がなきゃならない。そんな矢先に、警察にお世話になるようなことにも巻き込まれた。まったく、ずいぶんな一週間だった。

毎晩物や人に八つ当たりした罪悪感で眠れなかったり、インスタント食品に頼ることで吹き出物だらけになったりしたけど、それでも私は落ち込み続けるわけにはいかない。ここで何もかもをほっぽりだすわけにはいかない。少しでも、少しでも、ハッピーなことを考えたり、ハッピーになれるような行動をして、一過性なものだとしてもハッピーになるしかない。まだまだひとのことを信じられるようになるまで時間はかかりそうだけど、それでも自分を信頼するための、愛してあげるための努力、トレーニングを怠らない。アパートの部屋では死んだような顔していても、せめて外の空気を吸っているときは、必要最低限のノルマをこなす。そんな自分を褒めてあげよう。毎日とりあえず外の空気を吸っているだけでも、私にとっては十分過ぎるほどの進歩なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

備忘録

 

なんだか本当に、最近の私は日々の暮らしが雑然としていて、全く心が落ち着かない。気分は常にジェットコースターのような上がり下がりを繰り返していて、それは他者にも影響を及ぼしているような気がする。自分に優しくなれない人間は、他者にも自分に対する負荷や罰を要求してしまう。孤立するって、そういうことなのかもしれない。

 

 

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

 

 

先日、この本を読んだ。

選考途中だった企業の面接に、次回はフェルミ推定を出すと言われて購入した。結果として、その面接へ行き着く前に🙏お祈り🙏されてしまったのだけど、まあ買ったことに後悔はしていない。ちょっと極端な文体が鼻につくときもあるが、実際にここに書いてある内容は私に必要なことばかりだったから(それはつまり私に地頭が無いということである)😤。

 

 

 

 

私は来月、22歳になる。

21歳の総括や22歳の抱負をこの記事に書くつもりはない。ただ、もう、本当に、本当に、(というか今更)、自分の二本の両足で歩いて行かなければならないんだな、と痛感する。

身体的にも、精神的にも、経済的にも、私はこの先、自分でひとつひとつPDCAサイクルを構築して行かなければならないのだ。自分の無理や限界を知ろうとせず、少しでも限界を超えるための訓練もせず、無防備に裸のまま社会に出ることは、戦場に行くそれと同じだ。危険というより、もはや愚かだ。失敗を怖がらない強さは、成功するための用意や努力無しに語ることではない。

 

 

さっき、22歳の抱負を書くつもりはないと言ったけれど、実はそれは、書くつもりがないというより、書けないんだ。

サンスクリット語で「夢」とか「願望」を意味する、サンカルパ、という言葉がある。このまえ、瞑想してみたら?と友人に言われて、面白半分に「寝たまんまヨガ」という無料アプリをインストールした。そのナレーションで、サンカルパを言い聞かせましょう、と言われたのだけど、私は思いつかないのだ。驚いてしまう。高校時代まで、溢れんばかりの夢や志望校を先生に並べていた私は、今、何も思いつかないのだから。

 

お金が貯まったら高等機関に戻りたいだとか、そのためにちょっとでもお給料良いところに就職したいだとか、本当の本当はマスメディア関連の職に就きたいとか、あることにはあるんだけれど、なんだか昔みたいに純粋無垢にサンカルパを唱えられない自分がいる。まあ、、、無理か。みたいな。それが、私の理想を大きくかけ離れた、つまらない大人になるってことなんだろう。

 

 

 

もっと自分を遠くから眺める努力を、しなきゃな。

全体を、抽象化させて、最後や結論から、客観的に自分を見つめる。

難しすぎてよくわかんないけど、もうちょっと本気で自分と向き合う必要があるのは確かみたいだ。

 

 

 

 

 

 

真夜中の更新ほど危険なものはない

 

こんな時間に更新するとか、絶対ロクな文章書ける自信無いんですが、書きます。眠れないんだから仕方ない。

 

 

 

 

 

🌎就活状況の中間報告としましては、絶賛スランプ中です。10社以上選考行ったうち、4社は二次選考まで漕ぎ着けたけど、そこから惨敗してます。ひとからの激励や慰めがものすごく今の私には鬱陶しいので、とりあえず今の私には近づかないほうがよろし。

 

 

🌏卒論状況を報告するにしても、こっちもこっちで行き詰まっています。とりあえず、事件後の新聞記事やら論文やらは少し読むのを一時停止して、スピヴァクや彼女が批判しているフーコーの著作を読んでいます。フーコーのほうは、あまりじっくりしっかり読み込むとそれだけで年明けちゃいそうなんで、まあ必要なとこだけスキャニング的な読み方になるかな、と。

 

 卒論の内容は以前書いたこれです。

mercy07s.hatenadiary.jp

 

 

この本がなきゃ、私は本当にこの卒論を書く覚悟が固まらなかったと思う。サバルタンは語ることができない。この現実を、スピヴァクとともに、私は声高に訴え続けたいと思う。

サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)

サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)

 

 

狂気の歴史―古典主義時代における

狂気の歴史―古典主義時代における

 

 

 

 

🌍そしてプライベートのほうも、ちょっと一波乱、二波乱ありまして、ほんとーにまあ、要するに全体的に不調です。ああ、ほんとにバイト辞めたい。。。むしろ私、何で続けているんだろう。。。いや、まあ続けないと就活出来んのだけどね。。。

 

 

 

 

 

🎈🎈🎈🎈

 

この社会で、生きにくさを感じている人って、やっぱ結構いるみたいだ。

本屋に行けばそういうひとの実体験とか、処世術的な本とか漫画が堆く積まれている。セミナーとか相談窓口みたいなものも、以前よりずっと増えた。これはたぶん、そういう該当者が増えたんじゃなくて、声をあげられる環境が、ちょっとづつ、本当に本当にちょっとづつ、整い始めている証拠なのかな、と思う。

 

えーこったーえーこったー、と思っていたのだけど、この前、知人に、精神障害者の手帳を発行したらどうかと言われた。そして、どっさりと、ご丁寧に付箋までつけてくれて、障害者のための求人雑誌を私に差し出してくれた。

 

⚠️私は、障がい者ではなく、障害者、と敢えて漢字で全て書くようにしています。私なりの考えがあった上で記載していますが、万が一不快に思った方に対しては謝罪します。申し訳ございません。⚠️

 

 

私は、その知人の言わんとしていることは理解出来る。月曜の朝からから金曜の晩まで本当に他の人と同等に勤務できるのか、週5回満員電車に揺られて通勤できるのか、いやいやそもそも決まった時間に朝起きられるのか、っていうことをすごくすごく心配してくれているんだ。そして彼女は私を心配するに値する地位にいる。

 

私はその日から3日くらいよーく考えた。

なぜ今、このようなアドバイスをもらったのか。(内定決まらんからか)

私は今、精神科、心療内科を受診していない。今年の初めか去年の暮れに、もう来なくていいよ〜って医師の方から言われたから。まあ私も要らんと思ってた。それで、今、なかなか内定決まらんからって、再び病院に訪れて、手帳の発行をお願いしろ、と。‥‥‥そりゃ詐欺やないか?

 

いや、でも確かに彼女の言っていることは一理あるんだ。本当に週5日8時間プラスαみんなと同等に働ける自信は、私にだってない。万が一倒れちゃったとき、実は2、3年前まで多重人格のヒッキーでしたあ、なんて笑いごとじゃない。わかってる。私のためというか、企業のためでもあるんだ。

 

 

そんなふうにしてぐるぐる考えて、まあやっぱり答えなんて元から決まっていることに気づいた。私の場合、いつだって、ぐるぐる考えているその時点で考えなんてすでに決まっているんだ。

 

 

なんとかなるんじゃね?ってこと。

 

今までだって何とかなってきた、というか、何とかせざるえなくって何とかしてきて、何とかここまでやって来たんだから、まあこの先何があってもとりあえず私は何とかするでしょう!と。

 

それと同時に、私はもう、この学校で最後にしたい、と思うんだ。自分の病気や過去を盾にして、社会からの圧力を避けること。特別許可を得ること。

ここで誤解しないで欲しいのは、今、現在、病気と闘っているひとたちは、逃げているわけでも甘んじているわけでもない、ってことだ。過去の私も、病気に甘えて現実逃避していたわけじゃない。本当に本当に、見えない敵と必死に闘っているんだ。それが病気ではないひとと違う敵だから、なかなか理解しがたいものがあるかもしれないけど、過去の私も、今の誰かも、ずーっと、全力で闘ってる。

でも、今の私は、もう、そういう時期じゃないんだ。その敵と闘うことは、もう終わり。それだけの話なんだ。

 

 

 

今でも、ほんとに就職決まらんし、やりたいことにも集中できないし、バイトはほんと意味わからんことばっかだし、ちょっとここには書けないようなことで凹むことあったし、もうほんとだめだなあ、嫌だなあ、もうほんと何もかも忘れてパチンって割れてしまいたいって思うことは何度も何度もある。その度に体に悪そうなものをやけ食いして(やけ酒は決してしないことが不思議だ)、胃がもたれてフラフラになるパターンを何度も繰り返している。

 

でも、それでも朝は来るし、シャワー浴びれば着替えしてるし、靴履けば玄関のドア開けるしかないし、学校行けば座る席があるし、駅に行けば電車は来る。そうやって、毎日毎日、ああこれもダメだった、あれもできなかった、それも終わってない、どれから始めていいかわからん、ってわめきながら、うめきながら、一歩づつ、前に進むしかないみたいだ。

 

そうだ、自分。

生きづらさを感じてるのは、自分だけのせいじゃない。むしろ全てを環境のせいにしたっていい。でも、どんなにデキが悪くても、ぶきっちょでなーんも完成しなくても、気づいたら同じスタートラインにいたひとの背中が見えなくなっても、何を思い出せないのか思い出せないくらい頭がこんがらがっても、バイトで誰も彼もに相手にされなくなっても。お徳用チョコレートを全部食べた後に70円のコロッケ5個食べて顔がぶくぶくになっても。一歩も前に進めない日があったっていい。玄関の扉が開けられない日があったっていい。部屋が散らかってコーヒーこぼしたまま夜が明けたっていい(片付けるのは自分である)。

 

それでも、それでも、それでも。

今、自分が進みたい方角。今、つま先が向いている方角。それだけは、睨んでいよう。よし。

 

 

 

 

 

はっ

今日は歴史学のテストだ‥‥‥💔