え ん

人生は連鎖する、

仕方ない、の凶暴性

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最近の私は、ここ数年で最もひとと関わっていない。直接的にひとと関わることといえば、図書館の司書さんに頭下げたり、ジムのお姉さんに挨拶したり、スーパーの店員さんにありがとうございます、って声をかけることくらいだ。本当に、それだけだ。



なんだそれ、と思われるかもしれない。というか、未来の私も、なんだそれ、とぶっ叩いてきたらどうしようと毎日怯えているのだけど、とにかく、今の私は、その状態だ。




しんどくないかと問われれば、ものすごーくものすごーくものすごーくしんどいと答えよう。さっき友人から、何か楽しいことある?ってLINEがきて、あるわけないやん、と少し泣いた。彼女は本気で私のことを想って言ってくれてて、言葉を慎重に選んでいるような気がした。それが余計に私を惨めにさせるようだった。


けれど、私は、いま、敢えて、この惨めさと闘っている。


こうして一人で毎日を過ごしていると、否が応でも自分のことを見つめ直す時間ができる。その時間が、ものすごく大事だと思っている。どうせ、必ず、絶対に、今のままではいられない。前に進まなければならない時がやってくる。それは生きている限り、自明なことだ。それなら、今は本気でこの見えない敵と闘うことが、私には重要な使命なのだ。


今までは、こんな自分が耐えきれずに、準備もパッキングも出来ていないうちに走り出していた。仕事していない自分がゆるせない。親にお金を掛けている自分が恥ずかしい。社会的な地位が安定していない自分がやるせない。そう言ってすぐに、求人サイトにアクセスして、詐称したくてもしきれない履歴書を送付して、すぐに採用されて、青くて硬い保険証を手に入れて、そんな自分を愛した気になっていた。

それは、とても大事な営み、というか、ネット上に転がる批評や正論で言えば、とんでもないくらい当たり前なことのように思える。働かざる者食うべからず。ボヤボヤしている暇なんて、現代人には無いのだ。さっさと仕事決めてさっさと働いてさっさと納税する。そしてたまに好きなもの買ったり楽しい出会いなんかのおこぼれを与れれば御の字。今までの私は、当然のことをしてきたまでの話だ。
 

だからこそ、今のこの、何者でもない、何者になることも約束されない時間、というものに、すぐに私は押し潰されそうになる。怖くて怖くて堪らない。


けれど、私は、この時間を、大切にしたいと思う。なぜなら、走り続けた結果、うまくいかなかったから。一度ゆっくり立ち止まって、今までひた走り続けてきた道のりを、ひとつひとつ、思い出してみる。何がいけなかったのか。何を間違えていたのか。きちんと考え直してみる。蓋をしてきたものに、少しずつ目を向けてみる。何度も言うけれど、どうせ、前に進まなければならない日は必ずやってくるのだ。



それで、今までの道のり、を顧みて、特にも私の十代というのは、まさに、「仕方ない」の一言で表してきたに他ならないのではないか、とふと今日、思った。


仕方ない。仕方ない。仕方ない。

おじいちゃんが認知症で暴力を振るって家族が血だらけになるのも、お兄ちゃんが障害を持っていて買い物やドライブが命がけで大変なのも、おばあちゃんが毎日毎日通帳を片手に死にたい死にたいと泣きじゃくるのも、お父さんが仕事しないで隣の部屋で引きこもっているのも、お兄ちゃんに暴力暴言を吐くのも、お母さんが時折ものすごく悲しそうな辛そうな顔をするのも、おばちゃんがメールでどうしようもないことを相談や愚痴を発散してくるのも、本当は甘えたいけど甘えられないのも、本当はしんどいけどヘラヘラして乗り切ることも、本当は嫌だけどオッケーってニコちゃんマークしておくのも、、、ここに書ききれないほどのたくさんの十代の毎日は、日常は、全部、全部、全部、全部、ぜーーーーーーーーんぶ!!!!!

仕方ないんだ!

その一言で、すべてを済ませてきた。


頭のなかの納得は、心のなかにまでは響いて来なかった。心のなかの慟哭は、頭のなかに入り込む前にシャットアウトせざる得なかった。

私はそうして、何も気づかぬまま、ニ十代を迎えたのだ。
けれどこの5年間で、たくさんの駅を降り、たくさんのひとと出会い、たくさんの価値観を知った。複雑な社会構造や相容れない正義を見た。嗅いだことのなかった異文化からの優しさを受け取った。ひとの本気の愛も、ひとの本気の狡さも知った。十代の頃より、遥かに私は広くて大きい世界にいる。

そうして今、そんな大きな世界からも一度抜け出し、俯瞰し、やっと気づいた。あれは、あの日々は、私が今の私たらめる私となったすべての日常は、全然、仕方ないことなんかじゃなかった。仕方なくなんか、全然、なかった。



これって、結構私にとっては重要な発見だ。仕方ないことなんて、本当は、この世にひとつもないんじゃなかろうか。きっと、そのときは仕方ない、って諦めがついても、諦めも何も、その頃にはそもそも仕方ないの一点しか選択肢がなかったとしても、ちゃーんとツケが回ってくる。仕方ないからと取りこぼしたその分を、しっかり拾い直さなければならない時がやってくる。その証拠が今の私だ。



まあ、ともかく、仕方ない。これからの私は、私を幸せにしてあげるほか、無いみたいだ。





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過去の記事や自分の文章を読み直して思う。
私、意地でも社会学の勉強を続ける。
私の経歴や考えを、この社会で生きづらさを感じるすべてのひとの希望にしてみせる。