え ん

人生は連鎖する、

自分を笑ってゆるしてあげたい

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自分の力で立つ、と書いて自立。
辞書によれば、他者からの支配を受けず、自分の力で物事をやっていくこと、とある。


だけど実際、自立って何なんだろう。本当に、自分だけの力で立つことなんて出来るんだろうか。もし仮に出来たとして、それは善悪で言えば善いことと言えるんだろうか。

今私は、好きだと言える仕事に就いて、精一杯頑張って、幸いプラス評価もされている。にもかかわらず、また身体と心のバランスを崩して休職に迫られた。なぜ?

この機会に、私にとっての自立を改めて考えてみたいと思う。



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私は短大時代の頃から、親の経済力を借りて生きていきたくないと強く思ってきた。だから、夏休みや年末年始は、固定バイトにプラスして日雇いの工場でひたすら鶏肉を切り刻む夜勤をしたり、無心でバーコードを打ち続ける仕事をして学費を稼いだ。そもそも囓れるほどの脛が無かったと言えばそれまでだけれど、とにもかくにも親の脛を囓ることは悪で、それは最早罪であるという意識すらあった。


今、新卒で就職した先で、毎月の給与で一人暮らしをしながら灯りのついた部屋でご飯を食べ、お風呂に入って、たまに制服にクリーニングをかけて、それなりに高い靴を履いて仕事に行っている、そんな自分がとても好きだった。中学3年に心療内科に足を踏み入れ、19歳で閉鎖病棟を経験した私でも、やっと"普通" になれた、そんな気がした。



つまり私にとっての自立の定義は、
自分の手足や頭を使って稼いだお金で自分のことを養うこと、
だったみたいだ。(なるほど)


そのリズムが崩れてきて、あーやっぱり自分は無理してたんだなってやっと気がついた。疲れてしまった。仕事が嫌になったとか、辞めたいとか、働くひとと合わないとか、そういうことじゃなくて(寧ろ逆)、なんだか随分、疲れてしまった。一ミリずつでも傾くことが積み重なると、ある日突然ポッキリと壊れてしまう。それを建て直すときには、もう自分だけの問題ではなくなっているのだ。


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自分で自分の体調や心の状態を察知して、素直にケアすることができるひとになりたいと思う。
悪いときに悪いと言えるひと、無理していることを自覚できるひと、機嫌を一定に保てるひとは強いと思う。

そう考えると、私が固執していて、達成感すら覚えていた経済的自立より大事なことは、ここなんじゃないか。
一人暮らしすることより、ガツガツ正社員として働くことより、預金口座の額を増やしていくことより、素直に自分をいたわってあげられるひと。
経済的自立なんて、表面上はとても評価しやすいけれど、精神的自立が出来ないうちは自分を虐めているに過ぎないのだ。

自立には段階があるということ。
因数分解が出来ないうちに微分積分ができないように、サナギになる前に蝶になれないように、つかまり立ちができてから二足歩行を視野に入れるように。


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それに加えて、自分が自分に課した約束を守れるひとになりたいとも思う。
10年後はかならず○○になる!みたいな大それた夢じゃなくていい。毎朝六時には起きる、とか、化粧水を使い終わったら必ず蓋を閉める、とか、一行で良いから日記を書く、とか。
どうしようもないくらい小さなこと。
自分にしたとんでもなくどうしようもない小さな約束を、こつこつと毎日守れるひとになりたい。
そして、守れなかったときや出来ないことがある自分を、すぐに駄目だと決めつけないようにしたい。

意志が弱いとこがあって、泣き虫で、極端に頑固で、浮き沈み激しくて、手先が不器用な私を、そんなとこもあるよねって笑ってあげられるような、今のところはねってゆるしてあげられるような、そんなゆとりをもったひとになりたい。
ちょっとひとの力を借りて、ちょっとひとに力を貸して、たまに座ったり寄りかかってみたり、ごろんと横になったりしながら、まあそれはそれでお互い様ねとみんなと笑えるような、そんなひとになりたい。



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きっと、それは、本当の意味でのわたしの自立。






#わたしの自立

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