え ん

人生は連鎖する、

今の私が考える私の納得のいく人生みたいなこと。


ちゃんと書けるかなあ。
ようやく昨日、今年初めての花火を観られてとても満足。iPhoneユーザーのみんなは、LINEで「花火」と打って誰かに送ってみてね。うふふ。


この頃の謎の鬱々とした不愉快な感情は、この一週間で少しずつ回復へ向かっている。
孤独感だとか、この世界で私はひとりぼっちなんだ、みたいな淋しさとは全く違う感情。むしろ私は、私を心の底から大切にしてくれるひとに囲まれていて、私自身が愛しているひとがちゃんといて、だからちっとも淋しくなんかなかった。でも、その温かい温度が、あまりにも私には悲しすぎた。その温度を振り切って、自分のやりたいこと、自分が手に入れたいものだけを見つめて、まっすぐに走り続けた恩知らずな私。そうしてきたにもかかわらず、今、私の手のひらは空を切るばかりで、何も残っていない。ただただひどく罪人であるような気がした。そうか、やっぱ私は、他の人と比べて、どっかオカシイ部分が数多くあるんだな、と、無理やり納得させて、自分という人生を諦める寸前までいった。

いや、まあ、諦観することが悪いこととは、私は思わない。
一つの所属を辞めた先、長年の夢を諦めた先、現実から逃げて逃げて逃げた先にも、この世界は続いていく。死なない限り自分は自分を背負わなきゃならないし、死んだからといって自分から離脱できるなんて保証はない。確かに死んだひとは何も言わないし、どうやらもう二度と帰ってこないようだけど、でも死が解放かどうかなんて、私たちにはわからない。わからないままでいい。


この一週間で、私はなんと、一度もEvernoteやブログを開かなかったし、ノートに何かを書くこともなかった。でも、私は、なぜか、ストン、と私のなかで納得のいく答えというか、理想を見つけることができた。


まず、そのひとつのきっかけとなったこの本に感謝します。
この方のように、いつの日か私もこういう本を出版してみたいなあ。そのためには、もっとたくさんの強い人と出会い、賢い教養を身につけ、美しい言葉や文化に触れていこう。

  

いつか別れる。でもそれは今日ではない

いつか別れる。でもそれは今日ではない

 

 

 

 


ずいぶんとだらりだらりと前置きを書いてしまった。
私のなかで納得のいく人生とは、22歳の今から、私は3,4歳の頃の頃からの私の人生をもう一度やり直す、ということ。意味不明ですね、説明します。

今の私の思考やら嗜好やら志向と向き合ってみると、ここへ到達するにあたる大きな扉を開けたのは、まだ私が14歳の頃のこと。中学3年生の5月。今はこの世に存在しないけれど、私が書いてきたはてなブログよりも前のブログには、もうなんかしつこ過ぎて吐きそうなほど、中3の5月18日のことが書かれた。東京への修学旅行から帰ってきた日のこと。父が1ヶ月以上も前に勤めていた会社を辞めていたことが判明し、そこからガラリガラリと家族が不穏な空気に陥った日。

でも、じゃあその前はそんなことを想像だにしなかったほど幸せで平凡で一般的な絵本とかに出てきそうな家庭であったか、というと、全然そうではなく。小学校の頃の私は、ある日授業中に教頭先生が血相を変えて走ってきて、「詩織さんのお母さんとおばあちゃんがおじいちゃんに殺された」っていってくるんじゃないだろうか、とかいうことを本気で考えて生活してきた。重度の認知症の祖父は、時折暴力的になったし、それは知的障害を持つ兄も然りだった。そして、祖母は性格的にかなり難しいひとだった。特に、婿入りである父親に対して。今は、老健に入ってふにゃふにゃな笑顔な可愛いおばあちゃんだけれど。

私の原点は、父との関係性だ、と気づいた。
私は物心ついた頃から、祖母から父の悪口を言われて育ってきた。私が父とトランプをして遊んだら、兄の面倒を見ない父として父は扱われた。私が生まれるより前の父の話を聞かされ、そういう人だと刷り込まされた。私が祖母に口答えしたり、悪い言葉遣いやいけない行動をしたら、父親父親の家庭に似ている、となじられた。父に関することで、書ききれないほどの嫌な思いを私はしてきた。

私にとってのお父さんが、未だに掴めないのはきっと、そういうことなんだと思う。でも、これはちっとも異常なことでも特別なことでもないんじゃないかな。私の経験は確かに私だけのものだけど、いろんな家族の形があって、いろんなイザコザやぐちゃぐちゃしたことって、たくさんのひとが経験してきたことだと思う。そもそも、絵本で描かれる家庭像が本当にメジャーなもので正しい形である、なんてこと自体疑わしいことだ。

今、私は、ちゃんとお父さんのことを、私の目で、理解したいな、と思っている。嫌いにさせられて嫌いだったひとのことを、きちんと知りたい。その結果、やっぱり私は父のことを好きになれないかもしれない。それならそれでも良い。

このことは、私の幼少期から私が私を作り上げる、ということと同義だ。そして、それをしっかり納得した形に仕上げてから、私は私の夢をきちんと追う。今の私が夢へ向かって走るにはまだ早い。骨組みや柱がない状態でひとつの家を作るようなものだ。

 

具体的には、短大を卒業してから、父の天職とも言えるような職に私も就こうと思っている。父が好きなことを私もやってみる。純粋な興味関心、とも言えるけれど、その職を通じてもっともっと父親のことを娘として知りたいと思う。その後(奨学金返済の目処や貯金、生活に関する充足度などを踏まえた上で)、私は以前中退した四年制大学に再入学する。重要なのは、一度辞めたその大学、というところだ。東大でも上智でもオックスフォードでもハーバードでもなく、その大学の卒業証書が私は欲しい。

なんか、ものすごーくものすごーく時間かかると思うけれど、そこから私の夢への道のりを始める。人生なんてうまくいかないことだらけで、計画なんて立てたところで何の意味もないくらい実践は別物になりがちだけど。

 

それが最近得た、今の私の最大で最良の答え。
ブログに記録することに意味がある気がしたので。