え ん

人生は連鎖する、

What should I do? を問い続ける

 

成績発表されました。

11科目中8科目がS、3科目がAで、GPA3.72です。ありがとうございます。

 

確かに決して悪い成績ではない、むしろ上位なんですが、最近私が考える大学卒業後のことを考えると、まだまだまだまだまだ、ここに甘んじていてはいけません。精一杯がんばります。

 

 

 

そして、

バイトを辞めました。次はまだ決めていません。

というより、本格的に、「時給」や「履歴書」といった概念から解放されようと思っています。つまり、「自分で稼ぐ」方法を現在勉強中です。もう少し具体化できたらこちらでもご報告します。

 

 

 

このブログを初期から読み直せばわかるんですが、私は本当に自己肯定感も自尊心もどんなに上げてもすぐにゼロをかけてしまうような人間でした。

14歳からずっと精神的な病気を抱えていましたし、複雑な家庭環境で育ったり、the 自称進学校の教えに従順過ぎたことも原因の一つです。

 

それを、最近、ようやく、ピリオドを打てた、ような気がします。

 

10年です。10年かかりました。普通に考えて長過ぎです。長かった。とんでもなく、長かった。

 

でも、ここからです。

ここから私の人生が大きく好転する何かを、今、私は握りしめているような気がしてなりません。

 

 

私は変わりました。

そして、これからも、変わり続けます。

 

 

また更新します!

 

 

変わってしまった先生へ。

 

 

夏休みです。

前期、1日も休むことなく全てに出席、課題提出、テストを終えられたこと、もうそれだけで私にとっては本当に驚くほどの進歩なのですが、gpa3.5以上という奨学金継続の条件に戦々恐々としています。想像していたよりはるかにこりゃあ厳しいぞ…()

 

 

 

ここ最近で感じていたことをここに書きます。

 

🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿

 

なぜ、「彼女」は変わらないでいると信じ続けられたのだろう。

6年という歳月で、私は本当に変わったと思う。たくさんの大人に出会って、たくさんの駅を降りて、たくさんの本を読んで、化粧も車の運転も恋も知った。

 

私はこんなに変わったのに、なぜ、「彼女」はあのまま、私が知る「彼女」のまんまなのだと、疑いもしなかったのだろう。

いや、どこかで信じて「いたかった」気持ちを、私は認める。きっとあのまま、現実を直視し続ける理想主義者として、不器用で頑固な私のことを再び迎え入れてくれる、そう、信じたかった。

 

政治思想という専門の学問から言って、彼女は「考える」「考えをアップデートし続ける」ことが仕事だ。そもそも人間なのだから、ずっと同じ思想を持つ続けるなんてことはあるものか。むしろそれは後退を意味する。

 

でも、それでも、例えば「突然やってきた人生に絶望している18歳に、フェアトレードのコーヒーをご馳走する」だとか、「さっさと中退したわけのわからん奴にLINEのアカウントを教える」だとか、「そんな奴に本気で怒って、本気で応援してくれる」そういう人間らしさすらも、彼女が背負っていた、何か重い荷物とともに、どこかに置いていってしまったのかな、と。

 

とても寂しいけれど、その寂しさすらも、おこがましいことなのかもしれない。

 

変わることは、寂しいことだと思った。

 

私も、私が変わったことを誇りに思っているけれど、あの頃の私を知る誰かにとって、それを「寂しい」と思われることも、あるのかもしれない。あるいは、傷ついた、と思っていたことは、傷つけていたことと同義なのかもしれないとも思う。

そんなことは知ったことじゃない、私は私の人生だ。そう割り切ることはとても簡単だし、何より、それはきっと真実なのだろう。

けれど、それでも、その「寂しさ」も、私は今回知ることができた。この感情を、決して、忘れない、でも、歩みを止めない。

 

もう「彼女」には会えないけれど、私も私で、このフィールドで、生きていこうと思う。

 

先生、これは宣戦布告です。

 

私はあなたとは違った武器をもって、あなたと同じように、亜流の道だと蔑まれても、あなたがあなたにしてきたように、私は私の信じる方法で、あなたが今座っている椅子に座って見せます。

 

 

25歳🕊🎋

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皆さんこんにちは。
いつも読んでくださっている方、たまたま通りかかった方、ありがとうございます。

25歳になりました🎋
今日までポロポロとevernoteに記録していたものをコピペしつつ、25歳の1年の目標を書きます。



① 6月中旬から終わりにかけて、非常に調子が悪かったので、その記録🗒🖋
・心より先に身体の調子が悪くなった。19日のバイトは早退。
(頭痛、目眩、吐き気、腹痛、嘔吐、下痢、不眠)
・ものをよく落とす。距離感覚が掴めない感じがする。注意力が低下しているような気持ちになる。
PMSの症状か? 生理は27日から29日。1日めは重たいが、それ以降は大したことない。生理が来た途端に心の調子は少し軽くなるような気分になる。
・◯◯でなければならない、◯◯であるに決まっている、といった過度に一般化した思考をしやすくなる。(バイトは休めない、続けなければ意味がない、など)
・身体の調子は悪いのにもかかわらず、無意識にもニコニコ笑ったり先生に褒められたりしていた。演じているつもりは無いのに?
・すぐに横になりたい割に全く眠れない。(眠れなければという意識が強すぎる? 実際あまり眠れなくても遅刻などの弊害は一切出ない)
・課題や講義の出席関係で支障は出なかった。すべて期限通りこなしている。むしろ積極的に参加していた。(オンラインのおかげもあるか?)
・自炊らしいことを一切しなかった。
・ひとに相談したり母に泣きついたりしたら少し落ち着いた。「話す」というだけで救われていた。
・温泉、サウナに入ったらすごく心地よかった。特にサウナは水風呂にも本格的に入り、2ターンした。


② 去年書いた目標の反省🌸
詳しい記事はこれです〜
mercy07s.hatenadiary.jp


24歳の目標
1.完璧を目指すことには変わりない。
けれど、完璧ではない今の自分の価値とそれとを紐付けない。なぜなら今の私は、既に素敵な女性だから。
2.完璧を目指していることでひとを傷つけない。重たくさせない。自然に、息をするように、努力する。
3.義務を果たしてから、自分の権利を正当に、声高に、主張する。
4.自分を支えてくれる人にたいしての愛を惜しまない。
5.自虐しない。自尊心がないなら、上げるための今この瞬間の行動を考える。起こす。
6.出会う人全ての振る舞い、言葉遣いから学ぶ。好き嫌い損得ではなく、全て勉強。
7.よく笑いよく泣きよく考える。そのことをアウトプットする。
8.カツカツと行動しない。結論を急がない。長いスパンで物事を考える。
9.健康管理を徹底させる。体に良いものを摂る。
10.手や足の振舞いに気を遣う。その人らしさが出る1番の箇所だから。
11.自分が居心地が良い環境にするための努力や投資を惜しまない。

 こうやってみると、私の思考はあまり変化していないように感じられる。そして実際、これらを達成しつつある自分を褒めたい。考えってトレーニングで、最初はちょっと無茶でも意識して自分の理想の考えを頭のなかに巡らせるってことが大事なのかもしれない。


叶えたいこと
12.妥協なき職業、会社選択をして継続する。×
13.経済的自立をした上で、月の積立額を2万に戻し、マネックスも再開させる。×
14.L'OCCITANEのハンドクリーム、化粧水を母にプレゼントする。×
15.東北内のどこかへ温泉旅行へ行く。×
16.自炊をより充実化させる。パスタやクラッカーに頼りすぎず、ご飯を炊く。◯
17.蕁麻疹を治す。△
18.趣味を見つける。△
19.ジム週3回以上を習慣化させる。△
20.兄や友達と県内ドライブをもっと楽しみ、無事故無違反でゴールド免許取得する。×
21.気に入った家具を買う。×
22.図書館で本を借りたらきちんと読み切る。△
23.今目の前にある課題に対して価値を判断しない。無駄無益だと思うことでもやってみる。24.恋愛云々問わず、素敵な人との縁を逃さないよう、常に身嗜みや持ち物、機嫌を一定させる。◯


そうか~去年の今頃はちょうど正社員を目指していた? とはいえ、これは本当の本当は嘘だった。本当は大学に行きたかったけれど、焦って世間の目を気にしていたのだと思う。お金の問題が一番かな? そして会社選択は見事失敗した。まあ失敗したおかげで今私は大学生になれているので、この叶えたい目標は達成されなくて良かった。

あとのことも全然叶えられなかった。方向性が変わった、ってことにするにしても、叶えたかったのもあるなあ。温泉旅行とかお母さんへのプレゼントとか。 何よりゴールド免許! なんと、この目標を掲げたわずか1、2週間後に信号無視で切られた。最悪である。。。(会社の面接のことで頭がいっぱいだった。そう考えるとやはり縁は無かったのかもしれない)

趣味は刺繍を始めたりしたけど、最近は全然やれていないので△。まさに調子が悪くなると趣味さえもやらなくなるのが課題だな。あとはコロナの影響でジムも休会中。会費的にも退会することも視野に入れている。その代わり、家でYouTube見ながら真似事したり、瞑想ごっこしたりしている。



25歳、とりあえず4年はこの街で大学生なので、方向性は定まっている。この3本柱でいこう!

① 勉強
・大学の成績GPA3.5を死守する。(奨学金継続!!!)
・英検準一級合格する。
・1ヶ月に3冊は本を読む。

② 健康
・自分の体調、体重、気分の記録を継続する。
・体調の悪さを気力のせいにして意地で克服しようとしない。
・自分の今の状況に応じた然るべき機関に行く。
・自炊を怠らない。
・ヨガ、瞑想の習慣を確実につける。

③ 人間関係
・大学教員と密接な関係を築く。他学生より目立つ。
・大学以外の場でも、セミナーやサークルなど、いろんな大人と関わる。(今実行中!)
・今まで私を支えてくれた人、今の私を心から愛してくれる人に心から感謝する。
・自分の足を引っ張る人や強いネガティブ思考の人、著しく自分の未来に不利益になりうる人とは距離を置く。


今年はあえて、お金関係、バイト関係のことは目標に掲げません!
だからって散財するわけじゃないけれど、お金のことを気にし過ぎて、これからの私にとって本当に大事なことを見失わないようにするため。

そして、本当はもっと書きたいこととか大事にしたい価値観とかいろんなことはあるけれど、それらを全部全部包括した上でこの目標にした。ブログはその経過を辿る大事〜な記録だから、こつこつ書いていきます^^ とにもかくにも、もっともっと強く賢く美しく逞しい女性になる〜〜🕊❤️

ちゃんと生きたい、に隠れる暴力性

 

ちゃんと生きたい。

 

いつからか、私はそう言い始めた。

もっとちゃんとしたい。ちゃんと見られたい。ちゃんと頑張りたい。

ちゃんと、ちゃんと。

 

 

もうすぐ、私は25歳になる。

19歳の頃、米津玄師さんの『LOSER』という曲にある、「四半世紀の結果できた青い顔のスーパースター」という歌詞を聴いた時、25歳なんて、とんでもなく未来のことのように思えていた。きっとその頃には、私はきっと「ちゃんとした」スーパースターになれる気がした。今はこんなにだめなクズな私だけど、きっとその頃には、いろんなことが変わって、私は何者かになれている、そう信じていたかった。

 


米津玄師 MV「LOSER」

 

 

結果として、私は今、19歳の頃と同じ大学で同じ一年生をやっちゃってるんだから、まったく人生っていうのはわからないことばっかりだ。残念だけど、スーパースターにもなれていない。

 

 

 

「ちゃんとした」って、なんなんだろう。

昔、「マトモになりたい」と言ったら、「マトモかどうかなんて誰が決められるもんなんだ」って、ものすごく怒られたことがある。その時は、「マトモ」なひとには私の気持ちなんて、ほんとうにはわからないんだろうなって思っていた。

 

 

要は、言語化しようとする力や語彙力をつけようとする努力を、私はかなり怠ってきたようだ。自分なりの頭のなかにある「ちゃんとした」イメージを、きちんと文字にして、言葉にして、もっと残しておくべきだった。もっといろんな本を読んで、いろんな音楽を聴いて、いろんな映画を観て、いろんなひとの生き姿を焼き付けておくべきだった。そんなひとたちにとっての「ちゃんとした」の定義と私の定義を照らし合わせたり、話をしたり、怒ったり笑ったり泣いたりしておくべきだった。

 

 

🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸

 

 

 

先日、うちの兄貴が、入所している施設の、換気中の窓から脱走して、近くのコンビニで無銭飲食したらしい。(警察沙汰になったものの、知的障害者に理解のあるコンビニオーナーのおかげで、非常に穏便に済んだとのこと。ありがとうございます。)

 

その話を備忘録としてここに書く。

 

そのことに関して、私は施設の職員を責め立てるつもりは毛頭ない。確かにそれは「事故報告」案件であることに違いはないけれど、まず、今回書きたいのはそこじゃない。

 

私の兄が脱走して店でそういうことをしたということは、今回を含めて1回や2回の話じゃない。文字通り、数え切れないほどのレベルで、私は小学校の頃からそういった事態に直面してきた。私の家から歩いてすぐの場所に大きなスーパーがあって、そこの店長はうちの兄のことを店員にしっかりと周知させることまでしてくださったこともあるほどだ。

 

正直言って、実家を出る前までの私は、兄が脱走したとか無銭飲食したという報告を受けても、「またかよ〜w」程度にしか思っていなかった。或いは、「私たち家族が大変だ」と思っていたことも認める。実の兄が店のものを勝手に飲み食いするというむなしさや怒りを、「世間の人たちはこの気持ち、絶対わかってくれない」といったもので消化しようとしていた。

 

でも、今回この話を聞いた時、改めて、綺麗事では決して済まされない現実を覗き込んでしまった気分になった。

 

「兄ちゃん、何のために生きてるんだろ?」

 

まず何より、コンビニで働いていたバイトの子は、どれだけ怖かったことだろう。

突然裸足の男が飛び回りながら店内に入ってきて、わけのわからない声を発しながら突然未会計の商品を開けてムシャムシャ食べ始めるのだ。考えただけでも恐ろしいことだと思う。

 

うちの兄は、障害者施設に入所している。植松の定義に従えば、完全に「生産性のない」人間だ。そう、27歳の身で年金(生産者から得る税金)で生活をしている人間だ。そのことを大きな声で糾弾している者が一定数いることも、当然私は知っている。

 

私は、植松のような思想を持つ者には深い嫌悪感を抱くくせに、ふわふわした障害者の個性だとか命の尊さを説くこともできない。どちらにも属せない。

 

知的障害者が生きていることに理由が必要なんだろうか。

だとしたらそれはなに?

それは健常者となにが違う?

それは社会的にどんな意義を持つ?

そもそもそれは、障害者(they)と健常者(we)で明確に分けられること?

 

もっと根本的に、もっと真剣に、私はこの問題と闘う勇気を持ちたい。

 

 

 

泣いても仕方ない(んだけどさ)

 

そういえば、最近、泣かなくなった。

 

(5月の反省もしてないままに、いま、ふと思ったことをつれづれ書いていきます。)

 

 

 

新卒で入った会社では、めちゃめちゃ泣いていた。

仕事が忙しすぎて泣いたし、自分と同期の任される仕事の差に泣いたし、上司のちょっとした感情的な言葉ひとつに泣いたし、そしてまた、そんな私を心配したあったかい先輩からの、毎日のグレープフルーツジュース一本に、泣いていた。

 

でも、あれから、2年近く経ったいま、最後に泣いたのがいつだったのか、いまいち思い出せない。

 

 

特に今週は、さんざんなことが続いているのに、それでも私は、泣いていない。

 

 

どっかに置いてきたのは、涙だけじゃないらしい。

 

 

なんだか最近、私は、なんだかんだ、よくやっている。

 

うちの学科から受講する人間が私しかいない他学科の講義を休むことなく受け、会ったこともない同級生らとスピーチ原稿を作り、放っておけば雪だるま式に増えていく課題をこなし、時給換算したら500円にも満たないアルバイトをし、一人暮らしとしての最低限の家事もせっせとしている。

 

それなりに嫌なことだったりストレスだったり疲れだったりは蓄積されていて、はーーーーあーーーと投げやりな気持ちになることもあるけれど、だからって何も投げやしない。投げたところでそのゴミ屑をもう一度拾って分別して後始末しなければならないのは、いつだって自分だということに、どうやら本当に私は気付いてしまったらしい。

 

 

昔、高校時代だったかに、私は家庭内のストレスが原因で、リビングにあるものを投げたり落としたり蹴飛ばしたりして暴れたことが、一回ある。安い香水を頭からかぶり、親の化粧品やら雑貨やらリモコンやらをぐっちゃぐちゃにして泣き喚いたのだ。

 

そのあと、その散乱したリビングの後片付けをしたのは、母だった。

 

私は、何も片付けなかった。

 

そのことを母が当時通っていた病院の精神科医に話すと、医者は母のことを叱った。何があっても本人に片付けさせなさい、と。

 

今考えると、あの医者もいろいろ私の治療方針に問題があったんじゃないかという疑惑は拭きれないものがあるけれど、そのことだけは、はっきりと言える。彼は間違えてなかった。

 

当時の私は、すべてに絶望していたし、何もかもをすべて家族のせいにしていた。

実際家族のせいだった部分もたくさんある。

 

けれど、あのとき、リビングの惨状を片付けるのは、母ではいけなかった。

どんなことが原因で、なにをもって私があそこまで暴れたのか、理由や背景がどんなに私を味方してくれたとしても、後片付けは、あのとき、わたしがしなければならなかった。

 

 

 

 

泣いても仕方ない。

 

なんだか、最近、それを、言葉としてだけじゃなく、実践できてしまっているみたいだ。

 

とはいえ

良いのかなあ。

良いのかなあ。

 

なんか、大事なこと、忘れてしまっているというか、あとから大きな波が押し寄せてきたときの恐怖がぴりぴりと背中を刺激するというか。

 

なんか、

 

泣いても仕方ない。

つまり、

泣いたところでなにも変わらないのも、

泣いて解決する問題なんて世の中にはそう多くないってことも、

泣いたからって誰かが私の責任を背負ってくれるわけじゃないことも、

全部、全部、全部、

わかってはいるんだけど、

 

それでも、

涙が抑えられなかったあの頃の感覚や

喚けば誰かが気づいてくれるという期待感は

 

決して甘えだけじゃなくって

もっと深くてもっと大きな人間になるための、

大事なものをぎゅっと掴んでいた気がする。