え ん

人生は連鎖する、

雑記 31/10/2019

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自分は何者であるかを、とにかく名づけしてほしかった。24という数字は、あまりにも生々しく、私にとって酷すぎるのだ。追い立てられた理想や希望は、もう随分前に岩戸に隠れてしまったようだ。
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自尊心だとか、自己肯定感だとか、上げても上げても結局ゼロを掛けてしまう者にとって、本屋で堆く積み上げられたベストセラーなんて、なんの意味も持たない。要は、自尊心というのは、自分で自分を不幸にさせない術を、如何に多く所持しているか、実践できるか、それに尽きる。
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簡単な問題であればあるほど、議論は白熱する。誰でも首を突っ込めるような話題や、5分くらいWikipediaを流し読んでいればわかったような気になる単語にこそ、ひとは多くの時間や労力を消費する。論破するって、最高に気持ちがいいんだ。快感の中毒になったひとたちの、ツイートやヤフコメを眺める。そんな私も、吐き気がするほどの快感に溺れかけている。
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見ていて痛々しくて馬鹿馬鹿しくて悲しくなるような弁明を見た。膨大な知識によって得た富や思想は、過去の傷や痛みを忘れさせてくれる。知らなかった頃には戻れない、なんて言うけれど、本当にその通りだ。自分のなかでは、いつだって完璧で、綺麗なんだよな。でも、今、この瞬間にだって、過去の自分と同じ痛みと闘っているひとがいて、今の自分には見えない欠損や欠落を、敏感に察知してくるひとがいる。怖い、怖い、怖い。でも、私はもう、彼らではない。私はまだ、彼らではない。その事実に、蓋をしては、ならない。
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同じような経験を同じような年代の頃に経験していた大人というのは、時として傲慢で、私を不快にさせる。私はあなたではないし、あなたにはなりたくない、そう強く抵抗したくなる。ふとしたとき(たとえば、セールス電話の受け答えだとか、客からのお金の扱いかたとか。) に垣間見えるそのひとの本性を嗅ぎとる。鼻をつまむ。よし、大丈夫だ。私に烙印された解離という二文字は、そういう大人にとってはとても魅惑的なのかもしれない。力になってあげたいという優しさを、素直に受け止められない今の私を、どうかおゆるしください。
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去年の今頃観た映画、園子温監督の『愛のむきだし』を、再び。しかも夜中の一時を回ってから。理性だとか、常識だとか、そういう綺麗なものだけで、人間は語れない。説明がつかないベクトルに引っ張られ、いつしかそれが自分にとっての真実になる。それを弄ぶ安藤サクラ演じるコイケは、今の私にとっての社会構造そのものに見えた。
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ひとつの思想や民族や固有名詞にたいして、ひとつの言葉だけで形容する真似をしたくない、と強く思う。とても浅はかであるように思う。宇宙はきっと、表と裏でできている。
🌔
TOMORROWLANDの服と、GUCCIのアクセと、Diorのコスメだけを身に纏って生きていきたいとは決して思わない。その代わりに、それらの良さと歴史と愛を、理解できる三十代になっていたい。
🌕
終末論にたいして、納得と否定を繰り返して生きている。アダムとイヴが齧った果実の色は、何色だったのだろう。Hey, siri.今あなたは、どんな気持ちですか?
🌖
慰めてほしいのは、今の私じゃなくて、きっとあの頃の私。一年前の愛にしがみつきながら、四年前の涙は止まらず、六年前の怠惰を叱咤し続けつつも、九年前の血液におびえている。あなたは、きっと、いつだって、頑張っていた。そう言って、私は私を抱きしめてあげられる日が、来るのだろうか。
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「身の丈に合わせた勝負」という言葉で、傷ついたひとと、傷つかない人と、再び傷つけるひと。私にとって、一番むなしくなるのは、この言葉自体じゃなくて、傷つかないひとが、この先の日本を作っていく、っていうことだ。
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