え ん

人生は連鎖する、

これまでの私とこれからの私の狭間

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異常気象とも言えるほどの暑さが連日続いてますね。暑すぎるときも、寒すぎるときも、生きてるだけでほんとすーごい体力を消耗しているとのこと。私達は頑張っています。




最近、社外のひととこの先の人生について深く話をする機会に恵まれて、改めて今の自分を顧みました。詳しい経緯を話すことは難しいのですが、いわば会社全体をより良くするためのコンサルタントをお呼びし、面談みたいなことをしたのです。



率直に感想を言うと、久々に論理的に話を進めてくるひとと話したーーーって気分になりました。最近の私はとにかく任された仕事に追われてそれをこなすことだけに精一杯で、上司からの指摘はすべてイエスマン。「自分の頭で思考し、それを言語化する」力が完全に衰えていたことを実感しました。語彙力、思考力が落ちている。なんとなく自覚してましたが、実際はそれ以上に甚だしい。


それで、そのひととの会話で最も印象に残ったこと。

私 「きっと、今の私には自信があるんだと思います。どん底よりも深い底から這い上がって、この見知らぬ土地にひとりでやってきた、そしてなんとかやっているという自分に対する、絶対的ななにか」

コンサル 「あなたがこれまで頑張ってきたこと、そしてそれによってここまであなたが上り詰めてきたことは、あなたの表情や行動からもとても伝わる。でも、それはあくまでこれまでのあなた。この先のあなたがどうなるかを形作るのは、もうこれまでのあなたじゃない」


言われてみれば、まあその通り、当たり前のように聞こえるのですが、なんというか、私には響くものがありました。
ここで終わるか、ここから始まるか。
それはこの、今この瞬間の私なのだ、と。


そのうえで、彼女が勧めてくれたツールについてはまだ考え中。私に適しているのか図りかねるものがあるから。






もうひとつが、働くことに対する価値観が、かなり変わったこと。

短大一年ぐらいまでは、なぜひとは働かなければならないのか、本気で疑問に思ってたし、なんなら働きたくないと思ってました。自分がなぜ働かないのか、働けないのかの理由を羅列することで安心しようとしてました。単なるモラトリアム? それにしては重症だった気もします。
でも、週末のバイトに加えて日雇いでいろんな工場での仕事を経験し、今現在社会人の私は、なんかぐずぐず考えるまもなく朝になったら化粧して制服着て玄関を開けています。ようするに、働くしかないのです。そうじゃなきゃ私はここで生きていく手段も目的もなくなってしまう。


GW前後に早速仕事をやめ、今もなおNEETの友達にたいして、慰めや励ましの言葉が何も思い付かないのです。とても重く捉えて悩んでいるようだけど、正直、とりあえず日雇いバイトで地獄を見てから悩めばいいのに、とか、働かなくてもお米が食べられる暮らしだから悩む時間があるんじゃない? なんて思ってしまうのです。それは過去の私に対するブーメランなので、余計に罪悪感は広がります。

でも、
正直、そんなもんなのかな、と開き直っている自分もいます。
いちいちひとのことだけに時間と労力をかけられるほどの余裕、私にはないのです。偏見はよくないとか、差別しちゃいけないとか、優劣をつけるな、とか、綺麗なことはいくらでも吐けるけど、実際そんなこと無理です。誰かは誰かのことを、何かしらのことに排他的になってしまう、それを押さえつけようとする、その時点で立派な偏見だし、堂々巡りになるだけ。

それなら、私は今、過去の私を含めた、自分のエゴに気づかずに何もかもを誰も彼ものせいにすることで自分を必死に守ろうとしている(そしてそのエゴは自分以外の誰も彼もに気付かれている)ひとを、どこかで差別している、ってことを認めちゃいます。良くないことかもしれないけど、しかたない。それが今段階の私の考えなんだから。


今の自分が持つあらゆる偏見、差別感情、思考傾向を、善悪や正偽を考慮せずにとりあえず受け入れてしまうと、ちょっとらくになります。しかも、そのほうが結果的に、まあ(どうでも)いいや、って、自分にも他人にも優しくなれるのだから、平和的です。


あくまでも2018年7月22日現在の私の考え。