え ん

人生は連鎖する、

雨降りの休日にて

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雨が降っていた。

先日祖母の納骨があって、少しの間実家に帰省した。仕事帰りに新幹線に飛び乗って、夜中に家路につき、最終日は朝一で新幹線に乗って戻る、バタついた三連休だった。

アパートに戻ってきたときの絶望感ったら、言葉で言い表せるものではなかった。折しも、最寄り駅からアパートに戻るまでの徒歩の道中、職場の先輩と同期が乗った車と擦れ違った。よお、と手を振られ、会釈で返す。その車のナンバープレートが、この土地であることに絶望した。私はなぜ、ここにいるのだろう。ふと、そして本気で、自分の職場、部屋、すなわち私の居場所がこの土地にあることに疑問がわいた。

いや、そんなのは当たり前、私がこの街のこの職場を就職先に選んだからだ。内定をもらって、承諾書を提出し、短大の卒業を迎え、引越し手続きをすべて済ませ、ここにいる。まるで高速列車に乗るがごとく、私は縁もゆかりもないこの街にやってきた。そして、この街の人のために毎日働いている。

後悔しているのか、と聞かれたら、あきらかにノーだ。実際、本当にこの街の風土は私の性格に合う。大家さんも隣のファミリーもスーパーの店員さんも優しいひとばかりだ。行きつけの喫茶店もできた。好きな古本屋もある。何より、私のとって生きがいを感じさせる職種に就けて幸せだし、職場の人たちは温かで和気あいあいとした楽しい雰囲気だ。もちろん叱られることも諭されることもある。けれど、三か月目で何を言っているんだ、と笑われそうだが、辞めたいと思ったことは一度もない。

じゃあ何が不満なのか、と問われても、わからない。わからないというか、不満というわけではないのだ。

ただ、私が今、ここにいる理由。

私はなぜ、わざわざこの街を選んだのだろう、と。

湧き上がるその感情に、今はあえて名付けする必要もないのだろう。



会いたい、と思ったとき、もうそのひとがいない。

そのことが、私は今、とんでもなく恐ろしいことに思える。「ただいま」がない「いってきます」と、「おかえり」のない「いってらっしゃい」が怖い。だからこそ、今、私は、地元を離れてこの土地で暮らしている自分に、理由を求めているのかもしれない。




祖母が死んだという現実を、私はすでに受け止めているつもりだ。けれど、小さな祖母の、もっと小さくなった骨を見たとき、私の知る世界に、もう祖母がいない、という現実を改めて突き付けられた気分だった。そう、そう、そう、祖母は、確かに死んだのだ。

きっと、私にとって祖母は、あまりにも大きすぎる存在なのだ。おばあちゃん子だったのね、と先輩に言われ、困惑する。まさか。おばあちゃんなんて、大嫌いだった。なんで一緒に暮らさなければならないのか、ずっと不思議だったし、嫌だった。よく祖母は死にたいと口にしたし、死ねばいいと思ったことも、そして口に出したことさえもある。

控えめに言っても、祖母は少し変わったひとだった。超がつくほどネガティヴで、そのネガティヴさでひとを平気で傷つける。すぐにもうどうしようもない過去を持ち出して、たられば話で枕を濡らした。喧嘩したら絶対に謝らない。こちらが謝らない限り、永遠に口をきいてくれなかった。肉も乳製品も苦手で、それを食べているひとに対しては獣のように扱った。倹約、倹約。もったいない。これ、いくらなの?いつもそれが口ぐせ。娘である私の母とは、毎朝のように金切り声を上げて喧嘩し、毎晩どちらが皿を洗うかで喧嘩した。けれど、自分が犠牲になってでもひと(犬、猫でも鳥でもぬいぐるみでもガスコンロにでも)を守ろうとする精神の持ち主だった。特別何かしらの信仰を持っていたわけではなかったが、常にだれかのことを考えて生きていた。

そう、要するに、あまりにも一緒に過ごしていたから、あまりにも距離が近すぎたから、「良い思い出」として、「ありがとう」という気持ちとして、祖母のことを直視できないことが問題なのだ。もっとたくさん思い出があったはずなのに、もっとたくさん一緒に笑ったはずなのに、もっとたくさん楽しい場所にでかけたはずなのに、私が思い出せる祖母はいつだって困ったような、悲しげな、寂しげな、そんな表情をしている。あとは、祖父の死後から少しずつ進行し、ふにゃふにゃと笑う認知症になってからの祖母のことばかりだ。そして、そんなおばあちゃんが、介護倫理も体制も技術も何もかもがそろっていない施設で、いつの間にか、静かに、そして大胆に死んでいった。

きっと私は、祖母にそっくりなのだろうと思う。

どうしようもないこと、どうしようもなくなってしまったことを考え、疼く心を抑える方法が見つからないままに周囲を惑わす。そして、意識せずとも自己犠牲してまでして誰かのことを考えてしまう。でも、それは本当に本当に本当にその人のためか、と聞かれたら、防御策に過ぎないのかもしれない、とも思う。無理しないで、とか、そんなに頑張らなくてもいいんだよ、とか、違うんだ。私は、私を守るために、私が私でいるために、私がこの私でここまでやってきたのだという証拠をより強固なものにするために、私はこの性格で居続けているのかもしれない。ここまで祖母が考えて行動していたようには決して思えないから、祖母こそが本当に真の利他主義者なのだろう。私は祖母に似ているようで、実はただの打算的な人間なのかもしれない。


アドラー心理学関連の自己啓発本で、本当は変わりたくないから変われないのだ、みたいなことを言っていた。個人的にはあまり好きになれない学派だが(私の考えを押し付ける気も毛頭ない)、この説は実際その通りだ、と思う。私は私のだめなところ、直したいところ、嫌いなところがたくさんある。もっと器用に生きられたら、もっと気を楽にして生きられたら、もっと上手に生きられたら、、、そうしたら、もっとバリバリ仕事ができるのに。もっと楽しくひとと会話できるのに。もっと要領よくタスクをこなせるのに。もっといろんなひとから好かれるのに。けれど、実際、私は自分の不器用さ、くそ真面目さが嫌いじゃないし、少し歪んだ過去を持つ自分に自信を持っている。これで私はここまでやってきた。ここまで上り詰めてきたのだ。だから、私は本当は変わりたいんじゃなくて、認めてもらいたいんだ、と思う。

私の家族も、私の背景も、私の過去も、きっともう、口に出さずとも今の私の血となり肉となって私を根底から支えてくれている。いろいろあるけれど、しんどいと思う瞬間もあるけれど、もう無理、と投げ出したくなることもあるけれど、私は大丈夫。あの頃よりはまし、って感覚が、何よりも私を明日へと運ばせてくれる。

そう、私には、明日があるのだ。