縁と約束と、諦観。
Actually, I had wanted to behave gently and happily against you...
土曜に内定式を終えた私は、このまま行けば4月からあの土地で働くことになるらしい。そう、まるで、新宿駅にある動く歩道みたいに、私がいくら立ち止まっていたって、事はどんどん進んでいく。景色は変わる。
私は、確かに、変わったのだと思う。
諦観、と言うべきか。
どこかで何かを捨てたのかもしれない。
私は今までずっと宝物だと信じていた何かを、どこかに捨てた。おそらく、落としたのではない。意識的に捨てたのだ。でも、それは何だったのか。思い出せない。夢から覚めた時のように、思い出せない。
他者に時間を委ねることを、はたらく、というのかもしれない。
縁、というのは聞こえがいい。
人と人との出会いは、いわゆる、人生という名の線と線の接点だと私は思っている。どこでどんな線と線とぶつかり合うかはいつだって未知だ。もし今の私なら、あの頃出会ったあの子ともっときっと上手くやれた、そんな感覚は、いつだって持ち続けるものなのだろう。
縁。この言葉がとても好きだったはずだ。
もし自分に娘が産まれたら、縁、と名付けたい、そう思っていたほどに。
でも今、私は、その言葉に寄り掛りたくない。
努力しなくても、がんばらなくても、あと一歩踏ん張らなくても、人生は続く。その時に出会ったひと、場所、それさえも確かに縁だと思う。それはそうだ。そこからまたもっとより価値のある縁に結びつく場合だってある。そう、わかっている。
でも、私は、その言葉に寄り掛かって、逃げ道にしたくないのだ。
心の底から想っている今の私の大切な縁が、薄れてしまう気がするから。
約束、という言葉が怖い。
約束。その遂行日まで、自分が生きている保証もないのに、人はいつだって約束する。3月29日、入社式。
約束を従順に守ることが信頼への貯金になる。相手が約束を守らなければ、その相手を責め立てる権利を得られる。約束、約束、約束。約束という言葉は、いつだって戦争の勝者によって変えられる。歴史の教科書は、いつだって勝者によって描かれる約束と隠された約束で出来ている。
諦観、と呼ぶべきものなのかもしれない。
私は、今、ぶつかったこの線との約束を、果たさなければならない。