雑記

スマートフォンで打っているからか、ひどく久々に更新する気がする。

 

最後の大学生活はそれなりに順調。

昨日のゼミで、卒論の途中経過、最後の発表だった。正直、私はこの卒論を通じ、多くの研究者の誤った見解を痛烈に批判したい、なんて傲慢なことを考えていたのだけど、レイ・チョウの本を読んで少し考えを変えた。

 

しつこいけど再掲。

mercy07s.hatenadiary.jp

 

 

 

ディアスポラの知識人

ディアスポラの知識人

 
 
 
この本のせいで、だいぶ私は心がえぐられたし、かなりかなり傷ついた。あ、私が今、この学生証を手にしながら、キーボードを打っている、それだけで、私は彼らへの暴力に加担しているのだ、それを大きく突きつけられた。
 
 
けれど、私は自分の卒論は必ず書き上げる。サバルタンの存在を把握すること、声なき声を聴こうとすること、世に浸透させようとすること、そこまでを根こそぎ否定されるまでの話ではない。階層や社会の常識から零れ落ちた人々の感覚を記録し続ける、そこに既に意義があるのだと私は今は信じていたい。
 
 
 
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いずれサバルタン高齢者へも浸水してくる問題だと私は予測している。
以前のバイト先で、80歳をゆうに過ぎた多くの富裕層のお年寄りが、連日のように豪勢な食事とお酒、多くのサービスを受けている様子をこの目で私は見た。その半年前は、私は一般の方々のグループホームで介護職員として働いていたばかりだったから、なおさらその”異様な”空間に慣れることができなかった。
 
あと数十年もすれば、年金問題介護保険法、また、「家族が家族の介護、看取りをしなければならない」というような社会的価値観や常識も崩れるのではないだろうか。若者は減る。生産者人口がこの先減少することしか見えていない。たとえ若い頃に日本のため、家族のためにずっと働き、従事してきたとしても、お年寄りは人数的にはマジョリティでありながら社会のマイノリティに位置付けられ、モラルハザードが起きるのではないか。
 
 
それは決して悪い側面だけではない。
家族の終わりの見えない介護に明け暮れ、自分の人生の目的が見えなくなる若者が多くなるなんて、悲観しかない。国家や行政の対応がもっとも重要視されることであるものの、”家族が家族を背負う必要はない”という新たな常識が、早く生まれれば良いと私は思っている。
 
とは言え、お年寄りを蔑ろにしたいわけではない。介護やケアの問題だけでなく、彼らの労働の場を提供する企業も最近は出てきている。お年寄りをどこからにするのかさえ曖昧になりつつあるこの社会で、彼らの生きやすい居場所をいかに構築できるのかは、私達が常に思考、実践して確かめていかなければならない。
 
サバルタンサバルタンとして固定させる危険性を強く強く強く理解しているからこそ、私は立ち止まるわけにはいかない、そう思う。
 
 
 
 
 
 
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・本気でその人を想っている時、それはそのひとを傷つける可能性を最も孕んでいる時。
 
・弱みを見せるな。少なくとも、この場では。
 
・私はこの人のことが大好きだ。この人は私のことを大切に思ってくれている。それだけで、良いじゃないか。充分が過ぎるほど、幸せなことじゃないか。
 
・Lucy Rose の歌、再び聴き始める。11月はよく、彼女に出会う。なぜだろう。
 
 
 
・教科書のなかではどんなにダメダメな君主でも、それでも彼を本気で愛した女が確かにいて、誇りに思う子がいて、王としての矜持と力と覚悟を最後まで失わなかった彼の彼だけの彼による彼なりの人生があったのだということを、いつだって映画は教えてくれる。
(『Cromwell』チャールズ1世処刑のシーン)

 

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