え ん

人生は連鎖する、

備忘録

 

なんだか本当に、最近の私は日々の暮らしが雑然としていて、全く心が落ち着かない。気分は常にジェットコースターのような上がり下がりを繰り返していて、それは他者にも影響を及ぼしているような気がする。自分に優しくなれない人間は、他者にも自分に対する負荷や罰を要求してしまう。孤立するって、そういうことなのかもしれない。

 

 

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

 

 

先日、この本を読んだ。

選考途中だった企業の面接に、次回はフェルミ推定を出すと言われて購入した。結果として、その面接へ行き着く前に🙏お祈り🙏されてしまったのだけど、まあ買ったことに後悔はしていない。ちょっと極端な文体が鼻につくときもあるが、実際にここに書いてある内容は私に必要なことばかりだったから(それはつまり私に地頭が無いということである)😤。

 

 

 

 

私は来月、22歳になる。

21歳の総括や22歳の抱負をこの記事に書くつもりはない。ただ、もう、本当に、本当に、(というか今更)、自分の二本の両足で歩いて行かなければならないんだな、と痛感する。

身体的にも、精神的にも、経済的にも、私はこの先、自分でひとつひとつPDCAサイクルを構築して行かなければならないのだ。自分の無理や限界を知ろうとせず、少しでも限界を超えるための訓練もせず、無防備に裸のまま社会に出ることは、戦場に行くそれと同じだ。危険というより、もはや愚かだ。失敗を怖がらない強さは、成功するための用意や努力無しに語ることではない。

 

 

さっき、22歳の抱負を書くつもりはないと言ったけれど、実はそれは、書くつもりがないというより、書けないんだ。

サンスクリット語で「夢」とか「願望」を意味する、サンカルパ、という言葉がある。このまえ、瞑想してみたら?と友人に言われて、面白半分に「寝たまんまヨガ」という無料アプリをインストールした。そのナレーションで、サンカルパを言い聞かせましょう、と言われたのだけど、私は思いつかないのだ。驚いてしまう。高校時代まで、溢れんばかりの夢や志望校を先生に並べていた私は、今、何も思いつかないのだから。

 

お金が貯まったら高等機関に戻りたいだとか、そのためにちょっとでもお給料良いところに就職したいだとか、本当の本当はマスメディア関連の職に就きたいとか、あることにはあるんだけれど、なんだか昔みたいに純粋無垢にサンカルパを唱えられない自分がいる。まあ、、、無理か。みたいな。それが、私の理想を大きくかけ離れた、つまらない大人になるってことなんだろう。

 

 

 

もっと自分を遠くから眺める努力を、しなきゃな。

全体を、抽象化させて、最後や結論から、客観的に自分を見つめる。

難しすぎてよくわかんないけど、もうちょっと本気で自分と向き合う必要があるのは確かみたいだ。