他者に責任を転嫁する自己責任論

 

しんどいなんて当たり前だよね。

今よりも楽できるなら、誰だって楽したいよ。

辛い記憶を辛いって言語で記録できるって幸せだよね。

逃げる時、ほんとは誰も逃げる理由や背景なんて関心ないんだよ。

自分だって、逃げることさえできるなら、ほんとはどうだっていいんでしょ。

 

ほんのちょっと

あとすこしだけ

もう一歩さきに

そうやって、静かに、だけど確かに、差ってつけていくものなんだよね。

 

でも、よかったね。

立ち止まる時間や抱きしめてくれる人や赦される居場所があるうちは、思う存分、もう飽き飽きするくらい、甘えておきなよ。

 

だっていずれにしたって、自分のなかに散らばったガラクタたちを後片付けしてくれるのは、自分しかいないんだもの、ね?

 

 

 

 

 

最近、「私は責任持てないから」とか、「悪いひとじゃないんだけど」という言葉を、よく耳にする。

電車のなかの女子トークを盗み聞きしたり、ビジネスマンの何気ない会話、テレビのなかの芸能人たちの生産性のないネタから聞こえることもある。

都合がいい言葉だな、と思う。

この言葉を前置きすれば、その後にどんな言葉を繋ぎ合わせても許されるような気になってくるから不思議だ。

結局、人って、自分のことしか考えられないんだと思う。他人のことは、とりあえず自分が今まで知り合った数多くの人たちと比較して、カテゴライズして、勝手に評価して、差異をつける。

全然悪いことじゃない。当然のことだ。私もやってる。きみもやってる。一向に構わない。むしろ常に24時間365日、利他的に行動できるひとは、ちょっと胡散臭さを感じる。私は、あまりそういうひとのことは信頼したくない。てか、コンビニかよ。

 

だけど、自分だけがゆるされることなんて、無い。

世間には、たくさんの綺麗な単語や耳あたり良い台詞は転がっているけど、全部ひっくるめて、シンプルに自分の言葉で言い換えてみて。きっとただの我儘、言い訳なだけだって気づくから。

 

赦されたいと思うなんて甘いんだよ。

許されたいなら今すぐ努力しろ。

歯を食いしばってでも、涙が枯れ果てでも、今、爪先が向いてるほうを睨み続けていろ。

 

 

 

 

責任、って言葉で思い出したけど、

頑張るって言葉、無責任だと思うんだ。

頑張るって言葉には、限界がないから。

だから、私は最近、ベストを尽くす、ってことを意識してる。

私にとってベストっていうのは、自分の限界、っていう意味でもあるけど、それを尚且つ継続できるスキルでもあると思っている。

 

ベスト尽くしていたって、上手くいかないことはもちろんたくさんある。

特にこんな私だ。

今まで怠惰で錆びついた精神状態だった私だ。うまくいくことのほうが少ない。

どうしようもないくらいガッカリすることもあるし、どこかに逃げたくなる。隠れたくなる。もうなんだっていいんだ。どうだっていいんだ。もともと私に出来ることなんてあるわけなかったんだ。そうだそうだ。

 

 

 

‥‥‥でも、

私は逃げない。

 

ここで踏ん張って闘ったところで何になるか?

何にもなれないかもしれない。別にそれでも良い。

何かの教訓を得たくて闘ってるわけじゃない。

 

 

ただ、今まで見ようとしてこなかった景色を、一度見てみたいだけ。