え ん

人生は連鎖する、

何となく衝動的な気分ですし


キャラを作っているように思う、とある人から言われて、すぐに反論をしようとしたということは、それはやっぱり真実だったからなのか。

正論というのはいつだって人の心を揺さぶりかけてきて、台風のような見る影もない傷痕だけを残していく。私は今、とても痛いと感じている。

私が私になる上での根源的な原因をひとつふたつと指折り数えて、またしても動揺し、戦慄し、疼く痛みに甘んじようとしている自分が今ひどく情けない。何をやっているんだ、何をやってきたんだ、、、焦るだけで前へ進めない。キーカラカラ、キーカラカラ。たぬきの糸車を思い出す。


どんなに汚れを隠そうとしても、見てくれだけでも良くしようとベッドメイキングに精を出しても、結局全て痛々しいだけだ。やるのならシーツごとリネン交換しなければ、、、


キャラを作ることに必死なのか、出来てしまったキャラを崩壊させることを目指しているのか、自分でもよくわからない。

でも、私がひどく軽蔑し、嫌悪感を丸出しにして忌々しく思っていた頃の自分でさえ、振り向いてくれる人は確実に居るわけで、強ちその頃の自分を100%批判するわけにもいかないらしい。そして、その頃の自分が犯した間違いによって、今も尋常じゃない痛みに苛まれている私は、100%その頃の私を愛したり感謝の言葉を粋に伝えたりすることが出来ない。でも、20%とか38%とか50%とか79%とか91%とか全くよくわからない。私は数学が苦手なのだ。

純真さがなくなった、と年末に母親から言われた。そう、私はドリーマーからリアリストに没入した代わりに、無垢に笑うことが出来なくなった。何かしらの裏を嗅ぎ取ることが上手くなったことで、表向きの装飾品さえも興味を失った。

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ポジティヴなひとがとても羨ましいと思う。

でも、自分がポジティヴであることに自信を持ち過ぎて、ひとにまでポジティヴであり続けることを要求するようなポジストになるくらいなら、私は今のまま永遠にネガティヴに生きていたほうがマシだ。たとえ暇人で楽をしたがるだけの怠惰な消極的思考者と揶揄されたとしても。私は自分以外の誰かを、悪意がないまま傷つけてそのまま平凡を生きることができるほど強くない。非凡になった者は非凡な道しか残されていないのだ。特にこの世に産み落とされたその瞬間から非凡な私には、「普通」なんて言葉の意味を辞書や本で勉強しても実感が湧かない。

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ああ。やりたいことがわからない。

本当はたくさんあるはずなのに。

素直になろうよ、自分。サングラスなんて外せよ。なあ。