え ん

人生は連鎖する、

スマホやスマホや、若を如何にせん。

 

こんにちは。

岩手に帰省しています。台風を背中に乗っけて来たものですから、なんだか節々が痛いです。
そして、新宿駅構内にて、PASMOと学生証が入ったスマホを落としました。あの駅の警察や駅員のかたがたは本当に偉大だと思います。正直、彼らは何を以って仕事を続ける意欲が持てるのでしょう。畏敬の念を抱きます。とは言えスマホをピピピッって見つけてくれるわけでもないので、あと1年半の契約をどう生きていけばいいのか未だに目処が立ちません。はああああああ💀💀💀💀

さて、岩手で私は、多くの友達と会う約束をしています。もう既に会った友人も居るのですが、本当に自身のの人生観や経験を語らう時間というのは有意義なものですね。良い意味でも悪い意味でも、なるほど、彼女はそういう風に考える(ようになった)んだな、と

特にも、同じ高校を卒業し、国立の医学科に進学した親友の話をしましょう。
彼女は勤勉努力家であり、中高と学年一位の座を譲ったことがない上に思いやりも気遣いも出来、実に才色兼備的なひとです。そんな彼女、先日までフランスでの実習生に選ばれて渡仏していたとのことで、その時の様子の写真を見せてくれたり、たくさん話をしてくれました。

率直に言うと、少し変わったな、と。
医師らしくなった、というか、前より増して人生設計の計算が速くなった、というか。
ハタチの女の子が、そこまで時間的にも精神的にもありとあらゆる全てのイベントを両立させた上で、そこまで悟りの境地レベルに物事や自分、他人を判断評価出来るって、アンビリーバブルでございます。

具体的に、
過去の彼女が使っていて私にくれた問題集をみせると、パラパラとめくりながら、
「うん、この頃の私は本当に頑張っていた。とてもよくまとめられていると思う。そして、詩織ちゃんや他の皆から憧れられていることも、尊敬されることも、先生方から絶大な期待をされているってこともわかっていた。でも、だからと言って何一つそのことに関して何か感情を持ったことはなかったな。私は私のことしか考えてなかったもん。私がより高みに行けるためにはどうしたらいいか、その時の理想とする自分になるためにはどのように努力したら良いか。そのことにしか私は興味無かった。過去の私に声をかけられるとしたら、その考えは間違っていなかったけれど、もう少し柔軟性を持って、いろんな人の考えを取り入れることも必要だって言うかな。」
と、サラサラと答えるのです。まるで春の小川のように自然としなやかに言葉が出てくるのです。


私も、柔軟性、という言葉はものすごい大事だと最近痛感しています。
なぜかは甚だ疑問ですが、私の大学で、よく大学を辞めたいという人生相談を受けることがあります。私は自分自身が中退経験があるので、正直苦笑いしてしまうのですが、とにもかくにもその相談をしてくる人たちは至って真面目に、真面目すぎるほど、悩んでいるように見えます。
でも、正直に言って、彼女たち(過去の私も含め)は、何一つ思考をしていません。悩んでいる、というより、勇気を出して私に相談をしてきた、その時点で既に答えは決まっているのです。大学を辞めたいと悩んでいる、のではなく、大学を辞めるつもりなのだけど賛成してくれるか?、と。
だから、ここで私が、大学を中退したことによってどのような社会的な差別に遭うかということや、何にも属していない期間のアイデンティティの喪失感は異常だということなどの説教をしたところで、何にもなりません。一度経験をしなければ、一度自身で選ばなければ、ひとはわからないのです。だから私は、大々的な人生の指標書であったり啓発的な本を読んで悟った気になることはありません。あくまでもその本の著者や主人公の人生なのです。

柔軟性、という言葉に戻りますが、私も彼女のように、過去の自分に対しては、もう少しひとの意見に耳を傾けてみなさい、と言いますね。年上年下限らず、人生の先輩であるひとの意見を聞くことは、その道に進むか否かは別にして、とても大事なことですね。あらゆる選択肢や可能性、選べる余地がある上で、Aという人生を歩むか、Aしか無いからAにするか。それは解釈の違いなだけかもしれないけれど、前者の方が自分の人生に自信と誇りと責任を持てる気がします。


先ほど、人生の先輩というのは年上年下限らない、と書きました。それはなぜかというと、正直に言って、どんなに年を食っても、人間的に成熟出来ていないひとは、やはり一定数いるのです。わけがわからない人間、何を言っても何一つ響かないひとは、やはりいます。
そういうひとたちと同じ組織や団体に所属すると、厄介ですね。10人中9人が成熟した者なら、1人の変な人は自然淘汰されていくものだと思うけれど、逆転すると、本当に苦しみます。
成熟というのは、多様な人、価値観、物の見方に対して、許容できるというスキルだと私は認識しているのですが、なかなか世の中全員っていうと、そうもいかない。
私は、そういうひとに出会ったら、極力そのひとのことは、言葉も振る舞いも考え方も、理解することが不可能な👽異星人👽だと思うようにしています。それだけで、少しラクになります。

 


岩手には二年間は帰省しないと決めたものの、帰省するって意外と悪くないですね。
今度の記事は、今の私の家族に対する思いを書いてみようかな。
とりあえず帰省中の目標は、車の運転🚗で事故らないことです笑