え ん

人生は連鎖する、

24の所感と宣誓

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昨日、24歳になりました。たくさんお祝いの言葉を貰いました、みんな、ありがとう。


このブログを始めた時は20歳だったのか〜なんて、過去の記事を眺めていた。どうしようもないことを書いているのもあれば、意外と的を射たようなこともあって、なるほど継続と蓄積と記録というのは、どんな形であれ大事なんだなあ、と。それと同時に、人間、続けられるものしか、結局続かないんだよな、なんて、自分を正当化してみたりする。




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この前、ひとの最期の大切な儀式を執り行うひとに、「理由とか過程なんてどうでもいい。結局みんな、ひとは、結果しか見ないからね」と言われた。
どうでもいいと言っておきながら、私が新卒で働いた前職を辞めた理由を問いただしたと思ったら、「そんなふざけたこと聞いてない」なんて一蹴された。
こうやって書くと、やっぱり、よくわからんな、と思う。そして、仕事している姿がめちゃくちゃ素敵だったからこそ、結果しか見ない、というそのひとに、私は傷ついた。彼は、故人にたいしてすらも、人生の過程を顧みないのだろうか。葬儀参列者の数や、葬儀単価、棺の種類、遺族の故人への気持ちだけが、その人の人生の、結果なんだろうか。だとしたら、あまりにも、かなしい。

いや、ただ、きっと、責任感と、妥協を許さないひとだったのだろう。ただ縁が無かったんだ、って、都合の良い言葉で片付ける真似をしたくはないけど、きっと、今はまだ、出会うべき人じゃなかったような気がする。きっと、出会うタイミングを間違えただけだ。


そうは言うものの、叱られる、って、やっぱり大事なことなんだと思う。歳を重ねるにつれ、ひとはひとにたいして、どんどん、どんどん無関心になっていく。叱られることがなくなってゆく。体力も精神も消費する叱るという行為の、意義や対価を、もう、大人には見いだせないから。


だから、叱られたことには、感謝している。その叱られた内容が、時間が経つにつれ、間違っているという気持ちになれているから、尚更だ。今なら、誰に何を言われても、胸を張って言える。私は自分の人生に対してふざけたことなんて、一度だってないし、自分の甘さを克服するための努力をしてきた、している、って。私の周りの大人たちみんな、よく、まだ若い、って、言うじゃない。 どうしてその努力を、24になったばかりの今、履歴書に反映しなければならないのですか?


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ひとを闇雲に妬んだり、環境のせいだけにしたり、そういう真似をする大人にはなりたくないな、と思う。今の場所の広さからも、今ある手札の数からも、今の周囲の愛からも目を背けて、無いものや失ったものや落としたものにばかり気を取られる人間ほど、醜いものはない。妬ましく思う人の努力や苦悩、これまで生きてこれた奇跡や支えを踏みにじって唾を吐いている。そんな姿が、どれだけカッコ悪いのか。気づいていないのは、いつだって、本人だけだ。



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23歳で叶えられたこと、理解したこと
・パスポートを取得して海外旅行した。
・車を手に入れた。
・教育や環境が持つ可能性と脅威を理解した。
・どんなに気分が優れなくても掃除洗濯は怠らなくなった。
・人に対して余計な口出しをしなくなった。
・自分がどれだけ愛されているのかを心の底から理解した。
・上手くいかない理由を根本から考え、周囲の人からの支援や病院の力を借りることができた。(何でも自分一人でやろうとすることは、逆に甘え)
・自分に課したノルマや約束を守る習慣を身につけた。
・翌日のことを考えて食事するようになった。


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24歳の目標
1.完璧を目指すことには変わりない。
けれど、完璧ではない今の自分の価値とそれとを紐付けない。なぜなら今の私は、既に素敵な女性だから。
2.完璧を目指していることでひとを傷つけない。重たくさせない。自然に、息をするように、努力する。
3.義務を果たしてから、自分の権利を正当に、声高に、主張する。
4.自分を支えてくれる人にたいしての愛を惜しまない。
5.自虐しない。自尊心がないなら、上げるための今この瞬間の行動を考える。起こす。
6.出会う人全ての振る舞い、言葉遣いから学ぶ。好き嫌い損得ではなく、全て勉強。
7.よく笑いよく泣きよく考える。そのことをアウトプットする。
8.カツカツと行動しない。結論を急がない。長いスパンで物事を考える。
9.健康管理を徹底させる。体に良いものを摂る。
10.手や足の振舞いに気を遣う。その人らしさが出る1番の箇所だから。
11.自分が居心地が良い環境にするための努力や投資を惜しまない。


叶えたいこと
12.妥協なき職業、会社選択をして継続する。
13.経済的自立をした上で、月の積立額を2万に戻し、マネックスも再開させる。
14.L'OCCITANEのハンドクリーム、化粧水を母にプレゼントする。
15.東北内のどこかへ温泉旅行へ行く。
16.自炊をより充実化させる。パスタやクラッカーに頼りすぎず、ご飯を炊く。
17.蕁麻疹を治す。
18.趣味を見つける。
19.ジム週3回以上を習慣化させる。
20.兄や友達と県内ドライブをもっと楽しみ、無事故無違反でゴールド免許取得する。
21.気に入った家具を買う。
22.図書館で本を借りたらきちんと読み切る。
23.今目の前にある課題に対して価値を判断しない。無駄無益だと思うことでもやってみる。
24.恋愛云々問わず、素敵な人との縁を逃さないよう、常に身嗜みや持ち物、機嫌を一定させる。

ままならないのが人生さ

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ようやく文字を書こうという気分になれたので、ブログを開く。
6月は私にとって、暗雲垂れ込める、そんな日々だった。もういっそのこと雨でも雪でも槍でも降ってしまえばいいのに、どんよりとした雲だけが常に私の頭上にのしかかっている感じ。ずっと疲れていたし、ずっとしんどかったし、ずっと頭が痛かった。
理由はひとつじゃないんだと思う。けれど、比重が大きいほうが、私の性格の傾向的なものなのか、外部的な問題によるものなのか、理解できずにいた。今でも、よくわからない。
ただ、一人暮らしの身で、勉強しながらダブルワークで生計を立ててゆくというのは、私のキャパ上不可能だっていうことと、休みかたや遊びを知らないままここまで来てしまった弊害は、想像以上に大きいってことを、この1ヶ月ちょっとで学んだ。もう、ずっと、ずっと、ずっと、疲れていた。


そして、
そんな疲れ切った私の顔を見て哀れんだ神様なのか、おじいちゃんおばあちゃんの見えない力なのか、はたまた単なる時の悪戯なのか、職場の代表から、あくまでも会社の都合でクビになった。


落ち込んでいないと言ったら、嘘になる。どうしてこんなにまで、こんなにまで、こんなにまで、上手くいかないんだろう。今まで、「どうして自分だけこんな目に遭うの」言ってる人を見ると、何言ってんだお前だけじゃねーよ、みんな隠すのが上手いだけだよなんてどこかで抜かしていたのだけれど、今回ばかりはそう思った。ああ、こうして若者の貧困は連鎖して負のスパイラルに陥ってゆくのだ。


けれど、それと同時に、どこかで、ものすごく、安心していた。これで、いろんなしがらみや制約、義務、不安定で今にも壊れそうな日常から、解放される、と。ちなみにそれらは、自分で勝手に作り出した幻想に過ぎないのだということも、ちゃんと知っている。




さあ私、何者にでもなれるよ。
何者でもない今、もうすぐ24になるこの瞬間、私は今、何がしたい?
どこかにいつのまにか置いていってしまった自分を、探しにいかなきゃ。


‥‥‥そう言って、そう言って、そう言って、このザマだろう?






ままならないのが人生さ。

ジョー・ブラドリーが笑ってくれた。アン王女にだって休日が必要だったんだ。
私だって、あともう一晩くらい、現実からは、ちょっと目を背けて、ローマの街を駆け抜けても良いんじゃないかって。もう、いっそ、流れに身を任せて見ても、良いんじゃないかって。


次、また、上手くいかなかったら?と怯えるマネは、やめよう。どうせ上手くいかないことは、向こうからご丁寧にやってくるのだ。だったら、焦って上手くいかないことを拾い上げる必要も、吸い込む必要もない。ゆっくり、ここで、待つしかない。それなら、楽しいことをして、気長に、待っていよう。不幸が来るまでの間くらい、しあわせな気持ちで、待っていよう。何を選んでも、どの道を進んでも、いずれ、後悔するし、壁にぶつかるし、嫌な奴には会うし、消えたくなるくらいの失敗はするのだから、それわざわざ自分から迎えに行く必要はない。


そして、後悔している最中も、壁に悲嘆している今も、嫌な奴に精神をすり減らしている瞬間も、見てくれている人はちゃんといて、温かい言葉を掛けてくれている。もうそんなこともどうでも良いくらいに、自分は自分のことしか考えていなくっても、実は、そこらじゅうに、愛ってものは、存在するらしい。縁ってものに、囲まれているらしい。




だいじょうぶ、なんとかなる。
なんとかなってきたから、なんとかなるのだ。

今の、わたし。

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気がつくと前職の先輩たちや以前住んでいた時の街並み、その仕事していた私自身、あの日々を、思い出す。ライトエースと擦れ違うだけで、スーツを着た男性を見かけるだけで、先輩じゃないか、同期じゃないか、なんて目で追う。鮮やかな切り花を見ると、あの街で行きつけだった花屋のことを考える。通帳に記帳するたびに、あの頃の残高と比べてしまう。それよりもっと前の自分を思い出しては、あのころの努力不足や選択ミス、思考の浅はかさに辟易とする。




私は、まだ、一歩も、前に進めていないのだと思う。


住まいも落ち着いて、有難いことに良い環境の職場もある。新しい出会いも沢山ある。ぎりぎりだと言いつつも、衣食住の整った生活が出来ている。昨日も今日も明日も明後日も、ちゃんと手帳でタスクが管理されている。読むべき本も、観たい映画も、行く予定のドライブも決まっている。


それでも、前の職場に居続けたほうが、しあわせだった?

そう聞かれたとしても、私は頷けない。きっとあのまま妥協と惰性で社長が私を留めることを許しても、私はどんどん私の首を絞めていったことだろう。今みたいに、英検を受けてみようだとか、関心のある本を読んでみようだとか、積立NISAや株の動きについてもっと知りたいな、だとか、露とも思わずに、目の前の仕事や圧力に溺れていただろう。出来るはずの自分像が、出来ない自分をいつまでもどこまでも追いかけてきて、追い詰めていって、潰されていただろう。


だから、これで、良かった?





自分探し、という言葉が嫌いだ。自分なんて、探すも何も、ここに今いる存在、それ以上でも以下でもないと思うから。


けれど、やはり、私はどこかに自分を落としてきたように思う。常に、社会からペタリと貼られるラベル(性別、婚姻、就業体系、納税額、学歴、履歴書、手先の器用さ、語彙力、、、)で自尊心を測っているし、過去の自分や他者と比べた今の自分の欠落点に日々絶望している。ニュースや新聞で目にする痛ましい事故や事件に対する報道の仕方の、悪意のないナイフで血まみれになっている。......これはどういうことか? 私は自分を測る物差しを、他者に対してまでも、用いているふしがどこかにあるのだろうと思う。つまり、私は、人を選別、差別している。こんなふうになりたいひとと、あんな考えには陥りたくないと思う人とで、シッカリと線を引いている。どこかで私は、自分で自分を貶めていると同様、隣にいる誰かのことを、貶している。






もっと鏡を見る勇気を持ちたい、と思う。


今の自分で、毎日、生き切る。



それが、ひとのことを思いやる、第一歩なんだろうな、と。今の私が今の私に優しくしてあげない限り、他人に対する冷たくて鋭利で、かつ無意識にも振りかざすナイフを捨てることは、出来ないだろう。私には、過去も未来もない。今の私を愛してあげることだけに、集中したい、そう思う。

私が決めた、ひとつのこと。

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🐰🐰🐰


迷って迷って迷って、迷いに迷って、そうして、ようやく、決断したこと。


それを、本当に、貫けるひとが、どれだけいるんだろうか。




少なくとも、数多くの成功者たちは、文字通り意志を貫いてきたひとたちのことを指すのだろう。もっと言えば、そもそも迷いすらなく突っ走って、成功と栄光をもぎとった天才だっているらしい。そんなひとを目指すひとには、何の役にも立たないけれど、彼らと180度異なる私が決めた、ひとつのことを、ここに書きます。






平成の私、つまりこの世に生を受けてからの私は、迷って決めてはまた迷い始めて、それでやっぱりって方向転換したり原点に戻ったりなんかして、そうしてるうちにまた悩んだり立ち止まったりなんかして、を繰り返して生きてきた。


現役で進学した大学を辞めると決意したときも、介護の道を志したときも、関東での就活に拘っていたときも、父と同じ職業を目指したときも、すべて、迷いに迷って、そうして出した最良で最善で最高の答えだと思っていた。この決断は揺るがない、そう心の底から信じて疑わなかった。




けれど、実際、すべて、破綻した。




私は今、地元に戻り、傷病手当で得たなけなしのお金で、中退した大学のすぐ傍のアパートを借り、電気代だとか自動車税だとか医療費だとかに毎日頭を抱えながら、生きている。




なかなか人生っていうのは、上手くいくものじゃないらしい。ありとあらゆるリスクや不安要素をしっかり把握したうえで決めたことですら、いつの間にかふらりふらりと揺らぎ始め、最終的にポッキリと軸が折れてしまう。




最近は"生きづらさ"とか"社会不適合"とかいう言葉が巷を徘徊しているけれど、そんなに生きづらいひとがたくさんいる、という現実に私は怯えてしまう。
この世界に違和感を持っていながら、苦しんでいながら、時に立ち止まることをしつつも、それでもみんな、生きている。それでもみんな、生きている。この世界が自分にとっての最適地ではないにしろ、それでも、みんな、生きている。




そして、何より、今日も、この現実に絶望している私は、この世界に、生きている。








私はこれから、どう生きていくんだろう、どう生きていけば良いんだろう。ああするって宣言したけど、実際お金ないじゃん。こうするつもりで来たけど、実際出来てないじゃん。ていうか、これまで成功したことあったっけ? Google先生、幸せってなんですか。ああ、どうすれば良い生き方ができるんだろう。まずは手取りでいくら必要かな? 週に何時間働ければ良いのかな? 私にそんなことできるのかな? だって無理だったじゃん? それより社会学の勉強したい。短大の頃の卒論のテーマ、続きの研究がしたい。サイードスピヴァクの思想をもっと知りたい。いやいや、現代の子どもの教育格差についてもっと詳しく知りたいし......でも知識だけじゃだめだから、経験も積まなきゃね。ほら、だから言ってるでしょ?とにかく今は仕事しなきゃ。稼がなきゃ。資金どころか奨学金という名の多額の借金抱えて何を夢みているんだ。さて、私はこれから、どう生きていけば良いんだろう?どう生きていけば.........


......そんな感じで、最近は、決断することを、少し後回しにしている。





決断することは、私にとって膨大なエネルギーが要るのだ。だから、ちょっとだけ、あともうちょっとだけ、今の流れに身を任せてみようと思う。上手くいくかは、わからない。でも、とりあえず、フラフラ迷走して、フラフラ決めかねている自分を、ほんのちょっとの間だけ、ゆるしてあげる、ことにした。


#「迷い」と「決断」

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上手くいかないのが常だから

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今年に入ってからのブログの更新頻度の低さに目玉が3つか4つくらい落ちたところなんですが、お元気ですか。私は元気です。

正直言うと、近年稀に見るほどの元気と言いますか、かなりポジティヴに毎日過ごしています。突如台湾に行ったり沿岸ボランティアに参加したりと、今年に入ってからの行動力は、自分でも甚だ驚きです。そして4月下旬辺りから、フリーターしながらひとり暮らしですることも決まりました。

最近得た、私にとってかなり大きな収穫というのが、完璧主義でなくなってきた、ということです。前職を辞めたばかりの半年ぐらい前までの23年間、私はまさに全か無かの法則、白か黒か、ゼロか100か、みたいな考え方で生きてきました。それが、まあどっちでも良いんじゃね、てゆーか、どうでもいいや、みたいになってきたということです。正直、単に完璧主義な生き方に飽きちゃった、という説も無きにしも非ずですが、まあともかく、自分が思っていたよりももっと世界は広いし、もっと色んな人がいるし、もっと面白いこともあるんだな、と。ぶっちゃけどんな人生を歩んでも、誰かしらには後ろ指指されたり、何かしらを傷つけてしまったり、まあ後悔したり失望したりするんだな、と。でも、それは、どんな人生を歩んでも、誰かしらの希望になれもするし、何かしらの幸せを掴んだり、まあ自分の力で良い方向に切り拓くことはできる、ということでもあって。本当に、もう、何だって良いのよね。人様と自分の命や宝物を壊さない限り、もう、何だって良いのよ。

ということで、私は、中退した大学の再入学を目指して頑張っています。一応別の短大を卒業しているので、社会人枠としても編入枠としても私は試験を受けられるのだけど、ほかの現役生と混じって前期試験を受け、1年生からやり直したいと思っています。しかも特待生枠として、4年間無償で通いたい。え?なんのためかって? トーゼン、自己満です。

というのも、中退した大学は、今の私が勉強したいと思っている学問が全て勉強出来るというだけでなく、心から尊敬している教授もいらっしゃる。そして、前も書いた気がするけれど、東大でも早稲田でもハーバードでもなく、この大学の卒業証書を貰うことに、私にとって大きな意味を持つのです。人生、やり直しは繰り返しなんかじゃないってこと、焦らなくても道は拓けるってこと、どんな黒歴史を背負っていても幸せになれるってこと、未来の子供たちに見せてやりたいな、と思ったのです。


ひとりくらい、変な大人がいたって良いじゃない。みーんなストレートで教育学部入って教採パスして23歳で先生と呼ばれる大人たちばかりの空間より、ひとりくらい、こんなあほみたいに失敗したり歩く度に転んだり泣いたり喚いたりして、足元も履歴書も汚れている大人がいたって、良いじゃない。

文科省が定める学校の先生になるかどうかは分からないけど、ともかく、子どもと関わる仕事がしたいな、と思っています。そして、自分の家の玄関だけじゃなく、ただいまぁーって子どもたちが扉を開けて、おかえりぃーって抱きしめてあげられるような、そんな空間を作ることが、今の私の夢です。