東京からの帰り道にて
独りよがりな考え方は、どこにも真実なんてものはなくて、それは自分以外の誰かの人生の指針になるわけもなく、寧ろ未来の自分への暴力になる可能性すらある。
けれども私は好きなときに好きなものを好きな文体で好きなように書いてきたし、この先も書いていく。
そして、書きたくないことは書かないし、書けないことは無理に言葉を絞り出すこともしない。活字というのは不思議なもので、平気な顔で平然と平和を装って嘯くこともできるし、有りしものを落とすことも、無きものを生むことも容易くできる。とても脆くて曖昧で壊れやすいものなのに、固く閉ざされたままひとの心を殺めた過去を持つ。活字は、時にガラスの破片となって瞼を突き刺してくる。
私が追いかけてきたものはなんだったのだろうと思う。
いや、それを振り返るには、まだ若すぎると大人たちは嗤う。四半世紀も生きていない私の歴史は、あまりに、浅すぎる。
けれど、「貴女はまだ若い」「人生は長い」という言葉を掛けられる度に、その虚と空に私は怯えるのだ。それは嘘だ。若いから何なのだというのだろう。長い短いを決められるのは、私が死んでからの話で、今それを判断できるのは、人間の業ではないだろう。
たとえ短くとも、死に直接的に携わる仕事を誇りを胸にしながらしていたからなのか。
今年の初め、あまりにもあっけなく私の十代の軸だった存在が亡くなったからなのか。
ずっと就くつもりだった会社での社会人人生が、思いの外早く幕を閉じたからなのか。
この不安定な国際情勢、国内格差、都市伝説的終末論に深い共鳴を覚えたからなのか。
それはわからない。
もしかしたら、この23歳という一見若葉が生い茂る暖かで柔らかに感じられる時期に、たまたまこの思考に落ち着いていた、或いは縛られていた、それだけなのかもしれない。
ともかく、私は今年、死、終わり、というものの近さを感じたと同時に、今を生き切る最大で最善の措置を考えている。
後悔しているわけではないけれど、短大時代は、暗くて湿った重い過去を背負いながら、きらきら輝きと永続的な明るさに満ちた未来に駆り立てられた二年間だったように思う。幸せになりたいようで、幸せになることへの罪悪感が残滓する。それはただの精神論ではなく、身体の不調として顕れることもあった。身体が悲鳴を上げているにもかかわらず、私はそれを決して認めなかった。そもそものスタートダッシュを誤った私にとって、それは怠慢でしかなかったのだ。早く、早く、早く、「みんな」のように「普通」に生きなければ。
そう言って、は短大時代に自らの意志と力で得た栄光、新卒枠で入社した会社を、半年と一か月で去ることになる。
結局、経済的な安定を求めたところで、私は幸せになれないみたいだ。だったら、もう、好きなように生きるよりほか、ないのではないか。好きだと胸を張って言えることを、一度極めるほどに熱中しても、いいんじゃないか。死ぬときに、やっとけばよかっただなんて、やりぬけばよかっただなんて、ダサい。
卒業以来、久しぶりに会った友人に、明るくなったと何度も言われた。なんか、抱えてるものがなくなった感じ、と。
余計なお世話だ、とも、なんじゃそりゃ、とも、いやいやがっつり抱えてるわ、と大きな声で笑ったけれど、、まあ、ありがとう、と言った。
もう一人の友人のことは、私に書くほどの時間と語彙力があれば、きちんとひとつの記事にしたい。でも、書かないかもしれない。書くべきではないのかもしれない。
愛を学んだ💐
去年の今日は、内定式。
今年の今日は、退職日。
自分の人生なはずなのに、気が付くと自分の意志と力で先の道を選べることって、実は案外少ない。3ヶ月以上前に読んだ、内舘牧子さんの『終わったひと』を思い出す。生きるって、難しい。
とは言え、今の私は、落ち着いている。
辞めたくて辞めるとか、職場の人間関係や仕事内容が嫌で辞めるとか、超絶ブラック企業だったから辞めるとか、そういう話ではないから苦しんできたのだけど、だからこそ、今は落ち着いている。
まあ、ブラックかホワイトかなんて、とても恣意的なものだと思うし、あるひとから見れば、私の会社はとんでもないブラックだったのかもしれない。でも、私は、そうではなかった、と思う。なぜなら、私は今、とても穏やかにあの会社での日々を思い返すことが出来るし、幸せな気持ちだからだ。
自分で言うのもなんだけれど、私は完璧主義者だ。
常に最善を尽くしたいし、きちんとした結果を残したいし、私が私のなかで納得のいく作品を作りたいし、出来ることならそれを誰かに認められたい。
完璧でなくてもいいなんて、100点なんて取れやしないなんて、ただの甘えだと思う。7割出来ればそれで十分だ、そう甘んじたその瞬間に、そのひとは100点どころか、7割なんて取れやしない。遠い遠いところにいるのだ。
完璧であるということは、
本気、必死、愚直、真面目、
生きることに一生懸命である、
それらの形をもった証拠になるということだ。
そして、そんな完璧さからは程遠い私を、私はなかなかゆるせずにいた。まだまだ、まだまだ、まだまだ。こんなんじゃだめだ。これじゃだめだ。これだからだめだ。
そんな気持ちで毎日を生きていた。私が私をがんじがらめにする。完璧主義者は、はたから見たら、とても馬鹿馬鹿しいものであるのかもしれない。本人は、いたってシリアスなのだ。
けれど、今週、ちょっとだけ私は学んだことがある。完璧を目指すことには変わりないけれど、やっぱり百点満点取りたいけれど、取り続けたいけれど、ちょっとだけ学んだことがある。そしてそれは、私を前よりちょっとだけ強くしてくれて、そのちょっとだけの強さで、私は今の立ち位置よりずっと遠くに行ける気持ちなのだ。
それは、
完璧じゃない私のことも、愛してくれるひとがいる、ということ。
完璧とは程遠い、私がゆるせない私のことを、心の底から大切に想ってくれて、心配してくれて、気遣ってくれて、幸せを願ってくれて、サプライズしてくれて、優しい言葉を掛けてくれて、抱き締めてくれるひとがいる。本当に、ありがとう。幸せ者です。
それを本当に、本当に、本当に、身をもって理解した。そして、私は私だけじゃなく、そんな温かなひとたちのためにも、私のことを大切にしなければならないのだ。
もっと私は、完璧じゃない私を、ゆるしてあげてもいい。それを、ちゃんと、理解した。
自分は敢えて黒子に徹してひとを守ろうとする優しさと熱さを兼ね揃えたひと、どストレートにあったかい言葉をかけてくれるひとたち、会いたい、それだけの理由で時間とお金をかけてくれるひとたち、無条件で抱き締めてくれるひとたち、、、考えても考えても考えても、溢れるほどの愛情を教えてくれたひとたちを、私は一生忘れません。
前を向いていきましょ!
ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい🏃🏃🏃
自己責任について語る前の近況報告
自分の行いやら振る舞いやら選択による結果、またはそのものにたいして、ほんとのほんとに自分だけの責任として受けとめられているのか、なんて、まあ正直
すぐに目を背けたくなってしまう、ていうか、臭いものには蓋をしよう、なんて、うやむやむにゃむにゃにして、そのまんまさっき飲んだオロナミンCのビンと一緒にポイ捨てしてしまったのだけど、
さて、ところで
こんなことになったのは
ほんとに自分だけのせいなのだろうか
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難しい国際政治の話は、こんなブログで書くことではないというか、右とか左とかいう言葉は私にとってお箸を持つほうとお茶碗持つほうとかいう意味でしか使いたくないというか、とにもかくにも今の私には今の私の目に届く範囲でしか、手にすることができるものの話しか、興味も関心も知識も経験もキャパシティも無いので、とりあえず今の私のことを書こう。
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最近の私はとりあえずたくさん邦画を観ています。語学系の高等機関を卒業したくせに邦画ですか、ええ、邦画です。なぜなら邦画が面白いから。アマゾンプライム様々です。特にも2008年上映、園子温監督の『愛のむきだし』は、今の私のような暇をもて余している20代にお勧めしたいです。最初から最後までぶっ続けで観るのは非常に体力と精神力が鍛えられる気がしますが、本当の意味で体力と精神力が鍛えられるのは、やっぱり筋トレや運動や労働なのかもしれんと改めて痛感している毎日です。というわけで、中高時代の体育の評価が万年オール2だった私は、見よう見まねでジムに通いながら腹筋したり走ったりしています。飽きたらまた家に舞い戻ってあなたへのおすすめ、的な邦画を観る。それにも飽きたら図書館に行って、センター試験過去問やら数学のチャート式問題集やら古文単語帳やらとにらめっこしている高校生を横目に、ポヤポヤ好きな世界史の本や雑誌や新聞を眺めたりしています。英字新聞がまあ昔より格段に読めるようになったことは、ちょっと自慢だったりしなかったり。そして舞い戻った、といえば、再び病院に通い始めました。好き好んで病院に行くひとはあんまり居ないと思われますが、最近は待合室に置かれている名探偵コナンの漫画を一巻から読み漁っていて、それが意外や意外、なんか、まあ面白くて、なんか次の診察日楽しみだなあ、なんて思ったりもしています。
さて、ここまで書いて、やっぱり自分の今の姿、去年の今頃の時点で、もしかしたら、もしかすると、なんとなく想像できていたんじゃないかな、と思ってしまう。だって、このブログを読み返してみると、あんまり楽しそうじゃないというか、いきいきしてないんだもの。いや、そもそも私は、外向的な人間でもないのだけど、とりあえず、毎朝キャンメイクのアイシャドウを付けることさえもやっとなテンションで、休みの前の日は、明後日の仕事のことで頭がいっぱいで、目覚ましよりも先に鳴る上司からの電話に疲れていたのかも、しれない。そうではないのかも、しれない。
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いや、そういうことを言いたいわけじゃない。
そうじゃないけど、とりあえず、私は、もしかしたら、毎日ほんとは、とってもかなしくて、とってもつらくて、とっても泣きたくて、とっても愛されたくて、とっても助けてもらいたくて、ずっと、ずっと、ずっと、ほんとのほんとは、しんどかったんじゃないだろうか。でも、どこかの大手広告代理店の誰かとか、隣で15時間勤務を常とするパートの上司とか、忘れたいはずの過去の私とか、そういう、今となってはもうどうしようもない他人と比較して、判断して、評価して、今の自分を必死に守りながら、いじめたおしていたんだろう。あのひとたちと比べたらアマアマ、あの頃よりマシ、やっとマイナスからゼロになれたんだから、もう戻れない、戻らない、そんな使命感にも似た自分に課した自分にしか通用しない十字架を背負っていたのかもしれない。という、まあ、そんな分析なんて、したところでどうにもならないところまできてしまった。あとはもう、火刑に処されるのみだ。さらば、マイセカンドホームタウン。
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とりあえず、今の私は、家族のために夕飯を作ろう。続きはまた今度。
自分を笑ってゆるしてあげたい
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自分の力で立つ、と書いて自立。
辞書によれば、他者からの支配を受けず、自分の力で物事をやっていくこと、とある。
だけど実際、自立って何なんだろう。本当に、自分だけの力で立つことなんて出来るんだろうか。もし仮に出来たとして、それは善悪で言えば善いことと言えるんだろうか。
今私は、好きだと言える仕事に就いて、精一杯頑張って、幸いプラス評価もされている。にもかかわらず、また身体と心のバランスを崩して休職に迫られた。なぜ?
この機会に、私にとっての自立を改めて考えてみたいと思う。
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私は短大時代の頃から、親の経済力を借りて生きていきたくないと強く思ってきた。だから、夏休みや年末年始は、固定バイトにプラスして日雇いの工場でひたすら鶏肉を切り刻む夜勤をしたり、無心でバーコードを打ち続ける仕事をして学費を稼いだ。そもそも囓れるほどの脛が無かったと言えばそれまでだけれど、とにもかくにも親の脛を囓ることは悪で、それは最早罪であるという意識すらあった。
今、新卒で就職した先で、毎月の給与で一人暮らしをしながら灯りのついた部屋でご飯を食べ、お風呂に入って、たまに制服にクリーニングをかけて、それなりに高い靴を履いて仕事に行っている、そんな自分がとても好きだった。中学3年に心療内科に足を踏み入れ、19歳で閉鎖病棟を経験した私でも、やっと"普通" になれた、そんな気がした。
つまり私にとっての自立の定義は、
自分の手足や頭を使って稼いだお金で自分のことを養うこと、
だったみたいだ。(なるほど)
そのリズムが崩れてきて、あーやっぱり自分は無理してたんだなってやっと気がついた。疲れてしまった。仕事が嫌になったとか、辞めたいとか、働くひとと合わないとか、そういうことじゃなくて(寧ろ逆)、なんだか随分、疲れてしまった。一ミリずつでも傾くことが積み重なると、ある日突然ポッキリと壊れてしまう。それを建て直すときには、もう自分だけの問題ではなくなっているのだ。
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自分で自分の体調や心の状態を察知して、素直にケアすることができるひとになりたいと思う。
悪いときに悪いと言えるひと、無理していることを自覚できるひと、機嫌を一定に保てるひとは強いと思う。
そう考えると、私が固執していて、達成感すら覚えていた経済的自立より大事なことは、ここなんじゃないか。
一人暮らしすることより、ガツガツ正社員として働くことより、預金口座の額を増やしていくことより、素直に自分をいたわってあげられるひと。
経済的自立なんて、表面上はとても評価しやすいけれど、精神的自立が出来ないうちは自分を虐めているに過ぎないのだ。
自立には段階があるということ。
因数分解が出来ないうちに微分積分ができないように、サナギになる前に蝶になれないように、つかまり立ちができてから二足歩行を視野に入れるように。
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それに加えて、自分が自分に課した約束を守れるひとになりたいとも思う。
10年後はかならず○○になる!みたいな大それた夢じゃなくていい。毎朝六時には起きる、とか、化粧水を使い終わったら必ず蓋を閉める、とか、一行で良いから日記を書く、とか。
どうしようもないくらい小さなこと。
自分にしたとんでもなくどうしようもない小さな約束を、こつこつと毎日守れるひとになりたい。
そして、守れなかったときや出来ないことがある自分を、すぐに駄目だと決めつけないようにしたい。
意志が弱いとこがあって、泣き虫で、極端に頑固で、浮き沈み激しくて、手先が不器用な私を、そんなとこもあるよねって笑ってあげられるような、今のところはねってゆるしてあげられるような、そんなゆとりをもったひとになりたい。
ちょっとひとの力を借りて、ちょっとひとに力を貸して、たまに座ったり寄りかかってみたり、ごろんと横になったりしながら、まあそれはそれでお互い様ねとみんなと笑えるような、そんなひとになりたい。
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きっと、それは、本当の意味でのわたしの自立。
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振り子のような、
七連勤を終え、今日と明日は連休だ。あとはしばらく連休がない。今日はひとりで東京へ行った。
2時間近くかけて都内に出て、大手町をぐるりと歩いて、そのあと銀座をぐるりとまわって、何も買わずに東京駅の地下で380円のそばを食べて、そしてまた2時間近くかけてバスで帰ってきた。
ひたすら歩いた。スマホも時計も持たずに家を出て、正解だった。
都内で働くひとたちは、なぜ首から下げたネームプレートをあまり外さないのだろう。名前も所属先もポジションもよく見える。
大手町を歩いていたら、当然のことだけど、みんな働いていた。良質そうなスーツに、艶やかな革靴を履いた同世代の男性と幾度となく擦れ違った。電車で隣り合わせた女性は、きりりとした表情でパソコンに向かっていた。
銀座で、就活をして二次面接で落ちた会社の前を通りすぎた。三次面接のあとの健康診断で落ちた会社のひととも擦れ違った。本当に、私は都内で働く人間を目指していたのだろうか。ふと疑問が湧く。本当に、そうなのか?
WeとTheyの違いを、短大生の頃によく考えていた。
私たち、という言葉は、時にひとを温め、そしてまた違うひとを傷つける。Weという言葉のなかには友情であるとか、絆であるとか、共通項で囲われた温度がある。けれど、その先に、必ずアウトサイダーが存在する。そうでなければWeなんて言葉、必要ないのだ。
私は彼らとは違う。漠然と、そんな気がした。
この感覚は今に始まったことじゃない。私はいつだって、そうやって何かと何かを区分けするきらいがある。高校時代に文系トップをひた走っていた友人に言われたことがある。私たちとしおりちゃんは違うから、と。確かに、あまりにも彼女たちと私はかけ離れていた。何が? テストの点数や偏差値、先生からの期待度など以前に、根本的、原始的な何かが違うようにあの頃の私には感じられていた。けれど、何が? 何が違うのだろう?
最近の私の口癖は、「こんなんじゃだめだ」。自覚している。いつも、こんなんじゃだめだ、もっと上手くやれるはず、もっと上に行けるはず、もっときちんとできるはず、と思っている。
よく言えば、向上心がある、と評価に値するように思えるが、危険だなあ、と私は思っている。
無能な完璧主義者ほど厄介なものはない、と、どこかのサイトにかかれていた言葉が、私の胸にべったりと貼り付いている。私はこの言葉に深く傷ついた。傷ついた、というのは、私が勝手に傷ついただけだ。
自分が満足するものは何なのだろう。わからないけれど、今考えられる極限の私の理想を叶えたとき、私は今の私ではない私になるだろう。その時の私は、今の私を傷つけるだろう。今、あの頃の理想の私になっている。縁もない土地で一人暮らしをしながら毎日スーツを着て仕事している私、、、
自分がたまに醜く感じる。考えすぎだと思う。まして、考えているわりに矛盾したことばかりだ。しかも大抵、ろくでもない。
帰りのバスで、先輩と会った。立場というものを考えさせられた。組織のおいて、個人の知識や思考なんて、あまり関係ないのだ。立場がすべて、モノを言う。私もそうだ。私が考えていることなんて、どんなにそれが私のなかで最大の真理だとしても、そしてそれが、たとえ一般化した正義だとしても、新卒半年目のぺーぺーの言うことなんて、関係ないのだ。
何が不満なのだろう。
毎日悶々としている。音程の狂ったヴァイオリンをひたすら耳元で聞いているような、そんな気持ちだ。だからといって、何があるわけでもない。朝が来れば制服を着ている。
仕事をやめたいと思ったことは、ある。きっと大多数の社会人がそうであるように、まるで地下水のように、心の奥底で四六時中思っている。時折それが湧き出てくるが、実際に何かしらの実行を移すとは考えにくい。辞めたいけど、の「けど」のなかには、私は奨学金返済しかないのではないか。返済したあとは? そんなこと想像もできないし、その頃の私は各々のイベントをするに適した武器を失っている気がする。そう思ってしまう自分に腹が立つ。
こんなんじゃだめなのだ、と、ここまでやってきた、の振り子が、大きく乱れているのだと思う。この記事も、だれかを傷つける材料になり得ている気がする。恐ろしい。ごめんなさい。私も私によって傷ついている。
マルクスも、こうやって振り子のような自分を諫めるために、そして自身を暖めるために、『自省録』を著したのだろう。彼の言葉は、もう何年もの間の私の軸だ。