え ん

人生は連鎖する、

自分を笑ってゆるしてあげたい

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🌱🌱🌱
自分の力で立つ、と書いて自立。
辞書によれば、他者からの支配を受けず、自分の力で物事をやっていくこと、とある。


だけど実際、自立って何なんだろう。本当に、自分だけの力で立つことなんて出来るんだろうか。もし仮に出来たとして、それは善悪で言えば善いことと言えるんだろうか。

今私は、好きだと言える仕事に就いて、精一杯頑張って、幸いプラス評価もされている。にもかかわらず、また身体と心のバランスを崩して休職に迫られた。なぜ?

この機会に、私にとっての自立を改めて考えてみたいと思う。



🌿🌿🌿
私は短大時代の頃から、親の経済力を借りて生きていきたくないと強く思ってきた。だから、夏休みや年末年始は、固定バイトにプラスして日雇いの工場でひたすら鶏肉を切り刻む夜勤をしたり、無心でバーコードを打ち続ける仕事をして学費を稼いだ。そもそも囓れるほどの脛が無かったと言えばそれまでだけれど、とにもかくにも親の脛を囓ることは悪で、それは最早罪であるという意識すらあった。


今、新卒で就職した先で、毎月の給与で一人暮らしをしながら灯りのついた部屋でご飯を食べ、お風呂に入って、たまに制服にクリーニングをかけて、それなりに高い靴を履いて仕事に行っている、そんな自分がとても好きだった。中学3年に心療内科に足を踏み入れ、19歳で閉鎖病棟を経験した私でも、やっと"普通" になれた、そんな気がした。



つまり私にとっての自立の定義は、
自分の手足や頭を使って稼いだお金で自分のことを養うこと、
だったみたいだ。(なるほど)


そのリズムが崩れてきて、あーやっぱり自分は無理してたんだなってやっと気がついた。疲れてしまった。仕事が嫌になったとか、辞めたいとか、働くひとと合わないとか、そういうことじゃなくて(寧ろ逆)、なんだか随分、疲れてしまった。一ミリずつでも傾くことが積み重なると、ある日突然ポッキリと壊れてしまう。それを建て直すときには、もう自分だけの問題ではなくなっているのだ。


🌼🌼🌼
自分で自分の体調や心の状態を察知して、素直にケアすることができるひとになりたいと思う。
悪いときに悪いと言えるひと、無理していることを自覚できるひと、機嫌を一定に保てるひとは強いと思う。

そう考えると、私が固執していて、達成感すら覚えていた経済的自立より大事なことは、ここなんじゃないか。
一人暮らしすることより、ガツガツ正社員として働くことより、預金口座の額を増やしていくことより、素直に自分をいたわってあげられるひと。
経済的自立なんて、表面上はとても評価しやすいけれど、精神的自立が出来ないうちは自分を虐めているに過ぎないのだ。

自立には段階があるということ。
因数分解が出来ないうちに微分積分ができないように、サナギになる前に蝶になれないように、つかまり立ちができてから二足歩行を視野に入れるように。


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それに加えて、自分が自分に課した約束を守れるひとになりたいとも思う。
10年後はかならず○○になる!みたいな大それた夢じゃなくていい。毎朝六時には起きる、とか、化粧水を使い終わったら必ず蓋を閉める、とか、一行で良いから日記を書く、とか。
どうしようもないくらい小さなこと。
自分にしたとんでもなくどうしようもない小さな約束を、こつこつと毎日守れるひとになりたい。
そして、守れなかったときや出来ないことがある自分を、すぐに駄目だと決めつけないようにしたい。

意志が弱いとこがあって、泣き虫で、極端に頑固で、浮き沈み激しくて、手先が不器用な私を、そんなとこもあるよねって笑ってあげられるような、今のところはねってゆるしてあげられるような、そんなゆとりをもったひとになりたい。
ちょっとひとの力を借りて、ちょっとひとに力を貸して、たまに座ったり寄りかかってみたり、ごろんと横になったりしながら、まあそれはそれでお互い様ねとみんなと笑えるような、そんなひとになりたい。



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きっと、それは、本当の意味でのわたしの自立。






#わたしの自立

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振り子のような、

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七連勤を終え、今日と明日は連休だ。あとはしばらく連休がない。今日はひとりで東京へ行った。

2時間近くかけて都内に出て、大手町をぐるりと歩いて、そのあと銀座をぐるりとまわって、何も買わずに東京駅の地下で380円のそばを食べて、そしてまた2時間近くかけてバスで帰ってきた。

ひたすら歩いた。スマホも時計も持たずに家を出て、正解だった。



都内で働くひとたちは、なぜ首から下げたネームプレートをあまり外さないのだろう。名前も所属先もポジションもよく見える。
大手町を歩いていたら、当然のことだけど、みんな働いていた。良質そうなスーツに、艶やかな革靴を履いた同世代の男性と幾度となく擦れ違った。電車で隣り合わせた女性は、きりりとした表情でパソコンに向かっていた。

銀座で、就活をして二次面接で落ちた会社の前を通りすぎた。三次面接のあとの健康診断で落ちた会社のひととも擦れ違った。本当に、私は都内で働く人間を目指していたのだろうか。ふと疑問が湧く。本当に、そうなのか?


 
WeとTheyの違いを、短大生の頃によく考えていた。
私たち、という言葉は、時にひとを温め、そしてまた違うひとを傷つける。Weという言葉のなかには友情であるとか、絆であるとか、共通項で囲われた温度がある。けれど、その先に、必ずアウトサイダーが存在する。そうでなければWeなんて言葉、必要ないのだ。

私は彼らとは違う。漠然と、そんな気がした。 

この感覚は今に始まったことじゃない。私はいつだって、そうやって何かと何かを区分けするきらいがある。高校時代に文系トップをひた走っていた友人に言われたことがある。私たちとしおりちゃんは違うから、と。確かに、あまりにも彼女たちと私はかけ離れていた。何が? テストの点数や偏差値、先生からの期待度など以前に、根本的、原始的な何かが違うようにあの頃の私には感じられていた。けれど、何が? 何が違うのだろう?  


最近の私の口癖は、「こんなんじゃだめだ」。自覚している。いつも、こんなんじゃだめだ、もっと上手くやれるはず、もっと上に行けるはず、もっときちんとできるはず、と思っている。
よく言えば、向上心がある、と評価に値するように思えるが、危険だなあ、と私は思っている。

無能な完璧主義者ほど厄介なものはない、と、どこかのサイトにかかれていた言葉が、私の胸にべったりと貼り付いている。私はこの言葉に深く傷ついた。傷ついた、というのは、私が勝手に傷ついただけだ。


自分が満足するものは何なのだろう。わからないけれど、今考えられる極限の私の理想を叶えたとき、私は今の私ではない私になるだろう。その時の私は、今の私を傷つけるだろう。今、あの頃の理想の私になっている。縁もない土地で一人暮らしをしながら毎日スーツを着て仕事している私、、、


自分がたまに醜く感じる。考えすぎだと思う。まして、考えているわりに矛盾したことばかりだ。しかも大抵、ろくでもない。




帰りのバスで、先輩と会った。立場というものを考えさせられた。組織のおいて、個人の知識や思考なんて、あまり関係ないのだ。立場がすべて、モノを言う。私もそうだ。私が考えていることなんて、どんなにそれが私のなかで最大の真理だとしても、そしてそれが、たとえ一般化した正義だとしても、新卒半年目のぺーぺーの言うことなんて、関係ないのだ。




何が不満なのだろう。
毎日悶々としている。音程の狂ったヴァイオリンをひたすら耳元で聞いているような、そんな気持ちだ。だからといって、何があるわけでもない。朝が来れば制服を着ている。

仕事をやめたいと思ったことは、ある。きっと大多数の社会人がそうであるように、まるで地下水のように、心の奥底で四六時中思っている。時折それが湧き出てくるが、実際に何かしらの実行を移すとは考えにくい。辞めたいけど、の「けど」のなかには、私は奨学金返済しかないのではないか。返済したあとは? そんなこと想像もできないし、その頃の私は各々のイベントをするに適した武器を失っている気がする。そう思ってしまう自分に腹が立つ。



こんなんじゃだめなのだ、と、ここまでやってきた、の振り子が、大きく乱れているのだと思う。この記事も、だれかを傷つける材料になり得ている気がする。恐ろしい。ごめんなさい。私も私によって傷ついている。



マルクスも、こうやって振り子のような自分を諫めるために、そして自身を暖めるために、『自省録』を著したのだろう。彼の言葉は、もう何年もの間の私の軸だ。

2018.08. 記憶の記録

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自分なりに、ちゃんと記憶を記録しなければ、という思いは毎日毎日あるのだけど、なかなかペンをとることがなくなってきている。それなりに毎日いろいろな波乱があって、その度に転んだり起き上がったり笑ったり泣いたりしているのだけれど、その記録が存在しない。いつの日か、平成最後の夏を振り返ったとき、私は何かを思い返す媒体がないのか、と思ったら、急に怖くなってブログを開いた。



⚫️疲労感や多忙さというのは、本当に悲しいものだと思う。知らず知らずのうちにひとを傷つける。
そもそも余裕があるときや自身が優位性を保てる場合において、誰かに優しくすることなんて卵を呑むより簡単なのだ。自分がしんどいときの他者への態度こそ、その人の本性なのだ。そう考えたら、私はもう社会人として以前に、彼を信頼できなくなってしまった。

⚫️失敗は成功の母、というけれど、私は反対なことを思う。成功しているとき、上手くいっているように見えているときこそ、ひとは危ういのだ。調子に乗ることが良くないと言っているのではない。調子に乗って誰かを轢くことが危険なのだ。成功したとき、誰かに認められたときは、いつも以上に他の誰かのことを思う必要がある。



⚫️何だかんだと毎日仕事している。私は役に立っているのだろうか、私なんかいなくても良いんじゃなかろうか、と本気で悩んだ8月だったけれど、私はこの仕事をとても好きだと思うし、続けている。私はこの仕事が好き、それが一番の原動力だし、そんな私をちゃんと見てくれている先輩がいるとわかっているから、頑張れるのだと思う。


⚫️彼氏ができた。
けれど、大好きで大好きで仕事にならないほどではない。恋愛感情なんてどんなものなのかすら忘れてしまったように思うし、考えることすら面倒なので、とりあえず付き合っている。別れるかもしれないし、案外続くのかもしれない。わからないけれど、彼はよいひとだ。本当に、よいひとだ。


⚫️最近、考えるちからが本当に落ちたと思う。毎日仕事に追われているからなのか、単にもとの怠慢さに戻っただけなのか、わからない。このままだと後悔する。良くない。理想がどんどん遠退く前に、その理想が何だったのかすらもやもやとする。もっと本を読んだり、文章を書いたりしなければ。どんなに稚拙でも、書かないよりはましだと思う。


⚫️どんな生き方がしたいのだろう。どんなひとでありたいのだろう。どんなひとに見られたいのだろう。どんなひとと居たいのだろう。どんな生活がしたいのだろう。
結婚はしたくない。子どももいらない。ひとりで淡々と粛々と生きていきたい。なぜ? スカラシップ返済のことしか頭にない。それは、どうなんだろう?


⚫️私は私のことをケアマネジメントしなければ。

会えない、ということ

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短大時代のバイト先の先輩が、亡くなったと友人から連絡が来た。友人はまだそのバイト先で働いている。

私が辞めてからわずか3か月後、先輩はちょっと2ヶ月くらいバイト休む、と言っていたらしい。そしてその2か月後、マネージャーが彼女に連絡すると、彼女はもう亡くなっていたのだという。

先輩はよく、夫が末期でさあ、と軽快に笑っていた。家族の話をたくさん話す代わりに、自分自身のことは何も語ろうとしなかった。もしかしたらーー、と思う。もちろんもう、知るよしはない。


とてもショックだ。

もう会えないかもしれない、ということと
もう会えない、ということの違いを、この世界に生きているどれだけのひとが理解しているのだろうか。

実際、私は今、バイト先からは電車で三時間近くもかかるような距離の場所に住んでいる。わざわざそこへ行く用事が、この先にもあるとは思えない。きっと、先輩が生きていようとなかろうと、彼女に会うことはもうなかったろう。

けれど、
もう、私は、彼女に会えないのだ。




ひとの死、を考えることがとてつもなく多い。
それは希死感情とは全く異なる。私は決して死にたいとは思っていない。

けれど、ひとが死ぬ、ということを、私はどこかで常に考えている。

私たちはいつだって死と隣り合わせで生きている。
ニュースを見れば、いつだってどこかの誰かが亡くなっている。

それなのに、私たちはいつだって明日のご飯の支度を考え、来月に友人と会う約束をし、何年後かの自分を想像する。


死ぬ、ということが、どれほどの重さなのか、私にはわからない。私はなにかを悟ったような真似もできない。何もわからない。


365(6)日は飛ぶようにすぎていく。
そのいずれかが自分や大切な誰かの命日になるということに、私は怯える。




ーーーーー

自身の備忘録として。



同期と、感動ポルノについて話をした。
この仕事におけるプロの姿勢について、考えさせられた。

ありがとうを追求すること、サプライズに精を出すこと、それ自体に問題があるわけではない。けれど、それだけにフォーカスを当てすぎると、この仕事で一番大切な何かを落としてしまう気がするのだ。誰のための、誰による、イベントなのか。置き去りにされた主人公は、もしかしたら明日の私かもしれない。




私は今日も、長いクラクションを聞いている。

これまでの私とこれからの私の狭間

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異常気象とも言えるほどの暑さが連日続いてますね。暑すぎるときも、寒すぎるときも、生きてるだけでほんとすーごい体力を消耗しているとのこと。私達は頑張っています。




最近、社外のひととこの先の人生について深く話をする機会に恵まれて、改めて今の自分を顧みました。詳しい経緯を話すことは難しいのですが、いわば会社全体をより良くするためのコンサルタントをお呼びし、面談みたいなことをしたのです。



率直に感想を言うと、久々に論理的に話を進めてくるひとと話したーーーって気分になりました。最近の私はとにかく任された仕事に追われてそれをこなすことだけに精一杯で、上司からの指摘はすべてイエスマン。「自分の頭で思考し、それを言語化する」力が完全に衰えていたことを実感しました。語彙力、思考力が落ちている。なんとなく自覚してましたが、実際はそれ以上に甚だしい。


それで、そのひととの会話で最も印象に残ったこと。

私 「きっと、今の私には自信があるんだと思います。どん底よりも深い底から這い上がって、この見知らぬ土地にひとりでやってきた、そしてなんとかやっているという自分に対する、絶対的ななにか」

コンサル 「あなたがこれまで頑張ってきたこと、そしてそれによってここまであなたが上り詰めてきたことは、あなたの表情や行動からもとても伝わる。でも、それはあくまでこれまでのあなた。この先のあなたがどうなるかを形作るのは、もうこれまでのあなたじゃない」


言われてみれば、まあその通り、当たり前のように聞こえるのですが、なんというか、私には響くものがありました。
ここで終わるか、ここから始まるか。
それはこの、今この瞬間の私なのだ、と。


そのうえで、彼女が勧めてくれたツールについてはまだ考え中。私に適しているのか図りかねるものがあるから。






もうひとつが、働くことに対する価値観が、かなり変わったこと。

短大一年ぐらいまでは、なぜひとは働かなければならないのか、本気で疑問に思ってたし、なんなら働きたくないと思ってました。自分がなぜ働かないのか、働けないのかの理由を羅列することで安心しようとしてました。単なるモラトリアム? それにしては重症だった気もします。
でも、週末のバイトに加えて日雇いでいろんな工場での仕事を経験し、今現在社会人の私は、なんかぐずぐず考えるまもなく朝になったら化粧して制服着て玄関を開けています。ようするに、働くしかないのです。そうじゃなきゃ私はここで生きていく手段も目的もなくなってしまう。


GW前後に早速仕事をやめ、今もなおNEETの友達にたいして、慰めや励ましの言葉が何も思い付かないのです。とても重く捉えて悩んでいるようだけど、正直、とりあえず日雇いバイトで地獄を見てから悩めばいいのに、とか、働かなくてもお米が食べられる暮らしだから悩む時間があるんじゃない? なんて思ってしまうのです。それは過去の私に対するブーメランなので、余計に罪悪感は広がります。

でも、
正直、そんなもんなのかな、と開き直っている自分もいます。
いちいちひとのことだけに時間と労力をかけられるほどの余裕、私にはないのです。偏見はよくないとか、差別しちゃいけないとか、優劣をつけるな、とか、綺麗なことはいくらでも吐けるけど、実際そんなこと無理です。誰かは誰かのことを、何かしらのことに排他的になってしまう、それを押さえつけようとする、その時点で立派な偏見だし、堂々巡りになるだけ。

それなら、私は今、過去の私を含めた、自分のエゴに気づかずに何もかもを誰も彼ものせいにすることで自分を必死に守ろうとしている(そしてそのエゴは自分以外の誰も彼もに気付かれている)ひとを、どこかで差別している、ってことを認めちゃいます。良くないことかもしれないけど、しかたない。それが今段階の私の考えなんだから。


今の自分が持つあらゆる偏見、差別感情、思考傾向を、善悪や正偽を考慮せずにとりあえず受け入れてしまうと、ちょっとらくになります。しかも、そのほうが結果的に、まあ(どうでも)いいや、って、自分にも他人にも優しくなれるのだから、平和的です。


あくまでも2018年7月22日現在の私の考え。