え ん

人生は連鎖する、

23歳

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先日、23歳になった。

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昨年の記事を読み返していた。


私は今、とある中小企業の正社員として働いている。短大卒にしてはそれなりに良いお給料を貰っていると思う。それなりに大変な職種だし、それなりにいろんな問題や愚痴やストレスも抱えているが、それなりに4ヶ月目に突入した。今すぐ辞めたいとは思わない。というか、辞めたところでもっとハードな毎日しか待っていない。実際的なことだ。アパートだとか、年金や奨学金や保険だとか。信頼というのは、契約を遵守することでしか保てない。



23歳。

率直に言えば、「気づいたらこの年齢だった」。
そして、もうこの所感は今年で最後にしたい、と心底思う。こんな気持ち、あまりに空しいと思う。

過去にifを羅列するほど馬鹿らしいことはないかもしれないが、敢えて言いたい。5年前、社会学科や歴史学科を目指していたら、4年前に所属していた大学を卒業していたら、3年前に働いていた介護施設に今も居たら、私の人生の価値観は今とは全く異なった、つまりその私は私であって私ではない人間だったろう。

後悔、というのともまた違う。それなりにもがき苦しんで、今の私がいる。その自信は確固たるものだ。

でも、


このままここで、こうやって、それなりに歳を重ねていく真似は、絶対したくない。
来年の今頃、気づいたらやっぱ24歳の誕生日を迎えてましたあ、なんてへらへらしたくない。



これからの私は、何にでもなれるのだ。過去と違って、未来はまだ白紙だ。




やりたいこと、やりたかったこと、全てやりきる人生にするか、やらなければならないことで追われる人生にするか、何も考えず行動せず生きていく人生になるか。


敢えてもう一度。
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雨降りの休日にて

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雨が降っていた。

先日祖母の納骨があって、少しの間実家に帰省した。仕事帰りに新幹線に飛び乗って、夜中に家路につき、最終日は朝一で新幹線に乗って戻る、バタついた三連休だった。

アパートに戻ってきたときの絶望感ったら、言葉で言い表せるものではなかった。折しも、最寄り駅からアパートに戻るまでの徒歩の道中、職場の先輩と同期が乗った車と擦れ違った。よお、と手を振られ、会釈で返す。その車のナンバープレートが、この土地であることに絶望した。私はなぜ、ここにいるのだろう。ふと、そして本気で、自分の職場、部屋、すなわち私の居場所がこの土地にあることに疑問がわいた。

いや、そんなのは当たり前、私がこの街のこの職場を就職先に選んだからだ。内定をもらって、承諾書を提出し、短大の卒業を迎え、引越し手続きをすべて済ませ、ここにいる。まるで高速列車に乗るがごとく、私は縁もゆかりもないこの街にやってきた。そして、この街の人のために毎日働いている。

後悔しているのか、と聞かれたら、あきらかにノーだ。実際、本当にこの街の風土は私の性格に合う。大家さんも隣のファミリーもスーパーの店員さんも優しいひとばかりだ。行きつけの喫茶店もできた。好きな古本屋もある。何より、私のとって生きがいを感じさせる職種に就けて幸せだし、職場の人たちは温かで和気あいあいとした楽しい雰囲気だ。もちろん叱られることも諭されることもある。けれど、三か月目で何を言っているんだ、と笑われそうだが、辞めたいと思ったことは一度もない。

じゃあ何が不満なのか、と問われても、わからない。わからないというか、不満というわけではないのだ。

ただ、私が今、ここにいる理由。

私はなぜ、わざわざこの街を選んだのだろう、と。

湧き上がるその感情に、今はあえて名付けする必要もないのだろう。



会いたい、と思ったとき、もうそのひとがいない。

そのことが、私は今、とんでもなく恐ろしいことに思える。「ただいま」がない「いってきます」と、「おかえり」のない「いってらっしゃい」が怖い。だからこそ、今、私は、地元を離れてこの土地で暮らしている自分に、理由を求めているのかもしれない。




祖母が死んだという現実を、私はすでに受け止めているつもりだ。けれど、小さな祖母の、もっと小さくなった骨を見たとき、私の知る世界に、もう祖母がいない、という現実を改めて突き付けられた気分だった。そう、そう、そう、祖母は、確かに死んだのだ。

きっと、私にとって祖母は、あまりにも大きすぎる存在なのだ。おばあちゃん子だったのね、と先輩に言われ、困惑する。まさか。おばあちゃんなんて、大嫌いだった。なんで一緒に暮らさなければならないのか、ずっと不思議だったし、嫌だった。よく祖母は死にたいと口にしたし、死ねばいいと思ったことも、そして口に出したことさえもある。

控えめに言っても、祖母は少し変わったひとだった。超がつくほどネガティヴで、そのネガティヴさでひとを平気で傷つける。すぐにもうどうしようもない過去を持ち出して、たられば話で枕を濡らした。喧嘩したら絶対に謝らない。こちらが謝らない限り、永遠に口をきいてくれなかった。肉も乳製品も苦手で、それを食べているひとに対しては獣のように扱った。倹約、倹約。もったいない。これ、いくらなの?いつもそれが口ぐせ。娘である私の母とは、毎朝のように金切り声を上げて喧嘩し、毎晩どちらが皿を洗うかで喧嘩した。けれど、自分が犠牲になってでもひと(犬、猫でも鳥でもぬいぐるみでもガスコンロにでも)を守ろうとする精神の持ち主だった。特別何かしらの信仰を持っていたわけではなかったが、常にだれかのことを考えて生きていた。

そう、要するに、あまりにも一緒に過ごしていたから、あまりにも距離が近すぎたから、「良い思い出」として、「ありがとう」という気持ちとして、祖母のことを直視できないことが問題なのだ。もっとたくさん思い出があったはずなのに、もっとたくさん一緒に笑ったはずなのに、もっとたくさん楽しい場所にでかけたはずなのに、私が思い出せる祖母はいつだって困ったような、悲しげな、寂しげな、そんな表情をしている。あとは、祖父の死後から少しずつ進行し、ふにゃふにゃと笑う認知症になってからの祖母のことばかりだ。そして、そんなおばあちゃんが、介護倫理も体制も技術も何もかもがそろっていない施設で、いつの間にか、静かに、そして大胆に死んでいった。

きっと私は、祖母にそっくりなのだろうと思う。

どうしようもないこと、どうしようもなくなってしまったことを考え、疼く心を抑える方法が見つからないままに周囲を惑わす。そして、意識せずとも自己犠牲してまでして誰かのことを考えてしまう。でも、それは本当に本当に本当にその人のためか、と聞かれたら、防御策に過ぎないのかもしれない、とも思う。無理しないで、とか、そんなに頑張らなくてもいいんだよ、とか、違うんだ。私は、私を守るために、私が私でいるために、私がこの私でここまでやってきたのだという証拠をより強固なものにするために、私はこの性格で居続けているのかもしれない。ここまで祖母が考えて行動していたようには決して思えないから、祖母こそが本当に真の利他主義者なのだろう。私は祖母に似ているようで、実はただの打算的な人間なのかもしれない。


アドラー心理学関連の自己啓発本で、本当は変わりたくないから変われないのだ、みたいなことを言っていた。個人的にはあまり好きになれない学派だが(私の考えを押し付ける気も毛頭ない)、この説は実際その通りだ、と思う。私は私のだめなところ、直したいところ、嫌いなところがたくさんある。もっと器用に生きられたら、もっと気を楽にして生きられたら、もっと上手に生きられたら、、、そうしたら、もっとバリバリ仕事ができるのに。もっと楽しくひとと会話できるのに。もっと要領よくタスクをこなせるのに。もっといろんなひとから好かれるのに。けれど、実際、私は自分の不器用さ、くそ真面目さが嫌いじゃないし、少し歪んだ過去を持つ自分に自信を持っている。これで私はここまでやってきた。ここまで上り詰めてきたのだ。だから、私は本当は変わりたいんじゃなくて、認めてもらいたいんだ、と思う。

私の家族も、私の背景も、私の過去も、きっともう、口に出さずとも今の私の血となり肉となって私を根底から支えてくれている。いろいろあるけれど、しんどいと思う瞬間もあるけれど、もう無理、と投げ出したくなることもあるけれど、私は大丈夫。あの頃よりはまし、って感覚が、何よりも私を明日へと運ばせてくれる。

そう、私には、明日があるのだ。

母の日に傷つく誰かへ

今週のお題「おかあさん」

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明日は母の日ですね。
昨年、私が更新したこの記事。
もし良ければ、ぜひ読んでいただきたい記事です。
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あれから一年が経とうとしているのですね。
たった一年で、状況も立場も家族も色々変わったけれど、この思いは、何一つ変わっていません。




母の日。
今年は、去年とは別の視点から話してみます。


私は、自分が母になることが想像できません。
というか、結婚願望すらありません。恋愛もあまり興味がありません。
22歳、この先どうなるかわからないけれど、少なくとも今は、子供を産むことを考えていません。


‥‥‥と、いうことを、オフラインの場では、言いにくいことなのだ、と最近気づきました。

今、私の上司や先輩は殆どが既婚者で、息子さんや娘さんがいるお母さんです。だから、当然お子さんの話で盛り上がるし、「あなたも早く良い人見つかるわよ」なんて肩を叩かれます。


私は、自分が母になることは考えていないけれど、自身の母親のことは本当に愛しているし、世の中のお母さん全てを尊敬しています。隣に住む八カ月の赤ちゃんとママを見るたびに、その想いは深くなります。いろんな背景、事情を抱えていながら、必死にひとつの命を育てる。その責任の重さは、計り知れないです。本当に、本当に、本当に、尊敬します。ありがとう。




でも、と私は思うのです。

自分がお腹を痛めて産んだ子どもを育てているひとだけが、「お母さん」じゃない、と。
子どもを育てながら働くことだけが、女性として素晴らしい生き方ってわけじゃない、と。


私には、血の繋がったお母さんだけじゃなく、「母の日」に感謝したいひとがいます。

中退した大学で出会った寮母(この言い方も少し変ですよね)さんにも、十代の頃働いていた介護施設の上司にも、今の会社の上司にだってもちろん、ありがとうって言いたい気持ちになる日です。


お母さん。
女性の社会参画が著しく進んでいるからこそ、何らかの理由で「母の日」に傷つく誰かが、少しでも楽に生きられる、そんな世の中になればいいな。

仕事する。

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私の過去や背景を知らないひとだけに囲まれて日常を生きるということが、こんなにも素晴らしいなんて、私は知らなかった。平等は冷たい。この冷たさが、私を強く抱き締めてくれる。その、私にしかわからない温度。適温。



結局のところ、私が働く理由なんてものは、自己実現だとか社会貢献だとかいうでっかい話じゃなくて、明日も牛乳が冷蔵庫に入っていてほしいから、とか、あったかい湯船に浸かりたいから、とか、そういうレベルの話なのだ。結局のところ、誰かのために生きる、なんてことは、付随品であって目的ではない。



自分の過去や痛みを言語化できることは、実はとんでもなく幸せなことなんだと思う。過去を語るということは、自分の言葉で再構築するということ。一度壊して、また新たに作り直すということ。どこかとどこかのパーツが入れ替わったり、無くしたり、増えたり。それはかなりのエネルギーと時間を要する。




なぜか、私の辛かったあの頃や悲しい思いをした経験を知ろうとする人間や、その頃の渦中にいた人間と、関係性が上手く築けなくなってしまった。なぜか、自ら破綻に導かせているつもりもないのに、私の力で破綻の方向にいってしまう。

それは悪いことなのか、と聞かれたら、明らかにノーだ。私を過去から遠ざけようとする何者かに、今は静かに従おう。私は、今はこの土地で、何も知らない人々ともに生きていく。正しいかどうかなんてわからない。今、私は、過去の私と今の私を区別して生きていく。

2018.03.

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お別れの言葉なんて無い、あるわけない/泣けるってしあわせなこと/正義を貫くこと、犠牲者を生むこと/ねえねえねえ、名刺ちょうだいよ/「いやあ、不幸でしたねえ」/話を聞くこと、聴くことの違いとは/私よりも仕事を優先する人が好きです/初めてのドライブ/この土地に来たこと/いつもありがとう/親友なんて確かめ合うものじゃない/卒業式のドレスは最後のプレゼント/「救ってくれてありがとう」/「私からはめっちゃ綺麗な人に見えました」/この土地を去るということ/「卑怯なことされたのにさ」/私はもう無理だと思った/始まる前に終わってよかった/私はひとりじゃないから一人が好きです/久々に映画館で映画を観る/このタイミングでこの出来事があるということ/意味や意義はこれからの私が作っていくのだ/今は偶然、これから必然/「応援してくれる人は多いほうがいいからね」/「今見ている景色、聴いている音楽、出会う人がこれからの詩織さんを作ってくんやな」/生まれて初めての桜だね/きみの記憶に残らないきみへの愛情がきみを作る/「うちの子だけは本当にキラキラして見えた、本当に」/環境整備と誠意と挨拶/「努力に勝る天才なし」/ひとのために涙を流す/今、隣にいる、絶対にいる/おじいちゃんが来たかったのね/おみくじは小吉でした/前へ前へと進みすぎない/自信があることとひとを傷つけること/真面目であることは罪ですか/この土地で働くということ/お母さんとお父さんの存在/私は愛されていると自覚すること/

明日から、社会人。
日曜日、大安。
初勤務にもってこいの日ですね☀