え ん

人生は連鎖する、

THE LAST OF WINTER VACATION

 

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強くなった、と最近思う。

周期的な気分の浮き沈みも落ち着いているし、よく笑うしよく動くしよく休む。突発的な行動は殆どしなくなった。一日中なんの予定も入っていない日が無くなり、日々常にやらなければならないことは、まるでミルフィーユのように重ねられていくのだが、それでもまあ、とりあえずこなしている。

発達心理学の講義で、ある意味意識的に、またある意味では無意識的に蓋をしているような、そんな過去を掘り返されるようなことがある。友人の行動や言動の端々から、ふとあの頃の自分の影がちらりちらりと見えることもある。あ、聞きたくない。これ以上見ていたくない。そういう時、心のなかにある耳や目をコントロールできるようになってきている。ふさぐこと、そむけることが正しい時だってある。平静を保つ。過ぎ去りし者とは戦う必要なんかない。私は武器を捨てたのだ。

 

 

 

きっと、人生というのは、 右へ、左へ、と行ったり来たりしながら、前へ進んで行くものなのだろう。あるいは、くるくると回転しながら上り行くもの。だから、今の私のこの強さが、永遠に続くだなんて思っていない。また沈むこともある。絶望の眠れぬ夜を過ごすこともある。今は想像だにしていないような隕石が、突然私の頭上に降る可能性だってあるのだ。

 

 

無駄な経験なんてない、と言う人がいる。無意味な出会いもない、と。

確かに、今の私の精神は、今までの一つ一つの経験、その時に出会った人との思い出から培われたものだ。私は今までのことに関し、深く反省することはあっても、今は後悔なんてひとつもない。

けれど、私はその言葉を、人には掛けたくないと思う。その言葉の意味を知らない者にとって、その言葉の並びは凶器だ。

渦中にあったとき、その出来事が有益なのか無駄なのか、正直言って私には全くどうでも良いことだった。未来の私がどう捉えるか、生かしていくか、そんなことより、今この瞬間のこの悲劇を、どうにかしてほしかった。

 

そう、

どうにかしたかったんじゃない。

どうにかしてほしかった。

 

つららのように冷たく尖った言葉だけれど、主体性を持たないまま、今散らばっている問題に平伏している人間は怠慢だ。世に言う努力論、自己責任論が苦手なのは今も全く変わっていないが、他でもない自分自身を幸せにする努力が足りない人間については、私はその人を擁護する真似はしたくない。自分を幸せにする努力を怠る中には、他者を幸せにしようと奔走する者もいる。しかしそれは嘘だ。本当は他者のことなんか、これっぽっちだって考えてやしない。他者から見た自分を認めて欲しくて、愛して欲しい、と傾倒する。私の場合、それが家族であり、学校であり、恋人だった。

 

 

 

自分を幸せにする努力。それは、運動や勉強と同じく、トレーニングだ。

とりあえず、今私が思いついただけの私なりのトレーニングを羅列してみる。

 

自らが課した最低限のタスクを確実に達成していき、自らを褒め称えること。

好きなもの、好きな人に、好きだと率直に伝えること。

嫌いなこと、苦手なものに対して、一度物理的、精神的距離を置くこと。

よく笑い、よく泣き、よく怒ること。

自分だけのおまじない、ルール、ルーティンを持つこと。

自分しか入り込まないエリアの清潔を保つこと。

自分のなおしたい癖や短所を常に意識しつつ、否定しないこと。

朝、太陽の陽射しを浴びること。

自分から、誰か(何か)に挨拶をすること。

話しかけられたら、返事をすること。

意見を求められたら、深呼吸すること。時には意見しないという意見もある。

まずは半信半疑でもやってみること。

試行錯誤をしてみること。

時には潔く諦め逃げ去ること。

 

 

 

最後に、

ひとは、自らに降りかかってきた不幸や絶望からでしか、本質を学べない。

変わるというのは、死してなお生きる、そういうことだ。

 

 

星が落ちていた

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大学に、数え切れないほどの星が落ちていた。

 

12月。

透き通るような青空の下、こんなに温かな気持ちで毎朝学校までの道のりを歩くなんて、おそらく生まれて初めてだ。そして、この土地の冬を経験するのは、もう最後だ。いや、そんなことを言ったら、もう春も夏も秋も、私はこの土地で過ごすことはないのだろう。 昨年は全く知らなかった。こんなにも、こんなにも世界は美しいのだ。

 

 

 

 

今年を振り返る記事は、今ではなく、またの機会にしっかりと書こうとは思っている。でも少しだけ、最近思っている私の人生観について、今日は書いてみたい。

 

 

発達心理学の講義で、私は来年、セカンドステージの幕開けの年になると学んだ。0歳から22歳くらいがファーストステージ、23歳から65歳(定年退職時)がセカンドステージ、それ以降がサードステージ。まあ、そんなのはだいたいで、ピアジェエリクソンがそんな感じ〜って言っているだけの話。18歳以前からバリバリにセカンドステージで闘っているひともいれば、30代で最初の舞台を降りる人もいる。どんな人生にも優劣なんてないし、そうやって発達段階を年齢別に区切ることに懐疑的なひともいる。

私もその懐疑論者の1人ではあるけれど、今回は、ちょっとピアジェたちの理論に身を委ねてみたい。私のなかで、今だ、という感覚があるから。今、私のなかで、ファーストステージ終演のベルが鳴り響いている。よし、一度ここで舞台袖に向かおう。そう思った。

 

 

 

このブログで、私が何度も触れていることからわかるように、私のファーストステージのテーマは「家族」だった。もしかすると、これは私に限らず、多くの人のファーストステージが家族なんじゃないだろうか。人生で一番初めに経験する社会の単位は家族だ。それが直系の血縁者であれ、そうでない場合であれ。

 

KINFOLK JAPAN EDITION VOLUME 10 (NEKO MOOK)

KINFOLK JAPAN EDITION VOLUME 10 (NEKO MOOK)

 

 

2年前のムック本だけれど、私は今でも毎日のように読んでいる。このおかげで、私は家族と物理的な距離と精神的な距離を置く決意を固めることができた。そしてその選択は、間違っていなかったといまは胸を張れる。

 

 

 

家の中でしか家族を知り得ない恐ろしさは、V・E・フランクルの『夜と霧』から教わった。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

 異常な状況下では、異常な精神状態に陥ることが正常なのだ。

 

また、彼が強制収容所で経験した、名前ではなく番号で呼ばれるという感覚。私にもその頃の記憶は、いつも隣で横たわっている。決して忘れることはないけれど、常に断続的な記憶を覚えておく必要もないだろう。なぜなら、それはもう私のなかの大切な一部として、強固な筋肉となって、もう機能しているから。

 

 

しかし同時に、私はsocial minorityであるが故の栄光を手にしてきたことも事実だ。

家庭的に、目に見える形で、少し変わったところがある。それを武器にして、私は数々の作文コンクールや弁論大会で良い成績を収めた。それは、確かな栄光だった。しかし、同時にそれは赦しを乞う形で現れた。私のなかで歯車が狂い始めたのは、おそらくここだ。

私はこういう人間、私はこういう家庭育ち、私はこういうものを持っている、だから、赦してください。赦してください。赦してください。ずるずるとそれを長引かせているうちに、もうそれは止まらなくなっていった。中島みゆきの『ハリネズミだって恋をする』の曲の冒頭部分のようだ。私だけじゃない。もう、私のことは誰にも止められなかった。

 

それを、今では「甘え」という言葉で片付けることが私にはできる。けれど、それでも私は、10代の私を甘えだと言いたくはない。なぜなら私は闘っていたのだ。甘えというたった三音で私の10代を終わった形にしたくない。あの頃の私が今の私を形成してくれたのだ。私は、10代の私を抱きしめ、愛してあげたいと思う。多くの人を疲弊させ、困惑させ、履歴書を書く私の腕を疲れさせてくる、なかなかヤッカイな奴だけど、私はそれでも私を愛してあげたい。

 

 

それと関連するが、私は、自分が挫折してきた人間だとは思っていない。あの頃の苦難を挫折と呼ぶに値する人間に、今の私はまだ到達していない、という言い方のほうが正しいか。「〜に値する」すなわち"deserve"、なんとも恣意的な言葉だ。道徳的対価、とマイケル・サンデルが言っていた。

挫折という言葉を使うには、自身の人生に自身が成功や勝利を認めてからにしたい、と私は思う。私はまだ、自身の人生に満足はこれっぽっちもしていないし、ここから始まると思ってやまないので、私はまだ、あの頃を挫折とは呼びたくない。

 

 

封じ込めて来た過去にさえ、宝物はあるらしい。

そのことに気づいたからと言って、封じ込めた過去を積極的に開放させる気はない。むしろ、今の私がすべきことは、過去の荷物は過去の私に返してあげることだ。今の私が背負うものは、何もない。

でも、過去のなかであの空間を共に過ごした他者の人生は、今の私の糧になっている。彼ら、彼女らの価値観、選択、生き方は、確かに今の私に流れているのだ。それは逆もある。私が彼ら、彼女らの人生を作るひとりでもあったのだ。もう、出会うことも、交わし合う言葉も、見つけられないけれど、あの頃の宝物を、私は胸にしっかりと刻んでいる。

 

 

最近、私はもっと怒って良いのだ、と学んだ。

私は、怒らなすぎた。

怒る、というのは感情に任せて口走ることだ、とよく言う。論理的な人間は怒らずに叱る、というようなネタは、育児論なんかで見ることができるだろう。

 

 

でも、私は、もっと怒って良かった。

極端な自罰感情と自己卑下は、ひとを適切に怒らせない。こんな私が怒る権利があるわけがない。先天的に、私はどこかオカシイから、ひとに怒っちゃいけないんだ。私はいつからかそう信じて疑わない人間になっていた。

 

自分に自信を持つためには、とんでもなく小さな小さな小さな成功体験を重ねていくことだ。私は半信半疑もままそれを実践し始めてから、確かな自信を少しずつ取り戻している。当然、今もその真っ只中な訳だけれど、それでも私は今、知っている。私には怒る権利がある。私に限ったことではない。ひとは、誰しも怒る権利があるのだ。だから私は、内定先に入社する前までに、父に怒ると決めている。それ以降の私のミッションはただひとつ。最大の復讐、私が幸せになることだ。

 

 

そしてもう一つ、たとえどんな怒りがあっても、その怒りに相応するほどのことを相手にされても、とにかく、どんなことがあっても、ひとはひとに手を上げることはしてはならない。私はこれを、2年ほど前に知った。ひとは、自分以外の命を叩いてはいけないのだ。叩くということは、叩く人間というレッテルを自身に貼り付けていることだ。暴力は、絶対に、どんなことがあっても、どんな形を以ってでも、絶対にあってはならない。もう一度繰り返すけれど、最大の復讐は、自分自身が自分自身の手で、幸せになることだ。

 

 

 

 

勉強もスポーツも精神力も、トレーニングだ。まずはしっかり睡眠と食事をとって、準備運動して、筋トレして、心身を温めてから、全てが始まる。

 

そして、これは去年の今時期にも書いたけれど、大人になるということは、自分ひとりで立って生きていくことではない。むしろ逆で、依存先を増やしていくことが大人なのだ。一人の人間、ひとつの物事、1箇所の居場所に固執しない。視野を広げ、かず多くの遊び道具、逃げ場所を構築していくこと。とどまらない柔軟さと、横道に反れてもなお戻る可塑性。それをうまく使いこなせるよう、日々精進していくこと。

 

 

 

 

セカンドステージの抱負も書いていく予定だったけれど、それは、また次回にしよう。今日は、私がファーストステージ、22年間で学んだ、私にとって大切なこと、大切にしていきたいことの総まとめでした。

2017/11

並々ならぬ疲労感/普段乗り慣れていない会社の夜行バス/恋愛はまだできないと再認識/包丁で左薬指を切る/メガネを踏みつけて2週間後に新調/休むことに罪悪感を抱いているようならまだ頑張れる/結局守ってくれるのも支えてくれるのも自分自身だ/久々に45歳上の友達と再会/少し違和感私が私の人生を生きている証拠か/奨学金返還毎月定額でいけば37歳までとのこと/"To live your better life, you can abandon your family. Be happy!"/ストレスや苦悩の矛先を食べ物に向けない/「眼鏡取りました?素敵です」/電気、ガス、水道がある幸せを噛みしめるシャワー&ティータイム/人の表情は自分の鏡/自分の言葉は自分が一番聴いている/姿勢を伸ばす習慣/自分で自分の履歴書が汚いと思うようなひととは一緒に居たくない/たとえ最下位でもゴールする/如何に自分を楽にしてあげるか/周りのみんなが自分を応援してくれたことを後悔させたくない/SOC理論(選択、最適化、補償)/上手に歳を重ねていくということ/自分の言説によって自分の富が上昇する暴力加担/楽しくないのに笑う辛さと笑っているうちに楽しくなってくる幸せ/スマートな女性は口を挟まない/私はもっと自分を磨いていく

 

 

 

というように、月末にまとめの記事を書く習慣へ。

来月末はそもそも年末だけど。

 

 

 

12月は11月に引き続き、非常に多忙。全休日まであと20日。

出来れば今年中にもう一度美術館に行きたい。研修後のカタンも楽しみ。同期とのランチも楽しみ。下旬に友達呼んでサシで宅飲みする予定。楽しみ。たくさん楽しいことを考えて、周りも自分もハッピーにさせつつ、部屋をこまめに掃除洗濯して、少しずつへやのものを減らしつつ、課題や論文を溜めずに、年末年始はガッッッッツリバイトする。楽しいことを素直に楽しむ。やり切ることは本気でやり切る。気持ちよく新しい年を迎えるための最終準備。

笑顔で楽しい気分でいる大切さを学んだのよ

 

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お元気ですか。

私はとても、元気です。

 

 

 

書く、ということは、常に私にとって大事な営みの一つで、最近は専ら手帳にいろいろなことを書いている。日々の記憶を、記録する。その日勉強した講義の内容、友人と話した会話、今日の気分、健康状態、四月から働く場所の歴史、風土、今の課題とその解決法、、、それは、忘れないためでもあり、忘れるためでもある。たとえどんなに孤独な夜が待っていても、私にはペンと紙と、少しの音楽があれば、乗り越えられる。今は、そんな気がしている。

 

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孤独、という言葉を今、私は使ったけれど、私は今、全く孤独ではない。

最近、特に友達が増えた。友達、という定義について深く考え込む真似はしない。私が好きだと思い、私を好きだと言ってくれるひとが増えた、ということだ。とても進歩的だと思う。

 

淋しさはいつだって私の隣に座っている。先のことを考えても、過ぎ去ったことを思い返しても、悲観しか残らない眠れない夜だってある。

 

 

それでも、私には、今、居場所がある。

明日の予定があって、私を待つ友人がいて、こなすべきタスクがあって、帰る場所がある。

 

幸せなことだな、と。

 

 

タイトルは、1人の友人から教わったこと。

私はもともとポジティヴ、外向的とは程遠い人間だ。けれど、それが故に、笑顔でいること、自分も周りもハッピーな気分にさせることが、本当に大切なのだな、と。 元気でいると、みんなも元気になる。ひとに心配されるより、応援されることが、こんなに素敵なことだなんて、私は今まで知らなかった。

 

 

 

挫折や苦悩は、ひとを強くも弱くもするが、必ずひとを美しくしてくれる。強い人も、弱い人も、強くなりつつある人も、弱さに打ちひしがれている人も、みんな、美しい。私の大切な友人たち、一人一人のことを考えながら、私はその美しさに圧倒される。そして同時に、私も彼女たちと同じくらい美しい、そう思える。