え ん

人生は連鎖する、

Prosperity obtains friends, poverty puts them to the test.

 

最後の学期に専門科目だけで5科目を履修している(このうち2科目落としたら卒業不可)、無計画なリスキーなあほ大学生なのですが、今回の履修の取り方は決して間違っていなかった、と心のなかでニンマリしている。予習と課題とテストとレジュメ作りに追われてばたばたしてるけど、取っている講義全てが非常に興味深い内容ばかり。特にも、私のイチオシは英米史。

 

 

英米史、と言っても、今はまだイギリスの中世史。1066年のノルマンコンクェスト、プランタジネット朝の始まり、マグナ・カルタの意義、そして次回はシモン・ド・モンフォールの反乱について。想像を遥かに超えて面白い。


The Animated Bayeux Tapestry

 

この動画は、バイユーのタペストリーをアニメ化したもの。タペストリー、と言っても、織物じゃなくて刺繍。中世にこんな高度で精密で、何よりもとても残酷なリアリティ溢れる刺繍を作る技術力があったこと自体に驚きを隠せない。ハロルドだとされるひとが射抜かれるシーン、なかなかやばい。笑

 

 

こうやって歴史を見ていくと、本当に、高校時代に教科書がボロっっボロになるまで覚えこんだ世界史Bはなんだったんだろう、と言いたくなってしまう。私はセンター試験で世界史は9割(少しサバ読みしました、88点w)だったけど、実は実は何一つ理解してなかったんじゃないか、なんて思いなおしている。しかも、今回はあくまでもイギリス(いや、今のところはイングランド視点)だ。まだ学んでいないけど、百年戦争の聖女、ジャンヌ・ダルクは、イギリスにとっては当然英雄でもなんでもないわけだ。スコットランド目線、ウェールズ目線で各反乱を見ていくのも面白そうだ。

 

 

歴史を学ぶ、っていうことが、あまりにも軽視されているんじゃないか、と思う。年表の並び替えなんて必要ない。そんなものはいつだって机の上に置いて、逐次確かめればいい。一問一答問題集なんて要らない。戦争の名前より、戦争の発端と意味を深く深く考える訓練をすべきだ。百年戦争、なんて、第一次、第二次世界大戦、なんて、フランス革命、なんて、日本のバブル期、なんて、後の未来の人々が勝手に枠組みをつけたり番号をつけたり最もらしい名前をつけたりしているだけだ。自分たちが今、どの地点にいるのか、どんな状況下に置かれているのか、今起きている世界の問題の根源はどこにあるのか、自分たちはどこへ何を手にして行くべきなのか。それを思考し続け、言語化していく、大学生でありたい、と思う。

 

 

 

あ、タイトルは内容と全然関係ないけど、最近出会って感動した英文。

 

成功や繁栄は多くの友人を手に入れるが、貧困や不幸は彼らに本当の友情を試す。

 

みたいな感じ。紀元前ローマのキケロさんの名言です。良き。

 

 

 

 

 

香水を買いました。

 

ようやく、ようやく、ようやく、

自分のなかで、これだああああああ、っていう香りに出会えた。

 

 

半年前に、ミス・ディオールの香水をとあるひと(過去記事に度々登場しています)からタダでもらって、実はまだ三分の一くらい残っている。この香りも、いや、香り自体は、好きな部類に大いに入るし、この香りがほんのりとする女性は須らくお洒落だ。だけど、私のなかの理想とする女性像として、ちょっと相応しくない。前の記事でも同じようなことを書いたけど、今はまだ蓋をしておきたい過去を、この罪のなき香りと共に引っ張り出す気がして、怖い、というのが本音かもしれない。

 

 

私はすごくすごく香りにうるさい。

香りに限らず、音楽とか、絵画とか、感覚器官を大いに揺さぶるものに対する許容範囲が、ひとより許容範囲が狭いと自分で思う。友人にも言われたことがある。

 

これはあんまりヨクナイことなんだべなあ、もっと心の視野を広げねば〜と思っていたのだけど、この香水を嗅いだ時、あ、この感覚のまんまでいいや!と吹っ切れた。私はこの香水の、甘いようで闇を感じる、暗いようでマッチ一本の灯しを感じさせる、そんな香りが大好きだ。中島みゆき鬼束ちひろと米津玄師が大好きだ。今聴いているのはグレゴリオ聖歌だ。でも最近毎日聴いているのはテイラースイフトエドシーランだ。レンブラントは『夜景』よりも『女官たち』のほうが好きだ。ファン・ゴッホよりもゴーギャンのほうが好きだ。でも八代亜紀の描いた絵も好きだし、西原理恵子の漫画の絵だって好きだ。何が言いたいか。私はこのまんまの感性でいい!

 

 

 

 

 

 

というわけで、私はこの先、この香りと共に生きていきます。

ふと街でこの香りがして振り返り、蘇芳色の長スカートにベージュのベレー帽をかぶった女性がいたら、それは私かもしれません。

サルヴァトーレ フェラガモ シニョリーナ ミステリオーサ EDT 30ml

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ああ、学割って素晴らしい。

形として残らないもの、

後期が始まって約2週間が過ぎた。

数年ぶりに典型的な風邪を引いたりなんかしたけれど、プレゼンも大量の課題もなんとかこなしている。ホント、エライ!

 

 

 

この前、卒業アルバムの写真撮影の時、友人が

「私は残るものが嫌いなんだ。」

と深く溜息をついているのを見て、そうだよなああああ、と思った。彼女はピアノが弾ける。ピアノが好きな理由は、形として残らないからだ、と。

 

でも、、、

ひとが、別れたあるひとのことを最初に忘れていくものは、横顔であったり、顔のパーツであったりで、次に少しずつ少しずつ、口癖を忘れて、声を忘れて、シルエットを忘れて、、、そして、本当に最後まで覚えているのは、香り、だとか。

 

形として残らないもののほうが、思い出として深く深く心に刻まれるものなのかも。

 

 

 

 

昨日もあまり良い夢を見なかったけれど、今朝目覚めるまで見ていた夢が、本当に最悪だった。でも、その夢は、おそらく私が今抱えているもののなかで最も重要なことのひとつなんだろう。

誰かに聞いてほしいな、と思って、おそらく休日であろうNにLINEしたけど、そんなことすべきじゃなかった。ちなみに、夢の内容はNには全く関係がない。

でも、私の夢は私だけのもので、私のトラウマは私だけのもので、私の苦悩は私だけのもので、私だけにとどめておくべきなんだな、と、彼から来た返信で思い直した。きっともう、淋しさも悲しみも名もない感情も、もう彼とが共有できるものは何もないな、と思った。そもそも、最初から出来ていたのかさえ、甚だ疑問な話だけど。

私とNは、もうどうやったって、この距離でしかない。これ以上、もうこれ以上、近づけやしないんだ。私のほうから、少しずつ、一歩ずつでも、遠ざかっていくことを、彼は望んでいる。それが正しいことだし、本来の筋だし、そういう契約の下で私たちはこれまで来たんだ。

 

 

 

 

あーあ。

いつまで私は、過去にしがみついて生きていくのだろう。

 

 

 


もしかしたら、

過去のトラウマを乗り越えるということは

忘れることでも打ち勝つことでも隠し通すことでもなく、

無視をする、というある種の能力を、手に入れることであるのかもしれない、と



今朝、嫌な夢から覚めて、思った。


淋しい夜に、

淋しい時、ひとに温かさを求めてしまうのは、その淋しさがひとによって少しでも薄れるということを、既に知ってしまったからで、孤独を感じるということは、孤独じゃない時間を過ごしたことがあるからで、あるひとに”淋しい”という言葉を吐けるということは、そのひとが過去に自分の淋しさを薄めてくれた経験があるということで、もしかしたら、もしかすると、淋しいという感情は、本当はちっとも淋しいなんてことはなくて、淋しいという感情を抱けるという、たったそれだけのことは、とてもとても幸せなことであるのかもしれないな、と。




自分が勝手に淋しいと感じているだけの時に、自分が大切だと感じているひとをその淋しさを薄める材料としてはならぬ。


空しい気分の時、余計に空しくなるような相手に空しい言葉を吐いてはならぬ。


自分を満たせるのは、自分を満たそうとする自分だけだ。


忌まわしき過去は、遠からず自分の滋養となり、良き方向に他人へと連鎖するということを、常に自覚せよ。過度に落ち込む必要も、取り返しのつかない罪悪感に苛まれる必要も、無いことを理解せよ。