理想は既に今の自分のなかにあるよね、って話。
後期も頑張ろう宣言、的な。
ちょっとブログの仕様を変えてみました。
気づいたかしら、「人生は連鎖する、」っていうタイトルの右下にあった、「沢山遠回りしてきた戯れ日記」っていう文字が消えました。
今までの私の経歴は、特に遠回りでもなかったな、と思い直したから。でも、かと言って他に気の利くサブタイトルが思いつかなかったので、そのまま空白です。何か考えついたら付け足します。あと、サイドにあるプロフィールも変えたんだ〜。
風邪を引いているにも関わらず冷蔵庫のなかに6時間もいるなんて、ちょっと何考えてるかわからないですね、私。みなさん、9月に入って突然寒くなったけど、お元気にしていますか。
私はですね、なんと努力の実が結んだと言いますか、苦難の日々が報われたと言いますか、両親から少し援助を貰ったので全額というわけではないしこのご時世格別珍しいことでもないんですけどね、兎にも角にも目標金額を達成しまして、比較的余裕を持って、後期の学費を自分の手で工面することに成功致しました👏🏻👏🏼👏🏽👏🏾👏🏿
後期はね、休学しようかなって寸前まで行ったんです。
学校関係者らにはもうなんか、冷た〜い目で、休学どころか一度中途退学をしてもう一度再入学を検討したらどうか、まで言われていたほどですからね。ふざけんなよ中退の重み何にも知らないくせにって心のなかで毒づいてましたけど。
まあそれでもね、あと半年だからね。
どうせ卒業するんならさっさと早めにこんなとこ出ちゃおう、って感覚が、一番の今の私のモチベーションですね。まあ、まだ在籍しているので、あまり変なこと言えないけど、ね。うん。((((察して)
卒業を先延ばしすることに、意義はなさそうです。はい。
専門科目が超絶残っているんで月曜と木曜はハードになりそうだけど、上記の感覚的な理由から、必死に歯を食いしばってなんとか滑り込もうと思います。ちなみに卒業式は出席しない🦆🦆🦆。笑
🎋🎋🎋🎋🎋🎋🎋🎋🎋🎋
なんかね、ようやく、7月〜8月の謎の鬱々感を普通のテンションで省みることができるくらいまで回復したので、書いてみる。これを後期の間にぶり返したら絶対卒業出来ないんで、反省して次に活かす。これ大事。(と言っても、細切れにブログは書いてきたので、だいぶ中身は重複している。まあいい。)
きっかけというのは、一つや二つではないんだと、思う。
小さなことから大きなことまで、いろんなことが降り積もって、塗り重ねられて、ズドン、と落ちる。堕ちる。
小さなこと、というと、朝起きるのしんどい〜とか、バイトの上司鬱陶しい〜とか、講義でいつもの席が既に座られてる〜とか、先生がワケワカメ〜とか、そういうことぐらい。
大きなこと、というと、やっぱり、とある人の影響が大きいかな。
まあ、この記事に少し書いてるけど。というか、重複するかもだけど。
私は、きっと今までずーーーーーっと、父親的な存在を探し求めて生きてきたんだと思う。お父さん、って、率直に呼べる存在で、その人から有無を言わせずガツガツと叱ってもらいたかった。そっちの方向に行くな、って、グイって半ば強制的に手を引いてくれる人が欲しかった。でも、最終的に、絶対に私を見捨てない。愛してくれる。
でも、やっぱり、この「とある人」は、私の父親でもなければ、愛人でもない。ただの他人だった。今考えれば考えるほど、別れを告げて良かったな、と思うけど、この人からの影響は、別れを告げたときには感じなかったけれど、想像を超えて遥かに遥かに甚大だった。悪意や下心100%の人間ではなかったからこそ、彼が私に残した 傷はより私を深いものにした。
あともうひとつの大きな理由が、やっぱりPMSなのかな、と。土曜に病院へ行きます。だいぶ重度というか、日常生活に支障が出るどころか、私の10代ってもはやこれで左右されてきたものだ、と最近悟ったので、社会人になる前に本気でどげんかせんといかん。
具体的にどんな気持ちで毎日過ごしていたかというと、「死にたい」とは少し違うものだった。希死感情というか、近死感情?(なんじゃそりゃ)
ヴァージニア・ウルフの本や雨宮まみさんのブログ(同じはてなブログだけど、ここに掲載しません。ご自分で検索してね)を読んで、なんかすごくすごく自分がこの人たちに近い場所にいるな、と思った。22歳の今じゃないけど、私はいつか自殺するんだな、と。(まみさんは自殺という死因ではないとされています。不快に思われた方は大変申し訳なく思います。)
的確なことなが思いつかなくて自分の語彙力を呪いたい。
言いたいのは、「辛いことがあって自殺した」んじゃなくて、「辛いことも苦しいことも悲しいことも嫌なことも、全部全部全部全部乗り越えて、ある意味で超越して、自分のことも社会全体のことも、全部全部全部理解した上で、諦観した上で、達観した上で、死んだ」、そんな彼女たちの文章が、とてつもなく、いつの日か到達する私の姿な気がした。
誤解しないでほしい。これは、彼女たちを聖人と崇めているわけでも、私自身がそんな凄い人間なんだぞって誇らしく思っているわけでも決して無い。ましてや、辛いことがあって自殺した人たちを責めるつもりもない。死んだひとはいつだって無言だ。
私は、いつか、自殺する。
この感情が、強力接着剤のようにべったりと背中に貼り付いて、拭えなかった。
だからこそ、派遣バイトは良かった。私が私でなくてもゆるされる時間だったから。
もう私は、次こそ頑張る、だとか、もう大丈夫、みたいな小学校の一学期の反省、二学期の目標、みたいな精神論だけで何にもならないことを知っている。でも、同時にまだ私は、うわべだけで取り繕ったり、要領よく世を渡れるほど器用な大人にもなれない。
だから今でもどうしたら良いかわからずにあっちこっち迷子になっているのだけど、なんていうか、うん。もっと、自分と仲良くなりたいな。
私は私を髪の毛一本一本から足の小指の爪の間まで、全部全部好きじゃなくて、骨の髄まで自分を許してあげることができずにいる。新しい恋愛だとか友達だとかいう以前に、私は私をもっと好きになる必要があるんだろう。
朝、7時前に起きられるようになりたい。
毎朝、自分で作ったスープか味噌汁を食べたい。
毎晩、ちゃんとスキンケアして、机の周り整頓して、好きな本を読みたい。
洗濯物も溜めず、掃除も怠らず、ちゃんと毎日授業に出て、PCかタブレットで卒論進めて、英語の勉強もして、あそこに就職決まって、当然固定バイトも継続し、それなりに人と距離を保ちつつも全くのネクラさん扱いもされない。
(雨ニモマケズ風ニモマケズ精神)
それができたら私、私のこと好きになれる気がする。
オンナは顔じゃないぞ
何はともあれ健康第一
【夏が終わる】
ふと、部屋に緑が欲しくなったので、往復1時間もかけて、イオンまで行ってこの子たちを買ってきた。ココナッツの容器は本物だとのこと。撮影が下手すぎてあまり魅力が出しきれてない感が満載だけど、本当に愛すべき私の相棒たちだ。名前は特につけていない。
【9月か。とカレンダーをめくる】
船を出すのなら九月だ、と、中島みゆき氏は言った。海を見飽きて、冬支度に備えるために、誰もいない海に、船を出すのがちょうど良いのだという。
そうだな、と頷く。
膨らませすぎた夢も、収拾がつかなくなった期待も、あの頃抱いた理想も、そして想う人との記憶も。
全部全部全部船に積んで、誰も見ていないうちに、何も変わらぬ風景のうちに、私はゆっくり、ゆっくり、櫓をあやつるのだ。
【それでもなお、】
誰かと話すことが苦手だ。
ものすごいエネルギーを消費する。疲れる。だから、出来る限りひとりでいたい。外にいるときは、たとえ音楽を聴いていなくてもイヤホンを外さない。
如何にも、話しかけないでくださいオーラをぷんぷんさせながら、歩く、と宣言した友人がいた。帽子被って、グラサンして、ポケットに手を突っ込んで、もちろんイヤホンつけて、俯き加減で歩く。それでもなお、話しかけてくれたら、それが私にとって最大の友人だと、と、一度だけ喫茶店でお茶した彼女は言った。彼女は今、どこに、誰と、どんな表情で、毎日過ごしているのだろう。
善悪のほどは知らないが、実践の価値は大いにありそうだ。
【妄想ですか?】
もし、いつかお付き合いする男性に出会えたら、二週間に一回くらいのデートで、ずーっと二人で別の音楽を聴きながら散歩して、代々木上原や下北沢の古本屋で、お互いが好きな作家の同じ本を買って、渋谷にあるあの喫茶バーで、一言も会話せずにその本を隣の席で読み、帰りにセブンイレブンの100円のコーヒーを飲みながらその本の話をしたい。そして、駅に着いたら、私は下り、彼は上りで、そいじゃ、なんて、どうしようもないくらいそっけない挨拶と、最後に必ず、好きだよ、というイチゴジャムみたいな言葉を添えて別れたい。
【好きだよを言わずに死ねない】
北朝鮮からのミサイル発射のアラートは、神奈川県にいた私には聞こえなかったけれど、なんだか不安な気持ちだ。
3月9日の高校入試、比較的大きな地震が来て、みんなでざわざわどきどきしながら受けた社会科目。まさか、その時は、その2日後に、それを遥かに超える大地震が東北、東日本に襲うなんて考えてもいなかった。卒業式も、合格発表も、入学式も、何が何だかわからないまま、気がつけば高校1年の4月が終わっていた。
何があるかわからない。
不吉なブログや呪術的な予言を書くつもりも書く能力も無いけれど、本当に、私たちはいつどこでなにがあるかわからない。現代の私たちは、小さな小さな小さなカード1枚の情報(SIMカード)が突っ込まれた長方形の割れやすい画面だけで、世界中のひとびとと繋がっている。
何があるかわからない。
だから、私は、気休めでしかないけれど、好きな人には、毎晩、好きだよ、と伝えてから、間接照明を消し、瞳を閉じる。
好きだよ。
今の私が考える私の納得のいく人生みたいなこと。
ちゃんと書けるかなあ。
ようやく昨日、今年初めての花火を観られてとても満足。iPhoneユーザーのみんなは、LINEで「花火」と打って誰かに送ってみてね。うふふ。
この頃の謎の鬱々とした不愉快な感情は、この一週間で少しずつ回復へ向かっている。
孤独感だとか、この世界で私はひとりぼっちなんだ、みたいな淋しさとは全く違う感情。むしろ私は、私を心の底から大切にしてくれるひとに囲まれていて、私自身が愛しているひとがちゃんといて、だからちっとも淋しくなんかなかった。でも、その温かい温度が、あまりにも私には悲しすぎた。その温度を振り切って、自分のやりたいこと、自分が手に入れたいものだけを見つめて、まっすぐに走り続けた恩知らずな私。そうしてきたにもかかわらず、今、私の手のひらは空を切るばかりで、何も残っていない。ただただひどく罪人であるような気がした。そうか、やっぱ私は、他の人と比べて、どっかオカシイ部分が数多くあるんだな、と、無理やり納得させて、自分という人生を諦める寸前までいった。
いや、まあ、諦観することが悪いこととは、私は思わない。
一つの所属を辞めた先、長年の夢を諦めた先、現実から逃げて逃げて逃げた先にも、この世界は続いていく。死なない限り自分は自分を背負わなきゃならないし、死んだからといって自分から離脱できるなんて保証はない。確かに死んだひとは何も言わないし、どうやらもう二度と帰ってこないようだけど、でも死が解放かどうかなんて、私たちにはわからない。わからないままでいい。
この一週間で、私はなんと、一度もEvernoteやブログを開かなかったし、ノートに何かを書くこともなかった。でも、私は、なぜか、ストン、と私のなかで納得のいく答えというか、理想を見つけることができた。
まず、そのひとつのきっかけとなったこの本に感謝します。
この方のように、いつの日か私もこういう本を出版してみたいなあ。そのためには、もっとたくさんの強い人と出会い、賢い教養を身につけ、美しい言葉や文化に触れていこう。
ずいぶんとだらりだらりと前置きを書いてしまった。
私のなかで納得のいく人生とは、22歳の今から、私は3,4歳の頃の頃からの私の人生をもう一度やり直す、ということ。意味不明ですね、説明します。
今の私の思考やら嗜好やら志向と向き合ってみると、ここへ到達するにあたる大きな扉を開けたのは、まだ私が14歳の頃のこと。中学3年生の5月。今はこの世に存在しないけれど、私が書いてきたはてなブログよりも前のブログには、もうなんかしつこ過ぎて吐きそうなほど、中3の5月18日のことが書かれた。東京への修学旅行から帰ってきた日のこと。父が1ヶ月以上も前に勤めていた会社を辞めていたことが判明し、そこからガラリガラリと家族が不穏な空気に陥った日。
でも、じゃあその前はそんなことを想像だにしなかったほど幸せで平凡で一般的な絵本とかに出てきそうな家庭であったか、というと、全然そうではなく。小学校の頃の私は、ある日授業中に教頭先生が血相を変えて走ってきて、「詩織さんのお母さんとおばあちゃんがおじいちゃんに殺された」っていってくるんじゃないだろうか、とかいうことを本気で考えて生活してきた。重度の認知症の祖父は、時折暴力的になったし、それは知的障害を持つ兄も然りだった。そして、祖母は性格的にかなり難しいひとだった。特に、婿入りである父親に対して。今は、老健に入ってふにゃふにゃな笑顔な可愛いおばあちゃんだけれど。
私の原点は、父との関係性だ、と気づいた。
私は物心ついた頃から、祖母から父の悪口を言われて育ってきた。私が父とトランプをして遊んだら、兄の面倒を見ない父として父は扱われた。私が生まれるより前の父の話を聞かされ、そういう人だと刷り込まされた。私が祖母に口答えしたり、悪い言葉遣いやいけない行動をしたら、父親や父親の家庭に似ている、となじられた。父に関することで、書ききれないほどの嫌な思いを私はしてきた。
私にとってのお父さんが、未だに掴めないのはきっと、そういうことなんだと思う。でも、これはちっとも異常なことでも特別なことでもないんじゃないかな。私の経験は確かに私だけのものだけど、いろんな家族の形があって、いろんなイザコザやぐちゃぐちゃしたことって、たくさんのひとが経験してきたことだと思う。そもそも、絵本で描かれる家庭像が本当にメジャーなもので正しい形である、なんてこと自体疑わしいことだ。
今、私は、ちゃんとお父さんのことを、私の目で、理解したいな、と思っている。嫌いにさせられて嫌いだったひとのことを、きちんと知りたい。その結果、やっぱり私は父のことを好きになれないかもしれない。それならそれでも良い。
このことは、私の幼少期から私が私を作り上げる、ということと同義だ。そして、それをしっかり納得した形に仕上げてから、私は私の夢をきちんと追う。今の私が夢へ向かって走るにはまだ早い。骨組みや柱がない状態でひとつの家を作るようなものだ。
具体的には、短大を卒業してから、父の天職とも言えるような職に私も就こうと思っている。父が好きなことを私もやってみる。純粋な興味関心、とも言えるけれど、その職を通じてもっともっと父親のことを娘として知りたいと思う。その後(奨学金返済の目処や貯金、生活に関する充足度などを踏まえた上で)、私は以前中退した四年制大学に再入学する。重要なのは、一度辞めたその大学、というところだ。東大でも上智でもオックスフォードでもハーバードでもなく、その大学の卒業証書が私は欲しい。
なんか、ものすごーくものすごーく時間かかると思うけれど、そこから私の夢への道のりを始める。人生なんてうまくいかないことだらけで、計画なんて立てたところで何の意味もないくらい実践は別物になりがちだけど。
それが最近得た、今の私の最大で最良の答え。
ブログに記録することに意味がある気がしたので。