真夜中の更新ほど危険なものはない
こんな時間に更新するとか、絶対ロクな文章書ける自信無いんですが、書きます。眠れないんだから仕方ない。
🌎就活状況の中間報告としましては、絶賛スランプ中です。10社以上選考行ったうち、4社は二次選考まで漕ぎ着けたけど、そこから惨敗してます。ひとからの激励や慰めがものすごく今の私には鬱陶しいので、とりあえず今の私には近づかないほうがよろし。
🌏卒論状況を報告するにしても、こっちもこっちで行き詰まっています。とりあえず、事件後の新聞記事やら論文やらは少し読むのを一時停止して、スピヴァクや彼女が批判しているフーコーの著作を読んでいます。フーコーのほうは、あまりじっくりしっかり読み込むとそれだけで年明けちゃいそうなんで、まあ必要なとこだけスキャニング的な読み方になるかな、と。
卒論の内容は以前書いたこれです。
この本がなきゃ、私は本当にこの卒論を書く覚悟が固まらなかったと思う。サバルタンは語ることができない。この現実を、スピヴァクとともに、私は声高に訴え続けたいと思う。
- 作者: G.C.スピヴァク,Gayatri Chakravorty Spivak,上村忠男
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1998/12/01
- メディア: 単行本
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- 作者: ミシェル・フーコー,Michel Foucault,田村俶
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1975/02
- メディア: 単行本
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🌍そしてプライベートのほうも、ちょっと一波乱、二波乱ありまして、ほんとーにまあ、要するに全体的に不調です。ああ、ほんとにバイト辞めたい。。。むしろ私、何で続けているんだろう。。。いや、まあ続けないと就活出来んのだけどね。。。
🎈🎈🎈🎈
この社会で、生きにくさを感じている人って、やっぱ結構いるみたいだ。
本屋に行けばそういうひとの実体験とか、処世術的な本とか漫画が堆く積まれている。セミナーとか相談窓口みたいなものも、以前よりずっと増えた。これはたぶん、そういう該当者が増えたんじゃなくて、声をあげられる環境が、ちょっとづつ、本当に本当にちょっとづつ、整い始めている証拠なのかな、と思う。
えーこったーえーこったー、と思っていたのだけど、この前、知人に、精神障害者の手帳を発行したらどうかと言われた。そして、どっさりと、ご丁寧に付箋までつけてくれて、障害者のための求人雑誌を私に差し出してくれた。
⚠️私は、障がい者ではなく、障害者、と敢えて漢字で全て書くようにしています。私なりの考えがあった上で記載していますが、万が一不快に思った方に対しては謝罪します。申し訳ございません。⚠️
私は、その知人の言わんとしていることは理解出来る。月曜の朝からから金曜の晩まで本当に他の人と同等に勤務できるのか、週5回満員電車に揺られて通勤できるのか、いやいやそもそも決まった時間に朝起きられるのか、っていうことをすごくすごく心配してくれているんだ。そして彼女は私を心配するに値する地位にいる。
私はその日から3日くらいよーく考えた。
なぜ今、このようなアドバイスをもらったのか。(内定決まらんからか)
私は今、精神科、心療内科を受診していない。今年の初めか去年の暮れに、もう来なくていいよ〜って医師の方から言われたから。まあ私も要らんと思ってた。それで、今、なかなか内定決まらんからって、再び病院に訪れて、手帳の発行をお願いしろ、と。‥‥‥そりゃ詐欺やないか?
いや、でも確かに彼女の言っていることは一理あるんだ。本当に週5日8時間プラスαみんなと同等に働ける自信は、私にだってない。万が一倒れちゃったとき、実は2、3年前まで多重人格のヒッキーでしたあ、なんて笑いごとじゃない。わかってる。私のためというか、企業のためでもあるんだ。
そんなふうにしてぐるぐる考えて、まあやっぱり答えなんて元から決まっていることに気づいた。私の場合、いつだって、ぐるぐる考えているその時点で考えなんてすでに決まっているんだ。
なんとかなるんじゃね?ってこと。
今までだって何とかなってきた、というか、何とかせざるえなくって何とかしてきて、何とかここまでやって来たんだから、まあこの先何があってもとりあえず私は何とかするでしょう!と。
それと同時に、私はもう、この学校で最後にしたい、と思うんだ。自分の病気や過去を盾にして、社会からの圧力を避けること。特別許可を得ること。
ここで誤解しないで欲しいのは、今、現在、病気と闘っているひとたちは、逃げているわけでも甘んじているわけでもない、ってことだ。過去の私も、病気に甘えて現実逃避していたわけじゃない。本当に本当に、見えない敵と必死に闘っているんだ。それが病気ではないひとと違う敵だから、なかなか理解しがたいものがあるかもしれないけど、過去の私も、今の誰かも、ずーっと、全力で闘ってる。
でも、今の私は、もう、そういう時期じゃないんだ。その敵と闘うことは、もう終わり。それだけの話なんだ。
今でも、ほんとに就職決まらんし、やりたいことにも集中できないし、バイトはほんと意味わからんことばっかだし、ちょっとここには書けないようなことで凹むことあったし、もうほんとだめだなあ、嫌だなあ、もうほんと何もかも忘れてパチンって割れてしまいたいって思うことは何度も何度もある。その度に体に悪そうなものをやけ食いして(やけ酒は決してしないことが不思議だ)、胃がもたれてフラフラになるパターンを何度も繰り返している。
でも、それでも朝は来るし、シャワー浴びれば着替えしてるし、靴履けば玄関のドア開けるしかないし、学校行けば座る席があるし、駅に行けば電車は来る。そうやって、毎日毎日、ああこれもダメだった、あれもできなかった、それも終わってない、どれから始めていいかわからん、ってわめきながら、うめきながら、一歩づつ、前に進むしかないみたいだ。
そうだ、自分。
生きづらさを感じてるのは、自分だけのせいじゃない。むしろ全てを環境のせいにしたっていい。でも、どんなにデキが悪くても、ぶきっちょでなーんも完成しなくても、気づいたら同じスタートラインにいたひとの背中が見えなくなっても、何を思い出せないのか思い出せないくらい頭がこんがらがっても、バイトで誰も彼もに相手にされなくなっても。お徳用チョコレートを全部食べた後に70円のコロッケ5個食べて顔がぶくぶくになっても。一歩も前に進めない日があったっていい。玄関の扉が開けられない日があったっていい。部屋が散らかってコーヒーこぼしたまま夜が明けたっていい(片付けるのは自分である)。
それでも、それでも、それでも。
今、自分が進みたい方角。今、つま先が向いている方角。それだけは、睨んでいよう。よし。
はっ
今日は歴史学のテストだ‥‥‥💔
母、とは。②
自己分析②
更新頻度が高い‥‥。
暇なわけでは決してないけれど、近況を少しづつ投稿します。週1~2のペースで書いていけたら、なんて目論見中。本当にそうするかは未定。
あ、そういえば今日は久しぶりに、タブレットからの投稿です。ああ、キーボードで打てるって素晴らしい。
自己分析②というタイトルですが、諸事情の関係で、かなり個人的な話(オフラインの私を知っている人でなければわからないような事柄)を婉曲しながら書きます。いつも以上に理解しにくい文章ですが、ご了承ください。
🌎🌍🌏🌎🌎🌏
今年に入ってからのこのブログ記事を読めば、「とあるひと」がどれだけ私にプラスの影響を与えていたのかがよくわかる。私は、「とあるひと」からの言葉を一字一句逃すまいと必死だった。Evernoteや手帳を開けば、彼から貰ったたくさんの思い出たちをすぐに取り出すことができる。
「とあるひと」
この言い方、なんなんだろう。
私にとって、彼は何者だったのだろう。何者であるべきだったのだろう。
彼に違和感を持ち始めたのは、実は随分前なんだと思う。なんか、飼主に都合の良いペットみたい、って自分で自分に突っ込んでいた。でも、私が一度、両手を広げて投げ出した社会のど真ん中で闘い続けてきた彼の言葉は、いつだってなんだって正しく聞こえた。いや、たとえ正しくなくても、反抗することに疲れていた。彼の言う通りにさえしていれば、彼を笑顔にさせられるようなことをしていれば、オートマチックに社会で通用する人間になれる。まるで高速電車に乗り込んだかのように、私は自身の思考を止めて目的地まで安住した。一つ一つ疑問を持って立ち止まっていたら、この怒涛な社会では渡り歩けないのだ。
だけど、そんなふうに自分をごまかしてうまくやっていけるほど、私は器用な人間じゃない。だって私は今でもNのことが大好きだし、自分のなかに生きる過去の出会いや別れを心から愛しているし、尊重している。
それを一度箪笥の中にしまってベストを尽くすことと、それを完全に否定して真上からグシャリと潰し壊すことの違いが、彼と会う頻度が縮まるごとにどんどんわからなくなっていった。もちろん彼が私に教示したかったのは前者だ。過去を破壊しろなんて、一言だって彼は言っていない。そんなことは明解だ。でも、直接言語化していないだけで、彼からは一種のカルトを感じた。十中八九、彼自身がそのことに気づいていたと思う。終盤は、私以上に彼は彼に疲れていた。
普遍的な論理と彼個人の意見の区別がつかなくなっても、首を縦に振り続けるほど私は強くもなく、また弱くもなかった。
彼は私に、きみに人権はない、と言ったことがある。
もちろん、これは笑い話だ。お互い冗談だということはちゃんとその時点でも理解していた。
でも、結局、私が彼から離れたいと思い、それを半ば強引な形で彼に剣先を向けたのは、その言葉が引き金だ。
私は、彼と知り合う前から、人権という言葉を知っている。フランス革命後、ラファイエットが人権宣言を起草したことも、現行憲法の第11条に基本的人権の尊重について規定されていることも、1948年に世界人権宣言が採択され、その31年後に日本が批准したということも、私は知っている。だから私は、彼が私に人権がないと言っても、それが冗談だということを理解できたし、笑って受け流すこともできた。
でも、もし、人権の意味を知らなかったら、きみにジンケンがない、と言われても、それに屈するしかない。ああ自分は、他の人たちと違ってジンケンというものが欠落している不良品なのだ、と信じるより他ない。
そしてそのジンケンがないと言われ続け、その人のお人形として生きた結果、意図しない形で社会から外れてしまった時、人々からめでたく【自己責任】という言葉を投げつけられるのだ。
おそろしいことだ。
私が言われたのはたまたま人権だったけれど、この社会にはこういう類の事でたくさんのひとたちが食い物にされている。
彼に染まり、軸がばらばらに崩れていたのは、明らかにこれは私の改善していかなければならないことだ。善悪や真偽や勝負を超越した自分の軸が無い段階で、ひとの意見に全てを委ねることはお互いの破綻しか待っていないのだ。
私は自分の意志と責任を持って自分の人生を生きていかなきゃならない。
だから勉強は決してやめないし、その意志と責任を、客観的な結果を以って、彼からの愛情に還元しなければならない。それが彼に対する最大の感謝と謝罪だ。彼が私にくれた時間は、本当にかけがえのないものだと今でも信じて疑わないけれど、その思いは形で残さなければ意味をなさない。
具体的に言えば、基礎体力づくりとベストな就職活動に集中する。今、私がしなければならないことは、それだけだ。
善意ある暴力は優しさですか
悪意ある優しさは暴力ですか春夜に塗り重ねた嘘は何色ですか
幸せを抱き抱えた闇は何色ですか切り捨てられた4の行方を追い続け
山の頂上に残る雪を溶かしわすれた引き揚げられた稚魚たちを眺め続け
水底で眠る月の影を落としていった
生まれて初めて日本海を見た日に書いた詩
ふらふらと勿忘草の揺れにけり
忘れ草一輪摘みし夜明けかな
自己分析 ①
こんばんは。
この時期を楽しんでいる方も、踏ん張っている方も、お疲れさまです。
🌐🌐🌐🌐🌐
逃げるってなんでしょう。
少しだけお久しぶりです。
みなさん、お元気ですか。
私は、あまり元気ではありません。でも、そんなことを言ったところで、元気が湧き出てくるわけでも、目の前の景色が明るくなるわけでもないので、精一杯、今出来る問題を解こうとしています。
今バイト帰りで、電車に乗っているのですが、私が楽しみに購読しているブログが更新されていたので、嬉しくなりました。そして、その記事を読んだあと、今の自分を思い、何と言うか、少しだけ複雑な気持ちが拭えなかったので、この気持ちを私のブログに書きます。
そのブログ、ここに掲載しても良いのかしら? うーん、わからないから、載せない。あと、Kさん、不快に思われたら、本当にごめんなさい。
【許可を得たので掲載致します 2017/05/07】
内容は、平たく言うと、「逃げても良いんだよ」ということです。
今、辛い環境、状況にいたら、その場から逃げる、という選択肢を取っても良いんだよ、と。
私、最近、本当によく考えるんですね。
今通っている大学の進学をきっかけに、私は、岩手、つまり実家を出たけれど、それは本当に、良かったのだろうか、と。
今、私は就活生として、関東エリアの企業をエントリーしています。Uターンするつもりは、今のところ、ありません。それが今後の私にとって、本当に幸せなことなのか、今の私にはもちろんわかりません。
ほんの三年程前、四畳半の煎餅布団しかない部屋に閉じ込められていた私は、この一年間で、見知らぬ土地で一人暮らし、都内でアルバイト、そして新宿でリクルートスーツに身を縛られながら、厳しい毎日を生き抜く、「どこにでもいる大学生」になりました。
今、辛いこともしんどいことも嫌なことも不愉快なこともたくさんあるけれど、とりあえず、それに耐えながら、ごまかしながら、「普通に」生きられるほどの人間になりました。
だけど私は、
たまたま、本当にたまたま、家族以外に、家族同然、或いはそれを超越して、私のことを大切に思ってくれる存在に出会えたから、今、こうしているわけです。精神的にも、経済的にも、未来の私に希望を持ってくれ、支援してくれたひとがいるから、私は実家から逃れることができたのです。
中学生の頃、私はずーっと、
『なぜ私が「ただいま」と言える場所はここしか無いのだろう』
と思いながら、リビングからの怒声や泣き喚く声をBGMにしながら、隣の部屋で父親が引きこもるなか、自室で手首を切っていました。その時、私は、ただつらい、しんどい、苦しい、だれか助けて、というような内容の詩を、ノートに書きなぐっていました。
だけど、逃げたい、とは思わなかった。
逃げる、という言葉すら、その時の私の頭の中の辞書には無かった、というほうが正しいかもしれません。
今の私は、その頃の私や、その頃の私のような状況下にいる子どもに、特に掛けてあげるような言葉はありません。何を言っても嘘になる気がするから。
だけど、
逃げたくても逃げる場所も見つけられずにいるひと、
客観的に見ればどう考えてもその場が地獄なのに、地獄であることすら知らずに、天国に行く地図を知らないまま、ただただ辛い思いを堂々巡りしている、せざる得ないひとが、今、この瞬間に、確かにいるのだ、ということ。
そして、その地獄を作っているのは、他でもない、今の私たち、すなわち「どこにでもいる普通の人たち」であふれかえっている、この社会全体である、ということ。
その現実から、私は目を背けたくないな、と思うのです。それが、せめてもの、過去の私に対する慰めなのかな、と。
最寄駅に着いた。明日から、また1週間が始まる。